ミニレポート第301回 国道228号 石崎海岸のミニ旧道

所在地 北海道上ノ国町
探索日 2022.10.28
公開日 2025.12.23

 ちょっと楽しい?! いつわりの4車線


2022/10/28 16:36 《広域地図(マピオン)》《現在地》

ここは北海道の松前半島を巡る国道228号のワンシーン。
江差町と松前町に挟まれた上ノ国町の石崎という漁港の近くだ。
写真の方向(南)にあと1kmも進めば石崎集落である。

これから紹介する旧道は、このサイクリング中に偶然遭遇したものである。
晩秋の既に日も暮れようという時間に繰り広げられた、小さな探索に、ちょっとだけお付き合いください。



丘の上から海岸へと下って行く国道に、長内橋という橋が架かっている。
写真はその上で撮影しており、前方に早くも今回のターゲットである旧道が、見え始めている。



ここから、旧道が始まっている。

左にあるのが現道で、そこから右に旧道が分かれているのである。

この時点でちょっとは違和感があると思うが、この旧道は少し(だいぶ?)変わっている。



16:37 《現在地》

ここにあるものは、よく見る2車線の旧道……というか分岐部分が完全に現道側のガードロープで塞がれていたので廃道……なのだが、

ちょっと普通ではないくらい、現道にきっちりと寄り添っている!!

違和感というのはそれだけなのだが、それだけの違和感がとても大きい景色の違和感になっている。

今いる場所が旧道であると知らなければ(そんな状況は生じ得ないが…)、

中央分離帯がある4車線の道路に見えそう。

(草臥れた路面状況的にちょっと厳しい?w)



新旧道の分岐部分を振り返ると、まだすぐそこにあるそれは、ご覧の通り。

旧道が、わずかな高低差で上位にある現道に、進路を争奪されて、上書きされて終わっている。

もしここにガードロープがなかったら、旧道側にたくさん車が迷い込んできそうである(笑)。



面白いのは、この疑似4車線道路的な新旧道並走状態が、カーブ一つどころではない長さにわたって継続することである。
進むにつれて両者の高度差は少しだけ増えるが、4車線道路に見えないほど離れはしないという、絶妙な並走感をキープする。



廃道であろう旧道だが、全体的に路面状態が保たれており、自転車はおろか、もし入れるなら自動車でも走行は可能だろう。

ただし、この写真の場所の1個所だけ、旧道の路面を横断するように蓋のされていない排水溝が設置されていて、路面が分断されている。
が、これも普通のU字溝のサイズなので、タイヤを直交させて乗り越えることは可能。(速度を出してると吹っ飛ぶかも…)



見よ! この異様なる通行風景を!

国道の路上を、道幅いっぱいにフラフラしながら自転車を運転しても、ここなら良いのである!
私のためだけに使われている立派な2車線道路を尻目に、傍らの2車線道路を上下両方向の車が行き交っているのが、まるで世界から隔絶しているようで面白い。

なお、このフラフラの理由の一つは風である。
強烈な海風が常時路上に吹き込んでくる。
それも当然で、路肩は直ちに海面である。その海上には波除けブロックが路面よりも辛うじて高く積まれているが、ひとたび日本海の時化が本領を発揮するときは直ちに波浪に揉まれ、路上に大量の海水が突入するか、少なくとも浪の花が堆積しスリップの原因となることが明らかである。
このように海面すれすれの旧道が、わずかに陸側の一段上方にコピペされた現道に取って換わられねばならぬ原因は、そこあったかと思う。
(しかし現道とて、津波対策といえるほどの高さは得られていない)



中央分離帯……ではない、新旧道のわずかな隙間に登ってみた。

見た道を振り返って撮影しているが、この風景だけ何も知らずに見せられたら4車線道路だと思うだろう。

酷く逆走車の多い、世も末な4車線道路だと。



既にこの場面までで、上の地図に青線で示したような旧道を辿ってきている。
始まりから250m以上来た。
そしてまだ続いている。

なお、この下地にした地図は最新の地理院地図であり、当然に現道を描いていると思うが、現道の海側に実際は道路もう1本分の空間があることの表現は怠っている。

怠っているなんて断罪されるべきものかは分からないが(笑)。



むしろ、地形図作成の基礎資料である航空写真だとご覧のように、4車線の道路にしか見えないものを、4車線道路として描かなかった作図者の賢明さを誉めるべきかもしれない(笑)(笑)。



続々と現れる逆走車走車のライトを正面に受けながら、2車線道路を縦(ほしいまま)に走ってきたが、次のカーブで遂に道幅が異常をきたし始めた。

始まったときの逆で、現道と海の両方に挟まれて、スペースが失われていく。



16:43 《現在地》

楽しかったが、もはやここまで!!
約350m続いた現道完全並走の旧道である廃道は、ここで終わっていた。
もう300mも進めば石崎集落である。

旧道には1個所も現道の路面に繋がっている場所はなく、立ち入るためにどこかでガードロープを乗り越える必要がある廃道だった。
何かに活用するような目途もないんだろうなぁ。
交通量的に、旧道側も嵩上げして本当の4車線道路にするメリットも薄いだろうし。



というわけで、本日探索の閉店直前、まるでミニレポに拾って貰うために私の前に現れたかのような、ちょっと楽しい“いつわりの4車線”のミニ旧道でした。



 石崎海岸ミニ旧道のミニ机上調査編


今回の旧道の規模を考えると、それが最近のものであるとしても、工事に関する広報的な記録をネットの海から見つけ出すのは難しいと予想したが、案の定、今のところ発見に至っていない。工事に関する直接的資料として紹介できるものは全くない。
とはいえ、奇抜な現状に至る経過は誰もが気になるところだと思うので、いつものように歴代地形図や航空写真を駆使して、調べてみた。


@
地理院地図(最新)
A
平成6(1994)年
B
昭和48(1973)年
C
昭和21(1946)年
D
大正6(1917)年

@.地理院地図は本編でも見ているとおり。これを基準に遡って変化を見ていく。

A.平成6(1994)年版は、国道の位置に@との違いは全く見えないが、後ほど航空写真で確認すると分かる通り、この時点では旧道……すなわち今回探索した海側の2車線だけが使われていた。
だが縮尺上の限界か、この変化を@で反映することは出来なかったようだ。長さが300m以上もあるのに、地形図からは存在を読み取れない旧道であり廃道になった。

B.昭和48(1973)年版である。今回探索の内容的には@とAの比較だけで完結しているのだが、それ以前の変化も折角なので見ていこう。
国道のルートが今と違っている。特に長内川を渡る橋の位置が大きく内陸側に寄っている。これは@の現道から見た旧旧道である。そしてこの旧旧道敷、現道の用地として一部は再利用されている。また、砂浜を埋め立てる直線的な「工事中の道路」が表現されている。これがAに描かれている国道だ。ちょっと直線は強調されすぎているが。

C.昭和21(1946)年版は、Bのルートの南側半分が別ルートになっており、いわば旧旧旧道といえる存在があった事が分かる。
そして逆にC→@と辿ってみると、この旧旧旧道は現在も軽車道の表現で丘の上に存在していることも分かる。

D.大正6(1917)年版は、この地に最低限度の車道もなかった状況を窺わせる表現になっている。石崎の集落だけが、当時からずっとそこにあり続けている。

@〜Dの変化を総括すると、初期の車道は海岸ではなく丘の上にあったが、後に海岸線に降り、さらに海岸の堤防工事を進めることで限界まで波打ち際の近くを通るようになった。
だが今はそこから2車線分だけ陸側に引っ込んで、同時に盛土をすることで高さを多少確保し直しているといったところだろう。



続いて航空写真だが、今回はシンプルに新旧2枚の比較である。

チェンジ前の画像が平成16(2004)年版で、今回探索した通り、まるで4車線道路のように現道と旧道が海岸線に並行している。
この図でも、現地で探索していない旧旧道や旧旧旧道が、先ほど旧地形図のBやCで見た通り、各所に痕跡を留めていることが分かる。

チェンジ後の画像は平成5(1993)年版で、今回探索した旧道が国道であった状況が写っている。
何の変哲もない海沿いの快走路である。旧旧道については既に痕跡程度だが、丘の上の旧旧旧道は、結構鮮明である。


次に、ここまで地形図と航空写真で見てきた歴代の道が、どのような経過の中で更新されてきたかという路線史を見てみよう。
とはいえ、この石崎地区個別の事情についてはほとんど全く情報がないので、松前半島を巡って函館市と江差町を結ぶ国道228号および、その前身となった路線の全体史から、周辺の事情を取り上げることにする。

この道路の整備史は、北海道道路史調査会が平成2(1990)年に発行した『北海道道路史(全3巻)』や、北海道開発局函館開発建設部が平成6(1994)年に発行した『道南のみち:歴史を刻んで』にまとめられている。




北海道南西端の松前半島を巡る国道228号の前身は、近世に松前街道と呼ばれていた道で、函館から松前城下の福山までと、そこからさらに北上して上ノ国を通って江差に至る区間に大きく分けられる。だが後者には石崎の南に小砂子(ちいさご)山道と呼ばれた最大の難所があって、上ノ国と松前を隔てていた。この区間に辛うじて自動車が通れる道が出来たのは、昭和の初期である。

昭和5(1930)年に小砂子山道の開鑿工事が始められ、9年に完成、13年に江差〜松前間に1日2往復の乗合バスの運行が開始されたというから、この時点で石崎に車道が通じたことになろうし、これは冒頭の地形図ではCに描かれていた丘の上の道(旧旧旧道)であろう。
路線名としては、大正9(1920)年から昭和10(1935)年までは準地方費道福山江差線、その後昭和28(1953)年までは地方費道江差福山線と呼ばれた。

昭和28年に二級国道228号函館江差線に指定されると、北海道開発局直轄として本格的な道路整備が全線にわたって進められるようになる。
とはいえここでも今回探索区間が目立つことはなく、唯一、昭和47(1972)年に長内橋が架け替えられたという記録がある(『道南のみち』)くらいだ。
この頃に地形図Bの旧旧道から、地形図Aの旧道へバトンタッチしたものと思われる。

国道228号最大の難所であった小砂子には、昭和61(1986)年に小砂子トンネルを含む現道が完成し、またそれまで内陸部に迂回して山越えをしていた北海道南端の白神岬にも昭和43(1968)年に海岸沿いの現道が完成した。これらの難所の解消によって本国道は一次改築を完成し、道南の海岸幹線としての面目を一新するとともに、「日本海追分ソーランライン」の愛称を有する広域観光ルートとしても賑わうようになった。

このような整備段階に至って、具体的には平成5年〜16年の期間内のどこかで、今回探索を行ったミニ旧道が誕生した。
それは、2車線の道路を廃止して、すぐ隣に同じ距離の2車線道路を整備しなおすという、こう書いただけでは意味が分からない二次改築である。
事業名称や目的について言及した資料は見当らないが(北海道新聞のバックナンバーも調べたが見当らず)、道路の現状を見る限り、目的はまず間違いなく、嵩上げによる越波対策であろう。

なお、平成5(1993)年に発生して道南一帯に大きな津波被害をもたらした北海道南西沖地震の影響も考えたが、被害調査資料によると、当区間の道路に直接の被害はなかった模様であり、また地震後の地盤の沈降も大きくはなかったようだから、震災の復旧事業ではなかったと思う(巨大津波に耐えられるほどの嵩上げもされていない)。

旧道と現道が隣接しているのも珍しい特徴だが、こうなった理由も想像することは簡単で、出来るだけ旧道の通行を確保した状態で工事を進める目的があったかと思う。
旧道をそのまま嵩上げするよりも交通への支障が少ないし、またいくらかでも山側に道路を移すことで、旧道敷を波避けのワンクッションとして使えることもメリットかもしれない。
また、海岸線かつ旧旧道敷を再利用できるという、土地の入手がさほど難しい条件ではなかったことも、このように土地を贅沢に使った道路付け替えの背景ではないだろうか。


 上ノ国町議会で、本区間道路の問題が議論されていた
2025/12/24追記

文献調査に日ごろ協力をしてくださっているるくす@lux_0氏が、上ノ国町議会の会議録から、令和3(2021)年と同5年に今回探索区間に関係がある議論がなされていることを見つけて下さったので、紹介しよう。
これを読むと、この区間の道路が抱える大きな問題の正体がはっきり分かる。


【質問】 花田英一議員
国道228号線の長内橋から石崎の入口までは、台風や発達した低気圧、特に冬場の強い季節風によって大時化になり、通行する車が見えなくなるような波を受け、フロントガラスに石が飛んで来て、大変危険な思いをして運転している状況であります。国道でありますので、道路や橋のルート変更をすることは、大変なこととは思われますが、国に対応策を要請してはいかがか、お伺いいたします。
【答弁】 町長
この国道区間は、これまでも越波対策のため道路の線形改良を行いましたが、大時化の時には、未だに道路上へ波の飛沫が降りかかることが多くなっていることから、国道228号を管理する函館開発建設部江差道路事務所へ報告しております。江差道路事務所では、実態を把握するため調査を行っていると伺っておりますので、早急に対策を講ずるよう要望してまいりたいと存じます。
【再質問】 花田英一議員
例えば、一時補給でもいいからあの周辺に波消しブロックを設置して波を食い止めると。我々は単純にそう思うんだけど、どう思いますか。
【答弁】 町長
本来は1回、道路を寄せて消波ブロックを設置しています。そこにはちょうど長内橋がありますので、橋をよけるとなると結構な事業量になるので、すぐにはできないとは思うんですけども、今言った消波ブロックを置くような対策でもいいので、早期にやってほしいと要望してまいりたいと考えております。
上ノ国町議会会議録(令和3年3月定例会一般質問)より抜粋

「この国道区間は、これまでの越波対策のために道路の線形改良を行いましたが」とあることで、本編中に推理した“越波対策”という道路の付け替えと嵩上げの目的が確かであったと裏付けられた。

しかし想定外だったのは、「台風や発達した低気圧、特に冬場の強い季節風によって大時化になり、通行する車が見えなくなるような波を受け、フロントガラスに石が飛んで来て、大変危険な思いをして運転している状況」とあるように、付け替え後も越波問題は解決していなかったことである。

私はここに書かれているような大時化の国道228号を経験したことはないが、「フロントガラスに石が飛んでくる」というのは確かに由々しき事態である。

同じ日本海でも遠く離れた佐渡島での経験ではあるが、右写真のような道路標識が設置されているのを見たことがあるので、冬の日本海が時として海底の岩塊を“落石”に変えてドライバーにぶつけてくるほどの暴威を見せる事への真実味は感じているところだ。
あるいは、冬場にここで沢山見られるライブカメラ映像を見ると、確かにヤバそうな海が写っていることも良くある。

国道228号は海岸沿いの区間が多い道路だが、今回探索個所は、その中でも特に越波による問題が顕在化していた場所なのだろう。
だからこそ、一次改良済みの道路をすぐ隣に嵩上げするような、異例の対策を平成時代に行ったのであろう。
だが、その対策ではまだ不足だったらしい。

上記の議論は令和3年のものであったが、さらに2年後の令和5(2023)9月定例会でも、同じ質問者と町長の間でこの問題が答弁されている。内容としては、早急に対策してほしいという要望に対して、引続き開発局に要請を続けるという答弁であった。
町としては、現在より沖合に波消しブロックを追加するか、道路沿いに新たに防風柵を設置するか、どちらかの対策を要請しているが、前者は工費的に難しく後者になりそうだという内容もあった。

町議会での収穫は以上であったが、こちらの資料により、令和7(2025)年4月24日に、「一般国道228号 上ノ国町 石崎越波対策詳細設計業務」という事業が開発局とコンサル会社の間で契約されていることが分かった。
その詳細な内容はこちらで、「越波防止柵」「仮設道路」「海岸施設」「工事用道路」などの詳細設計が行われるようだ。

今後、上ノ国町が要望する越波対策が追加で実施される方向に話は向かっているようである。
場合によっては新たな「仮設道路」や「工事用道路」の設置で、今の不思議な4車線モドキの道路風景が、さらに面白いものへと変化する可能性もある。
ひきつづき変化を見守っていきたい。

 官報に道路区域の変更が掲載されていた
2025/12/25追記

レポート公開後、平成11(1999)年11月4日の官報に今回探索した区間の道路区域の変更リンク)が掲載されているとの情報提供があった。

告示
建設省告示
第1914号
 (略)
三
(一)道路の種類 一般国道
(二)路線名 228号
(三)道路の区域
区間変更前後別敷地の幅員延長
北海道檜山郡上ノ国町字石崎390番三地先から同町字石崎551番四まで16.0〜25.50m23.0〜53.50m455m455m
(四)図面縦覧場所 北海道開発局及び同局函館開発建設部  (以下略)
平成11(1999)年11月4日官報より

この道路区域の変更内容は、なかなかに特徴的だ。
まず、変更の前後で道路の延長が455mのまま全く変化していない。
しかし、これこそが今回探索区間の実態を表わしているのである。

その一方で、道路敷地の幅は倍近くに広がっている。
これはあくまでも道路敷地幅であり、いわゆる路面の幅だけでなく、道路に附属する法面など道路用地全体の幅ではあるのだが、長さが変わらず幅だけが変化していることや、全体的な広さから、まるで廃道のように放置されている今回探索の旧道部分も、道路法的には今なお国道228号の一部であることが窺える。

この情報をもとにさらに調べを進めたところ、翌平成12(2000)年12月8日の官報に同区間の供用開始の公示リンク)を発見した。
これにより、今回探索区間の現道への切り替えが平成12年12月8日であったことが判明したのである。

知りたかった情報がまた一つ判明し、これで今回探索区間の机上調査はほぼ完成したといえると思う。




以上である。

皆さまもぜひ気軽に訪れてみてほしい。かなり楽しいよ。



 オマケ: 丘の上の“初代車道”から見る、旧道のある風景


2022/10/28 16:26

前述した机上調査編において、現道から見て旧旧旧道と見なせるルートが丘の上に存在していることを述べた。
そのルートを改めて左図に緑色のハイライトで表示した(現道の1世代前の「旧道」に該当する部分も含む)。

この丘の上のルートは当地の“第一世代車道”と考えられているもので、机上調査編で述べた通り、昭和9(1934)年に江差〜松前間の乗合自動車運行が開始された時点では、この道が使われていたと考えられる。したがってそれより前に整備されたのだろう。大正6(1917)年の地形図には描かれていないので、それよりは新しいだろうが。

また、この丘の上の道路に換わる海岸線の車道が整備された時期も、はっきりしていない。
歴代地形図を見る限り、昭和20(1945)年版は海岸には徒歩道しかなかったが、昭和32(1957)年版で初めて海岸線に国道表現の太い道路が描かれるようになっている。だが、昭和23(1948)年撮影の航空写真では既に海岸線に広い道が見えるので、思いのほか早い時期に海岸線に道は下りたようだ。

このように古い“初代車道”であるが、最新版の地理院地図でも大部分が軽車道として描かれ続けており、実際にも、(表記が消えてしまった長内川を渡る旧長内橋部分以外は)未舗装の砂利道として、乗用車が通れるレベルで維持されている。
なぜそれが分かるかといえば、私自身が本編探索の直前に自転車で探索しているからである。

詳細なレポートは省略するが、石崎集落に近い部分ではこの道が津波の一時避難場所になっているほか、丘の上の数ヶ所で風力発電用風車の設置が進められているようで、今後もその進入路として維持されると思われる。

といった具合であるこの丘の上の道(旧旧旧道)から、今回紹介した海岸線の“疑似4車線道路”がとても良く見えるので、その眺めを紹介したい。
一見の価値、ありだぞ!!



2022/10/28 16:21 《現在地》

本編冒頭1枚目の写真が撮られる15分前に撮影した写真である。

この足元の道が、かつて松前と江差を結ぶバスが通った初代車道と目される道で、今も細々とした轍が命脈を繋げていた。
背後に見えるのは石崎集落で、石崎川の河口の小さな沖積地にすっぽりと収まっている様子は、いかにも厳しい自然環境に肩を寄せ合う暮らしを思わせるものがあった。今なお暴威を以て国道を苦しめ続ける海とのタイマン勝負の風景だ。
しかしそんな集落の歴史は古く、15世紀には既に和人の豪族が居住した館(比石館跡)が向こうの突出した岬の上にあったそうだ。



同じ地点から、集落とは反対方向を撮影。
崖に向かってガードレールさえ持たない狭路の姿が、昔ながらでいじましい。
この地形の狭さこそが、この初代ルート最大の弱点であろう。 とはいえ、コンクリートの側溝があったりと、今日まで多少の改良はなされている様子。

左下に見えるのは現国道である。
この辺りはまだ、普通の2車線道路である。
そしてこの先しばらくは、道の位置関係的に、路上を観察できなくなる。



16:27 《現在地》

前の地点から6分後。
再び海縁を走る現国道が眼下に見え始めると、今度は(この写真だと分かりづらいが)、現道が旧道を伴って、まるで4車線道路のように見えるようになっていた。
チェンジ後の画像だと、ちゃんと分かると思う。

ちなみに私はこの時点で見え方の“異変”に気付き、なんじゃこれはと思った。
まるで高速道路みたいなガードロープ付きの中央分離帯を有する4車線道路に見えたので、なんで急にそんな高規格なのかと驚いた。
だが、旧旧旧道上の次のカーブまで進んだところで(次の写真)、一瞬で、全てを理解したのであった。



見よ! この奇妙なる“ニセ4車線道路”の走行シーン!

でっかいクレーン車が堂々と逆走している!!!(笑)



しかし本当にこれは……走る車の向きさえ見なければ……完全な4車線道路に見えるなぁ。

とくに山岳部の高速道路なんかによく見る上下線に高低差がある部分みたい。かっこいい。



少しアングルを変えて、旧道との高低差を強調して撮影すると、こんな感じ。

地味に波消しブロックの数も凄い。こんなにあっても、波を抑えきれないのか…。

遠くに気になるものが見えるって? その話はまた今度!



といった感じで、私はこの奇妙な4車線道路的旧道風景と偶然出会い(本当は今いる旧旧旧道の探索が目的だった)、本編の探索がなされたのでした。

……というお話でした。



なお最後におまけのおまけ。

前写真の地点からまた少し進むと、今度は眼前に長内川の谷が現われる。
(川向こうの路上に白い車が見える地点が、本編1枚目の写真地点)

現国道はこの河口を長い橋(長内橋)で渡っているが、以前のルートは異なっていた。
しかしこの渡河部分の道だけは消失している。



渡河地点の河床には、かつて埋め込まれていたのであろう大口径ヒューム管の残骸や、護岸らしきコンクリート擁壁の残骸が散らばっていた。
以前の道は、橋ではなく暗渠で川を渡っていたのだろう。
道は消失していたが、私は自転車を担いで無理矢理徒渉し、一連の旧旧旧道探索に決着を与えた。



読者の皆さまへのお願い
【山さ行がねが】は、読者の皆さまによるサイトへの貢献によって継続運営をしております。私から読者さまにぜひお願いしたい貢献の内容は、以下の3点でございます。一つだけでもサイト運営の大きな助けになります。無理なく出来ることで結構ですので、ご協力をお願いします。
<読者さまにお願いしたい3つのサイト貢献>
  1.  Amazonなどのサイト内の物販アフィリエイトのご利用
  2. 日本の道路122万キロ大研究」や「日本の仰天道路」などの著書のご購読
  3.  レポートへの感想のコメント投稿や情報のご提供

「読みました!」
コメント投稿欄
感想、誤字指摘、情報提供、つっこみ、なんでもどうぞ。「読了」の気軽な意思表示として空欄のまま「送信」を押していただくことも大歓迎です。
頂戴したコメントを公開しています→コメント公開について
 公開OK  公開不可!     

送信回数 -回

このレポートの公開中コメントを読む

【トップへ戻る】