今一度、鵜泊隧道を潜り、勝木側坑口そばから分岐する旧道へと望む。
昨年来た時には、発見できなかった旧鵜泊隧道であるが、その後、「越の山路」サイト管理人氏によって、それらしき発見が成されたとのこと。
詳細な位置は存じないが、この辺で間違いはないだろう。
同じ隧道に2連敗を喫するわけにも行かず、今回は必ず発見してみせる!
そう意気込み、目を皿のようにして、漁港の道路となった旧道を、鵜泊岬の突端へと走る。
ほんの100mほどで、舗装路は岬の突端で広場に吸収されて消える。
そこは、飯場の建つ工事現場になっており、人の気配もある。
そして、広場の先は、ご覧の切り通しで、岬を貫いている。
昨年は、この景色を見た段階で、「隧道は開削消滅」と結論づけてしまったのだが、どうやらそれは、浅はかだったらしい。
今回は、さらにその先まで進んでみた。
無論、気配を消してだ。
岬突端の岩山を切り通しで抜けると、行き止まりだった。
そして、その行き止まりの先には、無数のテトラポット(目茶苦茶でかい!!)が並び、そしてその後には険しい岩肌が。
だが、肝心の穴は、見あたらない。
なにやら、明らかに、地形が改変されている。
しかも、テトラポット置き場として、岩山を削って更地化したようなムードが漂う。
まさか… まさか・・・。
マジで消滅??
直径3mくらいある超特大のテトラポットに潜り込み、岩肌をよく観察してみても、やはり、それらしい穴は見あたらない。
なんぼなんでも、県道の隧道なのであるからして、見つけられないほどに小さいと言うことは、あるまい。
探していると、かつて旧道があったはずの場所には、もはやその痕跡がないことが、分かった。
テトラポット置き場の先は、民家が見えており、それは、さっき国道から見えていた民家の裏手だった。
つまり、旧道敷きの上に、すでに落石防止用のコンクリートの壁やら、民家やらが、立ち並んでいる様子である。
どおりで、村上側から旧道の入り口すら見つからないわけである。
しかし、こんな解決って、辛い。
おぎゃ!
諦めかけて振り返った私に、特大の衝撃が襲いかかった!
そこには、穴があった。
テトラポットと比較しても、明らかに小さな、穴が。
し、しかし。
この立地って?!
微妙に、不自然なのでは…・。
おいおいおい。
これが、旧 鵜泊隧道なのか。
立って、進入できないぞ。
というか、坑門前の地上面より、どうして洞床が1m以上も高いのか?
一体、何を考えているのか、この隧道は?!
次々と、「?」が浮かんでくる。
ただ一つ言えることは、 こいつは、お宝隧道かも。
帰宅後、改めて『山形の廃道』サイト御提供「全国隧道リスト(昭和42年版)」より、鵜泊隧道のデーターを調べてみた。
それによれば、
鵜泊隧道 | |
---|---|
延長=57.0m | 幅員=1,5m |
高さ=2.0m | 竣工=明治31年 |
覆工=木造 | 舗装=未 |
リスト内にある、主要地方道村上温海線の27の隧道のうち、最も古い明治31年の竣工。
また、唯一、木造の覆工と記録されてもいる。
しかも、幅や高さの数値も、かなり狭い部類に入り、とてもとても、車が通れた規模ではない。
また、リストが作成された翌年には、現在の鵜泊隧道が開通したことになる。
尋常ならざらん隧道の様子だが、たしかに、それは隧道であったらしく、入り口に立ってみると、奥行きが感じられる。
でも、どう見ても高さ2mはない。
だって、立って入洞出来ないんだもの!!
湿っぽい洞内に、踏み込んでみる。
記録による延長は57m。
この狭さを考えれば、それでも十分に長いだろう。
とりあえず、出口の見えない暗がりに、侵入開始。
ジャリッと言う、靴底が荒い砂地を噛む音。
頭を低くして、真っ直ぐ続く隧道を進行。
チャリは外へ置いてきた。
内壁は、まるで天然のコンクリートのような、独特の手触り。
いかにも海岸らしい、ヤスリのようなざらついた砂岩の隧道である。
人力でも、時間をかければ掘り進めたのだろう。
隧道は、現在の鵜泊隧道よりも30mほど岬突端に近い位置に掘られている。
さらにこの隧道の30mほど岬側は、テトラポット置き場への通路として、開削されてしまっている。
このような中途半端な立地故、その存在は殆ど知られていないようでもある。
身を屈めても、天井はこんなに近い。
これで長かったら、かなり参っちゃいそうだが、実際には57mすらないような気がする。
また、木枠などが内壁に当てられていた筈なのだが、そう言うものは一切現存せず、痕跡すら見あたらない。
延長、高さ、内部構造、そのいずれをとっても、リストに記載の内容とは、違いが感じられるものの、かといってこれが別の隧道であるという積極的な理由もない。
なにせ、明治31年にはすでに隧道があったのだ。
よもや、この狭き穴が、さらにそれよりも古い物であるとは、考えにくいのである。
入洞から、おおよそ25mほどで、緩い左カーブが現れ、その先は陽の光が壁に当たっているのが、見られる。
いよいよ出口らしい。
光は漏れているが、坑口部はほぼ塞がっていた。
自然に崩落したものか、埋め戻した跡なのかは、判然としない。
見上げてみる。
落ち葉が積もった坑口斜面。
よじ登ること3mほどで、やっと脱出となる。
這い蹲るほどに狭いので、汚れを覚悟しなければならない。
なにやら、木々に囲まれたような空の様子。
一体どこへ出たというのか?
そこは、旧道だと思っていた漁港の道からもまた、少し離れた山際だった。
現道と漁港の道とに挟まれた敷地に建てられた寝屋浄水場の、背後の斜面に、この殆ど埋もれた坑口が現存する。
此方側から接近することは困難であるから、尚更発見しにくい隧道なのである。
おそらくは、これが探していた「旧鵜泊隧道」なのであろう。
テトラポット置き場は、明らかに大規模な開削によって生じた平場であり、隧道も途中まで地山ごと開削されてしまったのかも知れない。
それで、中途半端な30m弱の長さになっているのではなかろうか?
天井が低いのは、記録者の計測ミスか?
或いは、元もと部分的には2mあったのか。
いずれにしても、県道というイメージからもほど遠い、凄まじい狭隘隧道であった。
煽りを許されるなら、国道の旧道の隧道であると断じても、あながち間違いではないのだ。
かなり危うい状況の勝木側坑口。
隧道が短いので恐怖感は少ないが、それも私の、変な“慣れ”によるものかもしれないので、一般的な感想は異なる可能性もある。
再び入洞し、私は帰途についた。
一度は存在しないと考えた旧隧洞について、山行がのサイト運営を通じて存在情報を得、そして実走によって解明するという、もっとも理想的な展開を見ることが出来た。
今後も、皆様からのタレコミを、お待ちしております!!
何処へだって、入洞 す る ぜ っ!
完