二ツ井町の中心地から北へ約3km。
秋田杉の美林に囲まれた狭い耕地に、それは忽然と姿を現した。
緩やかなカーブを描きつつ、森へと向かって登る築堤。
明らかに、昭和40年代後半まで林業用に敷設されていた鉄道―森林鉄道―の痕跡だ。
この先に期待される景色は、唯一つ。
隧道だ。
林道にチャリを置き、狭い畦を通って築堤へと近付く。
丁度築堤の下にある畑には一人の老婆がおり、なにやら農作業の真っ最中だ。
近付きつつ笑顔で会釈。
「こんにちわー。」
しわくちゃのお顔をこちらへ向けて、優しげな笑みを浮かべる。
…ああ、よかった。
先へ進ませてくれそうだぞ。
仕事柄、人に声をかけることには慣れているが、私は“怪しい侵入者”であり、友好的に情報を引き出す為のハードルは低くない。
だが、とても感じのいいおばあちゃんだったので、積極的に質問してみた。
「このあたりに、使われていないトンネルとか、ありませんかー?」
この質問で、おばあちゃんはピンときたらしい。
どうやら、以前も林鉄の隧道目当てで来た人が居た模様。
この先にあるという確証を経た私は、藪が深いから畑の中を歩いていってもいいよという、あり難い申し出をやんわりとお断りして、築堤に喰らい付いた。
おばあちゃんが、この森林軌道のことをしきりに『林道』と呼んでいたのが印象的だ。
最近の認識では「林道=道路」だが、県内最長の軌道延長を誇った当地では、ほんの4半世紀前まで「林道=森林鉄道」という時代が確かにあったのだ。
築堤上は何かに利用されている形跡も無く、緑の絨毯が敷かれたかのようだ。
ただ、歩きにくいというほどのこともない。
間も無く深い森にぶつかる。
この先は、見ての通り藪だ。
だが、目指す隧道は既に私の眼前にあった。
正面の暗闇は明らかに、それだ。
坑門の手前には幅1mほどの小川が流れており、ここを渡る橋台が深いブッシュに覆われ見えない。
そのため、踏み抜きの危険性がある。
これにだけ気をつければ、夏場でも比較的容易に坑門へたどり着ける。
私の知っている森林軌道の隧道といえば、みな素堀りの崩れかけたような(或いは崩れた)ものばかりだったので、簡単とはいえこのようにコンクリで施工された隧道は目新しい。
また、その形状に特徴がある。
通常の隧道は、円を基本とする断面を持ち、楕円であったりする。
だが、この隧道は天井は円断面と思われるものの、側壁は直線的だ。
力学的に余り優良とは思えないが、JRなどが採用する規格とは別の、独自規格によって作られているのであろう。
この形状のせいで、とにかく縦長な印象である。
坑門に立つと、その特異な形状が際立つ。
今まで見てきた隧道のなかでも、狭さが一番際立っている。
コンクリは坑門だけでなく、ちゃんと内壁全てが覆工されており、しかも崩落などもないようだ。
問題なく通り抜けられそうである。
延長も100mとなく、狭さに圧迫感はあるものの、さして恐怖は無い。
坑門の向こうには度々自動車が往来しているのが見え、藤琴川沿いの県道に直結しているらしい。
もちろんこのことも、恐怖感を和らげるのに一役かっている。
老朽化によるものと思われる剥離が目立つ、坑門脇の切り通し斜面。
それでは、入洞しよう。
ライトや長靴は不要である。
足元は湿り気を帯びた砂地であった。
これが現役当時からのものなのかは分からない。
県道から近いのに通り抜けた人の足跡は見当たらない。
まあ、現在発行されている地形図にもこの隧道は無く、特別に気にする人も居ないのかもしれない。
あるいは、反対側があらかじめ見えているような隧道は、一般的には立ち入る価値もないのか。
半分ほど進んだところに、壁につられた一つの電球を発見した。
隧道の照明というよりは、なにか作業用のものといった印象を受ける。
廃止後、何かに転用されていたのであろうか?
それほど古いものとは見えない。
さらに、コンセントまであった。
現在通電しているのかは分からないが、どう見ても、現役当時のものではない。
自然の驚異に晒された隧道とは全く別の、なにやら生臭いような不気味さがある。
今は朝の通勤時間に重なっており、すぐそこを通る車の喧騒が怖さを和らげてくれる。
だが、夜だったらどうだ。
近くの小学生なら、きっと「あそこで自殺があった」なんて噂の一つや二つを知っていそうである。
近所の心霊スポット的な空気がある。
本当に怖い場所なのかどうかは…、私には分からないが。
ここはひとつ、『サイコ☆クラッシャー秋田支部』の皆様による探索を期待したい。
出口がいよいよ近付いてきたとき、足元に異様な気配を感じだ。
生憎、ライトはリュックの奥底であり、フラッシュを焚いて撮影してその場を離れた。
あとから、撮影された写真を見て、ギョ!
それがこの写真なのだが、いったいこれは何??
蝙蝠の屍骸の山にも見えるが、良く見ると、植物の残骸らしい。
しかし、なんなんだろう。
日影で栽培され、そして、光を当てたりしていた痕跡もある…。
なんだろう。
ウド…だろうか?
誰か、この残骸を良く調べて欲しいが、私はちょっと手が出なかった。
足早に出口を目指す。
先ほど足元に感じた異様な柔らかさと、得体の知れない気配に、冷や汗をかいていた。
撮影された写真(上の写真だ)を確認したのは、まだ先のことである。
ここには何となく生活臭のようなものがあって、怖い。
いよいよ出口に差し掛かった。
内壁のコンクリートが剥離し、内側が覗いている。
余り詳しくないのでなんともいえないが、覗いているコンクリは、粗悪なものに見える。
ちゃんと化粧されていて人並みに見えた隧道だが、実は…。
そんな印象だ。
先ほどから、往来する車が、まるでパラパラ漫画の一コマ一コマのように見えていたが、やっぱりそこには県道があった。
県道の向こうは藤琴川の淵が瀬を洗っており、さらにその向こうに広い河原と水田、白神山地から続く郡境の山並みが視界の限界である。
県道側から見た坑門。
探せば見つからないはずは無いが、何気なく通り過ぎれば絶対に気が付かなそうなカモフラージュ振りである。
写真では分かりにくいが、坑門は木製の落石覆いに守られていて、坑門上部は10mほどの切り立った断崖であることから、これは現役当時からのものと思われる。
坑門の左右にある、白いコンクリートの直方体の物体が何なのかは、分からなかった。
先ほどの写真からも分かるように、隧道は川に対し直角に掘られている。
よって、県道を渡った先の鉄道の行く手は、藤琴川の水面上に他ならない。
現役当時、この県道と鉄道との接点がどうなっていたのかは、残念ながら分からない。
しかし、ここにあった橋については、記録が残されている。
高岩橋。
それは、日本一を冠されたこともある、著名な橋であったという。
森林軌道用としては「日本一長い吊り橋」として、親しまれていた。
そしてまた、日本一の杉の里としての二ツ井町の人々の誇りでもあった。
残念ながら、いつの頃か定かでは無いが撤去され、現在ではその痕跡は目立たない。
だが、完全に姿を消したわけでは無いという。
…その話は、またいずれ。
さて、戻ろう。
まだまだ、白神の山中奥深くまで続く膨大な森林軌道網の玄関口を覗いただけであるが、今回の探索はこれまでだ。
木製の落石覆いが今度は良く見えるだろう。
約100m向こうの出口は、反対側からの眺めとは一転して、緑一色、動くものもない。
静かな森へと続いている。
帰り道も一歩一歩砂地を踏みしめて、その空気を満喫した。
今は薄くなりつつあるとはいえ、廃止後しばらくは何らかの事業に転用されたと思われる痕跡があった。
一体どのような人が、どんな事を成そうとしたのか、興味は尽きない。
そして、なぜ、再び廃止されたのか。
人家にこんなに近くても、誰の目にも留まらぬような小さな小さな隧道がある。
慌しく過ぎてゆく自動車の群れからは、その存在など全くの無意味だろう。
こうして、廃墟は人々の記憶から、緩やかに緩やかに滑り落ちてゆくのだ。
おばあちゃんのいう“林道”は、
もう、全てが過去のものなのだ。
まだ見ぬ隧道は、あといくつあるのだろう。
あと、いくつの記憶が、眠っているのだろうか。
この果てしない秋田の森に…。