大正12年竣工の第一・第二刺巻の二隧道は、昭和57年の田沢湖線全線電化に伴い新トンネルに更新され、その役目を終えた。
国道から近いものの、余り知られていないこの廃線区間を、たっぷりとお伝えしたい。
いよいよ、今回その全貌が!
第一刺巻隧道を後にして、再び国道を走る。
もう一本ある筈の廃隧道だが、事前調査が不足していた為、場所は特定できていない。
ただ、現在の線路にも、もう一本の隧道があり、そこに廃隧道も眠っている可能性は高い。
国道と線路が並走する脇に数軒の民家が連なっており、ここが刺巻の集落である。
小さな集落を過ぎると線路は隧道に、国道は玉川に迫り出した山肌を迂回しつつスノーシェードに入る。
ここにあるのが現・刺巻第二隧道だが、その刺巻集落側の坑門付近は国道から少し離れており接近が困難である。
多分廃隧道もここにありそうだが、こちら側からのアプローチはひとまず諦め、反対側の坑門へと廻ってみる事にした。
スノーシェードをくぐり、反対側へ。
スノーシェードを抜けると、再び線路が姿を現したが今度はずいぶんと上だ。
この探索、意外に苦戦するかもしれないなと感じた。
鉄道は隧道から直ぐに玉川を渡る長い長い高架橋に差し掛かる。
ここに廃隧道が隠されていると仮定して、アプローチするならば、何とかこの高架橋に登らねばならぬのか…?
しかし、それはタブーでは??
とにかく激しいブッシュである。
当然国道からは廃隧道らしい物は見られない。
本当にここにあるのだろうかと、不安になってきた。
隧道と高架橋は一体的であり、この高架橋も昭和57年に新設された物に間違いないであろう。
そうなると、どこかに旧橋の痕跡も隠されているはずなのだが…。
それが見つかれば、おのずと旧隧道の位置も判明しよう。
玉川のほんの100mほど上流には生保内発電所が稼動しており、そこへ向かう河畔の作業道路に分け入ってみる。
向こうには大きな発電所の建物が見えていたが、それよりも私の気を惹いたのは、この錆びたトラス橋である。
この橋、かつては国道46号線に供されていた道路橋と思われるが、このお話はいずれ別稿としたい。
トラス橋は生保内橋といったが、作業道はこの橋の袂を過ぎ発電所で終点となる。
そこまで往復してみたが、なかなか鉄道の旧橋の痕跡は見つからない。
「まいった。」
そう諦めかけた、その時である。
発見!
如何にもそれと分かる、レンガ造りの橋台が現在の高架橋から20mほど上流に遺されていた。
草木に覆われ発見が困難となっていたが、やはりこの場所にも旧線が存在した。
この橋台の先に、きっと廃隧道も眠っていよう。
しかし、どうしようか…。
とても直接上れそうにはない。
結局は、橋台の脇の土の斜面を汚れ覚悟で這い登った。
そして立った橋台の上。
余りに深い叢に地形が判然としないが、堰堤が高架橋に沿って山の方へと伸びている。
しかし、隧道が期待される直線の先には緑の斜面しか見えない。
もしや、わざわざ埋めたというのか??
早朝の雨にびっしょり濡れた葉っぱを掻き分けて進むのは、正直苦手だ。
実は私、虫が大嫌いなのである。
特に毛虫が、あとヒルと。
まあ、ヒルはここにはいなさそうだが、毛虫は、いない筈がない。
草木を掻き分けて進むのは、精神的に苦痛なのである。
少しでも茂みの浅い場所を選びながら、ぐっしょり重くなったズボンと靴を引きずるように、いよいよ斜面の近くまで来た。
しかし、
本当に、
坑門などない!!
マジかよっ!!
とかいいつつ、ちゃっかり発見した。
探す場所は間違っていなかった。
上の写真の、坑門など全く見えぬ斜面にしっかりと坑門が隠されていたのだ。
これは、信念を持って探さねば見つからぬ隧道であった。
でも、ホント夏の廃線探索は、キッツいなー。
蒸し暑いし、なんか、痒いよ。
隧道名の手がかりはないが、多分これが「第二刺巻隧道」だろう。
第一に増して緑がかっており、既に森の一部と化しているようだ。
ひんやりとした空気を頬に感じつつ、その内部へとはじめの一歩を踏み出す。
崩壊が進む内壁と、200mほど向こうに小さく見える緑の光。
まっすぐの隧道だが第一よりも長く、内部の崩壊も著しい。
特に、今立っている生保内側の坑門付近の損傷はひどく、真新しい瓦礫の山が築かれていた(もしかして、先日の地震のせい?!)
またしても、無灯での探索を試みる無謀な私。
ただ単に、リュックの奥底に眠るライトを発掘するのが億劫なだけなのだが…。
今来た坑門を振りかえる。
これだけ草木に隠されていては、遠くから坑門が全く見えないのも無理はない。
剥離したコンクリートの擁壁や、崩落した内壁が築いた山を避けつつ、反対側の坑門を目指し歩く。
バラストは健在でだが、歩くと時折「カシャン」というような乾いた音が響く。
暗くてよく見えないが、至る所にコンクリートの薄い瓦礫が落ちているようだ。
それを踏み割ったときの音が、先ほどの「カシャン」なのだと思う。
一歩一歩進むも、あしどりは重い。
なんとなく、気持が沈んでくるのが分かる。
音のない闇の中を、とぼとぼと明かりを目指して歩いていると、どうしようもなく心細くなってくる。
どういうわけか、下手な閉塞隧道以上の不気味さだ。謎だ。
―いや、原因は単純だった。
灯りもつけず廃隧道に踏み込んだからだ。
短くとも、廃隧道は廃隧道。怖い。
ようやく反対側にたどり着いた。
両方の坑門の温度差は歴然であり、この刺巻側の涼しさ、いや肌寒さといったら、冷蔵庫のようだ。
そのせいで、坑門の周りは白い靄に包まれ、なんとも幻想的。
美しいと感じる人もあろうが、ちょっと居心地は良くない。
幽然というのか、なんか、人のいる場所でないようなそんな空気。
霊気漂うような坑門。
この坑門には、まだ辛うじて銘板が残っていた。
しかし、そこに書かれていたはずの文字は、ただの一文字も残っていない。
見たくないものからは、人は自然と意識を遠ざける。
あれほど叢をかき分けてきた私だが、毛虫に出会って戦慄!っていうことはなかった。
でも、遂に遭遇してしまった。
「私はここにいるよ」とでも言いたげに、目立つ葉っぱの先っちょで天に向け体を伸ばす毛虫。
ウワッ…、駄目だこれは。
どうしても、毛虫は駄目だ。
早々にここは退散しよう。
毛虫で私が精神的ダメージを受けた場所からは、直ぐ脇に線路が見えていた。
保線小屋のようなものも見えており、ここから線路に脱出すれば、線路を経て国道に出ることも可能だろうと思われたが、なんと言っても田沢湖線はただのローカル線ではない。
新幹線がひっきりなしに往来し、線路上で油断していては一瞬で挽肉と化しかねない危険な場所なのである。
ここは、冷静に来た道を戻ることにした。
帰りも無灯のまま隧道を歩いたが、今度は楽しい体験をした。
文章にしても十分にその楽しさは伝わらないと思うのだが。
洞内を歩く私の背後から、聞きなれた音がした。
その一瞬後、「プァーーンッ」という甲高い警笛が鳴り響き、その音が洞内に反響する間も無く次の瞬間には、
すぐ右手の壁から「ゴゴゴゴゴッ」っという、地響きが振動と共に届いてきた。
そしてまた次の瞬間には、今度は前方の坑門の外から、音程が幾分さっきと違うが、風を切る電車の音が聞こえ、すぐに音は小さくなり消えた。
まさに、10mほど地中を隔て並走する現隧道内を“こまち”が駆け抜けた瞬間の音であった。
2本の隧道を無事探索し終えたわけで、ここから先はオマケである。
再び生保内橋まで戻り、玉川を渡るとそこにも橋台があった。
この一対の橋台の他は、旧生保内橋梁の痕跡はなにも残っていない。
200mほど生保内方向へ旧道を進むと、そこで再び線路をくぐり現国道に合流する。
ここには旧線の跨道橋の橋台も残っている。
手前の石垣がそれである。
なんと、この橋台には古い『桁注意』の看板がまだ残っていた。
写真の通りで、「けたに注意」の看板の左には、直接コンクリにペイントされた「地上三米九(以下判別不能)」の文字があり、時代を感じさせる。
これは、予想外の嬉しい発見であった。
約2kmに二つの廃隧道を含む旧線跡も、この先僅かで田沢湖駅を前に現在の線路と軌を一にする。
なお、この日は国道46号線各所で草刈作業の真っ最中であった。
廃線周りの草も刈っておいてくれたら、嬉しいなり。
おわり。