地図に示された短い旧国道に踏み込んだ私は、図らずも一本の隧道に遭遇した。
それこそが、名川隧道であった。
しかし、
私の道からは、これ以上近づくことが出来なかった。
やむなく引き返す私だが、猛烈な藪に根負けして、チャリを崖下に放り投げた。
無論、ヤケクソになった訳ではなく、正しい道は下にあったのである。
先ほど一度は徒歩で探索した洞門を、今度はサドルの裂けた愛車で通過する。
チャリの速度ではあっという間に洞門を脱し、そこに待ち受けるはある会社の作業場。
私は一気に加速し、土を運ぶブルの動きを縫って、そのまま工場内を突破した。
無論、数人の作業員が私を目撃し、目を丸くしている。
私は、声をかけられる前にこの場を脱するしかないと、振り返らず視線を振り切った。
そして、ものの1分ほどで、苦境の底から現道へと戻ったのである。
写真は現道の長瀞橋から、洞門と隧道のある対岸を望む。
洞門もそこに在ることが分かっている目で見れば、確かにその痕跡も見えるが、緑のカムフラージュは進んでいる。
月山あさひ博物村は、道の駅月山に併設されたアミューズメントスペースである。
一番のウリは、施設の中央を流れる梵字川に架けられたこの橋からの、バンジージャンプである。
橋の名は、ふれあい橋。
確かに、橋の中央付近にはバンジージャンプ用の足場が出っ張っている。
私が訪問している最中には飛び降りようという猛者はいなかったが、橋は多くの観光客でにぎわいを見せている。
谷には屋台の鳴らすラジカセの大ボリュームが響き渡り、ちょっと「旧道探索」というムードとはかけ離れている。
一番私が懸念しているのは、この大勢の「人の目」である。
果たして、思うように探索できるか…。
暗雲が立ちこめはじめていた。
ハッキリ言って、藪を歩いているときにはまさかこんな展開になるとは思いもしなかったが… 一番嫌な展開だ。
橋上から上流川の谷底を見下ろせば、そこには一条の滝が落ちている。
これは、「亀の滝」と呼ばれており、先ほど私が覗き込んだ「洞門の下を潜る沢」の末路である。
あそこで響いていた轟音は、この滝のせいだったのだ。
なかなかスリリングな場所に洞門橋(果たしてそんな言葉があるのかは知らないが)を架けたものである。
橋を渡ると、先ほど降りたくても降りられなかった地面に立つ。
下から見上げると、洞門の上は結構高く、無理に飛び降りなくて正解だったと思われた。
また、ここからは目指す名川隧道の坑門付近をよく見通すことが出来るが、坑門自体は洞門と密に接しており、見えない。
隧道内部へと行くには、どうしても洞門内を通らねばならないようである。
これほど地形的にクリティカルな隧道というのも珍しい。
普通、徒歩の自由度を持ってすれば、正面が無理でも「上から」或いは「下から」などと、複数のアプローチが可能であるが、殊この隧道に関しては、洞門内からの接近以外は、不可能である。
隧道目指し、真新しい扉を潜り洞門へとはいる。
ガラスの戸には、「トンネルピット」と書かれている。
中にはいると、洞門のスペースを活用した空間となっていた。
向かって左、隧道側は後回しで、まずは洞門出口方向へ行ってみる。
ここはタイル敷きの休憩スペースになっていて、冷房はついていないようなのに、地山の冷気が壁から漏れるのか、涼しい。
天井などは洞門のままの造りだが、意外に調和しており、短い時間しか居なかったけれども、居心地は悪くなかった。
奥は狭い通路がスロープのように蛇行しながら続いている。
向かって左の壁は窓ではなく、地山側に設けられた展示スペースである。(殆ど遊んでいたが)
休憩スペースの奥は狭い通路で、天井は円形である。
元々の洞門の造りを殆どそのままに残しているが、新たにトイレが増設されていた。
これぞ、洞門内トイレである。
さらに通路が下りながら奥へ続く。
椅子で簡易なバリケードが築かれているものの、人目もないので進入してみる。
そして、これが出口側の一番奥の部屋になる。
ミニシアターになっており、人影はないが、ライトアップされており独特のムードだ。
音響効果などの点で、半地下というこの場所の構造は、面白そうである。
奥の非常口の案内がされている扉の向こうは、確認はしていないが、この場所だろう。
さて、無人の休憩スペースに戻り、さらに名川隧道へと進む。
すっ 進めねェ!
隧道へ続く洞門はまるごとレストラン「トンネルピット」となっていた!
しかも、今は準備中の立て札が出ている上に、
汗
草
土
などにまみれた私は、どんな大衆食堂だって絶対アウトだろう。
見たところ、対象食堂どころか、結構いいムードである。
とても、「奥の隧道が見たいので入らせてください」と頼み込めるムードではない…。
「山行が」5年目にして、余りにもあっけない
敗北宣言であった。
「えっ、マジで?」
「これでヨッキが終わりだなんて。 なっ、情けない!」
「見損なったぞ、ヨッキ!」
「死んでしまうとは何事だ…」
皆様のお叱りの声が目に浮かぶようであるが、私には無理でした。
山行がを“殺す”には、バリケードや藪は要らず、人を置いておけばいいのだ。
私には、人をバリや藪のように上手く乗り越える技術がない。
不達成感を胸に、現道へトボトボ戻る私。
そして、「中の橋」を渡り、ファイナルチャンスである反対側坑門を目指した。
反対側は余りにもあっけなく坑門が発見された。
中の橋袂の現道からこの入り口まで、舗装路を50mほどである。
しかし、一目見てこちらもヤバげ。
なんせ、入り口には車があり、内部にはライトが灯っており、扉は半開きだが重厚そうであり、しかも、坑門には監視カメラが銀色の輝きを放っている。
ご丁寧に表札まである。
「月山ワイン貯蔵庫」
あっ、アウトだ。
はいらいね! (入れません。)
監視カメラに写ることを覚悟して、内部を覗き込む不審者丸出しの私。
奥にはワインの馨しい香り…などなく、ただの倉庫っぽいが…。
しかし、まず人がいそうだし、悔しいが撤収だ。
ワインなど興味はないが、先方はそうは見てくれまい。
撤収!
と見せかけて、
一旦監視カメラのフレーム外に出た後、再び路傍にチャリを寄せ立ち止まる私。
振り返り、隧道を恨めしそうに見る。
よく見ると、これは隧道本体ではなく、やはりスノーシェードである。
最後の手段。
チャリを棄て、スノーシェード上によじ登った。
妖しさ(敢えて「怪しさ」ではなく)マックスの藪漕ぎプレーで、隧道本体を目指す也。
一連の名川隧道旧道は、私に新技術『洞門上を往く也』を覚えさせてしまったようだ。
そういえば、以前も似たようなことを一度だけしているが…(証拠写真)
悔しいかな、月山ワインの守りは鉄壁であった。
期待通り、洞門上を行くこと50mほどで隧道本体との接合点が現れた。
再び危険を冒して洞門下へ降りた私が見たものは、洞門がそのまま岩肌に吸い込まれていくような、何とも後味の悪い坑門である。
結局、名川隧道内部はおろか、元来の坑門の片鱗すら拝めなかった。
扉もあったが、鍵が掛かっており開かなかった。
これは、完敗である。
名 川 隧 道
…「山形の廃道サイト:隧道リスト」によれば、
竣工昭和9年、延長34.5m、幅4.5m、高さ4.0m、覆工無し。
私は現地にたどり着き、図らずも隧道を発見したものの、その内部を解明するに至らなかった。
まさに、この守りの堅さ、羊の衣を被った狼の如し。
私企業の倉庫、レストラン、ワイン貯蔵庫、この3者か複雑に占拠し合う隧道は、未だ空間としては現役でありながら、既に通路ではあり得ない。
その意味で、道は廃道であったと言えるのかも知れない。
私は「敗北」の味を忘れない。
完