橋梁レポート 上小阿仁村南沢の廃水路橋 第2回

所在地 秋田県北秋田郡上小阿仁村
探索日 2011.11.10
公開日 2011.12.08

林道の対岸に見つけた、想定外の橋


2011/11/10 8:10 《現在地》

予定外の廃“水路”橋にありついた我々は、ドキドキしながらその右岸側の橋頭へよじ登り、そのまま橋上へと近付いた。

橋桁の構造は、下から見て想像した通り、蓋のない開渠(開水路)であり、水路橋としては珍しくない構造である。
もっとも、近年ではこうした構造物はほぼ例外なく“管路橋”となるので、“開水路橋”自体が珍しいものになりつつあるのは確かだ。

比較的なだらかな此岸に較べて、灰内沢対岸はとりつく島のない絶壁であり、橋はそこへ突き刺さるように架かっていた。
当然そこには隧道が想定されるが、ここからも開口部の一部が既に見えており、我々は橋だけでなく、隧道にまでありついたようである。
…もっとも、水路隧道については廃と現役を問わずあまり興味のある対象ではないというのが正直な所であるから、この発見自体には驚きはしなかったが。

水路隧道にはさほど興味はないけれど、それでもこの橋は渡ってみたいのである。
果してどんな渡り心地を体験させてくれるのか。
怖いのか、怖くないのか、そこんところを確かめたい。

幸いにして、開渠の脇に渡るべき余地が残されていた。




開渠の両側には、歩行が可能な平坦な部分がある。

これが現役の施設ならば、当然のように手摺りが設けられていただろうが、ここにはそんな気の効いたものは無いし、そもそもその痕跡さえない。
時代を感じさせる。

今はまだ地上からの高さがさほどではないので平気だが、コンクリートの足元は湿ったコケに覆われ、その上にやはり土化しかけた落葉が堆積しているという、“理想的な滑りやすさ”だ。
不意に滑っても平気なように、歩幅を小さく絞って、慎重に歩を進めた。
渡る部分の幅はいくらか余裕があるので、林鉄橋の裸の桁を渡ることよりは、だいぶ容易い。




「容易い」という前言は撤回する。

幅には余裕があると思っていたが、朽ち放題のコンクリートゆえ、所々縁の方が丸く削れており、しかもそれが落葉に隠れているという“罠”があった。

平坦だと思っていた部分が、谷側にむけて傾斜していたりするのである。

けっこう怖い。

そして、下から見上げて分かっていたはずなのだが、やっぱり高い。

思わず開渠の内側に通路を求めてしまったが、下手に降りると登ってこられなくなる高さがある。
こんな“空中の檻”に閉じ込められるなんて、考えただけで怖ろしい。




振り返ると、細田氏が橋の袂のあたりでまだモゾモゾしていた。

このような光景は見慣れていて、私が先手をきって橋を渡ると、彼がまだ袂のあたりでモゾモゾする。
彼が渡ろうとしているのは分かるのだが、なかなかその行動に出ることが出来ないか、少し渡っては引き返すという“出し入れ”を繰りかえしている。
しかし彼はあくまで最後まで一介の傍観者になることはなく、彼は彼なりに橋を克服しようとしている。

今回もそのパターンなのかと思ったが、なんと彼は私が入ろうと思わなかった開渠内へと、ポロンと飛び降りたではないか。
オイオイ大丈夫かと一瞬思ったが、彼の近くを見ると、なるほど鉄製の梯子があって、上り下り出来るようになっていたのだ。
まあ、彼はそれを見ていないのか、縁から飛び降りたのであるが…。
そういうわけで、私は縁を、彼は開渠内を使って、橋を渡った。

ところで、細田氏の背後の灰内沢右岸の斜面に、まるで路盤のような細長い平場が見えている。
そこには50cm四方ほどの小さな暗渠が埋設されていて、どうやら灰内沢からも少量の水を取水しているようだった。
複数の沢から水を引き受けてトンネル水路を流すという光景は、常に安定した水量を欲する発電用の水路を思わせる。
この水路の正体は、発電用と見て間違い無さそうである。




橋が最も高くなっている沢水の直上へやってきた。

足の向きがちょっと臆病さを白状しているが、許して欲しい。


…怖いんだもん。




ほぼ渡り終えたので、私も開渠の内側へ降り立った。
どうせ縁を最後まで渡っても、その先に道があるわけではない。

開渠の底には落葉が堆積していたが、その厚みはまだ数センチ程度で、歩きづらいと言うほどではなかった。

そのまま橋を渡りきった先の左岸の坑口へ近付いていくと、そこには意外な景色が待っていた。




これはいったい、なんだ?→

ちゃんとした半円形の断面を持つ坑門の手前に、それを塞ぐようなコンクリートの壁がある。
しかしその壁も上下に崩壊の跡があり、特に下側の崩壊は自然とは思えない、微妙な形状をしているではないか。
よく見ると、この塞ぐように設けられた壁にも細い鉄筋が仕込まれており、自然にこんな形に壊れるとは思えない。

これは全くの想像だが、この水路が廃止された段階で、危険防止の観点から隧道は封鎖されたのではなかったか。
だが、その後この隧道に侵入する何らかの必要が生じたために、ハンマーで壊そうとしたのだろう。
その際、はじめは上部より全面を壊そうと作業したが、意外にそれが大変だったので、鉄筋の仕込まれていない下部のみを壊し、目的を遂げたのではないだろうか。
(以上、オブローダー名探偵の推理)

細田氏の到着を待ってから、這い蹲って下の穴より(この時点で背徳感あり)、隧道内部へ侵入してみる…。




8:14 《現在地》

光は見えない。


どこへ通じているんだ、これ…。

風の流れもないようだ…。

ここは、1度は完全に封鎖封印された空間なのかもしれない。
そう思うと、普通の廃隧道よりも怖ろしく感じられた。




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入ってすぐの壁面には、血文字…みたいな赤ペンキの文字。

2535

まさかこれって……。
まさかこれ。
まさか。


隧道の長さナンか…?




2535mって、ただ事じゃネーゾ。

…水路トンネルとしては、まあ現実的な数字なんだろうが…。

それにこの壁の様子……ぼろっぼろだぜ。

…気持ち悪すぎる。




入って30mほどでかなり急な右カーブ。

天井には数匹のコウモリ。
壁面には赤いテープ。
そして洞床は早くも水が溜りはじめた。

と、ここで気付く。
洞床の形状が、独特である。
洞床も円弧のように窪んでいるのだが、これはインバートといって、道路や鉄道用のトンネルでも強度を高めるために設けられているのが普通だ。(しかしそれは通常、路面の下にあって見る事は出来ない。)

水路トンネルの中でも発電水路の場合は、水圧も水量も非常に多いので、強度の問題とは別に、洞床が洗掘される事を防止するためにも、このインバートは必須に近いものである。




カーブを曲がっても、出口は見えなかった。

というか、

2535mが真実なら、出口など見えようはずもない。

気付けば、断面の形状も変化していた。
この欠円アーチは、戦後から昭和40年代に作られた発電用ダム関連の付け替えトンネルの断面としてよく見るそれの、ミニチュア版のようであった。

そして、この先はもう、洞床が水浸しである。




足を濡らしても良いならば先へ進むことは出来るし、そのこと自体はさしたる問題ではなかったが、前にも言ったとおり、この水路隧道自体にはあまり興味が湧かない。
2535m先に何があるのかは気になるが、酸欠の不安もある。

ここは両者の意見が一致して、撤退を決めた。




8:21 《現在地》

地上…すなわち橋上に戻った。

今度はそのまま右岸側への坑口へ向かうが、そこに坑口はなかった。

位置的に無いはずはないのだが、無い。

塞がれているのである。
先ほどの坑口がそうであったように。
こちら側の“閉塞壁”は、壊されていなかった。

閉塞壁の風合いも周囲の壁と大差なく、廃止からかなり時間が経っている事を思わせた。




右岸側の隧道へは入る術が無いのかと思いきや、よく見ると袂の近くに横穴が…。

これも本来あるべき作りではないと思われる。
このまま水を流せば、ここから大量に溢れてしまうのだから。
しかし、外部から丸石の石垣を削り取り、さらにコンクリートの内壁まで破壊して洞内へ風穴を開けた真意は、不明である。

木製の動かない柵で閉じられていたが、カメラを隙間から差し込んで、洞内の様子を確かめる事にした。




洞内には、やはり水が溜っていた。

水深は30cmくらいありそうだったが、なるほど、この横穴を後から空けた理由のひとつとして、塞がれた洞内に大量の地下水が溜ることで、いつかそれが鉄砲水となって流出したり、山崩れの原因になるような事態を予防するために、水抜きに穴を空けたという可能性は考えられるかもしれない。

単に洞内にアクセスするためだけならば、左岸と同じように坑口部の閉塞壁を壊せば良いのに、水が灰内沢に逃げるよう、敢えて横穴を穿ってある事にも、意味があるのではないだろうか。(名探偵…以下略)




右は当然閉塞していた。

坑口を塞ぐ壁の裏側である。
木材がびっしり目張りされていた。




そして残る洞奥方向だが、こちらも当然のように出口は見えず、また空気の流れも感じられなかった。
どこまでも真っ暗な水面が、波紋も立てずに続いていて、不気味そのもの。
木製の柵を取り外してまで入ってみたいと思うワケがなかった。

なお、念のため壁面に何か数字が書かれていないかを探してみたのだが…。

何か書いてあるな。

9.0m」と読めるような…。




まあ、水路だから、隧道だけは勘弁してやる。

つか、この橋だけで俺は満足だ。

うっとり。





なお、水路橋の右岸側袂からは、小阿仁川の対岸へむけて、かなり長い吊橋が架けられていたようだ。

現在も主索が残っており、踏板である横板も数枚がぶら下がったままになっていた。

地形図には、この吊橋の対岸(つまり県道脇)に2棟の建物が描かれているが、これは現存しない。
しかし広い空き地は残っていた。
もしかしたら、この発電用水路と関係のある施設だったのかも知れないが、詳細は不明だ。




以上をもって、予想外の収穫となった“廃水路橋”の紹介は終わりだが、

実はこの話には、とんでもない続編が……。



最初に

“廃の殿堂” 入りの期待も大

などと大口をぶったのは、この橋の事ではない。





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