その9知られざる最凶県道
  232号 「太平山八田線」
2003.2撮影
 秋田県秋田市八田


 秋田県道232号線「太平山八田線」は、平成14年度の資料によれば、秋田市太平秋田市八田とを結ぶ、全長7514mの一般県道である。
市街地に接続し、太平山のリゾート地に市民を運ぶ、重要な路線の一つであるが、この路線の名にまつわる謎は、長く私を悩ませ続けてきた。
太平山八田線」という名は、どうして、その終点と起点を取って、単に『太平八田線』とならなかったのか?
この分かりやすい矛盾点は、
「秋田には登山道が県道の道がある」
という、全国的に知られたる都市伝説を、生み出しさえもした。
この伝説は、いうまでも無く、その名が示すとおりに太平山の山頂に起点があるのではないか、という憶測によって生まれたのであろう。
しかし、先にあげた資料の通り、いや、それ以前にも、正式にその可能性は否定されており、やはり謎は、謎のまま。
都市伝説はやはり、伝説に過ぎなかった。

そう考えていた。


 しかし、昨年。
図らずして、その謎の突破口が、秋田公文書館にて、私の前に開かれた。
現在では欠番が目立つ秋田県県道の過去を探るために開いた、ある資料には…
232 太平山八田線 指定年度:昭和34年 起点:太平 終点:八田 延長:13720m 
 お気づきだろうか?
なんと、昭和34年の県道指定当時、この県道の起点終点こそ今と変わらぬものの、その延長が、長い!
現在に比較して、5000m以上も、長かったのだ。
この事実は私に、あの都市伝説が、ある一時期において、紛れもない真実であったということを、連想させた。
総延長の3分の1以上が縮小するような大規模な路線の改廃は、この地域では考えにくい。
さらにいえば、その経路において、昭和30年代と今とで大きく異なる部分など、ありはしないのだ。

…かつて、確かにその起点は、現在の太平の金山滝付近ではなく、そこよりさらに5km以上山中にあったのではないか?
そして、金山滝の奥に続く道として、唯一のものは、太平山山頂目指す登山道、それ以外には、ない。






 2003年2月、例年以上の暖冬によって、既に市中心部にはほとんど雪はなかった。
それに気をよくして、自身の山チャリ発祥の地にも近い、太平山一帯の探索に赴いた。
しかし、丁度この朝は、前夜に降った濡れ雪が放射冷却現象によって、カチンコチンに凍り付いていた。
写真の、黒いアスファルトは、実は全てスケートリンクのような有様なのである。
チャリにとっては、最も困難なコンディションだ。
 この写真の場所は、県道232号線の終点であり、主要地方道28号線との合流点である、太平八田地区だ。
正面に続く、大きな赤い鳥居をくぐる道が、県道232号線である。
この鳥居は、信仰の山でもある太平山の入り口として、ここに立っているのものと思う。



 朝のラッシュには幾分早く、とはいっても、この先には小集落がいくつかあるのみだが、通行量は幸い少ない。
ここに至るまでの、自宅からの30分余りの市街地走行で、もう精神的にへとへとである。
それほどまでに注意して運転せねば、転倒し、下手すれば轢かれてしまうような、危険な路面だったのだ。

 ずっと正面に太平山を見据えて走る。
平凡な形といえばそうだろうが、いかにも日本的な、郷愁を感じさせる山並みである。
この辺りからの太平山が、私は一番好きだ。




 途中、県内に残るたった二つの分校の一つがある木曽石集落を経て、いよいよ、現在の終点である金山滝が近付いてきた。
終点からは、約6km。秋田駅からも13km程の道のりだが、既に辺りは一面の冬景色である。
とても、まだまだ山チャリを楽しめそうはない…。
また、先ほどまで美しい姿を見せていた太平山も、近付くにつれ薄雲に隠れ、遂には雪雲の中にすっぽりと覆われてしまった。
もう、この先には進めなそうな予感が、してきた。




 そして遂に、除雪終点である、金山滝分岐点。
写真では、道が大きくカーブし、左の山中へ伸びて行く様が見て取れるが、小さく写る青看が分岐点であり、その左側の道はもう県道ではない。
太平山スキー場オーパスなどを経て、仁別に至る立派な市道だ。
そっちは通年通行が可能である。




 除雪されていない道は、40cm以上の積雪があった。
道路の中央部には、人一人分の踏み跡があり、ここをチャリを押して走行した。
分岐点から、県道の終点である金山滝駐車場までは、約800m。
押し歩きのため、これでもかなりハードであった。
無論、雪のない時期ならば、一車線の道とはいえ舗装されており、たいした勾配もないので、すぐに終点に辿りつく。



 駐車場は、数ある太平山登山のコースの中でも、最も長い行程を持ち、またそれなりに人気もある金山滝コースの登山者のためのもの。
さすがにこの日は人の気配は無かったが、続いている踏み跡に従って、沢を渡る小さな橋の向こうに目をやってみると…。

 これが、かつて県道だったというのか?!
ベタな突っ込みだと自分でも思うが、しかし、そういう言葉しか思いつかない。
明らかに、徒歩専用の道が、小さな赤い鳥居を起点にして、見上げる先に続いていた。
勾配も、普通ではない。
登山道だ。
まさしく。




 県道指定を受けた当時から状況は変わっていないと思われるが、何を基準に指定したのかが、まったく謎である。
たしかに、指定された時点では獣道すらなかったような県道というのもあるが、そういう道であっても、何らかの将来性を考えての指定だと思う。
大抵は、新道の建設などを経て、車の通れる道になる。
しかし、この道にはそういう計画はないし、計画の必要性も感じられない。
そもそも、この先に車道を通すなどというのは、まったく現実性が感じられないのだ。
この先たった5kmでは、何処をどう通っても山頂には届かないし、登山道をそのまま県道に利用したとしても、標高774mの前岳付近が、その起点と言う事になる。
…だとしたら、そもそもこの先の県道は、この登山道とは違う道なのだろうか?
その可能性は、完全には否定しきれないが、いずれにしても現存する道はここだけであり、5kmという距離からは、他に現実的な経路があるとは、思えない。




 登山道と化した元県道は、平均勾配40%を越えていると思われる雪の斜面を、40cm程度の路幅で続いている。
左右両方の足元は切り立った断崖であり、右には矢櫃沢の治水ダムが、左には金山滝の深い滝壺が、足を滑らせたものに須らく死を与えるだろう。

 この先に続く5kmの道のりの先、どんな景色が待っているのだろうか?
残念ながら、このような積雪時でもあり、登山経験の浅い、ましては普段着の私には、この先のレポートはお伝えできない。
実際、この先のどこかには、かつて県道であったことを示す何かが、残されていないとも限らない。(その可能性は低いと思うが…)
自転車と共に望むことが極めて困難と言わざるをえないこの道…、将来に渡っても、私による攻略の機会があるかは、分からない。




 まもなく道は二手に分かれる。
一方は、多段の滝である金山滝の中流にある祠に至る短い道で、写真に写る橋は、その道のものだ。
橋のさらに上の崖を上ってゆくのが、登山道の本線である。
まったく、県道を示す痕跡はない。




 簾の様に清楚な滝だが、そのさきに続く淵は深く、二度と這い上がってはこれなそう。
なんとなくだが、女性的な滝に思える。
写真は、橋の上から撮ったもので、はっきり言って、怖いです。



 橋はご覧のように、極限まで細い。
いや、普段、いくら「狭い!」とかって騒いでいても、それは道路橋としては、と言う意味であって。
この橋は、人間にっても十分に狭い。
怖い。
凍ってるし。 すべるし。




 本線を進むと、まもなく滝の上部に達し、平坦になります。
そこにも小さな祠があり、登山者を見守っていました。
しかし私は、登山者ではありません。
山チャリストには、さすがにこれ以上の攻略は、困難でした。
チャリも置いてきてしまってますし。

 残念ですが、ここで終了です。
この先、どんな元県道の風景が待っているのか?
それは、もしあなたが登山者なら、あなた自身で確かめてください。
そして、わたしにも、教えてくださいね。

  





 さらに調べてみると、昭和51年頃に現在の延長に再指定をうけたみたい。
もし、この登山道が未だに県道だったら…、小ネタじゃなくて、ルートレポートモノだったんだけどナァ。
しかし、未だ完全には謎は解けていない。
本当に、謎の5km余りは、この登山道であったのだろうか?
だとしたら、どこが当時の起点だったのであろうか?


          うーーーん…。
2003.3.10作成
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