橋梁レポート 無想吊橋 最終回

所在地 静岡県榛原郡川根本町
探索日 2010.4.21
公開日 2011.5. 3

 無想吊橋渡橋 最終決着



2010/4/21 14:17 《現在地》

橋頭に立ってから10分。
渡り始めてより5分。

全長約140mの無想吊橋も、残すはあと20mばかり。
ゴールはもう、手の届く位置にあった。
客観的に見れば、もう安堵しても良い位置だろう。

だが、現場の実感はまったく異なっていた。
今回こうしてレポート化するために行程を精査して、はじめてこの位置が終点間際にあることに気づいた位だ。
現場では、というか帰宅した時点でも、この最終関門は橋の中央にかなり近い位置であるように感じていた。

そのように考えた理由はひとつ。

橋の下にある谷は、まだあまりにも深かった。
こちらの岸辺はほとんど垂直なのではないかと思えるほど、これほど岸に近付いていてなお、確実に堕ちたら助からない高さがあった。




長い橋の上でもこのように完全に踏板がなくなっているのは、左岸から10m地点と、この右岸から20m地点の2箇所だけであった。
そしてその破壊の規模は、こちらの方が大きかった。

この場所がこれほど破壊され、他が比較的無事であった理由については、後ほどひとつの仮説に至るが、それはとりあえず置いておく。
とにかくここさえ乗り越えれば、(往復しなければならないとはいえ)一時的にでも安心出来る場所に着ける。

なればこそ、

乗り越えたい!

乗り越えて、橋の征服を高らかに宣言したい!


私にはこの橋の向こうに用事など無い。着いてもすぐに引き返す予定だ。

しかし、ここまで来たからには渡りきったという「実績」を欲する、欲がでた。

もちろん、どうしても無理だと思えば引き返すことになる。

その「無理」かどうかをチェックする為にも、更に前に進まねばならない。

消失に向け先細っていく敷板へと、私は体重を静かに添わせていった。




どこまでがセーフティだと言えるのか。

この欠損地点の前後では、連続的かつ複合的に様々な破壊がおきており、その影響がほとんど無いと思えるのは、現在地点の6mほど手前の「大横板」(手摺り支柱のある場所)だった。

現在いる場所は橋上に残る踏板の先端だが、ここは以前取り決めた「安定姿勢A〜C」のいずれにも該当しない、長時間の滞在には耐えられないような不安定地だった。
(不安定地は文字通りの意味であり、橋全体の揺動とは別に、足元の敷板の先端は、まるで飛び込み台のように僅かな体重移動でもみるみる沈み込んだ)

長居はしたくないが、複合している破壊の諸相を見分けて、何がおきているのかを知らなければ、どこが「踏める」のかの判断は出来ない。 さすがに、“踏みあたりばったり”はしたくない。

@ 敷板が完全に脱落している。

完全に敷板が脱落しているのは1スパン分だが、前後の敷板も1枚だけになっている。
さらにAのために、それぞれ一端しか固定されていない。

A 大横板が破損している。

おそらくこの欠損現場の突破を最も難しくしている根源だ。
黄色い線で囲んだものが大横板の残骸であり、なにがおきればこんな事になるのか、左半分が完全に失われている。
ハンガーが宙ぶらりんになっているのはそのためだ。
そしてこのために左の手摺り鉄線はテンションを失っており、右の手摺も次の支柱から外れている事と相まって、非常にマズイ状態になっている(後述)

B 敷き鉄線が破損している。

16本の敷き鉄線のうち、右から2番目と13番目の2本は、テンションを失っていた。
この鉄線は橋の全長をひと繋がりで賄っていると見られ、最初からこの2本は“死んでいた”のだが、この場所でそれが明確になった。
敷き鉄線同士の間隔は本来約10cmで、しかも3mおきに中・大横板で固定されているので、隙間から転落する事は起きない建前だ。
しかし現状ではAとあわせて、それが危うい事になっている。

おそらくここならば、隙間から堕ちられる。




「非常にマズイ状態になっている(後述)」と言ったのは、ここを突破するために、誰もが頼りにしたいと願うに違いない位置にある右の手摺り支柱は、実は最悪の だということだ。


右写真に施した“板の色分け”に則って説明しよう。

現在地は、
前述したとおり、ここは一刻も早く抜け出したい“不安定地”である。
なにせ、右の手摺りを触れていることは出来る(というか、触れないととても安定せず立っていられない)が、それを引っ張ればいくらでも(実際には数十cm)手前に持ってこれそうな状態なのだ。
はっきり言ってよるべない状況だ。

だが、それでもここはまだ“止まっていられる”場所。
しかし次の一歩となると、失敗したときにおそらく取り返しがつかない。
体重を半分以上預けてしまえば、もう即座にには戻れない。(なぜなら、手摺りを反動にして身体を引き上げられないから)

次の一歩は、一見すると大横板の残骸()が近くて無難そうだが、ここは前述の通り罠だと思う。
手摺り支柱を手でグリングリンしてみた感触として、これは90度くらいまで右にも左にも(体重程度の重みで)容易に回転する。
右にいけば確定的に、左に行ってもおそらくは、橋から振り落とされる。
ここにしがみつくように全体重を預けることは、避けなければならない。

は踏みたくないとなると、一気に50cm先の横板()へ足を伸ばさなければならない。
そこを軸足に出来れば、ようやく次の踏板()に足が届く。

…おそらくこれが一番安定する。

を踏んで、一気にへ行く。2歩で済む。





だが、怖い。


この足運びは、色々な点でイレギュラーである。
ここまでは一度もやらなかったことをしなければならない。
すなわち、三点支持の原則によらない状態がある。
からへの足運びは50cmくらい離れているので、「あ、まずい」といって即座に足を戻せない。
意を決して一気に進まねばならない。
だが、に全体重を預けると、パキッが起きうる事を私は知ってしまっている。経験してしまっている。

もちろん、パキッってなってもまず転落はしない。
そこには2本死んでいるとは言え、14本もの敷き鉄線がある。
論理的には、大丈夫。

理性では、行けると自信を持って言える。


このとき実は、敷き鉄線の上を這う事も真剣に検討した。

多分それが一番安全なんだろう。
だがその場合、踏板のところに着くまでは方向転換も出来ないことになる。
途中で立ち上がることも出来ないだろう。
それもまた、イメージ的にとても怖かった。
立っている状態ならば、万が一突然橋全体がメキメキと崩れはじめたとしても、俊敏に駆け抜けられる可能性がある。
そんなことも、脳裏の片隅にはあった。






自分なりのプランに則って、足を進ませることにした。

そして生還したことは見ての通りだが、情けない事に足が途中ですくんでしまい、思い通りの足運びとは成らなかった。

敷板の先端から踏み出した右足は、上体の支えが無い姿勢の不安感に咄嗟に負けて大股で踏み込めず、迷い箸でもするかのように、踏んではいけないと思っていた大敷板()に下ろされた。
マズイという、引きつった表情のまま。

左足はまだ敷板の上で、右足は案の定、橋の外側やや後方へ20cm前後“橋ごと”動いた。
やばいことに重心は前にあるのに、両足はそれよりも後ろにある。
当然そのままでは前に転倒するのに、右足も左足も踏ん張りが利かず、蹴り足が出せない。
バランスが崩れて前のめりになっていくのを、上体をねじって右の手摺りにしがみつく。
実際にはそこまで大きく姿勢は崩れていなかったし、しがみつくと言うよりは制動するという程度だった思うが、予想外の動きに私は動揺しまくった。
息が漏れた。

そしてこの時、右下からパキと乾いた音が聞こえた。この音はとてもよく覚えている。
おそらくは、右足が乗っている大横板の残骸が鳴らした音だった。

即座に転落するとは思わなかったが、踏み抜けば敷き鉄線の上に転げ、最悪は宙ぶらりんのようになるのではないかという恐怖を覚えた。
だが、この後私は右脚と左足を交互に動かし、予定していた横板から敷板へ進むことが出来た。
僅かな破壊音を谷に落としつつも、死地を脱したのである。



最初に思った通りの足運びをしていれば、こんな恐ろしい目には遭わなかったろう。

クレバーを気取っていたはずが、最後に情けない渡り姿を披露した。





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 14:18 《現在地》

長い苦闘を演じていたように思ったが、

実際にはこの欠損地に辿り着いてから、1〜2分の出来事だった。

そしてまた、この僅か3分後には、逆方向にここを越えるのだった。

逆の方が遙かに怖くなかったのは、一度越えているからと言うこともあるが、

こちらからだと着足点が踏板だからだろう。




欠損地点のこちら側も、色々と故障が見受けられる。

また大敷板が半壊している。

もっとも、現場では既に気抜けしていたのか、写真を見直してそれに気づいた。

ラスト20mばかりは、もう終わったつもりで歩いていたのだろう。





 無想吊橋からの眺め


 14:19 《現在地》

7〜8分間の空中歩行を無事に修め、

遂に逆河内の右岸橋頭に辿り着いた。


ここが旅の最終目的地であり、ここからは帰路となる。


いま思えば、そう簡単に行ける場所ではないのだから、もう少しこってりとこの場所を味わっても良かったと思う。
更に言えば、オブローダーとして捜索する価値のあるものが、この右岸にはあったと思うが、それに気づくのは少し後だった。

この時の私の心境としては、もう一度橋を渡らなければ生還はないという焦りが強く、早くその生還を確定させて真に安堵したいという気持に流された。
だからこの右岸橋頭では写真を5枚しか撮っておらず、3mも動き回らなかった。
私自身の後悔に免じて、この調査不足を許して欲しい。

“自分撮り”さえしていないって、どうよ?(笑)




右岸側の橋頭も左岸側と概ね同じ構造であったが、強いて言えば主塔が桟橋状になっておらず、僅かな平場に建てられていた。

敷き鉄線については、左岸と同じように太い丸太に巻き付けられる形で固定されていた。

また左岸とは異なり、手摺りの鉄線が主塔とは別の立ち木(枯れており、だいぶ朽ちていた)に固定されていた。

道は左に折れて急な山腹に取り付いていた。
まだ明瞭に踏分が残っており、下草が少ない事もあるのだろうが、その気になれば歩いてどんどん行けそうではあった。
しかし、私はこれ以上進まなかった。

生還を早く確たるものにしたい私は、熱が冷めてしまわぬうちに、さっさと戻ることにした。






 14:20 ふたたび渡橋を開始。






あっはっは。

何度見ても、狂おしい。


ここだけは本当にもう嫌だったが、
渡らないという選択肢は無いので、我慢して越えた。




最大の難所を無事に越えた私の心の中に、急激に余裕と喜びが湧き出してきた。

あとはもう、大丈夫だ。
運否天賦の場所はもう無い。
長さ的にはまだ100m以上もあるが、自信を持って生還できる。

落ち着いて谷の景色を見る余裕が、はじめて生まれた。

そして、忘れかけていた重要な任務を、思い出した。

林鉄である。
私をこの地へ導いた千頭林鉄逆河内支線が、無想吊橋発見の少し前から行方知れずとなっていたのだ。
帰りは林鉄の捜索を再開するのである。

そして、この橋の上ほど軌道探しに適した展望所もないはずだった。




あった!

ありやがった!
軌道跡!

ありやがった〜〜。


しかし、ひと目で歩けそうにはない事が分かった。
上の林道がなければ、ここまで酷い事にはならなかったと思うが…。

まあそれはさておき、軌道もやはり無想吊橋近くまで来ていたのである。

では、終点はどこなんだろう?
無想吊橋まで来ていないことはほぼ間違いないのだが。
(隧道でない限りは、林道から吊橋の袂へ来る途中に交差するはずなのに、それがなかったので)




終点らしき地点も、判明した。

それは無想吊橋から100mほど下流の山腹で、大きなガレ場に挟まれた小さな尾根の上であった。

この終点と思われる部分を望遠で撮影したのが、次の写真だ。




終点付近は地勢がめちゃくちゃ急峻で、終点にありがちな土場(木材を一時的に溜めておく広場)が設けられそうには思えない。

逆河内支線は当初計画では、更に8kmほど上流へ伸ばす予定があったので、こんな無理のある場所が終点になっているのかも知れない。

だが、この小さな終点にも、ちゃんと役割はあったようだ。




軌道の終点と思われる地点から僅かに下った尾根の先端から、無数のワイヤーが谷へと架け渡されているのが見えた。

この並び方のパターンには、見覚えがある。
いま私の足元にあるものと、そっくりだ。
おそらくあれは、吊橋の敷き鉄線の残骸だろう。

軌道の終点には、逆河内を渡る吊橋が存在したのである。

無想吊橋の旧橋と思われる。

現在の無想吊橋の近くに、その旧橋らしき別の橋が存在したことは、昭和51年に撮影された次の航空写真からも分かる。





「国土画像情報」よりccb76-18-c6a(昭和51年撮影)

これが撮影された昭和51年といえば、軌道が廃止された8年後であり、代替となる日向林道が全線開通した直後だ。

そこにはひときわ長い現在の無想吊橋の他に、2本の吊橋らしきものが写っている。
現在の橋の100mほど下流で逆河内を渡る長さ80m前後の橋と、左岸に注ぐ支流を渡る20m前後の橋。
後者はおそらく跡形も無くなっているが、前者の残骸(敷き鉄線)が依然として谷に架かっているようだ。

そしてこれらの位置関係から、軌道が現役だった当時は旧橋が用いられ、林道の開設にあわせて現在の無想吊橋を建造したと思われる。
すなわち、現橋は廃橋同然になってはいるものの、まだ完成から30年程度しか経っていないのではないだろうか。
(木製吊橋の寿命を考えれば、妥当な線だと思う)




更にこの旧橋のはるか上方には、索道の跡らしきケーブルが1本だけ架空していた。

吊橋はとても木材の輸送には使えないので、
どこかに索道があるだろうという予想はあったが、
これで旧橋時代の木材運搬ルートが判明した。

山上から索道が逆河内を一気に跨ぎ、軌道の終点へ達していたのである。
広くはなくても、積み込みをするスペースくらいはあるのだろう。




改めて先ほどの遠景に、林道や軌道跡、旧橋跡、索道跡を書き加えてみた。


こんな苛酷としかいいようのない地形下で、

軌道と索道を用いた木材の伐出が、確かに行われていたのである。

人間は貪欲だ…。




そ し て 

無想吊橋 攻略完了!







ところで、これ以降林道に戻るまで、私は1枚も写真を撮っていない。

それは、ずっと動画を撮影しながら歩いていたからだ。

その動画をここで見て貰えたら、最高の幕引きだった。

でも、それは出来ない。

なぜなら、帰宅後に誤って動画を削除してしまった。




そのことを発狂するほどに悔しがった私は、

わずか2週間後に再びここに来て、

今度こそ動画を撮影するのであった。




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