2020/6/3 17:06 《現在地》
現県道版の大沢橋というべき河原平橋を渡るとまもなく、湖畔へ下りていく幅の広い砂利道がある。
付替県道の建設に利用された工事用道路の一つで、一応封鎖はされているが、湖畔へのアクセスに使うことが出来る。
ひとしきり下ると、水面スレスレの高さに広がる平坦な湖畔に到着。
強烈な逆光を反射させている水面上に、まるで港の突堤のように細く伸びた陸地が際立って見えた。
その場所こそ、15分前に我々がいた旧々大沢橋の左岸側突端部だった。
これから向かうのは対となる右岸側突端、そして、水没したまま架橋している旧大沢橋である。メインは後者だ。
ここから見ても水面下に橋が架かっているようにはとても見えないが、間違いなく架かっている。
そして容易く旧県道へ突き当たった。
ここを左に行けば目指す大沢橋は間近である。
なお、あとで右へも行ったがレポートは省略する。この日の満水位に近い状態でも約450m先にある、かつての川原平の集落中心付近までは行くことができたが、土地は概ね更地化していた。
左折して大沢橋へ。
17:10 《現在地》
左折するとすぐさまこの分岐があった。
旧県道と旧々県道の分岐地点だ。
周囲に見えていた樹木が全て無くなったことで、以前来たときとは風景の印象は大きく変わっている。前は見えていなかった周囲の山の稜線がことごとく顕わに見え、自分が大きな舞台、もっといえば世界の中心にいるような万能感が、私のこのあとの行動を少しだけ大胆なものにした。
旧道と旧々道が、前者が下になる僅かな高低差を作りながら並走し、
ほぼ同じ地点から、それぞれの世代の大沢橋に差し掛かる。
何があったか知らないが、橋直前の旧道路面は舗装が剥がされ更地化していて、
隣の旧々道の低い築堤も撤去されて、この広い更地に組み込まれていた。
工事中、ここに何かの仮設施設が置かれていたのだろうか。
そのまま私は旧道、旧大沢橋へ進む。
そしてそのまま
水面下の橋へ自転車ごと突入!
最終的に、水中に架かっている橋の中央付近まで進んで見せたのである!
↑何してんのこの人はwww
HAMAMIさんが撮影してくれた私の姿が、我ながら可笑しくて笑ってしまった。
こんな巨大な水面をバックに、両輪の半分以上が隠れる深さに、
自転車に乗ったまま突っ込んでいるのは、なんともネジの緩んだ風景ではないか。
大人が"水遊び”をしているようにしか見えない! 探索なのに!!
なお、上の写真の辺りが、私が水面に突入して到達した限界であった。
ちょうど橋の真ん中辺りだ。
旧大沢橋は長さ80mほどだが、右岸から左岸に向かって下り勾配になっているので、進むほど水深が増していくのである。
自転車のペダルを漕ぎ進む動作をしながら長靴の浸水を免れる限度が、その辺りの深さだったのである。
これ以上進んでしまうと、ペダルが下がったときに浸水を許すことになるし、当然、漕ぐのを止めて立ち止まることも許されない深さである。
ただ、そのギリギリの場所でも停まって足を休めることが出来たのは、路肩にやや高い地覆(路面より一段高くなっている部分、もとは高欄が立っていた)があるおかげだ。
そこだけは路面より水没が浅いので、私が限界を感じたところまで進んでも、足を濡らさず停止することが出来た。
17:18 《現在地》
水中に架かっている橋の上にいる!
しつこいと思われるかも知れないが、これほど特異なシチュエーションは極めて稀なものだろう。
それも、決して小さな橋ではなく、長さ80m、そして高さも20m以上はあろう巨大な道路橋だ。
現役時代にこれを渡り、【谷底を覗いた記憶】は未だ消え失せてはいない。
一段高い地覆が路肩にあるおかげで、うっかり自転車で足を踏み外すことはないだろうが、
もし橋から落ちれば、そこには深さ20mからの湖水が暗い湖底まで続いているはずだ。
淡水の恐ろしさは、人を容易く浮かせないところにある。準備なく落ちればきっと私は助からない。
そしてこれが、私の限界の位置から撮影した対岸方向だ。
水面下にある橋の存在感、その確かさと、儚なさと……。
この絶妙すぎる水中障害物の存在を知らしめるためだろう、
橋の湖心側地覆に沿って障害物が浮かべてあるが、その水位は進むほど深くなる。
巨大な水域に対する本能的な恐怖が、呼吸に対する圧迫感となって現われた。
既に半身を水に沈めている自転車にまで、自身の感覚器が拡張されている感覚に囚われた。
私は、この地点で自転車を反転させて、引き返した。
この“水遊び的挑戦”によって、私の愛用するMTBは(そしておそらく一般的な自転車も)、
両輪の半分の高さまで水没した状況でもペダルを漕いで進むことが出来るものの、
水の抵抗でペダルが重くなるほか、ハンドル操作に特に大きな抵抗を感じることを経験した。
これは、30年を超す自転車経験を持つ私でも、実際に試してみなければ分からないことだった。
(かつて流れのある水没道路を走行したことがあったが、流れがないだけで遙かに容易ではあった)
計らずも、自転車の機能限界に触れる旅となったのである。
この先にも、橋はあと半分続いている。
だがそこは深い。対岸の親柱のてっぺんが、少しだけ水上に出ているのが見えた。
親柱の高さを計ったことはないが、小さなものではない。しかもそれは地覆の上に立っている。
実際の路面の水深は、親柱の高さ以上にあるはずだ。
物理的に行けなくはないだろうが……。
17:22
自転車での新体験を手土産に戻ってきた。HAMAMI氏が待つ右岸橋頭へ。
そして、大沢橋の親柱と再開した。
先ほど私はこれをスルーして水面へ突入していったので、まじまじと観察するのは初めてだった。
この右岸にある2基の親柱には、それぞれ「おおさわばし」と「昭和五十九年十二月竣功」の銘板が填め込まれていた。
対岸には、これと同じものが頭の先っちょだけ水に浮かべて沈んでいる。
隣にある旧々橋(昭和35年完成)は、両岸が全く同様の浮上状態なので、完全に水平な橋だったことが分かる。
対して、二十数年新しい旧橋は、両岸に1m程度の高低差を持っている。そして道幅も遙かに広い。
これは小さな変化のようだが、橋の存在が道路線形設計上の主から従となった架橋技術の進歩を感じ取ることが出来る。
道路としての優良な線形やコストパフォーマンスを実現するために、水平橋より技術的に高度な傾斜橋の架橋を選べるようになったということだ。
……これで、今回の探索も終わりだな。
「 HAMAMIさん、ちょっと待ってて。 」
あとで心残りになりそうなことは、やっぱり、排除していこうと思った。
(BGM:「♪山行が勝利のテーマ」)
私が何をしたか、この動画では少し分かりづらいかも知れない。
動画の始まりは右岸橋頭。最後の1:30から一瞬写っているのは、左岸橋頭の親柱である。
つまり、私はこの動画の1:30ノーカット一本勝負で、自転車に乗ったまま橋を完全走破した。
どこまで濡れたかは動画で見ての通りであり、もちろん覚悟の上だった(笑)。
そしてこれが、左岸から右岸への復路の映像。
浅い平らな湖底を自由に動き回っているように見えるかも知れないが、
実際は幅6mほどの橋の上だけが行動可能範囲で、その外へ行けば助からない。
ともかく、これらの動画によって、自転車というものの底力を皆さんも知ったのではないかと思う。
私もこれには驚いたのだが、自転車(少なくとも私の愛車)というのは、車体が完全に水中にあっても
通常通りペダルを漕いで進むことが出来るのである。実際に試してみるまでは、浮力のためバランスを
崩すのではないかとか、ハンドルが切れるのかとか、分からないことばかりだったが、試してみて分かった。
自転車は、水中活動可能な乗り物だったのだ!
こんな身近な所に水陸両用車両がいたのだ! (←湖底を走っているだけだろw)
……ただし、自転車へ蓄積するダメージについては、不明な点が多い。
この探索後2年を経過したいま現在も、この愛車は健在だが、絶対に良くはなかったと思う。
先の動画の1:40過ぎを見て欲しいが、中空構造であるフレームや、
ホイールの内部に大量の水が浸入したことで自転車本体が異常に重くなったが、
この水が全て自然に抜けるのには、なんと半月もかかった。
本当ならホイールまで分解して内部を乾かした方が良かっただろう。
この行為により、通常の走行では考えられないほどホイール内部が錆びた可能性がある。
最後に、HAMAMI氏が撮影してくれた、水の中を自転車で漕ぐ男の映像も、一往復分、ノーカットでお見せする。
たぶん、あなたの今後の人生の役に立つことはないと思うが、暇な人だけ見てくれればいい。
17:32
私の下半身全てを捧げて手に入れた、新たな人類(自転車乗り)の知見。
自転車は水中でも走行できる。
残された(おそらく自転車にとっての)惨劇の痕。
これで思い残すことなく、探索終了!