ミニレポ第242回  富山県道70号万尾脇方線 余川狭区

所在地 富山県氷見市
探索日 2018.10.27
公開日 2018.11.07

ストビューにスルーされてしまった、通れる主要地方道


【周辺図(マピオン)】

前話に続く能登半島からのレポート第2弾は、半島の基部に近い位置にある氷見(ひみ)市の郊外よりお送りする。

富山県道70号万尾脇方(もおわきがた)線は、富山県氷見市で全線が完結する、全長約25kmの主要地方道である。
ルートは右図の通りで、氷見市の中心市街地を取り囲む半環状線であり、多くの放射道路と交差しながら宝達(ほうだつ)丘陵の山間部を縫っている。
北部を中心にところどころ1車線の未改良区間が残っており、“険道”的要素を持つ路線であるが、今回紹介するのはそのうちの一つ、余川(よかわ)から柿谷(かきなや)にかけての狭隘区間である。


左図は、この狭隘区間の拡大図である。

地図上でも、前後の区間と比較したときの狭さが際立っている。
しかもこの区間、グーグルストリートビューも撮影していないようで、状況が分からない。
富山県公式サイト内の「県管理道路の通行規制状況」には特に記載がないので、通行止めではないようだが、どんな状況になっているのだろう?
国道に次ぐ重要路線として認定される主要地方道ということもあって、大いに興味をそそられた。

なお、この区間の県道整備が進んでいない理由は、地図上からもなんとなく予想が出来た。
すぐ近くを走る広域農道(広域営農団地農道)が、本来は県道が果たすべき役割を既に充足させているのではないだろうか。
「氷見スーパー農道」の通称を持つ氷見広域農道は、全国の広域農道のなかでもかなり早い昭和48年度に事業がスタートしており、県道の狭隘区間に並行する余川〜七分一(しちぶいち)間も昭和60年頃には開通している。
この開通によって、県道整備の優先度がかなり後退したのではなかろうか。


そんなことを考えながら、いざ現地へ。




2018/10/27 12:13 《現在地》

ここは氷見市余川の県道304号鹿西(ろくせい)氷見線の路上である。
氷見の市街地が広がる海岸部から3kmも離れていないが、周囲は北陸らしい田園風景であり、正面奥には足元の県道がこれから越えていく県境であり半島の脊梁である宝達丘陵の稜線が横たわっている。

いきなり余談だが、いまいる低地を形作っているのは、丘陵の奥から流れ出てくる余川川という川である。この「川」の字が二つ続いている河川名が珍しいと、先日ツイッターで発言したので、見覚えのある方がいるかも知れない。余川を流れるから余川川なんだろうが、余川という地名を生み出したもとは、“なに”川なんだろう。たぶん余川川なんだろうなという話。




本題。
ここにある青看は、すぐ先にある氷見広域農道との交差点の案内なのであるが…

チェンジ後の青看画像は、実態に則した表現へ無理矢理変えたものである。

もともとの青看の内容も何ら間違っていはないのだが、実はこの交差点の70m先にもう一つの交差点があり、そこで県道70号と出会うことになる。
青看はそのことを完全に無視しているので、それを無理矢理書き加えたのが、チェンジ後の画像というわけだ。




この交差点の名前は「余川」といい、2車線の道路同士が十字路で交差している。

写真は交差点から氷見広域農道の南方向、すなわちこれから進む県道70号の狭隘区間と並行する方向を撮影しているが、主要地方道だといわれても信じられそうな、完成から時間が経ってよく風景に馴染んだ感じの道である。
角に立つ商店も、そんな印象を強めている。




我らが県道70号とは、余川交差点を突っ切った70m先で出会う。

この写真は、上記交差点から県道304号の直進方向を撮影した。
すぐ先に県道304号のヘキサが見えるが、そのヘキサの20mくらい先はもう県道70号である。正確には、2本の県道の重複区間になっている。

そして私が今回探索するのは、直進ではなく、左折した先の県道70号である。
ストリートビューが進入していない主要地方道(通行止めではない)ということで、その実態が気になったのである。




12:15 《現在地》

少々しつこいようだが、県道70号と304号がぶつかる交差点を一旦通り過ぎてから振り返って撮影したのがこの写真。

見ての通り、この交差点には“ほとんど何もない”。
信号も、青看も、横断歩道もない。
ただ、交差点のところに「主要地点」を示す案内標識があり、「氷見市 片畑」と書かれていた。片畑はここの小地名である。



それでは、県道70号の狭隘区間へ立ち入ってみよう。

「片畑」交差点から覗き込む県道70号は、どこにでもありそうな、白線のない、ぎりぎり2車線幅を確保した道路である。
さっそく県道70号のヘキサが立っており、確かにここが県道であること、それも主要地方道であることが表明されていた。
県道はこれから正面に見える小高い丘を越えていくことになる。

それにしても、70番台あたりの主要地方道って、こんな景色をよく見るね(苦笑)。
番号が大きな主要地方道は、だいたいが最近になって認定されたものであり、平成に入ってから認定された450号以降の国道に“酷道”が多いのと同じ理屈で、主要地方道らしからぬ“険道”であるケースが少なくない。

なお、右に見える大きな建物はJA氷見市余川支所で、写真外だがその右隣には旧余川小学校(平成18(2006)年閉校)がある。
いかにも小さな村の中心地っぽい雰囲気だが、昭和27(1952)年に氷見市の一部となるまで、明治22(1889)年から60年余りにわたって、ここには氷見郡余川村の役場があり、村の中心地だった。
道路元標でも残っていないかと、あたりを探してみたが、見つからなかった。



交差点から80mほどで鋭角な右カーブ。
正面は公民館の建物だが、選挙事務所になっていた。
この日はちょうど氷見市議会員選挙の投票日前日であったので、探索中行く先々で選挙カーの声を聞いた。

この辺りまでは、ストリートビューも入ってきている。
だが、この直後に現われる次の写真の交差点で、勇猛果敢で知られる“グーグルカー”は、撤退したようである。




12:17 《現在地》

グーグルカーのドライバーさん、ここで何を察したのだろうか?(笑)

確かに狭い。
道はここで3方向に分かれるのだが、中央の主要地方道が一等狭い。

狭いが、特に通行規制があるわけではないし(大型車規制とかもないが、物理的に無理を察しろということだろう)、ただ狭いだけだったら、主要地方道なんだし、普通に踏み込んで撮影するように思われる。
彼ら(グーグルカー)は私が見ても驚くような狭路にもしばしば立ち入って撮影しているのである。
そこに何か事情があったのか、単にドライバーの気まぐれだったのか、まったく分からないが、とにかくこの先は“未知”である。

未知の道。 そうでなかったら、わざわざ訪れなかったかも知れないから、これは私にとって重要な動機付けだ。




狭い。

さらに、減速を促すために描かれたであろう両側路肩の破線が、狭さを強調している。そのうえ舗装も悪い。ボロボロだ。

道路地図を見て、ここに主要地方道の存在を知って、初めて訪れたとする。

そのときこれを見て、なおも顔色一つ変えず突入できるドライバーは、少ないだろう。

普通なら、自分が正しい道を走っているのか不安になって、地図を見直すと思う。

大丈夫だ。これが主要地方道だ。県道70号万尾脇方線だ。




道路上に行き先が明示されていない中で、山へ入っていく。
狭路区間の始まりがちょうど集落の外れであったようで、いきなり結構急な上り坂で、ぐんぐん行く。
古い道ではあるかも知れないが、その古さは、いわゆる明治馬車道のような近代車道ではないと思う。
それよりもっと由来の古い、歩きや牛馬の道を、無理矢理車道化したような雰囲気だ。この狭さも含めてそう感じられる。

チェンジ後の画像は、振り返って撮影したものだ。
すぐそこに狭路区間の始まりが見える。
正面の広い空き地は、旧余川小学校の校庭だ。さらに向こうには、この県道の続きが2車線道路として横切っている。
この狭路と、向こうの2車線道路は、同じ県道に属しているが、もともとは無関係の道だったのだろう。主要地方道になるときに、複数の県道をツギハギにしたのだと思う。



狭路に入って100mほど進むと、分不相応に目立っていた路肩の白線群が消失し、道幅は変わらないので、舗装されただけの畦道みたいになった。

実際、道の片側には猫額の田畑が段々に連なっていて、この道の主要な利用目的を生んでいると思われる。
ちなみに今のところ対向車や追跡してくる車の姿は見られない。背にした集落からは盛んに選挙カーの声が追ってくるが、この道へは入ってこないだろう。きっと。

県道の“らしさ”であった白線はなくなったが、「富山県」のサイン入りデリニエータは健在で、十分すぎるくらいの頻度で設置されていた。腐っても主要地方道だ。
また、これは富山県の地域色でもあるのだが、デリニエータの一部には県道の路線番号付きヘキサが付けられていた。
電気牧柵と、ヘキサ付きデリニエータの取り合わせは、なかなかに長閑だ。



1車線ぎりぎりの主要地方道からは、余川集落の家並みを挟んだ間近のところに、高速かつ頻繁に車を行き来させている広域農道の姿がよく見えた。

同じようなことをいろいろなレポートで繰返し述べていると思うが、無色の道路と有色の道路の逆転した実態は、何度見てもワクワクするなぁ。
あっちを県道にするように路線を切り替えることについても、検討くらいはされたのだろうか。


12:25 《現在地》

最初は道の右側が山で、左に小さな谷と田畑が続いていたが、小さな切り通しを越えると位置関係が逆転して、右側に深い谷が現われた。

道は相変わらず狭いが、その狭さはどこにでもありそうな狭さで、特筆するようなものではない。
ただ、標識などで明示された待避所が全くなく、ときおり待避に使えそうな余地はあるが、落ち葉が溜っていて余り使われている様子がないので、とにかく通行量が少ないことが感じられた。
もし四輪車で走破するなら、対向車が来ないことを願いながら走るのが正解だろう。

地図を見ると、この写真のあたりは右の谷底に溜池があるようだが、森が鬱蒼としていて見通せなかった。
一連の狭隘区間は山越えであり、区間のほぼ中央(入口から1km地点)にピークがある。
そして既に500mくらい進んでいる。



さらに数分、狭い道を進んでいくと、突然森から出て空が広くなった。
勾配も緩くなり、鞍部というよりは高原のように解放的な峠の頂上が近づいていることが感じられた。

なお、地図を見ると、氷見市余川と同市柿谷(かきなや…ふりがなを振るのは2回目だが、難読なので)の境は、微妙に峠の頂上よりも“手前”にあり、要するにこの写真のあたりがそうであるらしい。

私を含めて峠が好きな人は、峠に箔を付ける要素の一つである“市町村境の有無”に着目することがあると思うが、この無名とみられる峠の場合、昭和28(1953)年までそうであった。 前述の通り、昭和27年に余川村が氷見町に合併し、同日に市制施行して氷見市が誕生したが、柿谷が属していた上庄村は、その翌年に氷見市と合併している。



12:29 《現在地》

大字の境からさらに100mほどで、峠に達した。

海抜は、65mくらいで、入口からの比高は55m前後だ。
海岸からわずか3.5kmのところでもあり、まあ可愛らしいものである。
乗りものの力を借りなくても、鼻歌交じりで越えられるような、可愛い峠。

峠の頂上はささやかな十字路になっていて、高い木もほとんど生えていないので、以前は開墾地だったような雰囲気。陽当たりの良い草地が広がっている。
スーパーマップルデジタルだと、峠の南東に「中央養鶏団地」の注記があるが、そちらへ入っていく道の雰囲気的に、現役の施設ではなさそうだった。
また、電信柱がこの峠を越えており、一応はライフラインの一端を担っているようだった。




――「ミニレポ」らしい、地味な展開。

あとは、登ってきたのと同じように反対側を下って終わりだと、

そう思ったのなら――

甘い。


この峠の下りは、凄かったんだからッ!




峠を外れると……


はじめ、ゆるゆる、ゆるゆると下りはじめて……

………

……



おっ おっ?

これは…?



急降下ッッ!!!

使い古された表現かもだが、ジェットコースターみたいな道ッ!


すげぇ、つんのめった景色だぜ!!



すごいなこれ。

直線的な坂道。
10パーセントを超えるような急さ。
道幅がとても狭いこと。
路面のボロさ。
道路の進行方向に突き抜けまくった大展望。

こんないろいろな要素が複合して、オンリーワンと思える主地(私は主要地方道をこう略す)の風景を形作っていた。

坂道好きに問いたい。 この坂道は、いい坂道だと思わないか?



地図を見ると、確かに直線だった。
長さは450mくらいもあり、高低差は約40m。
ようするに、峠の柿谷側坂道の大半が、この1本の直線に集約している。

ただ、実際はこの地図ほどに綺麗な直線ではなく、
微妙にぐらついたような、手作り感のある直線(?)だ。
また、勾配も一様ではなく、関数グラフ的でもない。
こっちも微妙にぐらぐらした、複雑な勾配を描いている。


興奮しながら、こんな滑り台みたいな坂道を見下ろしていたら……


いーのーしーしー。

ウリと大人の真ん中くらいの3匹が、左から右へ足早に道を横断していったぞw


……長閑だなぁ。


動画もご覧いただこう。

動画といっても走行のない単なる風景動画だが、この地の奥行きの深い空気感が伝わると思う。
風に乗ってよく聞こえるのは、どこかを走っている選挙カーのスピーカーだ。すべて世は事もなし。



堰を切ったように下る!

一瞬で加速し、激しく車体がグラついた。速度を出して下るような路面じゃないのだ、この舗装路は。
途中でまた見つけたデリニエータのヘキサ。撮影のため急停車を試みたら、ブレーキディスクが過熱して、ぎぃぎぃ鳴いた。

直線といえば精密な測量をイメージするが、この坂道が直線“ぎみ”なのは、もっと素朴な理論に拠っていそうだ。
車のことなんて考えてなかったのに、現代の自動車の性能が高まったことで、こんな坂道も走れるようになったから車道化したんだろう。
主要地方道だからね、これでも。侮るなよ!(笑)



12:32 《現在地》

もう一回ブレーキペダルを緩めたら、数秒でまたワープ。
ここは、約400m続く直線の坂道のちょうど中間付近なのだが、路傍の民家が現われると同時に、道幅が1.5車線程度まで広がった。
余川集落の最後の一軒の前から始まった狭隘区間は、この柿谷集落の最後の一軒で終わりということらしい。
人が住んでいる所の道を良くしようという道路業界の“鉄則”は、ここでも確かに息づいていた。




振り返るとこんな感じ。

実際は地図に描かれているほどの直線ではないことが分かると思うが、それでも“直線的な坂道”である。
この程度の峠越えならば、迂遠せず最短距離で超えていこうという、古き健脚者の理論を感じた。
特に幅員減少などの標識類もなく、無造作な感じで1車線に狭まるのも、投げやりな感じで好きだ(笑)。



直線坂道の後半部分は、柿谷集落を走り抜けていく。
道幅はぎりぎり2車線分くらいある。集落内の拡幅を行った勢いで、峠まで拡幅しようとはならなかったらしい。

私が坂に身を任せて下って行くと、逆方向から凄い勢いで郵便バイクが上ってきて、建ち並ぶ一軒へと迷いなく入っていった。
遠くないどこかからは相変わらず選挙カーの声が聞こえてきている。
ここはもう、ほんの少し前に見下ろしていた下界だった。




集落の出口に差し掛かると、また道幅は1.5車線くらいまで狭まり、カーブしながら最後の下りを駆け抜けて、広大な田園へ解き放たれていく。
田の緑がもし青ければ、大きな海の入り江を思わせる景色である。

この先は、右に左に何度か曲がりながら、1.5車線の道路が続く。
そして、集落出口から500mほどで、約2.1km続いた一連の狭隘区間の出口へ達する。



12:34 《現在地》

この信号のない十字路で、狭隘区間は終わり。
県道同士の交差点なのに、県道70号の側には案内標識の類は全くない。
クロスする道は県道303号柿谷池田線で、左折して進むと氷見市の中心市街地へ達する。
相手は格下の一般県道なのに、主要地方道であるこちら側にだけ一時停止の義務が課せられている。

県道70号は直進で、起点の万尾まであと6.5kmといったところである。ここからは再び2車線になり、狭隘区間の入口以来久々に目にするヘキサが主張していた。1km先で国道415号と交差するのだが、その青看までここから見通すことができた。
ストリートビューもここからトレースを再開しているので、私の旅はここまでで良いだろう。




写真は、県道303号の氷見市街側から撮影した、同交差点とそこに立つ青看だ。

青看は、県道70号のいま通ってきた「余川」側の道を、錐の先みたいに狭く描いている(直進方向も)。
普通に描かれている「万尾」側とは対称的だ。
しかし、青看があるだけマシである。
余川側の狭隘区間入口には、青看さえなかったのだから。
また、ここにも主要地点を示す標識があり、「柿谷」と書かれていた。

ちなみに、一連の探索に要した時間は、わずか20分である。可愛い峠だった。
最後に、今回の【ハイライトシーン】を思い出しながら、あの峠を振り返って終わりにしよう。




……なんか、峠のあたりに、

とんでもないものが

見えるんだが…。



べた踏み坂!

しかも、主要地方道。ウケる。大好き!






ミニ机上調査編 〜主要地方道万尾脇方線の歴史〜

今回も机上調査を試みたが、さほど多くの情報は得られなかった。

右図は、昭和60(1985)年と昭和28(1953)年の地形図の比較である。

昭和60年版には、現在の県道70号に相当するルートが、様々な太さで描かれている。
全線にわたって既に車道ではあったようだが、今回探索した余川〜柿谷間は、中でも一番狭い「軽車道」の記号で描かれており、現在と同様の狭路であった事が伺える。
また、例の峠の頂上付近には、厩舎を思わせる大きめの建物が建ち並んでいる。
これが、在りし日の「中央養鶏団地」と思われる。同施設が健在だった時代には、出荷や飼料の搬入などで、いまより遙かに頻繁な交通があったのではなかろうか。
なお、並行する広域農道はまだ貫通していないが、昭和62年の航空写真では開通している。(むしろ広域農道がこっちを通ってあげたら良かったのに…)

対する昭和28年の地形図では、同じ位置に峠越えの道は見えるが、点線の「小径」として表現されており、とても自動車が通れるようには見えない。

この峠が越える稜線は、富山湾のすぐ近くにまで延びていて、氷見市の中心部にも迫っている。
氷見が地方都市として育っていく過程においては、このあたりを通る郊外環状道路の必要性が議論されるのは当然だろう。
そうした目的から県道が認定され、整備を期待されものと想像する。



右図は、平成5(1993)年版の『富山県広域道路地図』(大阪人文社刊)の一部である。

この地図では、今回探索した狭隘区間が、県道310号余川万尾線として表記されている。
これは現在の県道70号万尾脇月線の起点側おおよそ3分の1からなる路線であった。

さらに調べてみると、現行道路法下ではじめてこの峠道が県道に認定されたのは、昭和35(1960)年であることが分かった。
県道248号余川飯久保線として、昭和35年4月23日に認定を受けており、これは富山県の一般県道認定第1弾に含まれていた。
その後、昭和52(1977)年になって終点が変更となり、路線名も上記に登場した余川万尾線に変わっている。

ここまでは一般県道だったが、主要地方道への昇格は平成5(1993)年である。
平成5年5月11日、県道余川万尾線をはじめとする7本の県道の一部ないし全部を切り接ぎする形で、氷見市の北部から西部にかけて半周する環状路線である県道70号万尾宇波線が認定され、同日主要地方道に指定されている。

現在とは路線名が違っているが、平成24(2012)年に能越自動車灘浦ICの関連道路として本県道のバイパスが建設され、そちらに県道の認定が移った結果、終点が200mほど移動。終点の地名に合わせて路線名も変更され、県道70号万尾脇月線として現在に至っている。




『富山県統計書 昭和13年 第1編 土地・戸口・其他』より転載

『富山縣管内圖』より転載

さらに、現行道路法認定以前の状況も調べてみた。
ここに掲載した2枚の地図は、大正13(1924)年11月に発行された『富山縣管内圖』と、昭和15〜17年に発行された『富山県統計書 昭和13年 第1編 土地・戸口・其他』である。
2枚とも旧道路法時代の地図だ。

前者は、県道を実線として描いている。これを見ると、現在の県道70号万尾脇方線の南北両端側の区間が、当時既に県道であったことが分かる。
しかし、今回探索区間は描かれておらず、県道ではなかったことが明らかだ。

後者は、もう少し詳細な地図であり、県道を実線で描いているほか、市町村道が破線で描かれている。
こちらでは、現在の県道70号のルートの北端側区間が県道になっているが、それ以外の大半は、市町村道として描かれている。
そして、今回探索した区間も、市町村道になっている。

今回探索した余川〜柿谷間の峠道は、旧道路法時代を通じて県道ではなかった可能性が高く、現行道路法下で初めて県道に認定されたものと推測する。




『氷見市都市計画マスタープラン』より転載

県道認定から少なくとも半世紀以上を経過しているにもかかわらず、狭隘なまま取り残されている余川〜柿谷間の今後の見通しについて、最後に。

この区間が今まで十分に整備されてこなかった最大の原因は、おそらく、並行する広域農道の整備に先行を許したことであると思う。
現在では広域農道に加えて、能越自動車という新たな並行路線まで完成している。
もはや、この県道に対する新たな大規模投資(大規模拡幅や新道整備)が行われることは期待できないのだろうか。

右図は、氷見市が平成17(2005)年3月に公表した「氷見市都市計画マスタープラン」に掲載されている、「北部地域整備方針図」である。

これを見ると、現在の県道万尾脇月線のルートの大半が、このエリアの中央を縦断する赤いラインとして描かれている。
凡例によるとこのラインは「循環の軸」を表わしているとのことであり、また「市内外環状道路の整備」という注記も見られる。

よく見ると、この「循環の軸」ないし「市内外環状道路」とされるルートは、現在の県道のように「上余川」から「余川」へ迂回することなく、そのまま南方へ山を越えて国道415号に最短で接続するように描かれている。
現在この区間に道らしい道はないが、ここに整備される新道は、現在の狭隘な県道に替る可能性がありそうだ。
あるいは、主要地方道の指定を受けた段階で、このような構想が存在していたのかも知れない。

現行マスタープランの計画期間は、平成17年から平成37年までの20年間であり、もうあと7年くらいしか残っていない。
この新道構想は、伸展しているのだろうか。



完結。


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