国道から、突如山のほうに突き出して描かれた一本の長いトンネル。
まっすぐなトンネルは、その線の細さが、より長さを強調し、一キロはあろうかと見えた。
そのトンネルの先には、「根子」の文字と、小学校のマーク。周囲は、本当に何もない。
ただただ、いくつもの等高線が、この小さな「文」の周りを包み込んでいた。
そして、さらに不思議であったのが、この根子の先に、道が描かれていなかったこと。
それまで直線の長いトンネルは、バイパスのもの、幹線のもの、そんなイメージがあった。
しかし、ここは違うように見える。
町の中心部からは遠く離れた山中の小集落(にしか地図上見えない)のためだけに、長いトンネルが掘られるなんてことが、あるだろうか?
わたしは、こんな疑問を持ったまま、ついにこの隧道を訪れる機会に恵まれる。
それも、これまで、3回。
2002年10月、土砂降りの雨の中、見も心も凍りついた私のまえに、変わらぬ姿を見せた隧道と集落。
今回は、その紹介である。
午後1時過ぎ、天候は文句なしの雨。気温、9度。
寒すぎる。
雨具のない私の体は、冷えきり、表情も消えていた。
黙々と、まるで作業のように攻略(鷹森林道、阿仁105号線旧道)を繰り返してきたこの日の私に、次の標的が現れた。
国道から右折する、一本の舗装路。
これが、根子入り口であり、標識もあるし、バス停もある。
やや広めに作られた1車線の道。
蛇行しながらの勾配がきつい。
正面には、もうトンネル以外ではこれを越えることはできなさそうな、切り立った杉林。
大粒の雨が見上げる私の顔面を激しくたたく。
目が痛い。
幸い上りは短いが、少しこの上りで“ヒートアップ”して、体温を稼ぎたい気持ちもあった。
それは適わず、ただ不愉快な疲労感だけが、かすかに残った。
それでもなお、隧道との再会を前に、胸が高鳴る。
そのままの角度でさらに少し上ると、見えてくる。
根子トンネルだ。
早こぎで、急接近。
眼前にその姿を現した根子トンネル。
ガッチガチにコンクリで固められた、威嚇するような壁。
スケールがでかい!
のに、トンネル細い!!
きたきたきた!
名物、だんごのような3連標識にくっついた、“だんご(2このだんごって?)”標識。
初めてこれを見たとき、それほど違和感もなかったし、「ああ、そういう標識もあるのかもナ」と妙に納得してしまった。
そのご、各地を走って戻ってくると、「こんな標識、ここにしかない!」ということを知った。
それもそのはずである、この標識の表示せんとする内容は『このさき(トンネル内部)2箇所の待避所あり』という、ここ以外では設置する場所がないであろう、特殊な内容なのだから!
でも、なかなか単純なだけに、パッと見で内容の掴める、なかなか良作の標識ではなかろうか? ただ、この補助標識(下の白い小さいの)は、一見して意味不明。
『175』って?
となること必至、実際は、多分だが、最初の待避所までの距離175mということなのだろうが。
この、だんご標識、他所での目撃証言お待ちしております!!
扁額はいたって質素である。
トンネル内には、電灯用の配線のほかに、これまで道沿いに立っていた電柱から引き継いだ電線が、写真にも写る鉄パイプ内に設置されている。
これも珍しいつくりである。
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ついに進入! この長さを感じていただけるだろうか? どこまでもまっすぐなトンネルの先に…出口は見えない。 いや、かすかに、その明かりは見えるが、まるで点のようである。 半日の間、ずっと雨の中を走ってきた私には、トンネル内の空気は心地よかった。 体に当る水がないだけで、どこか暖かに感じたし、なにより、乾いた空気が堪らなくうれしかった。 どんどん奥へと進んでゆく。 長い。 出口はまだまだ小さな光に過ぎない。 と、背後から耳障りな轟音が。 来たな。 …車だ。 しかし、音がなんか異常に大きい。 振り返る私。 |
来てる。 …大きい。 道幅いっぱいに黒い巨体と、光る二つのオレンジの目玉が、恐ろしい轟音を引き連れて、どんどんどんどん、迫ってきていた。 もはや、耳の中は轟音でいっぱいになる。 あせる私、あえぐ様に先を見る、漕ぎ足に力を込める。「待避所はまだか?!」 かわすスペースが見当たらない、このままでは、追いつかれる。 轢かれるわけもないだろうが、この圧迫感は只者ではない。 来た。すぐ後ろ。 追いつかれた。 ゴーーーーー! あっという間に追い抜いてゆく。 速い! もっと徐行してくれ!! トンネル内の空気が、ピストンで押し出されるように突風となって流れる。 轟音はあっという間に、風と一緒に過ぎ去っていった。 はぁー、緊張したぞ。 |
で、やっと待避所。
20m位に渡って、幅、高さとも広くなっている。
ちょうど、二車線ぐらいの幅だ。
ここでもまた車が来た。今度は前から、乗用車だ。
意外に車通りが多いのに驚く。
まるで幹線のようだ。
ちなみに、写真の写り具合から気が付かれたかもしれないが、トンネル内部の舗装は、アスファルトではない。
凸凹のあるコンクリが路面に敷かれている。
出口はまだ小さい。
どうやら、弓なりに勾配があるようで、結構近づいても、出口は上のほうが少し見えて来たに過ぎない。
黙々と突き進む。
二箇所目の待避所があった。
やっと半分以上来たと分かる。
やっと出口だ。
これが根子側の坑門。
つくりは入ってきた笑内側と同じで、やはり“だんご”標識も設置されている。
残念ながら、こちら側も雨。
まったく変わらぬ天気だ。
少しの間忘れていた、冷たい雨の感触が、一気に、現実感を私にもたらす。
この先の道は、過去何度も走っている。
反対側から来たこともある。
だから今回は、引き返す。
また、このトンネルに、舞い戻るのだ。
が、最後に、この坑門の場所からも見渡せる、根子集落の姿を。
木々の向こう。
すりばち状になった一帯には、まるで寄り添うかのようにたくさんの民家が立ち並ぶ。
隠れ里、と呼ぶにはいささかカラフル過ぎるかもしれないが、それでも、この異様な景色は印象に残る。
根子集落については、秋田県内初の県指定無形民俗文化財となった『根子番楽』をはじめ、有名な『阿仁マタギ』など、語るに足ることはない。
とにかく、このようなトンネルを作らしめるだけのパワーが、魅力が、この土地にあるということは間違いあるまい。
一集落として、多くの特徴を持ち得たことが、かつて県下に吹き荒れた集団移転の荒波に耐え、県内ではほとんど唯一と言ってよい、生きた山間集落を存続させたのだと思う。
意外と思うだろうが、これは、秋田では珍しい景色なのである。
背後に聳える根烈岳。
比較的近年まで、この山を越えた向こうの萩形沢とは、非常に深い交流があったという。
その萩形沢は、ダムが操業し、今では殆どの集落が潰えてしまったが。
現在でも一切の交通を遮断する、県央最大の秘境地帯を生身の足で越えた古の人々の苦労は、計り知れず。
私は以前、根烈岳付近の、迷路のような深淵なる林道に迷い込み、そこで日暮れを迎えたことがある。
ここは、私にとっても、因縁の感じられる土地なのだ。
ちなみにこの根子集落からは、川沿いの根子林道を経て、やはり国道沿いの萱草に。
平成12年開通の、広域基幹林道阿仁線を利用すれば、町役場のある阿仁合や、さらに町の北部まで、延々ダートだが、行ける。
イメージの中の“最奥の僻地”も、じつは、一歩一歩だが、しっかりと発展してきたのだと思う。
再び、今来たトンネルへと戻る。
長いトンネルの先に、更なる冒険、いや、暴挙が、待っている。
根子トンネル
竣工年度 1975年3月 延長 576m
幅員 4.1m 高さ 4.3m
竣工年度 1975年3月 延長 576m
幅員 4.1m 高さ 4.3m