八久和林道 和尚隧道 
喫 水 隧 道 
山形県朝日村
 以前道路レポで紹介した八久和林道だが、その時には断念した水没水位が高く、進入を断念した隧道があった。
今回は、その悔しい撤収劇から2週間後に成された、再調査の様子をお伝えしよう。
八久和林道については、道路レポの方をご覧頂きたい。



 近年完成したばかりのあさひ月山湖の湖岸にそそり立つ和尚峠。
古くはそのすぐ南の仏沢が八久和川に注ぐ辺りには、弘法大師由来とも伝えられる由緒正しい寺院があったという。
しかし、ダムの建設が始まる遙か以前には、寺は無人となり、いつの間にかその甍も消え去った。
そして、いまや当時の道を含め、湖の底となってしまった。

和尚峠を越える道は、新しい石碑が立ち、それのみが峠を知らせる、峠とも思えぬ小さな坂と成り代わった。
ダムの工事が始まる以前にも、この峠を楽に越そうという努力は実を結んでおり、既に竣工年こそ不明ながら、車道が通じていた。
そして、その和尚峠越えの旧車道は、今はひとつの隧道と共に、湖底に半ば沈んでいる。

渇水の時にだけ、僅かに姿を湖上に晒す、小さな名も無き隧道。
私は、忘れ去られようとしている、その土地の祈りの歴史に思いを馳せ、これを、和尚隧道と名付けてみたい。


 和 尚 隧 道 、再 挑 戦!
 



 2004年8月4日は、朝から快晴。
気温は日の出と共にぐんぐんと上昇し、山形県下は全域が午前中から35度を超える、猛暑の日であった。
こんな日は、とても山チャリどころではないことを、私は身をもって知っていたが、またそれと同時に、山チャリに行きたいという欲求が決して意志などというもので制御できない抑えがたいものものであることも、私は嫌になるほど知っていた。

この日は、国道112号線の月山旧道越えを志し、朝一から峠へ向けて走ってる最中である。
そして、ほんの2週間前に初めて来たばかりのあさひ月山湖が、再び眼前に広がったのである。
当然、あのときに断念した隧道のことが頭をよぎり、水位の如何ほどかが、気に掛かる。


 国道112号線の路肩に立ち、広い湖面を眺める。

あった!

隧道だ。

変わらず、隧道は半ば水中に没した姿のまま、対岸に小さく見えていた。
決して急ぎの旅でもないが、かといって、あそこまで行くとなると、かなり遠回り。
それに、遠目に見た限りは、やはり水は人の背ほどもあるような感じがする。

どうしよう。

行くべきか、行かざるべきか。





 結局私は、行ってみることにした。
往復で、探索も含め1時間の予算(?)である。
国道112号線を外れ、ダム工事で廃止された旧国道の代わりに敷かれた湖畔の歩道路を、チャリで走る。
とにかく、暑い。
冬場にレポを執筆していると、なんか実感湧かないのだけどな(笑)。

写真は、歩道からダムサイト。
そして、その向こうには、高速道路としては日本一高い橋梁である山形自動車道の小綱川橋が、まるで現実のものではないような威容を誇っている。
ここから見る小綱川橋が、私は一番好きであることを付け加えておく。




 迷い無く最短コースで坑門へと直行。

次の一歩を踏み出すには、もう、湖に入るより他にはない。

2週間前よりかは、いくらか水位が低いように見える。
それに、水の透明度もいくらか回復しており、怖さはあったが、湖への入水を決行することにした。
岸辺がどこも切り立っているのが、嫌だ。
おりたら戻れないような、そんな気にさせられる。




 それでは、海パン一丁!


なぜこんなものを持って、チャリに来ているかと言えば、

この海パンが、風通しの点からも、極暑の山チャリにおいて、有効だという考えのもと、その実効性を調査する為であった。

結果は、

敢 え て 語 る ま い 。



 ジャ ブン。

ジャブジャブ。


ジャブ。


気持ちいい。
温くて、丁度いいプールだな。
膝上腿下までの水位…、こいつは、貰ったぜ!!



 次の一歩を進めば、いよいよ、2週間前に悔しくて鼻たれた、隧道内部を目撃することが出来そうである。
そして、その一歩を踏み出すことに、もはや何の障害も無さそうである。

勿体ぶって、振り返ってみた。
水深が、今回は浅くて良かったが、湖岸の、特に汀線は切り立っていて、水位の読みを誤れば、いきなり溺れる可能性もある。
よって、当たり前のことだが、この湖に入水するのは、止めましょう。
もちろん、遊泳禁止だそうです。





 初めはもう少し深かったが、坑門前まで来ると、浅いところもあった。
かと思うと、腰くらいまで足が沈みかけ、あわてて引っこ抜くような場所もある。

足元には、舗装された地面があるのかと想像していたが、どうやら未舗装のままらしい。
2週前よりはマシとはいえ、相変わらず水は濁っており、(上流の八久和ダムの浚渫工事の影響が続いているのだろうか)、どこが深いのか分かりづらく、恐かった。

では、隧道内へ、まいろうぞ。





 見たぞ見たぞ。
 ついーに見たぞ。

隧道は、内部でカーブしているようだが、想像通り短く、そして、貫通していた。
洞内も一様に水没しており、進んでみなければ何とも言えないが、水深がこのままであるならば、歩いて通り抜けることが出来そうである。

異様だったのは、内壁の様子。
まるで胎内洞窟のような、コンクリ吹き付けの凹凸が目立つ。
おそらくは今も下流の旧道に残る素堀隧道の様な感じだったのだろうが、ダムに水没する段になって一応コンクリで固められたような雰囲気。





 湖岸の出っ張りを僅かに穿っただけの小隧道は、延長80m程度か。
地かぶりも少ないせいか、内壁のコンクリ施工が効いているのか、地下水などの湧出は全くない。
洞床は湖だというのに、天井は完全に乾ききっている。

足元は湖、天井は普通の乾いた壁。
まるで現役の隧道がそのまま沈んだかのような…なんというか、今まで見たことがない景色ではある。

ジャブジャブと、突き進む。





 天井が、明るい。
照明無しでも、全く歩行に問題がない。

これは、洞床の水面のお陰である。
両側の坑口から入り込んだ日光は、通常であれば天井やら内壁やらに乱反射し、または吸収され、そう隧道の奥まで届くということはないし、無論天井が照らされるなどと言うこともない。
しかしこの隧道では、水面に光が反射し、そして天井を明るく照らし出しているのだ。
洞床よりも、むしろ天井の方が明るく感じられるほどである。





 深い場所では、腿までの水位があった。

洞床はやはり未舗装の感触である。
一面に泥が堆積している上に、無数の潅木が沈んでおり、歩きづらい。
泥のせいで、一度歩いた場所は透明度が全く失われ、思いがけず躓いたりする怖さがあった。

天井は、洞床に対し、高さ4m程度。
幅は3.5m程度か。
十分に、大型ダンプ車が通行できる大きさである。
ダム工事の序盤では、まだ現車道の元となる工事用道路は出来ておらず、この隧道が日夜利用されたはずだ。





 出口が近づいてきた。
此方側の坑口は、遠目に見たことはあれども、近づくのはこれが初めてである。

どんな景色が待っているのか、 期待に海パンが怪しくうごめく。




 ビューチフルー。


なかなか良い景色である。
これぞ、非日常の景色と言えよう。
ありきたりの素堀隧道も、ひとたび水没というオプションが加われば、斯様なメルヘンとなるのである。
まさに、絶妙な水位でもあった。
完全に水没する時期が多いようだから、このように徒歩で進入できるというのは、僥倖であった。




 ェクセレーント…。


 和尚隧道の坑門は、この上流側の方が、断然面白みがある。

坑口はかなり小さく感じられる。
むしろ、素堀の部分の方が、広々としている。
この小さな坑口を、果たして大きなダンプトラックが通れたものか…。
側壁にペイントされた警戒色は、見るからに狭い坑口への注意を促すものであったのだろう。

さて、隧道より先にどんな旧道があったのか?
500mほど先の仏沢対岸には別の小隧道が現存するが、そこまでの道のりは、湖面からは予想することも叶わない。
(一歩踏み出せば、そこが水深20mなどという展開も、周りの断崖を踏まえれば十分あり得るので、ほんの一歩でも私は不要に歩くことをしなかった。)
道はどんな深みに沈んでいるものか分からない。
ここで撤収である。
目標は、無事達成できた。




 妙に光に満ちた隧道内部へ、引き返す。

和尚隧道、
その竣工年は不明ながら、おそらく昭和初期よりあるものと思われる。

いまは、喫水線を漂泊する、怪しき胎内洞穴なり。




 濡れた海パンは、しばしの涼を私に与えてくれた。


生足での森のプロムナードは、そうとうに爽快なはずだったが、

虻に集られまくるという非常事態を招いた。


その話は、またいずれ。



   


2005.1.25

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