藪の向こうに現れた、壁。
そして、 隧道。
「 な、なんだこの隧道は…! 」
予想外の“お宝隧道”との遭遇に、私の熱は上昇した。
2009/3/19 14:17 《現在地》
勝浦市部原(へばら)の東の端にある、“ムメイトンネル”こと、国道128号旧道の隧道に到着した。
現国道からは、おおよそ600mの入りであった。
出会った途端、「な、なんだこの隧道は…!」と吃驚し、“お宝”を確信した。
だが、あなたはまだ首を傾げているかも知れない。
「え?そんなに凄いか? むしろ平凡じゃね?」
その感想は、もしかしたら私の撮影技術不足と、ちょっとした目の錯覚によるものかもしれない。
ここまで紹介した2枚の写真では、私が覚えた興奮が伝わらなくても、無理はない。
普通に真っ正面から坑口を撮影しただけでは、まあ房総にはありがちな…、粘土岩の掘り割りの奥に口を開ける、ただの素堀隧道にしか見えない。
それに、構造的な特徴だけを申すならば、まあその通りの物体ではある。
しかしそれは、驚くほど大きかった。
どう? 来た??
画像を大きくしてみたんだけど、まだ伝わらないかなぁ…。
さっき「目の錯覚」と書いたけど、その種明かしをすると、こうなっている。
坑口を塞いでいるフェンスが、なぜか(こういうのは珍しい)、坑門よりも手前に張り出ている。
そのせいで正面から見たとき、フェンスに対して坑門がさほど大きく見えないのだ。
…マジで大きいんだって。
私がサイズ比較に写れれば良いんだけど、フェンスが邪魔でセルフシャッターの10秒リミット内に坑門前に立てないし(笑)、ほんと邪魔なフェンスだニャ。
坑門上部にある崩落跡。
この欠落部分だけでも軽トラ1台分くらいあるって言ったら、信じて貰えるかな?
マジだよ。
ちょっとは大きさが伝わった?
坑門の大きさもさることながら、それを全面に穿たせている掘削面の大きさが、まず普通じゃないのだ。
なぜこんな広範に山を削る必要があったのだろう。
元々が採石場だった可能性もあり得るのかも。
隧道のためだけにこんなに掘ったのなら、謎だ。
坑口左上の壁面。
左が側壁で、右が坑門のある壁面である。
間近に立って見上げると高さと質量に圧倒されるが、ただ巨大だというだけではなく、ナイフで切り取ったような丁寧な角の処理に感心する。
房総での土木に相当精通した、職人技だと言わねばなるまい。
「前編」でも述べたとおり、この隧道のある位置は自然の沢地の奥、鞍部の直下である。
それゆえ、どこからが人工的な掘り割りや掘り下げなのかは分からない部分もある。
一般に、鞍部の直下に隧道を掘ると隧道は最短になる場合が多い。
トンネルを掘る技術が貧弱だった昭和30年代頃までは、ほとんどの隧道がそういう場所に掘られたが、必然的に坑口は谷底や沢地などの水気に富んだ地盤や、不安定な崖錐に存在することになり、“予後”には恵まれないことが多かった。
現在重視されているのは、トンネル長を最短にする事よりも、線形の良好さや地盤の安定性である。それが今日的な経済性にもなっているわけだ。
ようは、この坑口前風景がいかにも明治隧道らしいということを言いたかった。
さて、御託はこのくらいにして…
入るか…!
巨大だ!
巨大隧道だ!!
天井の高さを、チャリンコと比較してみて欲しい。
ようやく良い比較対照を得られた!
…おっきいでしょ?(笑)
クレーン車でも通していたのかってくらい天井が高い。
それに、幅も結構広い。2車線ぎりぎり取れそうだ。
しかも、その断面形はほぼ長方形である。
サイズも形も、一般的な隧道とはかけ離れている。
記録されている緒元
ムメイトンネル(ハマ)
(昭和20年竣功 全長62m 全幅5.3m高さ4.0m) は、絶対にウソだ。
どう見ても縦長だし…。
こんな形で、意外に崩れていないのが驚きだ。
ここは、壁面彫刻を施して日本初の「トンネル彫刻館」にでもしたらいいかも知れない。
自然光も取り入れもばっちりだし、風通しも良い。それに湿気も少ない。
廃隧道らしからぬ、居心地の良さ。
そして、美しさだ。
“外房の巨大トンネル”として、観光名所になっていても不思議はないような異形の隧道だが、現役当時、そうはならなかったのだろうか。
こんな隧道を、さも当然のように車が通っていたというのか。
出口。
巨大隧道ぶりに、さらに磨きがかかっている。
…というか、崩れていびつになって来ている。
フェンスがもの凄く小さく見えるが、それは遠いからばかりではない。
天を仰ぐ破れかけの洞口から、「出るな」と邪魔するフェンスをかわしつつ…
生涯初の御宿町へと…
脱出する!
14:34
おわーッ!
こえええぇえ!
この天井は、どこまで崩れようとしてるんだ?!
このまま天を掴む気か?!
洞内から見るとあんなに大きかった隧道も、坑門を囲む壁面に較べれば随分小さく見えるではないか。
これはヤバ気。
近年慌てて塞いだらしいフェンスも頷ける。
しかし、よく見ると天井の崩壊分と洞床にある落石の分量はかみ合わない。
つまりこの崩壊は、現役時代に発生したのだと考えられる。
廃止後に崩れるよりも、遙かにヤバイ隧道だ…。
うははははは。
もう、笑うしかない。
こちらも、もの凄い掘り割りのでかさだ。
完全に尾根まで届いちまってる!
ここまでやったなら全部掘り割りにしても良さそうなもんだが…。
まるで岩の門、岩門だ。
…こんな個性的な隧道が「無名」だなんて、ちょっと信じられない。
きっと“日本百迷隧”にノミネートされるであろう。
房総、してるねぇ。
これぞ、“上総の巨大隧道”だ。
自然に崩れるものは妨げ無しといえども、人が築いた交通の一極致として、出来るだけ長く残っていって欲しい眺めである。
そういえば、興奮のあまり冷静な考察を忘れていた。
のっぽな断面の理由は、「改築時の掘り下げ」だろうと思われる。
明治30年代までに掘られた初代隧道を、昭和20年に大型車も通れるよう拡幅したのだろう。
当然前後の取り付け道路も改良されただろうし、坑口前の勾配を緩和するためには掘り下げも必須だった。
そのときに愛国心によるものか、少々やりすぎがあって、こんな素堀らしからぬ巨大隧道になったものと思われる。
巨大掘り割りは、好湿性&好陰性植物の楽園と化していた。
夏場はヤブ蚊に苦しめられそうなムード。
地図を見ると、この先は現国道との再合流まで約550m。
何度か逆光の隧道を振り返りながらも、やがて下りに就いた。
廃道は廃道だが、勝浦側よりは幾分状況が良い。
杉の植林地が沿道にあるので、ある程度人の出入りがあるせいだろう。
前輪に体重をかぶせて、強引に下っていく。
べきべきべきべき、杉の枯れ枝が折れまくる。
ギギギッ!
後輪とディレイラーのあいだに枯れ枝を挟み込み、強制停止させられる。
ムムムッ!
取り外して、また下る。
以上、しばし繰り返す。
300mほど下ると、不思議な形をした建物が現れた。
他人様のものを「不思議な形」とは無礼だと思うが、やっぱり不思議な形。
しかも、廃道の途中にポツンと一軒だけ。
廃屋?
謎の建物までは、麓から電線が引き込まれていた。
電柱のプレートには、「らくだ229」。
らくだ??
徐々に路面は整理されつつある。
脱出も近そうな感じ。
相変わらず、旧国道っぽくはないが…。
450mくらい来たところで、ようやく舗装回復。
民家が現れ始める。
あと、車の音も聞こえ始める。
ちなみにこの旧道。
隧道が塞がれているほかは、特に物理的な封鎖がなかった。
出てきたよ〜。
月の砂漠で有名な御宿の街並みが。
現国道の向こう側は、すぐに海だ。
14:44 《現在地》
うおっ!
現国道の通行量スゴッ!
これは、旧道では無理だと納得。
合流地点を振り返る。
私は右の鞍部を越えてきた。
一方の現道には、4本あるトンネルの最後の一本、「御宿トンネル」が口を開けていた。
この眺めだけは、いかにも新道と旧道の分岐である。
予想外の廃道&お宝隧道と遭遇した、山だけど「浜」の旧道、大満喫!