今回の旧道の規模を考えると、それが最近のものであるとしても、工事に関する広報的な記録をネットの海から見つけ出すのは難しいと予想したが、案の定、今のところ発見に至っていない。工事に関する直接的資料として紹介できるものは全くない。
とはいえ、奇抜な現状に至る経過は誰もが気になるところだと思うので、いつものように歴代地形図や航空写真を駆使して、調べてみた。
| @ 地理院地図(最新) |
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|---|---|
| A 平成6(1994)年 | |
| B 昭和48(1973)年 | |
| C 昭和21(1946)年 | |
| D 大正6(1917)年 |
@.地理院地図は本編でも見ているとおり。これを基準に遡って変化を見ていく。
A.平成6(1994)年版は、国道の位置に@との違いは全く見えないが、後ほど航空写真で確認すると分かる通り、この時点では旧道……すなわち今回探索した海側の2車線だけが使われていた。
だが縮尺上の限界か、この変化を@で反映することは出来なかったようだ。長さが300m以上もあるのに、地形図からは存在を読み取れない旧道であり廃道になった。
B.昭和48(1973)年版である。今回探索の内容的には@とAの比較だけで完結しているのだが、それ以前の変化も折角なので見ていこう。
国道のルートが今と違っている。特に長内川を渡る橋の位置が大きく内陸側に寄っている。これは@の現道から見た旧旧道である。そしてこの旧旧道敷、現道の用地として一部は再利用されている。また、砂浜を埋め立てる直線的な「工事中の道路」が表現されている。これがAに描かれている国道だ。ちょっと直線は強調されすぎているが。
C.昭和21(1946)年版は、Bのルートの南側半分が別ルートになっており、いわば旧旧旧道といえる存在があった事が分かる。
そして逆にC→@と辿ってみると、この旧旧旧道は現在も軽車道の表現で丘の上に存在していることも分かる。
D.大正6(1917)年版は、この地に最低限度の車道もなかった状況を窺わせる表現になっている。石崎の集落だけが、当時からずっとそこにあり続けている。
@〜Dの変化を総括すると、初期の車道は海岸ではなく丘の上にあったが、後に海岸線に降り、さらに海岸の堤防工事を進めることで限界まで波打ち際の近くを通るようになった。
だが今はそこから2車線分だけ陸側に引っ込んで、同時に盛土をすることで高さを多少確保し直しているといったところだろう。
続いて航空写真だが、今回はシンプルに新旧2枚の比較である。
チェンジ前の画像が平成16(2004)年版で、今回探索した通り、まるで4車線道路のように現道と旧道が海岸線に並行している。
この図でも、現地で探索していない旧旧道や旧旧旧道が、先ほど旧地形図のBやCで見た通り、各所に痕跡を留めていることが分かる。
何の変哲もない海沿いの快走路である。旧旧道については既に痕跡程度だが、丘の上の旧旧旧道は、結構鮮明である。
次に、ここまで地形図と航空写真で見てきた歴代の道が、どのような経過の中で更新されてきたかという路線史を見てみよう。
とはいえ、この石崎地区個別の事情についてはほとんど全く情報がないので、松前半島を巡って函館市と江差町を結ぶ国道228号および、その前身となった路線の全体史から、周辺の事情を取り上げることにする。
この道路の整備史は、北海道道路史調査会が平成2(1990)年に発行した『北海道道路史(全3巻)』や、北海道開発局函館開発建設部が平成6(1994)年に発行した『道南のみち:歴史を刻んで』にまとめられている。

北海道南西端の松前半島を巡る国道228号の前身は、近世に松前街道と呼ばれていた道で、函館から松前城下の福山までと、そこからさらに北上して上ノ国を通って江差に至る区間に大きく分けられる。だが後者には石崎の南に小砂子(ちいさご)山道と呼ばれた最大の難所があって、上ノ国と松前を隔てていた。この区間に辛うじて自動車が通れる道が出来たのは、昭和の初期である。
昭和5(1930)年に小砂子山道の開鑿工事が始められ、9年に完成、13年に江差〜松前間に1日2往復の乗合バスの運行が開始されたというから、この時点で石崎に車道が通じたことになろうし、これは冒頭の地形図ではCに描かれていた丘の上の道(旧旧旧道)であろう。
路線名としては、大正9(1920)年から昭和10(1935)年までは準地方費道福山江差線、その後昭和28(1953)年までは地方費道江差福山線と呼ばれた。
昭和28年に二級国道228号函館江差線に指定されると、北海道開発局直轄として本格的な道路整備が全線にわたって進められるようになる。
とはいえここでも今回探索区間が目立つことはなく、唯一、昭和47(1972)年に長内橋が架け替えられたという記録がある(『道南のみち』)くらいだ。
この頃に地形図Bの旧旧道から、地形図Aの旧道へバトンタッチしたものと思われる。
国道228号最大の難所であった小砂子には、昭和61(1986)年に小砂子トンネルを含む現道が完成し、またそれまで内陸部に迂回して山越えをしていた北海道南端の白神岬にも昭和43(1968)年に海岸沿いの現道が完成した。これらの難所の解消によって本国道は一次改築を完成し、道南の海岸幹線としての面目を一新するとともに、「日本海追分ソーランライン」の愛称を有する広域観光ルートとしても賑わうようになった。
このような整備段階に至って、具体的には平成5年〜16年の期間内のどこかで、今回探索を行ったミニ旧道が誕生した。
それは、2車線の道路を廃止して、すぐ隣に同じ距離の2車線道路を整備しなおすという、こう書いただけでは意味が分からない二次改築である。
事業名称や目的について言及した資料は見当らないが(北海道新聞のバックナンバーも調べたが見当らず)、道路の現状を見る限り、目的はまず間違いなく、嵩上げによる越波対策であろう。
なお、平成5(1993)年に発生して道南一帯に大きな津波被害をもたらした北海道南西沖地震の影響も考えたが、被害調査資料によると、当区間の道路に直接の被害はなかった模様であり、また地震後の地盤の沈降も大きくはなかったようだから、震災の復旧事業ではなかったと思う(巨大津波に耐えられるほどの嵩上げもされていない)。
旧道と現道が隣接しているのも珍しい特徴だが、こうなった理由も想像することは簡単で、出来るだけ旧道の通行を確保した状態で工事を進める目的があったかと思う。
旧道をそのまま嵩上げするよりも交通への支障が少ないし、またいくらかでも山側に道路を移すことで、旧道敷を波避けのワンクッションとして使えることもメリットかもしれない。
また、海岸線かつ旧旧道敷を再利用できるという、土地の入手がさほど難しい条件ではなかったことも、このように土地を贅沢に使った道路付け替えの背景ではないだろうか。
上ノ国町議会で、本区間道路の問題が議論されていた 2025/12/24追記
文献調査に日ごろ協力をしてくださっているるくす@lux_0氏が、上ノ国町議会の会議録から、令和3(2021)年と同5年に今回探索区間に関係がある議論がなされていることを見つけて下さったので、紹介しよう。
これを読むと、この区間の道路が抱える大きな問題の正体がはっきり分かる。
- 【質問】 花田英一議員
- 国道228号線の長内橋から石崎の入口までは、台風や発達した低気圧、特に冬場の強い季節風によって大時化になり、通行する車が見えなくなるような波を受け、フロントガラスに石が飛んで来て、大変危険な思いをして運転している状況であります。国道でありますので、道路や橋のルート変更をすることは、大変なこととは思われますが、国に対応策を要請してはいかがか、お伺いいたします。
- 【答弁】 町長
- この国道区間は、これまでも越波対策のため道路の線形改良を行いましたが、大時化の時には、未だに道路上へ波の飛沫が降りかかることが多くなっていることから、国道228号を管理する函館開発建設部江差道路事務所へ報告しております。江差道路事務所では、実態を把握するため調査を行っていると伺っておりますので、早急に対策を講ずるよう要望してまいりたいと存じます。
- 【再質問】 花田英一議員
- 例えば、一時補給でもいいからあの周辺に波消しブロックを設置して波を食い止めると。我々は単純にそう思うんだけど、どう思いますか。
- 【答弁】 町長
- 本来は1回、道路を寄せて消波ブロックを設置しています。そこにはちょうど長内橋がありますので、橋をよけるとなると結構な事業量になるので、すぐにはできないとは思うんですけども、今言った消波ブロックを置くような対策でもいいので、早期にやってほしいと要望してまいりたいと考えております。
「この国道区間は、これまでの越波対策のために道路の線形改良を行いましたが」とあることで、本編中に推理した“越波対策”という道路の付け替えと嵩上げの目的が確かであったと裏付けられた。
しかし想定外だったのは、「台風や発達した低気圧、特に冬場の強い季節風によって大時化になり、通行する車が見えなくなるような波を受け、フロントガラスに石が飛んで来て、大変危険な思いをして運転している状況」とあるように、付け替え後も越波問題は解決していなかったことである。
私はここに書かれているような大時化の国道228号を経験したことはないが、「フロントガラスに石が飛んでくる」というのは確かに由々しき事態である。
同じ日本海でも遠く離れた佐渡島での経験ではあるが、右写真のような道路標識が設置されているのを見たことがあるので、冬の日本海が時として海底の岩塊を“落石”に変えてドライバーにぶつけてくるほどの暴威を見せる事への真実味は感じているところだ。
あるいは、冬場にここで沢山見られるライブカメラ映像を見ると、確かにヤバそうな海が写っていることも良くある。
国道228号は海岸沿いの区間が多い道路だが、今回探索個所は、その中でも特に越波による問題が顕在化していた場所なのだろう。
だからこそ、一次改良済みの道路をすぐ隣に嵩上げするような、異例の対策を平成時代に行ったのであろう。
だが、その対策ではまだ不足だったらしい。
上記の議論は令和3年のものであったが、さらに2年後の令和5(2023)9月定例会でも、同じ質問者と町長の間でこの問題が答弁されている。内容としては、早急に対策してほしいという要望に対して、引続き開発局に要請を続けるという答弁であった。
町としては、現在より沖合に波消しブロックを追加するか、道路沿いに新たに防風柵を設置するか、どちらかの対策を要請しているが、前者は工費的に難しく後者になりそうだという内容もあった。
町議会での収穫は以上であったが、こちらの資料により、令和7(2025)年4月24日に、「一般国道228号 上ノ国町 石崎越波対策詳細設計業務」という事業が開発局とコンサル会社の間で契約されていることが分かった。
その詳細な内容はこちらで、「越波防止柵」「仮設道路」「海岸施設」「工事用道路」などの詳細設計が行われるようだ。
今後、上ノ国町が要望する越波対策が追加で実施される方向に話は向かっているようである。
場合によっては新たな「仮設道路」や「工事用道路」の設置で、今の不思議な4車線モドキの道路風景が、さらに面白いものへと変化する可能性もある。
ひきつづき変化を見守っていきたい。
官報に道路区域の変更が掲載されていた 2025/12/25追記
レポート公開後、平成11(1999)年11月4日の官報に今回探索した区間の道路区域の変更(リンク)が掲載されているとの情報提供があった。
告示 建設省告示 第1914号 (略) 三 (一)道路の種類 一般国道 (二)路線名 228号 (三)道路の区域
| 区間 | 変更前後別敷地の幅員 | 延長 | ||
| 前 | 後 | 前 | 後 | |
| 北海道檜山郡上ノ国町字石崎390番三地先から同町字石崎551番四まで | 16.0〜25.50m | 23.0〜53.50m | 455m | 455m |
この道路区域の変更内容は、なかなかに特徴的だ。
まず、変更の前後で道路の延長が455mのまま全く変化していない。
しかし、これこそが今回探索区間の実態を表わしているのである。
その一方で、道路敷地の幅は倍近くに広がっている。
これはあくまでも道路敷地幅であり、いわゆる路面の幅だけでなく、道路に附属する法面など道路用地全体の幅ではあるのだが、長さが変わらず幅だけが変化していることや、全体的な広さから、まるで廃道のように放置されている今回探索の旧道部分も、道路法的には今なお国道228号の一部であることが窺える。
この情報をもとにさらに調べを進めたところ、翌平成12(2000)年12月8日の官報に同区間の供用開始の公示(リンク)を発見した。
これにより、今回探索区間の現道への切り替えが平成12年12月8日であったことが判明したのである。
知りたかった情報がまた一つ判明し、これで今回探索区間の机上調査はほぼ完成したといえると思う。
以上である。
皆さまもぜひ気軽に訪れてみてほしい。かなり楽しいよ。