ミニレポート第303回 「泉20」

所在地 宮城県富谷市
探索日 2026.02.22
公開日 2026.02.25

 意味不明な姿をした謎すぎる地下道


ま〜〜た変な道見つけちゃった〜。

このへんな「泉20」というタイトルから、どのジャンルの道なのか分かった人もいると思う。

場所はね、このへん→ 《位置図(マピオン)》

宮城県富谷市という、仙台市の北に隣接する田園とニュータウンが半々くらいのエリアですわ。

まずは、私がここに興味を持ったきっかけ。


私は最近、高速道路沿いにある使われていない跨道橋やアンダーバスを探す目的で、各地の高速道路を地図や航空写真でちょくちょく調べているのだが、その作業中に、愛用の電子地図帳『スーパーマップルデジタル Ver.26』で、(↑)こんな奇妙な描かれ方をしているアンダーパスを見つけた。

なんか前後の道が凄く細いのに、高速の下を潜る道路の部分だけが4車線くらいありそうな広さで描かれている。
この状況を見て連想したのは、未成道である。
都市計画道路とかでよくあるが、高速道路と交差する部分だけ、将来を見越して広い用地が用意されているパターンである。
まあ、この地図の表現だと、用地だけではなく道幅自体も広くなっているようだが、いずれにしても前後の道とのミスマッチは違和感が大きく、気になる。 気にならない?

しかし、チェンジ後の画像で示した地理院地図だと、このアンダーパスの部分に道は描かれておらず、表現が割れている。
このことも、より興味を惹いた理由だ。
現地には、いったい何があるのか。
ストビューも入っていないし、実際に見にいってみたのが、この報告である。


2026/2/22 14:18 《現在地》

この写真は、私のエクストレイルの主張が激しいが、探索のスタート地点だ。
背後に見える築堤の道路が東北自動車道で、右に見えるボックスカルバートが宮城県道256号西成田宮床線、左に見えるボックスカルバートはその歩道である。
2つのカルバートの坑口にはそれぞれ「泉19 351.99kp」「泉18A 351.96kp」と書かれたプレートがあり、各カルバートの名称と東北道上の位置(キロポスト)が示されていた。

今回私が地図で見つけた“気になる場所”は、この県道256号の暗渠から東北道を青森方向へ270mほど進んだ地点である。
近くに車を停め、いつもの自転車に乗り換えてから現場を目指すことに。



14:21 《現在地》

スタート地点のすぐ傍から現場への最短ルートである車1台分の幅の舗装路(市道奈良木線という)に入ると、すぐに西川という小さな川を遠田橋という橋で渡る。
左奥に見えるのが、少し離れたところを同じ方向へ進んでいる東北道であり、既に目的地の辺りが視界に入っているが、何かあるのかはまだよく見えない。



同じ場所から左を向くと、東北道が西川を渡る頑丈そうな橋が見える。
その名も西川橋という名前であるが、東北道のこの区間を利用したことがある人でも、橋名なんてまず気付かないくらい地味な橋だ。
なお、ここは東北道のIC間としては泉ICと大和ICの中間付近で、富谷JCTから2.5kmほど北である。

チェンジ後の画像は、この西川橋の両岸の橋台にそれぞれ併設されているボックスカルバートで、堤防路が潜るようになっているが、交通量は少なそう。これらはボックスカルバートでもないので、先の「泉19」のような命名もない。



14:22

2月22日の2時22分というこの記念すべき時間に、私はターゲットとなる場所をはじめて目視した。

“矢印”の位置なんだが、

確かに黒っぽく見えるので、ボックスカルバートがあるらしく、しかもその黒っぽい部分の幅が、かなり広い気がする。

これはいよいよ……



(↑)スーパーマップルに描かれていたとおりの、広幅員道路の未成道発見であろうか?!

周囲はメッチャ田園風景で、全然開発されている感じがしないが、そのギャップを含め、私の中で急激に温度が上がってきたぜぇ!

カメラでズームして見てみよう!!(↓↓↓)




よよよよ4連装ボックス!!!!

なんだありゃぁ!! 同じ形のが4本並んでいるのは、さすがに予想外!

ってか、こんなの前に見た記憶もないし、地味にすごくない?!。



マジかよ!!

最大高の標識があるってことは、マジ道路だ!

しかし、4本のうちのどれが道路なんだ? ここからだと、どれも路面が見えない。
つうか、高さ2.1mって低すぎだろ?!
とてもじゃないが、広幅員道路に与えらていい空頭高ではない。
意味が分からなすぎるが、私がオカシクナッテナイ限り、現実に存在しているのである。

よく見ると、左端にはボックスカルバート特有の銘板も取りつけられているし、そこには「泉20 352.26kp」って書いてあるようだ。

こいつはますます興味深いぞ。 このまま道を乗り継いで接近する!!



14:24

さらに進んで、用水路レベルの小川を奈良木橋という橋で渡ると、山に突き当たり、丁字路があるので、左折する。



14:27 《現在地》

左折して130mほどで、ひっきりなしに車が行き交う東北道が目の前にどかんと現われる。
ここまで走ってきた道は、道幅と同じ幅の小さな正方形のボックスカルバート「泉22 352.35kp」で高速を潜っているが(通過この暗渠の天井なんか薄くね?)、その直前で高速築堤の外周フェンスに沿った未舗装路、いわゆる高側道(®たかな@高側道のひと)らしき道へ左折する。
ここまで地図の通りである。



左折直後の道の様子。
写真左の鬱蒼としササが茂っている部分は、先ほど奈良木橋で渡った水路であるが、水面が全く見えないので気付かなかった。
そして、目撃しなかった欠番である「泉21」は、この水路用暗渠に採番されているのであろう。

いよいよ私の目的地、先ほど遠望して驚愕した謎の4連装暗渠「泉20」へ到着する!



14:28 《現在地》

マ〜ジで4本同じ物が並んでるだけどwwwwナニコレ?

しかも、4本ぜんぶが道っぽい?!

少なくとも、水が流れているようなのは1本もない。



いや、マジで正体が分からん。

仮に道路標識がなければ、自信を持って道路であるとは言えなかっただろう、摩訶不思議な穴たちだが…。



 前代未聞の四択地下道に勝利せよ?!


14:28 《現在地》

スーパーマップルの地図では、幅の広い1本の地下道として表現されていた構造物だが、実際は並列する4本の小さな暗渠の集合体であった。
構造物の種類としては見慣れたボックスカルバートであり、2本が並んでいるのは上下線分離としてよく見るが、仮に4車線の道路だとしても、車線ごとに1本ずつ4本を並べるというのは、ちょっと記憶にない異形である。そもそも、天井も低すぎるし…。
よく見ると、4本のボックスの配列は左右2本ずつの組み合わせであり、左右対称になっていた。

とりあえず以後は便宜上、この画像に示したように、左の穴から順に@〜Cと呼ぶことにする。



AとBの間、すなわち構造物の中央に、2連ボックスの境目がある。
また、そこに1枚だけ高さ制限2.1mの規制標識が設置されている。

正直、スーパーマップルのようにここを道路として描いている地図と、この標識とがなかったら、私はこの4本の暗渠を道路だと見做せた自信がないが、道路標識の存在は道路であることの決定的な根拠であった。

この標識、取り付け部にも設置者や設置年が分かるような表示物は見られなかったが、かなり色褪せていることから、最近の設置ではないと思う。
東北自動車道の当区間を含む泉ICから古川ICまでの開通は昭和51(1976)年12月であるが、この構造物は開通当初からのものだろうし、標識も同様かもしれない。



上記標識の位置から左側、すなわち東北道の東京方を見ている。
写っているボックスは@番で、“矢印”の位置に、ボックスカルバートの銘板がある。「泉20」がこの構造物の名称である。穴の数ごとではなく、全体でこの名称になっている。



今度は銘板の位置から青森方を見ている。
サイズ比較のために、自転車をAのボックスに置いてみた。
高さ制限2.1mとしているが、実際の天井の高さも2.5mくらいだろうか。

この低い天井と、その上に少しだけ積まれた盛土を介して、頭上から数メートルという位置を東北第一の幹線道路が通っている。
私自身も何度その一員になったか分からない爆速の走行音や車の影が間近に感じられる。
次回通る時は、この穴のことをきっと思い出すだろうな。


さて、ここからは間違い探しのような写真を、4セット続けて見て貰うぞ。



一番左にある“@”の状況と、出口の望遠。



左から2番目の“A”の状況と、出口の望遠。



左から3番目の“B”の状況と、出口の望遠。



一番右にある“C”の状況と、出口の望遠。



そして……




【問】 あなたはどれを選ぶ?



4本とも、構造物としてのサイズや作りはほぼ一緒。

違いと言えば、@は左側、Cは右側に排水溝があり、AとBにはないことくらい。

さあ、どれを選ぶ?



私はといえば、特に深い選択の意志もなくAに自転車の鼻先を突っ込んでいたので、そのままAに入ってみた。

まあ、どれを選んだって、全部同じ所に繋がっていることは確定的に明らかだからな(笑)、真剣に選択するまでもないだろ…。




14:31 

意を決さずAに入ってみたが、さすがは東北道クラスの重要路線であると感心するものを見た。

こんな地下道としてはほとんど利用度がなさそうな構造物なのに、壁の至る所に点検記録の白チョークが残されていた。
この写真の場所が特に多いとかではなく、全体的にこんな密度である。
しかも、検査日らしい数字が代々残されていて、この画像の範囲内だけでも、「H23.10.19」「H28.11.13」「R3.12.22」が読み取れる。
5年に1回のペースで壁も天井も全て検査されていることが分かる。

……もちろん、4本の穴全部である。



14:32 

なんだと!
出口がフェンスで塞がれているだと?!

防獣柵程度のもので、強度的に大したものではないが、むしろこれは反対に、壊さずに突破出来なくて困るヤツだ。

残念ながら、突破不能である。

普通にどれを選んでも同じだと思って油断したが、普通に「DEAD END (=行き止まり)」を突きつけられた!!


油断の結果……


ざんねん!! わたしの ぼうけんは これで おわってしまった!!」


……って諦めるわけにも行かないので、すぐさま、右隣のBへ再チャレンジ!!!




↑動画で顛末を見届けて貰った方は分かると思うが、Bは塞がれておらず、通過可能だった!


正直、この展開に吹き出してしまったwwww

だって、1本塞がれてたら、4本全部同じだろって思うじゃん。

でも、実際はちゃんと正しい穴を選択しないと通れないの面白すぎるだろwww

こんなことに頭使わされるなんて思わなかったわ。



一応4本とも全部チェックしたが、結論を言うと、3本は出口がフェンスで塞がれていて、Bだけ通り抜け可能であった。

純粋に4分の1の運試しに成功しなかったドライバーは、Uターン出来ない穴の奥で「DEAD END」となる凶悪な道である。

が、実際は運否天賦ではない。正解を選ぶための重要なヒントがあった。
ここで頼りになるのは、道路制度に関する知識である。
我が国の法令である国土交通省令「道路標識、区画線及び道路標示に関する命令」(道路標識令)や国土交通省の設置基準によると、道路標識は、原則として「車両の進行方向に向かって左側の路肩」、または「歩道の上空」に設置することとされている。

このことを眼前の光景に適応すれば、自ずから、最も正解らしいのはBと分かる。(私は最初敢えてハズしに行ったのである!!!)



あと、Bの洞床にだけ明瞭な轍がある!

とまあ、こんな感じで4択に正解した者だけが、「泉20」の西口へ……。



14:32 《現在地》

ご覧のように、今くぐったBの穴以外は全部、防獣柵のようなフェンスで塞がれている。

「スーパーマップル」だと、ここから左右両側に(矢印のように)道が通じていることになっているが、実際には、左(青森方)へ行く道だけに轍があり、右(東京方)へ行く道は、枯れ草の藪と化していた。

え? こちら側は道路標識の位置が正解の穴を示すヒントになってないじゃないかって?

……た、たしかに……。

だから物理的に不正解を塞いでくれてあるのかな?(笑)



14:34 《現在地》

轍の状況から見て、現状「泉20」の唯一の利用者が通行している、その存在意義とも言うべき北行する“高側道”を進んでみると、スーパーマップルの地図に描かれていたとおり、60mくらいで道は終わっていた。しかしその突き当たりには、この道がなければ来ることの出来ない現役耕地が確かにあった。
「泉20」には、道路としての需要と利用が、確かにある。

……4連装である意味は、 ? だが。



すぐさま「泉20」西口へ戻り、今度は“矢印”の方向へ南行する道を進んでみる。

スーパーマップルだけでなく、地理院地図もここに道を描いており、しかも行き止まりではないようになっている。

現状、全く刈払いがされていないようで、草藪が繁っているが、形状的には確かに道の形跡がある。

廃道探索、開始!



南行する高側道に沿って管理された樹園地があり、その刈り払われた法面を拝借して進んだ。



150mほど進むと西川の堤防路が見えてきた。
堤防路に突き当たるところまでが、藪化している廃道区間だが、特に路体が破損している様子はなかった。
ただ、チェンジ後の画像のように、いつ設置されたのかわからないA型バリケードが藪の中に置かれていたので、塞いでしまおうという意図が先に在って、それから藪になったものと思う。塞いでいる理由は不明だ。



14:37 《現在地》

西川の堤防路に到達。
目の前には東北自動車道の西川橋。
私は写真左の空間から出て来た。
堤防路は現役の道であり、ごく短い廃道は、ここまでだった。



そこから堤防路を西へ進むと、もうさっきまでの怪しさのカケラもない、平凡な道路風景である。
道路の右側は「とうみやの杜」という特養施設の構内になっていて、もし仮に、「泉20」が高規格な道路の一部となるのであれば、明らかに干渉する立地だが、この時点で私は既に、「泉20」が未成道であるという考えを無くしており、正体について別の考えを巡らせていた。


答え合わせは、机上調査編にて――




 机上調査編 「泉20」の正体は?


本編を見ていただいた皆さまは、「泉20」の正体を、どのように考えられただろうか。

私の探索の動機としては、未知の未成道を想定していたのであるが、現地で「泉20」の実際の姿を見た私は、そもそも道路として使うことを第一目的とした施設ではないのだろうと、考え直した。
道路として使われているのは確かだが、その機能のためだけにあのような姿にすることは、考えられない。

では、現地探索を終えた私は、これをなんだと思ったのか。
さすがに、当サイトのベテラン?読者の眼は侮りがたく、現地を見ていないのに、現地を見た私と同じ推理をコメントでされた方が数人いた。

現地を見た私が推理した「泉20」の正体は、避溢橋である。

避溢橋(ひいつきょう)は、築堤によって洪水の被害が拡大することを防ぐための構造物である。具体的には、長い築堤の途中に氾濫した洪水の逃げ道となるような切れ間を用意しておくのである。
我が国では、明治以降の鉄道の全国的整備に合わせて各地に登場し、現在では近代化土木遺産になっているものもある。
道路用の避溢橋は、鉄道用ほど有名なものはないが、洪水の多発地帯を築堤が跨ぐというシチュエーション自体は日本中にあり、避溢橋も地味に日本中に存在している。

……が、本当に道路用の避溢橋は地味なので、私も今まで敢てレポートで採り上げる機会は無かったと思う。


本構造物の本分が避溢橋であると考える根拠の一番大きなものは、道路としては明らかに非合理的な4連という幅の広さである。
道路であれば、交通量を考えても1本でいいし、仮に高規格な未成道だとしたら、もっと高さと幅のあるものを上下線分で2本並べるようにするだろう。
妙に高さが低い暗渠が4連もあるのは、狭い水路では避溢橋としての仕事を果たせないからだと考えると合点がいく。


そしてもちろん重要な根拠として、立地もある。
これは東北道が建設される前後の地形図の比較であり、“矢印”の位置に「泉20」が設置されている。

東北道は西川が中央を流れる低地の大半を築堤で塞いでおり、仮に西川の決して高いとはいえない堤防が氾濫すると、この築堤がダムの役割を果たし、上流一帯の洪水被害を著しく悪化させるのではないだろうか。
地図の範囲外だが、ほぼ高低差がない上流1.3kmの位置には国道4号の旧道が通る伝統的な富谷の中心市街地(かつての奥州道中の富谷宿)があることも、避溢橋建設の動機になり得るだろう。
また、現地ではほとんど姿の見えない小川だったが、避溢橋の周辺に北側から合流する支流が存在することも、動機かもしれない。



@
平成28(2016)年
A
昭和63(1988)年
B
昭和50(1975)年
C
昭和48(1973)年
D
昭和23(1948)年


より実態的な変化を確かめるべく、歴代5枚の航空写真を比較してみる。

@平成28(2016)年版は、探索時とほぼ同じ状況が描かれている。“赤い四角”の位置に「泉20」がある。

A昭和63(1988)年版は、「とうみやの杜」が整備される前の状況で、かつてその一帯も広い水田であった事が分かる。
沿道が水田で無くなったことで、高側道の一部の需要が失われ、今回探索したように封鎖されたのではないだろうか。

B昭和50(1975)年版は、貴重な東北道建設当時の撮影である。間違いなくこの時点で「泉20」が建設されていることが分かる。

C昭和48(1973)年版は、東北道建設前夜の状況で、この時点で建設予定地の大半は、区画整理済みの整然とした水田であったことが分かる。
なお、“桃線”の位置には、畦道か水路らしき鮮明な直線が見え、仮にこれが道であったとすると、その機能補償が、「泉20」を(避溢橋がメインの用途であったとしても)道路として整備した動機になりそうだ。実際、【昭和39(1964)年版地形図】では、この位置に1本の徒歩道が描かれている。

D昭和23(1948)年版だと、一帯は区画整理前の古い水田地帯のように見える。



目的外利用になるが、「全国地価MAP」で現地を見ると、公道であることを示す青色の道がちゃんと東北道の下に4本並んでいる姿が描かれていて、これが現状確認されたものでは最も正確に実態を反映した地図であった。

チェンジ後の画像は全国の地番が分かる「MAPPLE法務局地図ビューア」だが、地番の名称や区画の特徴から、古い土地利用の形跡がある程度見て取れる。
例えば、桃色の枠内は全ての地番が「道-25」のように、「道-●●」の形式になっており、水色の枠内は「水-25」のように、「水-●●」の形式になっている。
絶対ではないものの、このような地番の命名は、過去と現在の土地利用の実態を複合的に反映している可能性が高い。

この場面においても、「泉20」のすぐ南側にかつて水路があって、それが築堤により消滅している状況が伺われる。
避溢橋の設置基準は明確ではないが、様々な土地利用を総合的に判断して決定しているはずで、こうした古い土地利用の実態も影響を与えていると思われる。



……といった具合に、避溢橋説が濃厚であると思うが、残念ながら東北自動車道の詳細な工事誌は未見であり、この「泉20」についても絶対的な正体は分からないといえる。

また、このような構造物が実際に珍しいかどうかも私は気になるが、東北道全体で何ヶ所の避溢橋が建設されたという統計や、まさにこの「泉20」のように、避溢橋という名前は持たないが避溢橋の機能を重視して建設されたと思われる高架橋や暗渠がどの程度あるかも、分からなかった。

ただ、“高速道路×避溢橋”という広いテーマで調べを進めていくと、全国的に高速道路を建設していく初期の段階から、避溢橋の建設が重要なテーマとして議論されていたことが分かった。
具体的には、昭和42(1967)年1月に建設省治水課長より全国の地方建設局長、北海道開発局長、都道府県土木部長宛に、「高速自動車道建設にともなう河川横断基準について」が通達されており、一部を抜粋すると……

高速自動車国道の河川通過にともなう橋梁の設置等について、中央、東北、中国、九州、北陸自動車道等の高速自動車国道の河川通過にともなう橋梁の設置等については、下記により処置されたい。

(中略)
なお、上流の氾らん状況等により必要がある場合には河川改修計画とは別の避溢橋を建設するものとする。

建設省通達「高速自動車道建設にともなう河川横断基準について」より

……このように、状況次第では河川改修計画によらず、独自に避溢橋を建設すべきことが通達されていた。

そして、東北道に先んじて建設された東名高速道路において、高速道路用避溢橋のエポックと言うべき重要な構造物が2つ建設されていたことも初めて知った。
静岡県焼津市に建設された石脇避溢橋と、同県袋井市に建設された横井避溢橋である。


『日本道路公団試験所報告23』より

石脇避溢橋は、全長167mの21連続ボックスカルバートで、横井避溢橋は全長180mの23連ボックスカルバートである。
いずれも名称の通り、避溢橋として建設された長大多連のボックスカルバートであるが、道路として使われる部分があることや、2連ずつで1構造体になっていることなど、今回探索した「泉20」に構造がそっくりである。

昭和51(1976)年に刊行された『日本道路公団二十年史』に、次のような解説があった。

高速道路の盛土区間において、農道あるいは小水路との交差に用いられるカルバートは、名神高速道路で1145ヶ所、東名高速道路で1604ヶ所に及ぶが、その大半を占めているのが鉄筋コンクリートボックスカルバートである。一時はカルバートのような比較的小さな構造物でも、軟弱地盤では、支持層までくいを打って不等沈下を防止する措置が採られたが、これに接続する盛土の沈下によって構造物との接点に段差が生ずるため、土木部と一緒にカルバートを沈下させて路面の不陸をなくそうという、くい無し基礎の設計が採用された。東名高速道路では、この考え方を発展させたものとして、軟弱地盤の高架区間に連続カルバートボックスを採用した焼津工区の石脇避溢橋、袋井工区の横井高架橋(昭和44年)などがあり、供用後の観測を続け予期以上の成果を得ている。

『日本道路公団二十年史』より

連続するボックスカルバートは、敢て地中の堅い基礎に固定しないことで、前後の盛土と共に多少の沈下を許し、不同沈下という道路としての致命的な故障を避けようとするアイデアだった。
特に軟弱地盤において効果が高く、一般に避溢橋を必要とするような低地の地盤は軟弱であることが多いから、とても理に適っている。
コスト的にも優秀な工法で、北陸道のある事例では、橋桁を用いた通常の高架橋に比べて約23%の工費削減が図れたと、『軟弱地盤における高速道路盛土の沈下特性に関する研究』にあった。



『東名高速道路建設誌』より

上の写真は、開通当時の石脇避溢橋の雄姿である。
日本坂トンネルの西口に近い一角だが、なるほど確かに今回の「泉20」を横に遙かに長く繋げたような構造物が写っている。
奥に見える幅の広い2連の部分が、当時は県道であった道路との交差部だ。

なんとなく、風景として「泉20」ほどの違和感がない気がするのは、一定以上に大きいからだと思う(笑)。
「泉20」は、高架橋というイメージほど大きくないし、4連というのが道路にも見えるギリギリのラインで、面白かったのだ。
あと、道路標識がポツンと1つだけ付いているシュールさもね。
一方、この石脇避溢橋はもう、こういう形式の高架橋だとすんなり思えるくらい堂々としている。



こちらは現在の石脇避溢橋改め、「石脇高架橋」の姿だ。
今も連続ボックスカルバートは健在だが、全体の3分の2くらいは後年建設された日本坂パーキングエリアによって(おそらく)埋め戻されて確認できなくなっている。
健在の部分もエリアの出入口として拡幅されており、カルバートの当初の坑口は見えなくなっている。



一方で、横井避溢橋改め、「横井高架橋」については、現在もおおよそ建設当初の姿を止めており、ボックスカルバートが見渡す限り並んでいるような不思議な光景が、長閑な田園地帯に展開している。
ここは実際に今後見にいってみたいと思う。
あまり知られていないと思う(私は知らなかった)が、日本の高速道路における連続ボックスカルバート避溢橋の発祥地という、土木史上重要なスポットだ。



いかがだっただろう。

現地の景色を見た私は、単に面白いと思って、おもしろ半分どころか、“おもしろ全部”で執筆を始めたのだが、意外にも興味深い技術的背景に触れるきっかけになった。


「泉20」に避溢橋としての活躍機会は来ない方がありがたいけど、いざとなったら助けてくれる、縁の下の力持ちなんだね!




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