隧道レポート 七影隧道  第一回 

公開日 2006.11.13

幻の未完隧道を捜索せよ!

山行が合調隊 久々の集結!

 私が七影隧道の存在(現存するかという話ではなく)を知ったのは、今年の2月20日だった。
その日、シェイキチさんのサイトで初めて、七影隧道は紹介されたのである。
さらに、30年くらい前までは片方の坑口が残っていたという情報も。
氏が語る、七影隧道の失われた現在へと結びつく、僅かな断片。
それらをモニタ越しに掻き集めるように見つめながら、私は、訪問する機会をずっと伺っていた。

 狙いは、晩秋、もしくは早春。とにかく薮の薄い時期。
氏の現地レポによれば、夏場は一帯が相当の激藪になっているようで、隧道の捜索は困難だと感じていたからだ。

 そして、連日のように東北の高山から初雪の便りが届くようになった11月最初の連休、懐かしい顔ぶれが久々に揃った。
今回の合同調査に参加したメンバーは、右の写真の4人に私を加えた5人。
左から順に、ミリンダ細田氏、くじ氏、謎の自衛官氏、紅一点のトリ氏である。
この写真を撮ったのは中泊町小泊港の埠頭で、ここは小泊磯松連絡林道の起点だった所だ。
現在は近代的な港湾となっているが、今もその一角には大量のヒバ材を積み上げたままの貯木場があって、当時の面影を残す。
我々はここで昼食を摂った。
そしていよいよ、この日の最大の目的、七影隧道の合同捜索へと出発したのである。


周辺地図

 レポートの前に、日本有数の規模を誇った津軽森林鉄道網の中での、この連絡林道の位置関係を整理しておこうと思う。

 津軽半島の脊梁を中山峠越え(六郎隧道)で攻略した津軽森林鉄道の本線は、山を下って今泉に達すると南北に分かれる。
南下して喜良市(きらいち)を目指すのが本線で、北へ分かれ十三湖北岸を通り海岸沿いの磯松へ達するのが磯松林道(支線)である。
磯松林道は磯松から内陸へ進むが、その途中で更に分岐し、沢伝いに峰越して小泊林道と繋ぐのが連絡林道である。
小泊林道は小泊で終点だが、さらに北へと世にも珍しい海沿いの林鉄が続いている。
このうち、磯松林道と小泊林道は明治39年に軌道として供用されており、明治42年に全線が開通した津軽森林鉄道本線と同時期に建設が進められていた。
これらは県内もとい、日本最古の森林鉄道である。

 連絡林道の起源も、序章で述べたとおり大変古いもので、県内最初の林道として明治32年に開設されたという(牛馬道?)。
やがて、七影隧道を掘ることで、この連絡林道にも軌道を敷こうとしたが、その顛末は先に述べたとおりである。結局は隧道は断念し、大切り通しによって昭和20年頃から機関車による運材を開始したのであった。
そこで初めて、小泊林道までが津軽森林鉄道網に組み込まれたのだろう。


<周辺地図>

 この山は靄山(もややま)。
旧小泊町(現:中泊町)から国道339号を南下し、旧市浦村(現:五所川原市)の磯松を目指す途中で遭遇した。

 見ての通り、とても印象的な形をしている。
一説には古代に十三湊(とさみなと)で栄えた安藤氏が築いたものとも、神秘の和製ピラミッドだとも云われている。
たった海抜152mの山だが、周辺の砂丘平野部に突出しており、何かを感じさせるには十分な存在感だ。
磯松集落はこの山の南麓海岸線沿いにある。



 合調隊一行を乗せた2台の車は靄山の麓を近道して、直接かつての磯松林道へ合流した。
廃止から長い年月を経て車道に変わった軌道跡を少し進むと、舗装路と砂利道が分岐する。
右の舗装路がかつての磯松林道(軌道)で、左の砂利道が目指す連絡林道である。
ここが連絡林道の起点である。
砂利道の入口には、「磯松林道」の標識が立っていた。
今では連絡林道に由来する車道が・磯松林道の名を預かっているようだ。
こんがらがりそうだ。



 しっかりと轍の刻まれた砂利道は、既に車道としての落ち着きを見せていたが、路肩の土留め工のそこかしこには、赤錆びた細い廃レールが見られた。
静かな期待感を胸に、車はかつての機関車に勝る速度でぐんぐんと峠に近付いていった。



 連絡林道の起点から1kmほど進むと、少し開けた場所に出た。
周囲には日本三大美林の一つに数えられる青森ヒバの豪壮な森が広がっている。
広場にはザッパがたくさん落ちており、ここが伐採してきた材木を一時的に置いておく場所、土場だったことが分かる。
おそらくは林鉄時代からの敷地だろうが、或いは現在も使われているのかも知れない。

 そこから、緩やかな木の階段が山の方へ分かれている。
入口には「イチリンソウの道」と立て札があり、ちょっとした林間の散歩道のようだ。
遠目に見たときには、その階段が昔ながらの橇(そり)道に見えて車内に喚声が上がったが、どうやら違うようだ。


 広場を過ぎると、急に道は荒れ始めた。
林道の起点からずっと電信柱が寄り添っており、それは切り通しの峠まで変わらぬ景色なのだが、おそらくこの電線の管理道路としての意義が、土場より先の林道の全てだろう。
周辺は雑木林に変わり、紅葉を通り過ぎて色を失った葉が路面を覆い隠している。
その隠された路面には大小の凸凹が多くあり、私たちの乗った普通車の腹を容赦なく叩く。
ドライバーの細田氏が、私の隣で“あひあひ”言っているが、どこか楽しそうに見えたのはなぜだろう。
一方、くじ氏を乗せて自衛官氏がハンドルを握るデミオ号の方は、いたって快調な様子…というか、水を得た魚のように、この荒れた道を楽しんでいるようだ。
そりゃそうだ、ただのデミオじゃない。あのデミオなのだから…。


 起点から2km、林道はカーブした築堤で小さな沢を跨ぐ。
そして、その少し先が普通車の入れる限界である。
更に古びた轍は続いているが、我々はその手前の少し広くなった場所に車を停め、あとは歩くことにした。
もう峠の切り通しまでは500m程度まで近付いている。
林道が思いがけず奥まで伸びていてくれたお陰で、この後の隧道捜索に専念することが出来た。

 午後0時31分、磯松側から七影隧道の捜索を開始。



 捜索開始


 捜索対象の七影隧道だが、事前調査からは、正確な位置や現状が全くの不明であった。
ただし、判明していることもある。
例えば、延長が129mだったという記録は、隧道の位置を想定してみるのに非常に役立つと考えられた。

 我々は、この「全長129m」を踏まえ、自分たちが峠に隧道を掘るとしたら何所に造るか、それを地図の上で想像し合った。
その結果、我々の意見が集約されたのは、右の地図の1〜3の擬定地である。

 1は切り通しに近接して、或いは切り通し直下に隧道を掘ったというケース。最も無難な想像である。
 2、3はまるっきりの想像であるが、地図上からは、どちらもあり得ると思わせた。



 探索開始位置は、上図中のトチノキ沢だ。
ここから、3,2,1の順で捜索するプランであった。
首尾良く、林道から分かれて沢伝いに進む道形を発見しており、一挙に擬定地3への期待が膨らんだ、そんなスタートでもあった。

 左の写真の、トリ氏の立ち位置の右側に道形が見つかった。
林道はこの沢を短い築堤(トリ氏が立っている部分)で越えており、車はすぐその先に停めてある。



 林道端では、それが本当に道なのか些か不安を感じたのだが、草むらを少し越えて森にはいると、そこには明らかな道形が続いていた。
そしてそれは、レールも枕木さえもないけれど、林鉄跡だと信じるに足る、独特の雰囲気に充ちていた。
フカフカの落ち葉の絨毯を踏みしめながら、久々の林鉄の足感を確かめる。
 約半年ぶりの同行となるくじ氏も、飛び跳ねんばかりに楽しそうだ。
 そして、久しぶりの同行と言えばなんと言っても自衛官氏。
いろいろあって丸一年近く会ってなかったが(探索を一緒にしたのは05年8月の九階の滝以来だ)、元気だったよ、彼は。ほっと一安心。


 車道林道と軌道林道の最大の違いは、その線形の緩やかさである。
軌道は急勾配急カーブと、急のつく線形は大の苦手であるから、必然的に車道林道とは一目の違いが出る。
例えばこの画像のような深めの切り通しが峠でもないような場所に頻出するのは、林鉄跡の特徴だ。

 左手にトチノキ沢を感じつつも、殆ど高度を変えず、一本道の軌道跡は沢奥へと直進していく。
このまま沢を遡っていけば、やがて擬定地3に辿り着くことになるだろう。
この時早くも私とくじ氏は、声高に期待を叫びながら、砂浜でじゃれ合うカップルのように、はしゃぎ歩いていた。
きっと後続は呆れていただろう。



 そして、トチノキ沢の沢底が軌道と同じ高さに登り詰めてきた。
あたりは、三方の斜面から堆積した土砂で埋もれており、軌道跡もここでははっきりとしなかった。
だが、よく見ると小さな木橋が埋もれているような残骸を見つけた。

 もし擬定地3に辿り着く軌道があるとしたら、この沢を更に上流へ進む必要がある筈だ。
我々は、そう考えて周囲を十分に観察したが、この地点より上流には比較的急峻な斜面が広がっていて、一切道らしいものは見当たらなかった。



 木橋の残骸が残る、トチノキ沢源頭部。

 橋の両側に残る軌道跡のラインを繋ぐと、どうやら軌道はこの橋を頂点にコの字型のカーブを描いて、再び沢の下流へと戻っていくようだった。

 どうやら、擬定地3は否定されてしまったようだ。
ここまでの軌道跡は、ただ単純に、車道が築堤での沢越えを行ったのに対応する沢渡りのためのプロセスだったようだ。



 それまでとは進路を180度変えて、今度は林道へ戻る方向へと沢の対岸を進む。
やはり直線的な堀割道が続いている。
しかし、前を行くくじ氏はなおこの周辺に未練を感じているようで、手にした地形図のコピーから目を離そうとしない。

 大丈夫。
まだ、擬定地は2箇所ある。
それに、山の反対側にだって何らかの痕跡がある可能性も。

 まだまだ捜索は始まったばかりである。



 くじ氏、足元不注意のため、沼にハマル!!!

 一見和やかな落ち葉の道も、実は何十年分の落ち葉が堀割の中で熟成された泥沼だと言うことが、ままある。
軽やかな落ち葉は、そんな落とし穴のようなマッドプールの蓋なのだ。
くじ氏、長靴内部まで、進入を許したかも?



 目の前で起きたくじ氏の転落に悪魔の囁きを聞いた私は、堀割を跨ぐように倒伏した巨木の上へとよじ登った。
そして、後続の3人が来るのを、カメラを構えてじっと待った。

 これは、ナイスショットが撮れる!! きっと!


 しかし、私の邪悪な眼差しが見抜かれたか、体重の軽いトリ氏、賢明な自衛官氏が次々と何事もなくクリア。
最後は細田氏。

 オゥ! ありがと。
やっぱり、良い働きをするですね〜。



 間もなく日なたに出た。
そして薮を掻き分け進むと、そこに見覚えのある車たちが現れた。
もろ林道に戻っていた。ただ沢を一つ越えただけだった。


 これからは、堀割へと向かって歩き始める。

 擬定地2に、果たして隧道は存在するのか?!


  全ては、次回明らかに……。