明らかに、高さ2m足らずの天井まで崩れた土砂が積み重なっており、これ以上は進めない。
だが、私の経験は、最後に一つだけチェックすべき部分のあることを伝えてくれた。
それは、崩落面に体を擦り付けるほどに近づかなければ確認できないことだ。
かび臭い泥の斜面に体を寄せて、見上げてみる。
天井まで続く茶色の斜面。
舐めるように視線を上へずらして行く。
そして、
私の期待を、この隧道は裏切らなかった。
天井の崩れ落ちた分だけそこに生じた空洞へと、土砂の斜面は続いていた。
そして、その空洞へと登ることが、死したる隧道に、活路を見出す最後の足掻きとなるのだ。
私は、真っ暗闇の空洞へと、体を滑り込ませた。
天井と、土砂の間の隙間は、人一人通るのがやっとの幅だった。
だが、私は諦めない。
隙間を這い上がった私の前に現れたのは、想像を遥かに超える大空洞の姿であった。
とても私のヘッドライトでは全容をつかめぬほどの広大な空間が、広がっていたのだ。
この瞬間の私の驚きは、言葉では形容しがたいほどだった。
写真では、十分にその広さが伝わらないかもしれないが、とにかく狭い隧道の内部とは思えない空間の存在することはお分かりいただけるかと思う。
なぜ、崩落した土砂の上に、このような空間が存在するのだろう。
いくら考えても、私はその謎を解くことが出来なかった。
だが、事実として、這い上がった私の前に広がる空洞は、推定10畳以上。
天井の高さ、5m以上。
さらに足元の凹凸も凄まじく、最も低い場所と高い場所では3mも違う。
私の体よりも大きな巨石がゴロゴロとしており、この空洞を生じさせた崩落の凄まじさを伝えている。
この広間は、なぜ生じたのだろう?
隧道内の崩落で生じる空間は、もともとそこにあった空洞よりも広いということがあるのだろうか。
物理的には、崩れる前の土砂の密度が少なければ、崩落後にそれ以前よりも大きな空洞が生じる可能性もあると思うが、現実的ではない。
とすれば、やはりこのような広い底面積を持つ広間が、隧道内に存在していたと考えるべきだろう。
ここには、軌道の交換所か何かがあったのだろうか?
それとも、まさか採掘の跡?
場所柄、ありえないとも言い切れない。
余りにも視界が不良であり、全容は掴みきれなかった。
空洞内を壁に沿って歩き回るうち、登って来た場所と同じような小さな穴が、岩盤と土砂の隙間に見つかった。
恐ろしかったが、下ってみることに。
下ってみると、そこは元来た場所だった。
私は、空洞内で完全に方向感覚を失っていたことを思い知った。
ヘッドライトの灯りを頼りに歩いていて、まさか本当に方向を失うとは思わなかった。
幸い大事には至らなかったが、隧道…洞窟探険の恐怖の片鱗を、味わった。
私は、今一度隙間に潜り込み、空洞へと戻った。
目指すものは、唯一つ。
出口へと向かう穴は存在しないのだろうか?
あの大空洞には、まだまだ探索していない領域がある様な気がした。
再び闇と静寂の大空洞へ戻る。
そして、頼りの無い灯りを頼りに、今一度足元を中心に探索した。
その結果、未知の竪穴を発見するに至った。
それも、一つではない。
だが、一つ目に見つけた穴は、数メートル下ったところで完全に岩盤に進路を絶たれていた。
そもそも、そこは隧道などではないようだった。
また、別の隙間を下ってみた。
登った分と同じくらい下ると、平坦な細長い空洞へと出た。
そんなうまい話があるものかと思ったが、実際それは、紛れ無く隧道の続きだった。
未曾有の落盤を突破した私の行く手には、尚も暗闇だけが広がっている。
本当に、脱出できるのだろうか?
出口など無い、無限の闇へと突き進んでいるかのような恐怖感を感じた。
後戻りすることも、容易ではない。
私は、光を見た。
あの光は、もしや。
距離感の掴めぬ暗闇の向こうに、希望の光が見えてた。
内部は相変わらず酷い有様だが、着実に明かりは近づいてきた。
だが。
光はどこから漏れ出ているのだろう。
もしかして、再び閉塞なのか?
本隧道3度目の大崩落である。
そして、見上げればそこに、外の光が見えていた。
急な斜面と化した坑門部は、私に最後の試練を与えるかのように、脱出の邪魔をする。
だが、もう私を止めることは出来ない。
泥と土にまみれながら、必死に斜面をよじ登り、支保工を潜り、脱出を図るのだった。
そして、17分ぶりに私は、空の下に立った。
わが山チャリ人生において、過去5本の指に入る強烈な隧道を突破した余韻に浸りながら、今来た開口部を振り返る。
この隧道がどれ程酷く崩れているかが、お分かりいただけるだろう。
もし、こちら側から初めてこの隧道に出会ったとしたら、流石に進入を躊躇ったに違いない。
斜度30%ほどの瓦礫と泥の斜面が、洞床まで続いている。
そして、私がどのような場所に脱出したかと言えば…。
こちら側からだったら、果たしてここに隧道があることに気がつけたかどうかすら、疑わしい。
いつ頃の崩落なのだろう。
いずれにしても、次に大きな崩落があれば、坑門は完全に消滅するだろう。
僅かに残った開口部。
露出した木の根が寒そうだ。
少し離れて振り返る。
仙人山が和賀川に落ち込む急峻な山肌に、小さき穴二つ。
その二つの穴は、辛うじてまだ一つの隧道を形成していた。
しかし、それらが一つ一つの穴となってしまう日も遠くないだろう
写真左下には、かつて軌道敷きの路肩を支えていた石垣の一部が写っている。
橋台以外にも、石垣は存在したのだ。
この隧道は、写真の急な山肌を貫いている。
石垣の左には、まるでそこを迂回しようとしたかのような道の微かな痕跡が見える。
あるいはそれは自然地形のいたずらなのか。
私には、これ以上の調査を続ける余力は、無かった。
だが、今後の探索のため、隧道の前後の様子をもう少しだけ、調べてみることにした。
そこから和賀川を見下ろす。
相変わらず斜面は急だが、私が登って来た場所に比べればこれでもかなり、緩やかだ。
ここであれば、比較的容易に上り下りできるだろう。
勿論、帰り道としてこの斜面を検討したのだが、結果は×だった。
なぜならば、ここから下った先の和賀川は、すぐ下流の当楽沢との合流部から端を発する深淵となっており、とても渡れなかったのだ。
また、坑門から対岸の山々を望む。
そこには、私の探索のスタート地点となった旧国道の姿は無く、現国道が対岸の高い位置に見えている。
写真左上に見えるのが国道、そこから右に続く低い稜線の裏が当楽沢だ。
さて、隧道よりさらに上流、大荒沢へと続く廃線跡であるが…。
ご覧の通りである。
道など、全く見当らない。
確かにこの斜面に存在したはずなのだが。
この先の探索を、いつか成し遂げる日が来るのだろうか。
さあ、そろそろ帰ることにしよう。
いずれ夕暮れが、この幽谷を支配する前に。
ここから直接戻れない以上、再び隧道を突破する以外には無かった。
気は重かったが、暗き地底へと戻った。
恐怖の崩落隧道とはいえ、二度目は気楽である。
あっけなく突破した私は、私がアプローチ時に登って来た橋台の対となる対岸の橋台へと向かった。
かなり危うい断崖であるが、枯れ木を手がかりに、何とか前方の橋台へと登ることが出来た。
ちなみに、奥へ見えるのは対岸の旧国道…すなわち私の出発地点である。
石垣は、やはり3段になっている。
その最下段には、斜めに突き出した材木が見える。
それが木橋の残骸であることは間違いない。
果たして、現役当時はどのような橋が架けられていたのだろうか。
想像するのもまた、楽しい。
こちらが下流側、軌道の起点方向の眺めである。
こちら側も…残念ながら踏破することは難しそうだ。
対岸から見た景色を思い出せば納得できるが、とにかく取り付く島も無いような断崖を、橋から橋へと橋渡しで繋いでいるのだ。
上流側以上に困難な区間であろう。
ここを突破できる日は…来ないかもしれない…。
少なくとも、いまはまだ、技術力不足である。
さあ、これにて、今回予定していた隧道探索は完了だ。
愛車の元へ、戻ろう。
今回の探索は、こうして無事に終わった。
思えば、これまでの我が山チャリの集大成的な内容だったと思う。
断崖を降りて登っての前代未聞のアプローチは、森吉林鉄や真室川軌道の探索によって培われたものだし、隧道閉塞部の上部に活路を見出す突破術は、あの本城トンネルから得たものだ。
当然、度重なる崩落に耐えての突破も、廃隧道探索の積み重ねがそれを可能にしたといってよい。
2004年初めの旅で、これまでの成果を一応の形として示せたと思う。
そしてまた、新しい経験を積んだのだ。
だが同時に、尚も私の技量を大きく越えた光景をも目の当たりにした。
一体、この山チャリに終わりは、来るのだろうか。
唯一つ言えることは、
まだまだ戦いは始まったばかりだということだ。
完