和賀仙人鉱山鉄道 大荒沢隧道
辿り着けるか?! 対岸の廃隧道
岩手県和賀郡湯田町 仙人
 

 


  私は、決意した。
対岸の隧道を目指そう。

リュックを置いて身軽になると、私は断崖に身を乗り出した。


あなたはこう思ったに違いない。

余りにも、無謀だ。


私にだって、考えがある。
決して、死んでもいいから探索したいなどと思っているわけではない。
これまでの経験から、私は手があると踏んだのだ。
だから、崖へ踏み出したのである。
少なくとも、和賀川の河原までは行ける見込みがあった




 当座の目的は、河原まで降りること。
まずはそれをなし得なければ、隧道へ迫ることは絶対に出来ない。
足元の断崖は、はじめは緩やかで潅木が生い茂る。
その先は、深く落ち込んでいるのか、見えない。
しかし、潅木が続いてさえいれば、私には降りれる自信があった。

写真は、はじめに見えていた潅木地帯の縁だ。


 その場所から振りかえるとご覧の眺め。
大体10mほど下ってきた。
小さく白看が見えている場所から、降りてきたわけだ。
ここまでは、それほど辛くは無い。


 初めは見ることができなかった、河原へと垂直に近い角度で落ち込む断崖に差し掛かる。
斜面は大きな岩があちらこちらに覗く枯れた岩山であり、這い蹲るように多数の潅木や松などが茂っている。
その余りの角度に、多少怖気付きはしたが、潅木が茂っていたのは幸いだった。

これならば、慎重に下れないことは無いだろう。
いずれ登ってくることも考えながら、降り口を探す。
そして、素手で降りられそうな部分を見つけた。
これには、デリケートで微妙な観察を要した。



 垂直に近い崖に取り付きながら、振り返って撮影。
上から見えなかった部分を下っているのだから当たり前なのだが、やはりここからは降り口も見えない。
その斜面の急さが、際立っている。




 いよいよ、河原が近づいてきた。
薄っすらと積雪した斜面にしっかりと手足を付けて、一歩一歩下る。
潅木がやはり頼りになった。

河原に降りる最後の難関として、私の背丈よりも大きな巨石がゴロゴロした断崖が現れたが、やはり慎重に下る。


 ほぼ河原に下りた地点より、最終目的地である石の橋台を見上げる。
先ほどまでとはまた別の角度から見ると、いよいよその存在が現実感を伴ってくる。
なんせ、今まで見たことの無いような物体である。
接近してみるまでは、いや、実際にこの足で確かめるまでは、信じがたい。


何とかして、あそこに立ちたい!



 遂に、河原に下りることに成功した。
初めは、絶対に無理と思っていたことでも、やればやれるのだ。
もちろん、無闇に降りてきたなら、今頃既に私は、肉の塊になっていただろう。

この時ばかりは、自身の勇気…いや、経験に裏打ちされた決断を、褒めてあげたいと思った。

というか、もう、ここまで来れたことで、ちょっと満足してしまった。
この先、川を渡り。多分これは難しくないが…。
いよいよ、橋台を目指すことになる。




 ダムのおかげで増水期とはいえ水量の少ない和賀川を、飛び石の要領で渡る。
深い部分は淵となっており、渡れるコースは僅かしかない。
転倒すれば、当然氷水の洗礼を受けるわけで、これもまた危険なことに変りは無い。

そして、遂に対岸に迫る。
間近で見ると、やはり圧迫感がある。
こちらの崖は北に面しているせいか、潅木も少なく、白と黒だけの世界だ。
この先は、正直登れるか分からない。

分かっている。
もう、無理は出来ない。



 もう一度、降り口を振り返る。
よくもまあ、この崖を降りてきたものだ。
高さ的には、これから登らねばならない高さに比較して、降りてきた高さのほうが大きい。

帰りが、思いやられる。



 そのまま、上流方向に視線を向けると、現道が見上げられる。
現道からは、河原に降り立つ道が存在するようだ。
廃道のようであるが…。

その姿は、今回のレポートの一枚目の写真に写っている。
もっとも、和賀川の水量によっては、渡ることは出来ないだろうが。




 さて、登りが始まった。

雪と、岩石だけの枯れた沢を、獣のように四足で登る。

登れば登るだけ、憧れの石垣が迫る。
だが、登るほどにその角度も、危機的になってくる。

そして、半ばまで登たところで私は確信した!


行けるぞ!

少なくとも、橋台の下までは、行ける!
私の興奮は、いよいよマックス領域に突入した!



 遂に来た。

これが、間近で見る和賀仙人鉱山軌道の失われた橋の一部である。
その、空との接線を見てほしい。
なんという綺麗な直線をしているのだろうか。
これが、斯様に急な断崖に70年以上も存在し続けた姿だというのか。
なぜ、崩落もせず、ほんの一部の欠けも無く存在しているのだ。
そして、その端正なシルエットを形づくる部品である石の一つ一つは、点でばらばらの形をしている。
どうして、ブロック状の加工された石材を利用しなかったのだろう。
石を加工する技術が無い頃の遺構だというわけは無いだろう。

この場所にこの石垣を築いた技術力には驚嘆するよりほかは無い。


だが、また別の意味から、私は立ち尽くした。

どうやって、この上に立てばいいのだ…。




 橋台は、私の登ってきた枯れ沢の両岸に対峙している。
隧道は、上でも紹介した向かって右側の橋台のすぐ先にあると思われる。
その橋台の上に立つには、直接石垣を登ることは出来ない。
更に沢を登ると、橋台の裏側から何とか登れそうな気がする。

枯れ沢だと思っていた沢だが、上部では流れが凍り付いていた。
もう、この辺まで登ればよいだろう。
これ以上は、進めそうもないし、登る必要も無い。
この天辺に見える稜線は、海抜882mの仙人山を頂点にしている。
まさしく和賀川にそそり立つ岩脈のような山である。



 読みどおり橋台の裏手は、登ることが出来た。

何のかんのと言いつつも、私は遂にそそり立つ断崖を攻略した。
遂に、隧道の傍に私は立ったのだ。

写真は、橋台上から対岸の橋台を望む。
よく見ると、背の高い石垣は途中に僅かな縁を持つ。
そこには積もった雪が白く残っている。
何度かに分けて施工したのであろう。



 ほんの13分前には憧れの眼差しで見つめていただけの場所に、私は立っていた。
そして今、振り返り見る。
こうしてみると、潅木に覆われた廃道でも、立派な道に見える。
それだけ、今私の立っている廃線が、頼りない線に見えたわけだが。
やはり、かつて国道だった道はしっかりとしていると感じる。




 そして、今一度和賀川の川面を見下ろす。
深い淵になっている部分もあり、私の下降点のすぐ傍に歩渉可能な場所があったのは恵まれていた。
しかし、帰りのことを考えると、長居は出来ない。
きっと、帰りはもっと時間がかかるだろう。



 やはり、そこに隧道は存在した。

橋台が驚くほどしっかりと現存しているのに対し、路盤だったはずの道はもう、落石と崩落によって原形をとどめていない。
そこに生えた木々も、既に成木である。
足元を誤れば、30mも下の河原にまっさかさまだ。
これまで以上に慎重に、穴を目指す。

もう、あとすこしだ。
いよいよ、一時は絶対に到達不能だと思われた隧道が、間近になった。
興奮で足が震えた。



 背丈ほども積み重なった巨岩の色は白い。
比較的最近に落ちてきたものだろう。
その白さが際立つのは、背後の闇が深いからなのか。

隧道から、風の流れは感じられない。
静かな空洞が、光の届かぬ世界へと続いている。
立派な橋台に比べて、余りにも粗末な、というか、人工物とは思えないような姿だ。
しかし、位置から考えてこれが隧道だったのは間違いない。
この坑門の姿からは流石に、無事に貫通していることは期待できない。

が、
それを確かめるのは、この目だ。




隧道内部の姿


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2004.1.18