橋梁レポート 大畑森林鉄道 太兵衛沢支線1号橋(仮称) 後編

所在地 青森県むつ市
探索日 2012.05.21/2006.06.07
公開日 2012.06.05

“ばけもの” VS “ばかもの”


2006/6/7 13:02 《現在地》

ばけもの VS ばかもの。

巨大な木橋は、ただそれだけで偉大である。
なぜならそれは、今日既に失われた技術を用いて、作られた橋である。
だが、そんな巨大なものが朽ちた姿は、畏怖の対象となる。
私はこの橋に、“ばけもの”の姿を見た。

「いきなり」この橋であったなら、私は始めから、しっぽを巻いて退散していたかも知れない。
何という用意周到さだろう。巧みに仕組まれた罠なのではないかと、疑いたくなる。
一回り小さなよく似た橋を攻略した直後に、こうして現われやがったのだ。

例によって私のサブカメラを預かる細田氏が、いままさに橋に挑まんと、1本目の橋脚上に立って葛藤する私の後ろ姿を、捉えていた。
その姿勢は、おおよそ直立不動のものではなく、虚勢を張る子犬のように…見える。

落ちれば間違いなく馬鹿者。
ではもし渡り果せたとして、それはなんになる。

ここで一旦、カメラを“わたし”に返そう。
私が見ていた景色を、見てもらおう。




本橋は、世にも珍しい、S字にカーブした木橋。



ではないぞ!!(涙)


橋脚の配置や、前後の線形からも明らかな通り、


本来この橋は直線なのだ。


そ れ が … 今 や …




こんなに曲がってる。


これには流石に驚いた。

橋脚がまるで存在していないかのように、自由奔放に橋は曲がりくねっていたのだ。
しかも、単に上辺だけが曲がっているのではなく、並列する4本の主桁自体が、その形に曲がっているのである。

これほど歪みながら、なぜ“架かって”いられるのか。
しかも不思議と橋は上下することもなく、橋面はほぼ平らな状態を保っていた。
その点では、前の橋よりも上等に見えたくらいだ。

これはもう、木材の神秘と架橋技術の妙というより他にない気がする。
木材ならではの柔軟さと、それ自体の自重の小ささ(←コンクリートや鋼鉄に較べてという意味で)が、こんな曲芸的なバランスを許しているのではなかろうか。
各部材を剛結合せず、少しの回転が可能な鎹(かすがい)で固定している構造も、木橋にしなやかさを与えていると考えられる。

…主桁が健在であるならば、渡ることが出来るはずだ。

この橋の自重の大きさを考えれば、そこにプラスされる私の体重など、落橋の原因にはならないという確信があった。

この橋も、渡れる橋だと判断した。


まずは、次の橋脚(2本目の橋脚)を目指して進む。
その足運びの要領は、前の橋と同じである。




13:05 渡橋開始から3分後。

私は、2本目の橋脚に辿りついていた。

この橋脚間の距離は10m程度に過ぎないが、時間が随分かかっている。
しかし、これには1本目の橋脚の上で「行けるか」を判定するまでの長い思考時間が含まれている。
だから実際に動き出してからの所要時間は、1分にも満たなかったと思う。

そして、次の3本目の橋脚までの間が、本橋の主径間と呼ぶべき区間である。
橋はそこで大畑川の河心を跨いでおり、物理的にも最も高く、そして長い径間だからだ。
次の径間を突破出来れば、文字通り半ばを越えた事になり、おそらく精神的な意味でも、残りの攻略はだいぶ容易く感じられることだろう。

とにかく、次の1径間を「自信を持って渡る」事が出来たなら、私はこの橋に大して「勝利した」と、大手を振って言える気がする。
ただ「渡った」だけではダメで、確信を持って渡らなければ、いけないと思う。
かつての定義柴崎では、そういう意味で正直、「制覇した」とは言い切れないと思っていた。
あれらは、自信なき渡橋だった。


…ふぅ。 ここで一拍置こう。




第1、第2径間については、前の橋と同じようにやや前屈みに重心を落した姿勢で歩行し、ここまできた。

今いる第2橋脚上は、地上と較べるべくはないものの、橋の上では圧倒的に安全な場所である。
なにせ、この場所の主桁の下には、直にコンクリートの橋脚が控えている。
万が一橋が崩壊をはじめたとしても、ここにいたら助かる見込みが高かった。

そんな安全な場所だけに、私はここで一休止することを躊躇いなく選んだのだが、その際、直前の緊張からだろうか、半ば無意識のうちにどっぷりと腰を落して、しまった。

もう橋と身体が一つになったかと言うくらい、私はこの場所に落ち着いて、しまった。




13:06

休息をはじめて1分ほど経つと、橋の上に細田氏が現われた。

きっと、私の事を心配してくれているに違いなかった。
こんな所で私が死んだら、彼にとっても一大事なんだ。

そんな彼が、今は遠い。

…さっきはスマン。
私が渡っているのは、彼が渡っているのと大差ないのだな。
今はこんなに遠くて、心の中でさえ悪態をつく気にはなれない。

そして、この遠さ以上に私を徐々に締め付けだしたのが、

高さ。

細田氏が立っている橋の高さは、紛れもなく私の下にある高さだった。
先に向こうの橋からこちらを見ているのだから、その事は自信を持って言えるのだ。



そんな私を細田氏が見ると…。







孤 立。

そして、静止している!




微動だにしない。

その姿は、まるで一心に祈りを捧げる僧のようだが…。


これは、ヤバいのでは?

明らかに、恐怖に凍った姿を連想させ…

せめて自力で戻って来いよ……。







既に2分近くも第2橋脚上で動きを止めていた私は、このとき何をしていたのか。


ひとことで言えば、


 恐怖に打ち震えていました。

とにかく、目の前に広がる高さが、容易に次の一歩を選ばせてくれなかった。
そしてその事に加えて、次の径間は前の橋のどこよりも部材の腐食が進んでいるということに、気付いたのだ。

大半の部材の表面には、苔か地衣が乾いたようなものが付着していて、そこに体重を加えると、この写真の赤く見える部分がそうであるように、容易く表面がはげ落ちた。

これだけ大きな橋だけに、主桁の太さは十分過ぎるほどあって、体重をかけた衝撃でそれ全体が折損する事は無いと思ったが、私の足がずるっと滑ってしまうことは、十分に考えられたし、ひとたびバランスを崩して勢いよく主桁以外の部材に倒れ込めば、その時は橋を突き破って転落する事も覚悟しなければならないと思った。(主桁同士の間隔は、私の身体の幅よりも大きかった)

ということで、方針の転換を迫られた。




安全渡橋の上では上部構造と同様に重要な橋の下部構造も、ちゃんと(?)観察はしていた。

主桁の隙間からは否が応でも谷底が見下ろせたが、現在地である第2橋脚上から覗き込んだ場合、そこには直下の橋脚の切れ欠きに端を発する方杖(ほうづえ)構造の部材が、手に取るように見えた。

前の橋も今度の橋も同形式の方杖ラーメン木橋だが、この橋の方が遙かに方杖の構造が大きく作られている。
そして方杖ラーメン橋の場合、橋全体を支えている橋脚の重要性もさることながら、橋脚から伸びた方杖の部分(そこをラーメン脚と呼ぶ…写真のオレンジ色に着色した部分)も、同等に重要なのである。
ラーメン脚が崩れれば、ほぼ確実にその径間が墜落するという物理的特性を持っているのだ。

そんな肝心な方杖部分のヘルスチェックの結果だが、上部構造と同じく腐食はしている感じが見て取れたものの、明らかに破断しているような部分はなく、上部構造の線形的な部分での激しい歪み(うねうね)の割には、しっかりしているという印象を受けた。

まあ、それでも忘れちゃならないのは、この橋も僅か6年後には“跡形も無く落橋していた”という事実だが…。




上の写真の各部材の着色に対応した模式図を用意した(→)。

各部材の並列している本数については、主桁が4本、ラーメン脚も同数の4本、補剛材は主桁とラーメン脚を挟み込むように設けられている都合上8本となっている。

橋脚を容易に増やせない地形に木橋を架する場合において、最も一般的に用いられた方杖ラーメン形式であり、トラスとラーメンの美点を合わせたようなコストパフォーマンスに優れた合理的構造であるが、最近はこの規模の木橋を架設するという場面はほとんど想定出来ず、かつて各営林署や営林局にいた技術者たちも、技術を伝承せぬまま離れていったと考えられるだけに、現存例は貴重である。

隣りに架かる県道の橋も方杖ラーメン形式を選んでいるのが、また面白い。







13:07 

約2分ぶりに、

ヨッキが動き始めてるッ!


先に述べた私の「方針転換」とは、

立って渡ることの放棄であった。

しゃがみ歩きやハイハイ歩きとなると、はっきり言って見てくれは良くないし、そんな怖じ気づいた様を晒してまで渡る意味があるのかと問われれば悩ましい部分もある。

それでも渡る必然性があるならば、渡り方などとカッコを付けている場合ではないと思えるが、私のように何の必然性もない中、ただ自らの趣味性で渡ろうという場合、少なからずそのスタイルに拘りたいという見栄は、捨てがたいのである。

それは、美しい橋を美しくスマートに渡りたいと思えばこそで、如何にも「フツー」に渡りながら見る景色こそ、現役当時の渡橋体験の追認になると信じればこそである。

しかし、もはやそんなことを言ってられないのが、この橋だった。

この時点で、私の心の中では「半負け」である。
とてもじゃないが、景色を楽しむ余裕などは全くなくて、前の橋のように動画を撮っていないし、橋上の写真もほとんど撮れなかった。
代わりに細田氏が撮影してくれた、「橋の上に這いつくばった私がいる」という、はっきり言って資料的にはどうでも良い写真ばかり(苦笑)になってしまった。

それだけに、いつか技術を上げてリベンジしようなどと当時は思っていたが、それも叶わぬ事となった。
まあ、実はそんなのも半ば以上見栄であり、平成24年の落橋を前にして、私は悔しいという気持ちより先にホッとしてしまったのが、その証拠…。




このあと私は、細田氏が遠くで見守る中、

ノロノロと主径間を這い渡り、

おおよそ1分をかけて、3本目の橋脚に辿りつこうとしていた。






この写真は、私が主径間に挑んでいる最中に撮影した、たった1枚の写真である。

耳の後ろはちりちりと灼けるように熱く、喉はからからに渇き、興奮しているのか沈んでいるのか分からない焦燥感が常にあった。

橋自体は私の体重で崩れ落ちないとあれほど信じていたのに、いざこの目に見えて歪んでいる線形を踏み越えようとすると、橋が左右どちらかにバランスを崩して落ちるのではないかという恐怖心が、どうしてもぬぐえなかった。

そして、今だから告白する(もう橋自体もなくなってしまったので時効だろう)が、やはりこの橋の寿命はもう相当に近付いていたらしく、渡っている最中にもバラバラと小片が軋み落ち、アニメの吊橋のようにギーィと鳴いた。


ぶっちゃけ、調子こきました。

ごめんなさい。

木橋は本当に信頼ならないから怖いんだよ。
鉄橋だったら、どんなに高くたって橋が先に落ちることはないと信頼出来る分だけ、(幾分かは)マシ。
しかし、木橋の場合は橋脚の上以外どこも信頼出来ないというのが、落ち着けない怖さに繋がる。
だから、「一歩一歩着実に落ち着いて進む」という渡橋の最大のセオリーを心情的に全うしがたいうえに、大半の木橋は橋の上の障害物が多いために、もう一つのセオリーである「テンポ良くパターン化して歩く」ということもまた難しいのである。




13:08

第3橋脚に到着!

久々(実際にはたった1分程度だけど)の安全地帯の確かな足触りに、
全身の力が抜けてしまうような安堵を憶えた。

と思いきや、足元にある橋脚の余りの狭さと、
その向こうに広がる谷の深さに、甘い気分は一発でたたき直された。




確かに“対岸”は間近に迫っているけれど、

少なくとも次の径間(第4径間)が終るまでは、
かなり断定的に「落ちたら死ねる」高さであった。




私を最も苦しめた主径間を振り返って撮影。

やはりこちらから見ても、曲がっているものは曲がっている。

しかし、橋脚が無い場所を頂点とするラーメンの曲線橋なんて、今日でも容易に計算しがたいような高度な構造である。

どう考えても、この巨大なカーブ全体が橋の歪みだったのであろう。

その原因は、風か、雪か、地震動か…。




下北半島は、太平洋に面していながらも例外的に積雪が多い地域であり、
この大畑川の源流地域でも、2m程度の積雪となることは珍しくないという。

そのような環境下で、厳然たる木橋が廃止されて後、おそらく40年以上も原形を留めていたというのは、
これぞ先人たちの巧みな技がもたらした驚くべき耐久性であったと言って良いだろう。






細田氏は、私が無事第3橋脚に辿りついたのを見届けると、

野山を強引に突き抜けて、この段階では私も辿りついていなかった本橋左岸橋頭へ先回りしていた。

そして、すぐさま橋の上にカメラを向けると、私は第4径間の途中にあった。
この辺りから、私は再び二足歩行を試みる心の余裕が出来ていたようだ。

そして、この時点では私からも青いツナギを身に付けた細田氏の姿が確認出来ており、
それは、「橋の終わりはここだ」と教えてくれていた。



13:10 《現在地》

渡橋開始から8分を経過したとき、私はついにその終りに差し掛かっていた。

遠目には既に森の中へ潜り込んだ先の場所であったが、そこには第4番目の橋脚があり、それに続く第5径間が最後の径であった。

この第4橋脚は、本橋の橋脚の中では唯一の木造橋脚であり、また第5径間はひときわ短いものであった。
このことから、第4橋脚と第5径間をひとまとめにして、橋台のようなものだと考えても良さそうだった。
(なお、本来の橋台の位置には、木造のそれが存在していた)

このように、全長約100m(目測)の太兵衛沢支線1号橋を私は辛くも生きて渡り果せたものの、途中、心の平常を保つことが出来たとは言えず、やや悔いの残る未熟な渡橋となってしまった。




二人にとって生還の地となった、左岸橋頭からの眺め。

なお、平成24年の再訪時にあっても、ここから第3橋脚までは架かったまま
現存しているように見えたが、近付いての確認はしなかった。

また、近藤川の橋は平成23年夏まで主径間が架かっていたことが分かっているが、
本橋については(現在のところ)情報が無く、落橋した時期は特定出来ていない。
参考になる情報をお持ちの方がいたら、ご一報いただきたい。






最後に、


私の生還を「快挙である」と満面の笑顔で迎えてくれた細田氏が、

スタート地点の橋の上で披露した素敵な舞をご覧頂きながら、

この “ばかものたち” のレポートを終えようと思う、




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