あの夕暮れまで続いた激戦のあと、佐久間駅に降り立った私は手負いのチャリを車に収め、空腹を満たすべく移動を開始した。
佐久間にはおそらくコンビニというモノはなく、閉店間際の小さなマーケットで買い込んだ魚肉ソーセージと塩焼き鳥の缶詰をおかずに、車に積んであるガスコンロで作ったカップラを主食にするという、侘びしい夕餉をとった。
それから午後8時頃までに車で水窪付近へ移動してから、翌朝の探索を考えて飯田線の向市場駅前を車泊場所に定めた。
上の写真は、その向市場駅だ。
今度は右の地図を見てもらいたい。
JR飯田線は、国鉄時代の昭和30年に大規模な路線付け替えを経験している。
電源開発株式会社による佐久間ダム建設によるもので、中部天竜〜大嵐間の13.3kmを水窪川沿いに迂回する新線(17.3km)へ切り替えたのだ。
そうして生まれた現在の”水窪新線”だが、こちらにも部分的な旧線があることは、巨大な水没旧線に較べてあまり知られていない。
それは、城西(しろにし)〜向市場(むかいちば)間にある、
・第一久頭合(くずごう)隧道
・第六水窪川橋梁(向皆外(むかがいと)隧道)
の2箇所である。
この新線全体の工事はダム着工翌年の昭和28年8月に始まり、ダム完成前年の30年11月に完成した。
国策であるダム工事に関わる路線の付け替えは、国鉄の威信をかけての突貫工事とならざるを得なかった。
右図にカーソルをあわせると「地質図」に切り替わる。
それを見て頂ければお分かりの通り、新線は「中央構造線」と「天竜川断層」という2本の巨大な断層帯に挟まれた地域に敷設されている。
一般に断層地帯の地質は劣化していることが多く、土木工事には不適である。
それゆえに新線工事は、想定外の苦難を数多く乗り越えねばならなかった。
2つの“新線の旧線”もまた、それと無関係ではない。
それでは、まず「第一久頭合隧道」を紹介しよう。
事前情報となったのは、『鉄道廃線跡を歩く[
』巻末の資料「全国線路変更区間一覧」だ。
個人的にこの資料は、旧線ファンにとってバイブル的な価値のあるモノだと思う。これのためだけに[号は買う価値があると思う。
「全国線路変更区間一覧」の「飯田線」の部には10の「付け替え」が記録されているが、その4番目を次に引用しよう。
駅間 | 変更時期 | 距離 | 変更理由 | 備考、その他
|
城西〜向市場 | S52.02.23 | 0.8 単 | トンネル変状
トンネル内で旧Tに合流 | 第一久頭合T新設
|
---|
表の中身は、昭和52年に“変状”という油断のならない理由で廃止された旧隧道がこの付近にあり、それは現在の隧道と洞内で分岐していると言うのだが(アツイ!!)、その詳細な位置や実態は不明である。
しかし800mもの路線付け替えが行われている以上(隧道の全長はたかだか650mほどである)、北口の可能性は低い(その場合は向市場駅も移転する必要が出てくる)ので、消去法的に南口付近に廃止された旧坑口と、それに連なる旧路盤とが眠っていると考えられた。
地形的にも南口は山腹に対して鋭角な入り方の坑口で、近くにはガリーのような崩壊地も描かれているから、その可能性は高い。
ただし一点、重大な懸念事項があった。
付け替え以前の旧版地形図(画像にカーソルオン)と最新版を比較しても、なぜか線形に違いが見られなかったのだ。
よって実際に遺構を発見するまで、全く見当違いな場所を捜索しているのではないかという恐怖を、常に感じ続けることとなった。
参考文献:『
鉄道廃線跡を歩く[』
『飯田線中部天竜大嵐間線路付替工事誌』(←探索後発見資料)
2009/1/25 6:30
これがこの日の朝一探索だ。
高根城公園の駐車場に車を停めて歩き始める。
私のジンクスとして、朝一の成果はその日一日の成果の多寡を占うというのがある。
ただでさえ自転車の故障もあって本来計画通りの成果は望めない本日であるから、少し欲張って未明の山へと分け入った。
そして確実に旧坑口を発見すべく私が選んだアプローチルートは、隧道とほぼ同じ高さに描かれた破線の道だ。
茶畑の中にあるこの2本電柱が“破線道”入口の目印だった。
ここから水窪川左岸の急な山腹を通る山道に入る。
地形図を見る限り、現隧道の南口までは、約400mある。
ヘッドライトを頼りに、造林作業用らしき山道を歩く。
或いは半世紀前の鉄道工事にも使われているのだろうか。
流石に森の中はまだ真っ暗で、夜の静寂を保っていた。
一度対岸の国道を通る車の灯り木々の隙間に走ったが、人魂のようで気味が悪かった。
うわ…
予想外。
朝の廃橋出現だ…。
なぜか崩れかけている。
無理に渡って渡れないことはないが、渡らずとも先へは行けるので、渡らない。
こんな歩道廃橋で怪我でもしたら泣くに泣けないし、昨日の今日だけに、変なトラブルがまた無いとは限らない気がした。
なんとなくね…。
森に入って7分経過。
基本的に順調に歩けているから、そろそろ400mは来ても良い頃だと思う。
また、少し明るさが増してきて、森の底も目鼻が付いてきた。
特に水窪川の河原は明るく見えた。
ああ、これがそのまま「正解」であって欲しい。
他の2本の隧道へまた探しに行くのは、時間的ロスが大きい…。
はっ!
何かある…!
若い杉林の向こうに、巨大なコンクリートの段々になった構造物が見えてきた。
まるで、鉄道トンネルの坑口が延伸されているところにある、落石覆いか洞門のような風体だ。
どうやら、来たらしいが…。
問題は、これが新か旧かということだ…。
廃だろこれ…。
暗いからそう思うんじゃないと思う。
このムードは、明らかに廃だけが醸しうるもの。
つまりコレハ、旧坑口ダ…。
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6:44 《現在地》
やっぱ、そうだった。
これは旧隧道の坑口。
いきなりドンピシャで来た。
やった!
しかし、
ちょっとおかしくないか?
同地点から南側を見る。
廃レールを支柱に据えた落石覆いが、また別の構造物(ここからではよく分からないが、シェルター型の落石覆いだろうか)へとバトンタッチしている。
それ自体は崩落多発地帯における安全装置ということで不思議はないのだが、問題は洞内に入れる場所がないということだ。
そもそも“洞内”であるべき場所の大半が、コンクリートの函に覆われているではないか。
落石覆いの内側に、さらに窓のない覆いがあるようなのだ。
しかもその函は天井まで届いておらず、剛性をウリにするべき構造物として甚だ不自然だ。
まさか、これが全部“中へ入れたくないがため”の壁なの?
せっかく首尾良く発見できたのに、入れないかも知れない?!
という事実が、重く私にのし掛かった。
だが、この落石覆いが途切れるところまで行けば、そこにひょっこり口が空けているかも知れない。
後ろ髪を引かれながら、コンクリート製らしいが暗くてよく見えない坑口を一旦後にする。
そして、連続した次の構造物のものと思われる銘板の下へ寄った。
銘板…
読めない。
ずいぶん高いところにあるのと、まだまだ薄暗いのとで、ほとんど読めない。
フラッシュを焚くとノッペリ写って余計読めないので精一杯手ぶれに注意して撮影を試みたが、それでも名前しか読めなかった。
この構造物の名前は…
第二久頭合落石おおい
おおいんだ、落石…
分かるよ…。
来たッ!
沢山の出入り口!
これでやっと洞内へ!!
入れん!
そうか。
そんなに入れたくないか。
なんか、この先間もなく現れるであろう坑口まで行っても…
嫌な予感しかしない…。
6:55 《現在地》
ああ、やっぱりね。
まるで隧道の坑口のような姿をした、「第二久頭合落石おおい」の南口は、鍵の掛かった扉で完全に塞がれていた。
目線さえ通すまいと言う完璧なガードは、何らかの転用によるものらしい。
扉のプレートを確かめてみよう。
ああ、これか。
そこは、「佐久間町久頭合最終処分場」という廃棄物処分場で、「焼却灰」を処理しているようだ。
いかにも毒性が強そうな施設だけに、立入禁止どころか気密さえ満たされたガードの堅さも納得…
…せざるを得まい。
変状廃止から30年。
放棄され放題の現状を予想していただけに、これは意外な展開であった。
変状廃棄は、隧道内部だけということか。
銘板、ふたたび。
今度はシダが邪魔で、やっぱり名前しか見えない(涙)。
第二久頭合落石おおい
おおいんだよねー、辛いよねー。
基本的に隧道を探しに来たわけだが、目の前に旧線…廃線跡があるとなれば、辿らねばなるまい。
おそらくもう5〜600mは続いているはずだ。
「管理された施設」に通じている旧線跡だけに、車が通れるように再整備されていた。
しかし片切り片盛りの路盤は、法面の草むした石垣とあわせて、鉄道らしさがプンプンする。
200mほど進むと、工場のようなところにでた。
幸いまだ時間が早いので人影はない。
そのまま敷地の中央を横断する。
日中だと、素通りは出来まい。
それにしても、今朝は冷えるな。
7:00
見晴らしの良い分岐地点に出た。
処分場や工場への車道がここで、水窪川対岸の国道が通る芋掘地区へと分かれている。
正面の轍の細い道が旧線跡だが、早晩現在線と合流して良いはずの距離まで来ている。
現在地を地図で示せば…
なんか、おかしくないか?
どう見ても私が辿ってきた旧線跡って、
地形図上では現役の線路じゃないか?
いくら周りを見渡してみても、地表にでている線路はないぞ。
きっとまだ新線は、洞内分岐した後の「第一久頭合T(トンネル)」から出てきてないんだよ。
もう少し歩いてみれば、きっとはっきりするはずだが…。
これは相当珍しいエラーな予感。
路線の切り替えは昭和52年らしいので、30年も見過ごされてきたことに。