橋梁レポート 上小阿仁村南沢の廃水路橋 最終回

所在地 秋田県北秋田郡上小阿仁村
探索日 2011.12.02
公開日 2011.12.22

左岸から“禁断の橋上”へのアプローチ


2011/12/2 15:00 《現在地》

驚愕の中で本橋と遭遇してから、10分あまりが経過。
私は小深沢の渓水に足を浸し、天翔る水路アーチを、呆然と見上げていた。

これまで私はさほど水路橋という物に傾倒してきたわけではないので、こうした規模の水路橋が、実際どの程度珍しい物かは分からない。
ただ、これまで様々な旅先で見てきた大型の水路橋といえば、大抵は鋼製の水管そのものを架したものばかりで、一般の道路や鉄道橋のような姿をしたものは少数だったから、ごくありふれたものでないことだけは確かだ。

いま見上げているのは、小深沢左岸の領域である。
右岸側には桁が欠け落ちた部分があって、本橋外見上の最大の特色を成しているが、左岸はここから見る限りにおいてよく原形を保っており、或いは「灰内沢」で行った行為を再現出来るかとも思われたが、

この高さと、老朽ぶりである。

仮に可能だとしても、それをすべきかどうか…する気になるかどうか…は悩ましい。

とにかく、私はもっといろいろなアングルからこの橋の隅々を眺めてみたいと思う。
それは確かなことだから、今度はこの左岸によじ登ってみよう。




左岸は右岸に負けず劣らず急峻で、特に上部に行くほどそうだったが、確固たるルートがあるわけではない。
そこで初めのうちは橋の全体像を楽しめるやや遠巻きの進路を取り、途中からは橋の迫力有る近景を堪能出来るよう、その至近を歩くことにした。

写真はその前半戦にて右岸の斜面を見渡したものだ。

欠拱より流れ出た地下水が、橋の高さに等しい落差を持つ多段の滝となって、勢いよく駆け下っている。
私がいま楽しみに思っているのは、この景色を真冬の厳冬期に再訪して楽しむことだ。
果してこの滝は凍り付くであろうか。
そのとき、橋はどんな装いを私に見せてくれるであろうか。
これを書いているいまも外は猛吹雪で、遠からずこの世界は一面の銀世界に包まれるであろうから…こんなに秋田の冬を楽しみにしたことは、今までなかったと思う。

それにしても、謎はアーチの直下に残されたコンクリート橋脚の正体である。
低いが直立を保っている2本(赤)と、倒壊して横たわる1本(黄)があるが、いずれにしてもアーチの高さには遙かに届かず、単純な旧橋とは考えにくいように思われる。
大錠集落の元住人の方にコンタクトを取ってみたいものだ。




左岸側のアーチ基部に到達した。
ここまで来れば高さの上では3分の2を修めたことになるが、地形的に急峻なのはここから先である。

この左岸アーチ基部には、右岸にあったような巨大な基礎工作物は見られないが、水流に接近を阻まれることが無いので、極めて至近からその限界を超越した老朽ぶりを体感することが出来る。

普段我々が橋を目にして、そこに重力というものの介在を感じる事は意外に少ない。
橋とは本来、人が重力に逆らって短絡的な空間移動を行おうとする機構であるが、きちんと管理された橋は、その構造の妙によって上手に重力による破壊的な作用を中和し、安定的な姿を誇っているものである。
我々は橋の中でも吊橋という一群にのみ、重力の作用を象徴的に感じることが出来るのである。

しかし、このように管理を放棄された橋にあっては、如何に堅牢かつ巧妙なアーチの原理を持ってしても、重力の破壊的作用から逃れることは出来ない。
アーチを構成している鉄筋の一部が、本体を離脱し自然に垂れ下がった姿は、そういうこと私に伝えていた。




でも、アーチってのは本当に偉いな!

そう思う。

だって、アーチの主構造物は外見的にここまでボロボロで、もはや“石と鉄を乱雑に練り合わせたゴミのよう”になっているのに、

それでも支間70m前後、千トンからの重量を支え架空し続けている!

これは紛れもなくアーチ構造の凄みであると思うし、さらには組積造の煉瓦や石では絶対無理だったろう。
鉄筋コンクリートという構造の粘り強さには、驚嘆して良いはずだ。

そりゃ、鉄筋コンクリート(RC)が発明されてから百年を優に超えているのに、いまだ橋の部材としても、世の中の部材としても、最も普遍的に用いられ続けているわけだ…。

偉そうなことを言えば、土木を真面目に学んでいる人にも、この橋は役立つかも知れない。
だって、各地で活躍し続けている戦前のRCアーチの内部構造を、この場所ほど好き放題解体して見せてくれる場所はないかも。
オブローダーの目を楽しませる他にも、この哀れな橋を利活用して欲しいと思う……これは、親心?




もう一度言おう。


RCアーチは偉大なり。



ただし、不滅ではない。




な、なんだこりゃぁあ?!


遠目には、左岸側の坑口であろうと思っていた構造物が、実はそんな代物ではなく、全く別次元のものだったようだ…。

エリマキトカゲの襟巻きのように、橋の上に四方張り出した“それ”の正体は……。

嫌な予感しかしないが、最終的な判断は“来たるべき時”に下そうと思う。


それはそれとして、おそらく本橋はアーチを中央にほぼ左右対称の構造をしているので、この側径間部分は、右岸にあって墜落している部分に他ならない。


そういう視線で見ると…、なるほど、なるほど。

こりゃあなんだか、確かに不安定そうな造りである。

見るからに、橋脚が不足してるような。
素人目に見て分かるようなものじゃないとは思うけれど……。




やっべぇ!

ただでさえ橋脚が少ないなと思っていたが、その無橋脚区間の一端にある橋桁が、鉄筋の数条だけをだけを残して、完全に機能を失っていた!

そしてその結果として、桁の下部は肉眼で見ても容易に分かるほどに垂れ下がりはじめていた。
その部分のコンクリートが著しく剥離し、内部の鉄筋が露出しているのも、烈しい歪みに耐えかねてコンクリートがクラッシュしたに違いない。

やっべえよ、これ!!

水の浸食も受けていた右岸に次いで、この左岸側の側径間についても遠からず落橋する。
やっぱり設計ミスあっただろこれ。側径間の橋脚が強度不足なんじゃないか?




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橋の劣化に驚嘆しつつ、それでも順調に続いていた左岸の登攀であったが、それもこの風景を最後にして、大きな困難に遭遇した。

写真は見ての通り、橋面とほぼ同じ高さまで登り得ているわけだが、ここから水平に橋の上に移動することが、極めて難しかった。
というか、ほとんど無理なレベルだった。
理由は単純で、そこの傾斜がきつすぎるのだ。


で、結果どうしたかと言えば…。





薄く雪の積もった斜面をしるべ無く高巻くという、一種の苦行となった。

が、これが功を奏して、橋にいよいよ接近し得たばかりでなく…


15:08 《現在地》

想定外の車道にも遭遇した。

地形図はこの位置に破線の道を描いているが、それは廃道ではない車道だった。
もっとも、これは造林作業道らしく、県道側の入口は一般車が入れないように塞がれていた(はず)。
それでも、これが左岸にアプローチする最も簡便な手段であることは間違いないだろう。




林道の路肩から、改めて水路橋への直下降を行う。

現時点でもう、この挑戦の結末はほぼ確定的に明らかだったが、

それでも「橋の上に立った」という“実績”を欲していた。




★実績解除★

まあ、ここには期待したような風景は、全く存在しないわけだが…。

本来ならば天翔る一本橋に己の全てをぶつけるべき前面風景には、まるでムショみたいな壁しかねーしよ。(←やさぐれてます)

この壁、マジで俺を殺しに来てます。(←違います!オブローダーの命を救いに来てますよ!)




出来る限り壁に近付いて、その縁に手を伸ばすが、どうやっても向こう側には届かない。

…まあ、手が届いたところでどうしようもないしなぁ。




ハッ!

死ぬとこだったぜ。マジで。

よく見ると、橋上閉塞壁の最下部には、25cm四方くらいの四角い穴が空いていた。
流石に人がくぐり抜けることは無理と思ったが、隙間から橋上の風景を見る事は出来るだろう。

…が! これが紛れもない死の罠。

だって、ここに降りたらもう、登って来れないから。
気軽に降りたら、マジで最期だった。
ここはケータイの電波も全く通じないし、餓死するより無かった。(気付いてからゾクッとしたのは言うまでもない)



橋上閉塞壁だが、見て分かるとおり、橋の本体よりも明らかに新しい。
そしてその構造には一切の妥協が見られず、「渡橋ダメゼッタイ!」の信念が徹底されている。なぜ普通の鉄柵ではダメだったのか?失礼ながら、人口3000人にも満たない山村の“廃モノ”としては、あり得ぬほど行き届いた安全対策である。

これはさして深読みするまでもなく、本橋が如何に危険であるかが伺えるというものだ。
だが、それでも深読みをするならば、何か先に事故でも起きたのだろうか…?
廃橋を封鎖する手段として、これほど手の込んだコンクリートウォールというのは、見たことがないのである。

ともかくそんなわけだから、橋上に立つことはお手上げです。白旗。
私に許された橋上の眺めと言えば、閉塞壁に空けられたもう一つの穴、謎のビニールパイプを通している小孔にカメラを近付け、その僅かな隙間から得られる極めて不自由な画像か…



或いは、腕をめい一杯伸ばして壁の縁にカメラを近付けて撮影した、この画像だけ。

この画像を見る限り、橋の上の構造は灰内沢の橋ち変わるところはなく、もちろん函渠のサイズも同じだと思う。
また、函渠内には既にそれなりに大きな木が根を張って育っているようである。

この画像を灰内沢で撮影したものと比較すると、本橋の桁外れに大きな規模がお分かりいただけると思う。
仮に橋の上に立てたとしても、開渠内ならばいざ知らず、縁を伝って歩き通せたかどうかは分からない。
高く長いだけでなく、これだけコンクリートそのものが劣化しているとなれば…、怖ろしいこと限りない。




そして、左岸でのチェック項目としては最後になる、水路に連なる隧道の坑口についてだ。

ご覧の通り、坑口はコンクリート壁で閉塞させられており、僅かに下端部に25cm四方程度の穴と、上部にビニールパイプを通じる小孔があるだけである。

古老の証言や古地形図によれば、この「3号隧道」は約1km先で小阿仁川岸に設けられていた発電所に達し、約50mの落水路を経てタービンに回転力を与えていたはずである。

今のところこの発電所遺構を確認してはいないが、落水路も地下の隧道となっていた公算が大である。
今後の課題として、発電所跡の調査は行ってみたいと思っている。

なお、この坑口の閉塞自体は意外なことではなく、灰内沢でも同様の措置がとられた形跡があった。(一方は再び開口させられていたが)

これにて左岸の調査は終了したので、私は再び右岸橋頭へと戻ることにした。





このアーチの中央に立って、人が一度は手にした谷の俯瞰を、

再び鳥類より取り戻す事は出来なかったが…



まだ私が立っていない、

そして、立つことを妨げられていない“橋上”はある。


はじめの右岸に!





右岸に戻り もう一度“禁断の橋上”へ


15:22 《現在地》

本橋遭遇の地、左岸に戻ってきた。

ここから左岸の橋上にアプローチする。

なお、大錠集落跡の養殖場から伸びているビニールパイプは、この水路の脇に空けられた穴に接続され、ここから導水していたようだ。




最初に来ようと思えば来れた場所だが、結局最後になった。

この橋はおそらく渡って確かめる事よりも、下から眺める方が絵になるとは思う。
しかし、現場でそんな打算が働いていたわけではなく、衝動に突き動かされて行動した結果、こういう順序になった。
渡橋大好きな私にとって、渡りが後回しというのは珍しいことだ。

それにしても、こちら側には左岸にあったような渡橋を防ぐ設備はない。
やはりあの設備は、現在の落橋が発生してから、初めて作られたものなのかも知れないな。


さあ、たかだか数メートルの前途だが、前進していこう。




これは坑口の直上に設けられた縦坑。
全長2.5kmの「2号隧道」から流れ出てくる水は驚くほど多く、3mほど下の洞床に黒々と波打って見えた。
まもなく谷に棄てられる運命を知ってか知らずか、それは滝の落ち口を彷彿とさせる早瀬であった。

そして何よりも怖ろしかったのは、この縦坑には梯子などの施設がなく、この先の末端に至る区間についても、同様であったという事実。
つまり、もし灰内沢の坑口から2.5kmの水路隧道を歩き通し、この小深沢の光の元へ辿り着いたとしても…。

さらに、万が一この水量に足元をすくわれ、流されるような事態になったとしたら…。

どっちにしても、考えただけで鬱な気分になること請け合いである。




すまないが、ひとつ前言を修正させていただきたい。

実際に橋の縁を歩いてみて気付いたのだが、灰内沢のそれと全く同じではなかった。

灰内沢の橋の縁には、水路側にごく低い出っぱりがあったが、本橋にそれはないのである。
そして、その分だけ平らな部分の幅が広いかと言われれば、そんなこともない気がする。
つまり、あの出っぱりの分だけ橋の全幅が狭い気がする。

少なくとも、渡橋を行う上で灰内沢よりも楽だという感じは受けなかった。
現に岸からわずか10m離れた末端部へ行くだけでも、結構な緊張を強いられたのである。




やってきたよぉ、末端部。

おそらく緊張のためだと思うが、左耳のあたりが凄く熱くなった。

この辺でも地上からの高さは10m近くあり、落ちたらただでは済まない。
さらに、反対の水が流れている渠内へ落ちたとしても、やはり大変な事になりそうだ。
(上がって来れないから、隧道へ入って出口を探すか、末端部から落ちるしかなくなる…)


だが、リスクを冒した事への褒美もあったぞ。

他では得難い眺めという褒美が。




→【動画2】

末端部から下を眺めると、軽く全身に震えが走った。

谷が急峻であるために、小深沢の水流がほとんど真下に見えているのも、怖さを倍増させていた。

何よりも見事だったのは、足元から滑り落ちた水が墜落した水路にぶつって烈しく飛散する様子を、

“神の視座”より眺め得たことだった。

これこそは、本橋の他に類するもののない、無双の眺めのひとつである。






以上をもって本橋は満喫され、同時に小阿仁川上流部に潜んでいた廃発電用水路橋群のレポートも終わりだが、
まだ本橋の魅力を語り尽くしたとは思っておらず、これからも様々な季節に訪れてまた録りたいと思っている。



この巨大な廃橋を、超リアルなジオラマで再現された方がいます。
この再現度は必見です! 次のリンクからご覧下さい。


『てのひらの風景: ジオラマ・落橋』
(作者: しまだひなた様)


2013.5.15 追記



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