2019/1/23 6:22 《現在地》
おはようございます。
この日、この場所から最寄りの観測地点である小名浜の日出は6:45と予報されており、現在時刻はその20分ほど前、すなわち夜明け前である。
しかし、この時間でも既に太平洋の海岸線には探索可能な明るさがあると判断し、数分前に探索準備を調えて自転車で出撃したところだ。
ちなみに天候は快晴で、風もほぼ無風と思われる好条件だったが、放射冷却がガンガンに効きまくっているせいか、気温は完全で零下だった(確か-2℃)。間違っても海に浸かるようなことは避けたい気温であった。
写真の現在地は早くも、探索対象を擁するいわき市小浜町の小浜漁港、その入口に架かる橋の上だ。
ここではじめて海面が見えた。と同時に、早暁の大海に凜と立つ、竜宮岬の姿も。
ぶるる……、竜宮岬の上に満月が出てて、幻想的だ……。
小浜漁港、小浜海水浴場、竜宮岬がこの順に海岸を占めていて、集落からは海水浴場と漁港へ下りる、この写真の真新しいスロープがあった。ここから竜宮岬を目指せそうだ。岬を目指すと言っても、目指すのは突端ではなく、その波打ち際である。
かの震災が起こる前のこの地を私は知らないが、海岸沿いのあらゆる人工物が新規の色を帯びているのは、他の被災地と変わるところがなさそうだ。防波堤は当然真新しく、集落もことごとく新しい街並みに更新されていて。
(この地点(小浜町渚)の津波の高さは7.1m、竜宮岬の向こう側(岩間町岩下)は7.66mと、それぞれ記録が残っている。いずれも低地の家屋が壊滅的被害を受けた)
6:24 《現在地》
静まりかえっている、小浜海岸。
夏は海水浴場としても使われた綺麗な砂浜だが、地名の通りに規模は小さく、
正面の竜宮岬と、背にしている離れ山という小高い丘に挟まれた、小規模な入り江である。
そんな場所に港を作るために、竜宮岬を貫くトロッコトンネルが生み出されたらしい。
だが、港の完成後は速やかに役目を終えたものか、現在の地図には描かれていないし、
ここに立って岬を眺めていても、軌道の廃線跡は分明ではない。
山口氏が12日に投稿した写真の景色が、目の前にあった。
岬の基部の海崖が相当大規模に崩壊していて、崩土が堆積した崖錐が海に洗われている。
おそらくそこが崩れた範囲なのだろうという崖面は、周囲よりも色が鮮やかなので見分けられるが、相当広い範囲にわたっている。
崩れ落ちた土砂は海が勝手に掃除してくれるだろうが、まだ崩壊から8年しか経っていないせいで、大量の岩石が残っている。
崩壊が起こる以前は、砂浜伝いに隧道まで辿り着けたと思われるので(ここから見えた可能性大)、
あの崩土の山を乗り越えることが出来れば、今も開口しているのではないかというのが、山口氏の予想だ。
私もその説に期待して、これから崩土の山越えを目指す。
ざざ〜、 ぞぞ〜、 ざざ〜、 ぞぞ〜
入り江の海は、少し遠くでスローリーなテンポを奏でていた。
あと20分もすれば、あの水平線に輝くものが現われるだろう。
果たして私は、今日の最初の太陽を、どこで眺めることになるだろう。
この小浜か、あるいは竜宮を越えた先の岩間海岸か。
早暁の探索ならではの、筆舌に尽くしがたい高揚感が私の身を包んでいた。
なお、念のため確認しておいた本日の干満予報だが、最寄りの小名浜の満潮は6:44と16:50だった。つまり、探索時はほぼ満潮だった。
6:44の潮位は平均海面+122cmで、この日の最低潮位時刻の23:56と比較すると130cmも高い潮位だったのだが、探索を決行した。
もちろん、海岸の探索では潮位と波が低いに越したことはないが、波が高いよりは潮位が高い方がマシだし、そもそも隧道が開口していないならば無理をして辿り着く必要もないのだ。ようするにこの探索は、偵察だけで終る可能性も含んでいた。
6:27 《現在地》
キタ!
「落石の危険があるから崖に近づくな」という趣旨の真新しい看板を横目に進むと、海と崖が左右から挟撃してきて、これまでの平穏な通路だった砂浜が急速に狭まった。
そして最後まで残った狭い砂浜も、巨大な崩土の山にぶち当たって終った。
透視能力を持たない私には、この巨大な崩土の山の向こう側がどうなっているのかを、ここから知ることは出来ない。
崩土の山の奥行きも不明なので、一番不安、というか懸念されることは、隧道の坑口が崩土の山に埋立てられてしまっている可能性だ。
その場合、岩間側からの探索に最後の望みを託すことになるだろうが……。
見上げてみると、身震いするような圧迫感と高度感があった。
落ちてきた地表の樹木が、立ったまま枯死している姿などは、哀れさを通り越して凄惨の色が濃かった。
暁夜月に照らされた青い絶壁は、抜き身の刀身のような静謐に満ちていて、ただ少し苛立ったような波の音だけが、足元に響いていた。
しかしその実態は、次弾を装填された熱い銃口の林立した姿なのかもしれず、あろうことかその引き金に手をかけているのは、私なのかも知れなかった。
この崩壊は、まだ過去になりきれていないような生々しさがあった。
この岩山に踏み入ることは、してはいけないような怖さがあった。
だが冷静に考えれば、これは私が常日頃から相手にしている、廃道を埋め尽くした岩山と本質的には何も違わない。
築港軌道の路盤を埋め尽くしてしまった、廃道探索の障害物に過ぎない。
数刻を観察に過ごし、新たな崩壊の起こらないことを確認して――
突入開始!
崩土の山の素性は、あまり良くない感じだ。
崩壊から時間が十分に経過していないせいで、足元の締まりが弱く、結構大きな岩塊でも体重をかけると動き出しそうな気配があった。
崖錐の裾野の部分を常に波に洗われているせいで、安定感とは無縁の環境だろう。
典型的な、長居は無用、さっさと通り過ぎてしまうべき崩壊地だと感じたが、上までよじ登ってある程度先を見通すことが出来るようになると、その崩壊の規模の大きさが一筋縄でいかないものであることが分かった。
とりあえず、振り返り見た平穏の砂浜。
私の足跡だけが1本道で通じている。
自転車は、レポートの3枚目の写真のところ(砂浜の入口)に置いてきて正解だった。
向こうの小浜漁港の突堤の向こうに見える山影は、入り江を扼する片割れの離れ山だ。
いま向かっている隧道が、本当に築港用トロッコのものだったとしたら、この砂浜にレールが敷かれていたということになろう。
山側には路盤を布設する余地はない。砂浜しかない。
砂浜に枕木とレール直敷きは、通常の鉄道なら考えられない光景だが、あくまで仮設の工事用軌道のようなものであれば、そうした常識はおそらく通用しない(*`・∀・´*)何でもありの世界だ。
6:30 《現在地》
想像以上に規模(特に奥行き)が大きかった、崩壊。
前後を見渡した感じでは、現在いる場所が崩壊の中央部のようだが、前に20m、奥に20m、合わせて前後40mくらいは崩れている感じ。震災の一度でこれだけ崩れたのか、そこをきっかけに繰返し崩れ続けた結果なのかは分からないが、かなり大規模な崩壊である。
チェンジ後の画像は側方の眺めだが、海面より10m以上は堆積している。
しかしこれだけ埋立てられても、やがては海に呑み込まれてしまうだろうと思う。海退でも起こらない限りは。
改めて前方に目を向けて、現在の私が置かれている“危機的状況”を、理解して欲しい。
ここでいう“危機的状況”というのは、私のこの踏破行動が結局実を結ばない可能性についてだ。
気付けば私は、竜宮岬の真の基部に相当接近していたが、基部より先の竜宮岬の本体には砂浜がない。
要するにそこは陸路を辿ることができない海岸線なのだが、その竜宮岬の本体が始まってしまうまでの
陸路を辿ることができる海岸線の残りが、あと僅かしかない。しかもその大半が土砂崩れの影響を受けている。
この残りの僅かの海岸に隧道が口を開けていなかったら、消去法的に、
隧道は大崩壊によって埋没したという結論に至らざるを得ない。
↑ すなわちここが正念場。 ただし、私に出来ることは、隧道の持って生まれた宿運を願うことのみ。
これは… きついか…。
前後を隔てられた、絶海絶陸、絶対領域的で、真空のような、
非常にオーバーハングした崖に覆われた、隠された砂浜があった。
そこが、辿りうる最奥で…
あ!
ぽこっ…!