ミニレポ第244回  東名千福橋 前編

所在地 静岡県裾野市
探索日 2019.02.11
公開日 2019.03.12

撤去を待つ、利用実績なき跨道橋


先日、あるニュース記事を目にした。
平成31(2019)年1月31日付けの静岡新聞より、『東名の跨道橋、撤去へ 中日本高速が裾野市と協定』(URL)だ。
その本文を以下に引用する。

東名の跨道橋、撤去へ 中日本高速が裾野市と協定 (2019/1/31 07:37)

 裾野市と中日本高速道路は30日、東名高速道に架かる市内の跨道橋撤去に向けた基本協定を締結した。橋の撤去を促進するため2015年度に設けた国の交付金制度を活用し、19年度から撤去工事に着手する。同制度を活用して橋の撤去を行うのは東名高速道で初めて。
 撤去するのは1968年に完成した東名千福橋。長さ51・3メートル、幅3・7メートルで、現在は閉鎖している。市は14年度、東名高速道に架かる市内6カ所の跨道橋の点検を実施。東名千福橋は、橋へのアクセス道がなく利用実績が皆無なため撤去の方針が決まった。
 事業費は交付金制度を活用し、国37%、中日本高速33%、市30%の割合で負担する。撤去工事は19年度に着手し、橋本体の作業は20年度に実施する見通し。東名高速道の周辺区間を夜間通行止めにし、橋を切断し、撤去する。
 市役所で行われた締結式で、中日本高速道路御殿場保全・サービスセンターの山崎富士夫所長は「跨道橋撤去に向けた作業を着実に進めたい」とあいさつ。高村謙二裾野市長は「利用実績のない橋は撤去の判断をしていかないといけない」と話した。
静岡新聞ニュース(2019.1.31付け)より

今回はタイムリーにこのニュースを目にしたが、おそらく全国各地で同様のことが今後は増えていくことと思われる。
私も高速道路を跨ぐ跨道橋の中には、ほとんど使われているように見えない橋を多く目にしており、いずれ老朽化したときにどうするのか、気になっていた。
今回、裾野市は架け替えや補修ではなく、撤去を決めたということらしい。

この記事に出ている東名千福橋という橋を私は知らないし、渡ったことももちろんなかったが、間違いなく潜ったことだけはあるはずだった。私だけでなく、東名高速を利用した経験を持つ人の多くが、この橋を一瞬は目にしていると思われる。誰も覚えていないと言うだけで。

それにしても、「橋へのアクセス道がなく利用実績が皆無」というのは、とても刺激的な文言だ。
昭和43(1968)年の完成と書いてあるが、裾野市内の東名高速道路が完成したのは昭和44年3月31日(御殿場〜富士IC間開通)のことだから、長い東名高速の歴史を見てきたに違いない。それにもかかわらず、橋へのアクセス道路無し利用実績皆も皆無というのは、インパクトがある。
かつて探索した仙台市の東北自動車道を跨ぐ青葉山橋を思い出させるが、もしかしたら同じような未成道なのかもしれない。
これは気になる。

というわけで、探し出して行ってみたのが、今回の記事だ。
なお、記事には橋の詳しい位置は書かれていなかったが、橋名にある千福という地名から裾野市千福(せんぶく)地区にあたりをつけて地図上で捜索すると、東名高速を渡る跨道橋は1本しかなかったので、すぐに見当を付けることができた。

【周辺図(マピオン)】

右図は、東名千福橋とみられる橋の周辺の地図(スーパーマップルデジタルver.18と地理院地図)だ。
どちらの地図にも橋が描かれており、橋にアクセスする道も、細いが一応は描かれている。
記事では「アクセス道がなく」とあったが、地図に描かれている道は実在しないというのだろうか。
また、後者の地図には「千福橋」という橋名も書かれていた。

アクセス道路の件はさておくとしても、橋が頻繁な利用実績を期待するのは確かに難しそうな立地に見える。
地図からは、なんのためにこの橋を使えばいいのかが見えてこない。
極めてローカルは目的のために架けられた橋なのだろうということが想像できた。


記事の通りに進展すれば2020年度にも撤去されようとしている、末期の橋の姿を見よ!






2019/2/11 12:54 《現在地》

あれだな。

近くに車を駐めて自転車で出発した私の目に、1本の跨道橋が映った。

ここは裾野市御宿(みしゅく)の東名高速に沿った市道上だ。
この辺りの東名高速は、富士山の裾野から駿河湾へと下って行く長い長い坂道の途中である。
何かドライバーに強い印象を与える車窓が近くにあると場所を説明をしやすいが、特にはない。
私自身、この辺りの東名高速を道路の外から眺めるのは、これが初めての体験だった。
高速道路はほぼ一定の勾配を維持しているが、地表は案外起伏が激しく、写真からもそれが感じられると思う。



東名千福橋は、高速が分断している小さな山の稜線を繋いでいる。
このことは地図上からも読み取れたが、実際の風景からもそのことがよく分かった。
総体として前方の地面が低いため、ここから見ると橋の姿は空に切り抜かれたシルエットのように際立っていた。

この景色の中では十分に目立っている橋だったが、東名の車窓からこの橋を眺めた記憶はなかった。
それが、この橋の持つ存在感だったのだろう。




12:55 《現在地》

さらに橋へ近づこうとすると、それまで高速道路の側道的な位置に納まっていた足元の市道は、地表に刻まれた谷へ引きずり込まれるように下ってしまい、結局はこの写真のように、目指す橋との間に大きな高低差を押しつけられる形となった。

右に見える築堤(大量に植樹されていてまるで森のようだ)の上にあるのが東名高速で、谷を分断している。
進行方向には小山を割る深い切り通しがあり、切り通しを跨ぐ位置に架かっているのが、目指す東名千福橋である。ここからも見えている。




上の写真の高速築堤沿いの道の突き当たりが、右の写真だ。

地図を見ると、道はここで二手に分かれており、目指す橋への道は直進ということになるが、そこには車が何台も駐車していて、明らかに車が通り抜けられる道が続いているようには見えなかった。
そればかりか……




立ち入ること自体が、憚られる状況であった。

橋へ続く直進の道があるべき場所は、建設機材置き場のようになっていて、私有地感満載である。入口には「防犯カメラ作動中」の看板と共に、実際にカメラらしきものも見えていた。
そのうえ、資材置き場の向こうにあるべき道も、まるで見えなかった。

地図には、実線で、狭くとも車道であるかのように描かれている道が、実在しないということに戸惑いを覚えた。
これが新聞記事にあった、「橋へのアクセス道がなく」という状況なのか。
確かにその通りだと言わざるを得ない……。



さて、困ったぞ。

地理院地図は、高速の反対側にも橋へ通じる徒歩道があるように描いてあったが(スーパーマップルはこの道を描いていないし、後に発覚したのは、やはり存在しない道だということだった)、そちらへ回ってみようかと考えながら周辺を観察するうちに、地図にはない道が見つかった。

上の写真の地点から100mほど東から、橋のある山へ入れそうだった。
地図には全く描かれていない道だが、とりあえず立ち入り禁止などの表示は出ていない。
この道に賭けてみることにした。




地図にない道に少し入ると、もの凄い急坂になった。
軽トラのものらしい轍がなおも続いていたが、道形といえるようなものはほとんどない。ただ斜面に轍だけがあった。
周りは下草の全くない疎林で、明らかに自然のままの森林ではなく、かつ公開されている公園でもない。誰かの庭に入り込んでいるのかも知れなかった。

道の素性は知れなかったが、この急登の轍は、着実に私を目的地の近隣まで運んでくれた。




轍が最終的に辿り着いたのは、高速の大きな掘り割りの縁に設けられた小さな平場だった。畑の跡かも知れない。
そして、この場所こそは、地図に描かれている道の在処であり、目指す橋の袂であった。

このとき、しばらく視界から消えていた東名千福橋の金網のような高欄が、笹藪の上を破って現われた。
ほとんど目線と変わらぬ高さだ。凄く近いぞ!




改めて、地図にはあって、実際には見つけられなかった道を、振り返る。

黄色い破線が、地図上の道の位置だ。
こうして上から見ると、確かに浅い掘り割りのような場所があって道にも見えるが、中には集水用の大きなU字溝が埋め込まれていて、やっぱり道というよりはただの溝なのである。当然、轍なんてあるはずもない。下は監視カメラのおまけ付きである。

桃色の実線が、私が辿ってきた道なき轍だ。
しかし、轍はここで終わっていた。

……さて、橋へ向き直って、最後の前進だ。





13:00 《現在地》

キタッ!

これが、利用実績皆無と断じられ、今はただ撤去を待つに至った、橋の姿。

記事にも書かれていたと思うが、橋は封鎖されていた。そして橋の前の道の状況は、利用の多寡を如実に物語っていた。



ここにあるのは、東名高速道路である。

おそらく、この現代日本でいちばん多く働いてきた道だ。

ほんの数年前に平行する新東名高速が開通したことで、誕生以来初めて少しだけのゆとりを得るに至った、この国の大動脈。

東名千福橋は、この場所で最初から見守っていたが、先に逝こうとしている。



橋の姿は、なんら特別を感じさせなかった。
高速道路の跨道橋としては、今も昔も最もありふれているルックスだ。
コンクリート方杖ラーメンという型式であり、これは小規模な高速跨道橋の大定番なのである。

しかし、昭和43(1968)年完成とは、わが国にある全ての高速跨道橋を古い方から全て数えた場合、おそらく最初の5%に入る代物だろう。
同じだけの時を刻んできた東名高速の路面が、弛まぬ補修の成果として僅かの綻びも見せていないことと比較すると、
その上に架け渡された本橋の老朽ぶりは、素人目にも感じられた。その気になれば交換できそうな欄干の錆びはおくとしても、
橋の心臓部にあたる橋脚に削れたような凹みがあることは、もともと太い橋脚ではないだけに、不穏さを感じさせるものがあった。
欠けた破片一つを落としただけでもどんな大惨事になるか分からない、通常の河川に架かるものとは別次元にクリティカルな立地なのだ。



 この橋は、老朽化のため早期処置対象となりました。
現在、撤去について検討中です。利用状況の把握及び
安全を考慮し、通行止めといたしました。
ご不便をお掛けしますが、ご協力をお願いします。
  ・お問い合わせ先 裾野市建設部建設管理課 道路保全対策室

橋を塞ぐ工事用フェンスに掲げられた、裾野市が設置した看板の内容は、上記の通り。
1行目の「早期処置対象」という文言が、なんだか怖い。処されちゃうのか……。お前が欲したんじゃないのか、この橋を。
市の看板がある以上、この橋は市道に認定されている可能性大と考えたが、実際そうであることが後の机上調査で判明している。なお、裾野市の市制施行は昭和46(1971)年で、本橋架設当時は裾野町。

また、看板の内容的に、設置されたのは、私が探索のきっかけとした撤去決定のニュース(2019年1月31日)よりも前である可能性大だ。看板では「撤去について検討中」となっていた。しかし、通行止めとする理由の一つを、「利用状況の把握」と述べているのは、欺瞞的だと感じてしまう。塞がれた橋でどうやって利用状況を把握するというのか、解放しておいてトレイルカメラでも設置するのが筋だろう。
……なんて書いたところで、まあ本心では分かってるんだけどね。この橋の利用者が極端に少なかっただろうことはね……。
というわけで、「ご不便をお掛け」する相手もほとんどいないことを知っての看板設置だったろう。下手したら、関係者以外でこの看板を目にしたのは私が初めてだったりして(苦笑)。



余命僅かの廃橋。

渡らなくても、見通せた。

だがそれでも渡りたいと思ってしまうのは、オブローダーの性だろう。

刻まねばならない。お前を、愛する者の、足跡を。



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