ミニレポ第148回 銚子第二発電所 未成水路隧道跡

所在地 秋田県鹿角市
探索日 2009.11.14
公開日 2010. 1. 2

進入困難?!の廃隧道




今回は皆様に“ある”廃隧道を見ていただこう。


ここは、私が初見で「踏査不可能」と即断した、曰く付きの場所である。

確かに隧道は存在し、物理的に入れる隙間もあるのだが……。


「我こそは!」と言う猛者の突撃を止めはしないが、くれぐれも無茶はするなよ…。




今回私たち4名(私、細田氏、HAMAMI氏、どら氏)が探索したのは、秋田県北部の十和田山中にある、未成発電水路用隧道である。
かなりマイナーな存在であり、秋田に長く暮らした私も、今回ある新聞記事に掲載されるまで全く知らなかった。

ネタ元は秋田の地方紙「秋田さきがけ」の平成21年8月11日号朝刊文化面に掲載された、「県内戦争の記憶を訪ねて<8>」という野添憲治氏の記事である。

その大まかな内容は、第二次大戦末期に大湯川から十和田湖への導水発電を計画した際に途中まで建設された水路用の隧道が、今も広森川近くの山中に残っているというものだった。

この地には著名な金属鉱山である小坂鉱山があり、明治30年代には既にその電力供給用として「銚子第一発電所」が建設されていた。
大戦中に増産を命令された小坂鉱山では新たな発電所の建設を必要とし、種々の検討を重ねた結果、大湯川の水を支流の広森川と合わせて十和田湖へ導水し、その落差を使った水路式発電所「銚子第二発電所」の建設を決定した。

この計画の実現のためには、十和田湖の外輪山をぶち抜く長大な隧道(4km以上)が必須となる。
十和田湖と言えば風光明媚で知られる観光地であり、当時も既に国立公園だった。
その水質変化を余儀なくするだろう導水発電計画が承認されたのも、戦時中のなせる技だったに違いない。

さらに記事によると工事が実際に行われ、200〜300人の朝鮮人労働者たちがそれに当たったという。
だが、突貫で進められた工事は、「熊取地区と広森川を結ぶ約1.5kmが貫通しただけで、敗戦で中止になった」という。


我々は記事の情報を頼りにして、貫通した隧道跡を探すことにした。







2009/11/14 7:58

水路隧道の坑口が今も残ると記事に紹介されていたのは、1箇所のみ。

なにぶん地図のない記事だったので、その1箇所を探すのにもだいぶ手間取ってしまった。

しかし、ともかくその捜索の起点となったのは、国道104号から広森川沿いの「冷水沢林道」を1km入った所にある、「広森取水口」という取水堰だった。

記事によればこの近くにそれはあるらしく、「一帯は雑木と笹が深く茂り、林道からは見えないが、ヤブに入るとコンクリートの土台が10本ほど見える。また、広森川から5メートルほどの高さに、入り口が13メートルぐらいの巨大な穴がある」とのことである。




これが、かつて小坂鉱山を経営していた会社の後進「DOWAホールディングス」が管理する、「銚子発電所広森取水口」。
林道の脇にあり、広森川を堰き止めて「広森深水路」という水路を分けている。
深水路は1km下流で大湯川沿いの発電水路本流と合わさって、さらに2km下流の「銚子第一発電所」(明治30年稼働)以下、数多くの発電所に流されている。

目指す「銚子第二発電所」に関わる隧道遺構がこの近くにあるとのことだが、確かに林道沿いからは全くそれらしい物を見ることは出来ない。
我々4人は合同で、或いは時に手分けをしながら、氷雨の降りしきる中で下半身を沢に浸すことも厭わぬ捜索を開始した。




9:40

捜索開始から100分後、ようやく最初の成果を得た。
一体どれだけ山奥に入ったのかと思われるかも知れないが、【現在地はここ】である。
車を停めた取水口から100mしか離れていない(笑)。

我々は半ば盲目的に、「広森取水口よりも上流にある」と信じていたため、その方面ばかり探していて大変無駄骨をした。
これでは埒があかないと手分けして(というか思い思いバラバラに)探し始め、駄目元で下流に入ったらすぐに出て来た。

この、3列のコンクリート製の基礎らしきものが。



基礎上辺の高さはおおよそ1m。
幅を無視すればまるで鉄道のホームのようであるが、この場所にある以上、未成に終わった発電水路と関係するものと見て間違いないだろう。

記事にも「飯場のあった場所も分かっていない」「10年ほど前に(中略)監督をした人を探しあてたが、会ってくれなかった」などと有るように、朝鮮人労働者の残酷な使役によって建設されたこれら遺構の記録は非常に乏しく、或いは語ることさえ憚られるというような感じもあって、これがなんであるかは知られていないようだ。

私も分からない。
おそらくは、これもまた水路の基礎だろうと思うが…。




一段高くなった基礎の上に立って、30mほど離れたところを流れる広森川の方を見てみる。

すると…


なにやら、白っぽく削れたようになった崖が見えるではないか!

脈動が一気にブーストする。

濡れたレンズを指で拭って、望遠で覗き込んでみる。
















まさか、
上下
二穴
出現
?!






背丈より深い笹藪に有無もなく飛び込んだ私は、数分の格闘のすえ、広森川の川原へ飛び出た。

川の対岸には、かつて無いほど巨大な穴が口を開けていた!!

上下に穴が並んでいるように見えたが、上の穴は試掘跡か崩壊の結果かは分からないものの、奥行きの無いことがここからも見て取れた。

だが、下の穴は深そうに見える…

1.5kmクラスの水路隧道発見か?!


逸る気持ちを抑えて私は一旦車に戻り、まだ連絡の付かない他の3人へのメッセージ『ワレ発見セリ!』をメモにしたため、フロントガラスに貼り付けた。
そして再び隧道の元へ!!




9:49

まずはこの広森川を渡って…




ちなみに、発見された坑口の位置はここ。




川を出て、坑口へ上る。


隧道が崩れ、周囲に漏斗状の絶壁を出現させている。

かなり崩れやすい地盤のようだが…

隧道は果たして無事なのか…?!





数秒の後、

かつて無い光景が現れた。








これは?!

これが…

隧道?!






これまで、
「完全閉塞」
というのは何度も見てきたが、


こいつは…

初めて見る…



完全


青すぎる水面に、何もかも吸い込まれてしまいそう。

特に、最初に辿り着いたときには一人だったから…、

正直怖かった。






文章で説明する必要もないかと思うが、この状況というのは坑口前の斜面が崩れ、それが洞内から流れ出る水を堰き止めて天然ダムになっているのである。
ダムの高さが隧道の高さよりも上になってしまったが為に、坑口は天井まで完璧に水で満たされている。

右の写真は全てシルエットになってしまって不思議な感じだが、坑口でお空を見上げたらこうなった。




坑口前に積もった土砂の山のてっぺんから見下ろした、
かつて坑口だった…


土砂を排斥して再び隧道を地上のものとすることは不可能である。(それをすると洪水になる危険も…)


今まで、これほど圧倒的に拒絶された廃隧道は初めてだ。

この物言わぬ水面の向こうに、戦争の記憶を秘めた1500mもの空洞が存在しているのだとしたら…

考えただけで震えが来るようだ…。




9:55

私が到着した約5分後、残りの3人が連れ立ってやって来た。
私が車に残したメッセージを読んで来たらしい。

私は敢えて隧道の状況について何も言わず、泉と彼らを同時に見下ろせる“玉座”に座って、彼らの発見の瞬間の反応を待った。
先頭の細田氏は、いったいどんなリアクションを見せてくれるだろう…。 ワクワク

→【隧道遭遇リアクション動画】




人間のサイズと較べて、穴と、穴の周囲の崩壊した地形の大きさを見ていただきたい。

触れただけでポロポロと崩れてくるような砂岩質であり、これからも際限なく崩れは大きくなっていきそうである。
もはやそこに人工物の面影を見ることは出来ない。
いつか天然ダムが決壊して、下流に被害をもたらさなければいいが。

なお、記事には、水没した洞内に支保工の並んでいるのが見えたという、現状からは信じがたい記述があるのだが…。
季節によって水位の変動があるのかも知れず、再訪も検討している。
しかし、ともかく今回は無理だ…。





→【水の深さと清らかさを感じられる動画】

記事にも工事中から出水が多くて難儀したとあるが、
今でも水はかなりの勢いで流れ出している。

その証拠に水面は静止しておらず、煙が上がってくるように

…もフッ…もフッ…

と、来てるのが見える。



海外の事象にはことごとく疎い私だが、
これを見て、名前しか聞いたことのない「ルルドの泉」というイメージが去来した。
見たことはなくても、この絵のイメージは明らかに「ルルドの泉」であろう。

この水を瓶詰めにして、 「廃を味わう水」 として販売したらどうだろう。

水質は「十和田の水」に引けを取らないこと間違い無しだぞ。




いくら眺めていても水位が下がってくるはずもなく、初めて見る「隧道完全水没」という眺めに満足もしつつ、撤収。




隧道真っ正面の対岸には、記事にもあったとおり、10基ほどのコンクリートの基礎が並んでいた。

これは最初に私が見つけたものとは別で、隣接しているが直接繋がってはいない。
或いはここで分水する予定だったのかも知れない。
(次は4kmクラスの外輪山ぶち抜き隧道となるはずで、水圧を考えると、ここで一度余水吐きをして然るべきだろう)




並ぶコンクリート基礎を過ぎると、深水路と林道がほぼ並行して行く手を阻む。
これらは戦前から存在したと思われるが、これより先には一切工事の痕を見つけることは出来なかった。
やはり記事の通り、工事はこの地点までで中止されたようだ。

計画通りなら、この真っ正面の山腹に約4.5kmの隧道が掘られ、十和田湖へ導水されるはずだった。
(個人的には、外輪山より外側のこの辺りの方が、十和田湖畔よりも標高が高いことが意外であった。)





撤収の最中、「さっき見た基礎が完成していたら、恐らくこんなだっただろうな」という場面と遭遇した。

ここは広森沢を銚子第一発電所の水路が渡る部分で、鉄管式のサイホンになっている。
戦時中と言うことでおそらく上に載るのは鉄管ではなくて、コンクリート製の開渠だったと思われるが、基礎の利用方法は同じだろう。
実際、形も似ている。




さて、これで当初予定してた成果は上がったことになるが、誰しも気になるのが…

あの水没隧道の出口(入口)はどこにあるの?

と言うことであろう。

記事もその辺のことは全く触れていない。
現在も熊取地区には「銚子第一発電所」の取水口があるが、高低差を厳密に検討すると、それとは別のもう少し上流に取水口があった可能性が高い。
そして、「広森〜熊取の1.5kmが貫通」が事実なら、やはり[図中A]の範囲内にあったと思われるのだが…。

残念ながら、今回2時間ほど行った捜索では発見することが出来なかった。
合わせて[C地点]も探したが、ここにも地上への露出自体無かったのか、痕跡無し。

もう一箇所、[B地点]でも地上に露出している可能性があると思うが、ここはアプローチが困難であるため、今回は未探索である。
今後新たな情報が得られたり、水位の減少が期待できる場面が有れば、改めて探索してみたいと思っている。
(もしスキューバその他の手段で潜りたいという人がいれば、一緒に行きましょうか…笑)




いつの日か…

あの泉の底の記憶を解き明かしたいものである…。






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