小樽市と江差町を海岸沿いに結ぶ国道229号に数ある難所の中でも最大級のものが、北海道開拓初期より西蝦夷三険岬に数えられた茂津多岬である。
1000m級の山脚が巨大な海食崖となって北の荒海に没するこの海岸線は、島牧郡島牧村と久遠郡せたな町の境であると同時に、北海道のより大きな地域区分の中でも後志地方と檜山地方の境であり、天嶮が人の流れを長らく途絶させてきた根源的な境界であった。
茂津多岬を中心とする約15kmの国道未開通区間の整備は、昭和36年に瀬棚側、同41年に島牧側から、それぞれ北海道開発局函館開発建設部(函館開建)と小樽開発建設部(小樽開建)の主導で行われ、類い希な難工事の末、昭和51(1976)年11月6日に茂津多国道は全通している。
平成8(1996)年に発生した豊浜トンネル崩落事故を受けて緊急的な防災計画の見直しが進められていた矢先の平成9(1997)年8月25日には、右図の×印の位置にある第二白糸トンネルでも大規模な崩壊事故が発生した。幸いにして人的被害はなかったものの、これらのトンネル崩落事故は、豊浜トンネルや第二白糸トンネルと共通する地形条件に置かれた数多くのトンネルを抜本的に改良する必要性を関係者に強く認識させ、危険な箇所から道路を遠ざけるという防災目的の道路改良が急がれることになった。
このような経緯から、右図に示した白糸トンネル、兜岩トンネル、狩場トンネルという3本の長大トンネルが、平成11(1999)年から平成14(2002)年に相次いで開通し、青線で示した旧道およびそれを構成する多くのトンネルが役目を終えて廃止されている。
当サイトではこれらの旧道のうち、兜岩トンネルの旧道を2021年7月に紹介済(探索は平成28(2016)年4月26日)だが、今回はその南側に隣接する狩場トンネルの旧道を紹介したい。
そして実はこの区間の探索は、2回行っている。
もともとここは、兜岩トンネル以上に一筋縄では探索出来ないところであった……。
(何があったかは後述する)
改めて、狩場トンネル区間の拡大した地図を見ていただく。
青線が旧道で、赤線は現在の国道のトンネル部分である。
また、チェンジ後の画像は、旧道が現役だった当時を描いた平成3(1991)年の地形図である。
右図からお分かりいただけるかと思うが、現在使われている狩場トンネル(平成14(2002)年10月開通、全長1648m)は、昭和51(1976)年に開通した旧道の穴床前(あなとこまえ)トンネルの内部から分岐する形で整備されていた。工事中に現場を通行した人であれば、このような構造であることをご存知だったのではないだろうか。
だが、現在の狩場トンネル内部に洞内分岐の構造は残されていないので、旧道へのアプローチには使えない。この旧道の入口は、狩場トンネル北口前のタコジリにある地上の分岐地点しか存在しない。
そのうえで、北海道にある多くの旧トンネルと同じく、この旧道にある全ての旧トンネルの出入口もコンクリートで密閉されていた。
この旧道には北から順に八峰トンネル、第二タコジリトンネル、穴床前トンネルという3本のトンネルがあまり間隔を空けずに連続していたのだが、これらが全て封鎖されていることが問題だった。
65mと短い八峰トンネルは良いとしても、次の長さ377mある第二タコジリトンネルを迂回して、最奥の穴床前トンネル(822m)へ辿り着くことは、地形上極めて困難だったのである。
だが、それで私は諦めなかった!
2018年5月28日、初めてシーカヤックを実戦投入した第2次北海道遠征の最終日(5日目)に、この難攻不落を謳われた旧道(穴床前トンネル)への海上からのアプローチに挑戦したのである。
この左の画像を見て欲しい。
練習のためにどこかの湖で撮影した……わけではなく、この日の現地海岸の海況がこれだった。
空と海の境目が曖昧に見えるほどの穏やかさである。べた凪という言葉で片づけるのさえ申し訳なくなるほどの究極的に良い海況に恵まれた探索となった。(大袈裟でなく数年に1度の海だと思う)
不慣れなカヤッキングに立ち向かう私に、大自然が優しさを施してくれたような環境だったが、実は既に時遅く、この4日前に挑戦したカヤック初実戦投入探索時には波が高く、下手くそな操縦のため撮影機材の半数を水没で失うなどの酷いミスを犯していた。
これほどの好条件に恵まれた私のカヤック作戦は、下手くそな操縦ながらも無事成功した。
右写真は、この日の最終到達目的地であった穴床前トンネル前の旧国道を海上から撮影した。
そこは第二タコジリトンネルとの間に挟まれた長さ100mほどの短い明り区間だったが、その全体がタコジリシェッドという名の覆道に覆われていた。
旧道も防災に対して決して無防備だったわけではなく、むしろ開通当時の常識の中では十二分に備えた道であったのだが、豊浜トンネル事故はその常識の限界を指摘するものとなったのだった。
この撮影後、狭い海岸から上陸して、タコジリシェッドの前後のトンネル坑口がいずれもコンクリートで密閉されていることを確かめた。
それは十分に予想されていた結果だが、やはり穴床前トンネルに立ち入る術は残されていなかったことを理解した。
それでも結果には満足して、帰宅した。
お い お い ?!
もう探索の結末を書いちゃったのかよ。この探索をレポートするんじゃないのかよ?
そんなツッコミが入りそうだが、この探索はレポートしません! 没になりました!
なぜ没になったかを次に説明する。
そして、今回紹介したい“真の探索”の話へと移っていきたい。
探索からの帰宅後、カヤック投入というビッグイベントを勿体ぶる気持ちもあってレポートの執筆をなんとなくしないまま時間が経過していたが、カヤック探索の前の月に探索していた兜岩トンネルの旧道のレポートを執筆し、順次公開している最中であった2021年7月20日に、驚くべき情報が、匿名の工事関係者を名乗る方から寄せられた。
なんでも、“とある事情のために”、この情報提供があった時点(すなわち2021年7月)では、兜岩トンネル旧道に存在するオコツナイトンネルの起点側と、ツブダラケトンネルの終点側のコンクリート封鎖壁が、撤去されているというのである。
加えて、狩場トンネル旧道にある、八峰トンネルの両坑口と、第二タコジリトンネルの両坑口、そしてなんと穴床前トンネルの起点側坑口も解放されているというのだ!
将来的にずっと解放されたままである保証はなく、“とある事情”がなくなれば再び封鎖される可能性があるとのことだったが、この状況の変化によって、私のカヤック探索は穴床前トンネル到達への必須行為ではなくなった。残念ながらこのレポートは没であろう。
とはいえ正直なところ、これらの3本のトンネルに入れるようになったというだけだったら、そこまで再訪へ心は動かなかっただろう。これらのトンネルの内部に興味はあるが、昭和50年ごろに完成した2車線の国道トンネルというのは、たぶん特別に変わった構造物ではないだろう。そのことは、本当は封鎖されていたのに偶然立ち入れてしまったオコツナイトンネルを見ても、想像できることであった。
…………
……いやすまん。
この匿名の情報提供メールの後半部分を読んだ時点で、
即座に翻意!
実は、穴床前トンネルは、“特別に変わった構造物”であった。
何が特別に変わっているかは、このレポートの中でお伝えする。
では、参ろう。
2023(令和5)年5月12日実施、第2次狩場トンネル旧道探索の始まりだ!