廃線レポート 定義森林軌道 その6
2004.11.23


 入山から2時間15分を経過。
時刻は午前10時を回った。

途中、巨大橋梁やインクラインといった、他の森林鉄道ではなかなかお目にかかれない貴重な遺構に遭遇した。
それらを攻略し、険しい地形を縫うように前進を続ける。
そして、終点もいよいよ近いかと思われた上流の軌道跡。

また新しい、“初めての出会い” が、待ち受けていたのだ。
よもや、森林軌道跡で出会えるとは思いもしなかった、貴重な標識との!



廃橋梁連続地帯
2004.11.3 10:00


 我々が、落ち葉積もる軌道敷きの片隅に見つけた金属板は、ひっくり返してビックリ。
それは、道路標識であった。
しかも、現行の標識とはデザインの異なる、旧版標識である。

このデザインは、昭和25年から38年頃まで利用されていたものだ。
インクライン巻き上げ小屋で目撃した「DANGER」とは同時代のもので、どうやら軌道車の運行にも道路標識を利用していたと言うことが、決定的となった。
このような利用が、広く一般に行われていたものなのか、この林鉄の独自のものであったのかは、分からないが。

旧標識の中でも、「CAUTION」と「DANGER」以外を見たのは、これが初めてだ。
マジ嬉しい。



 その先でも、この「警笛鳴らせ」の旧標識は度々、骸を晒していた。

ここに来て突如、大量に標識が現れ始めたのは、なぜなのか?
一部は、支柱の木製棒も健在であったが、流石に直立しているものには出会わなかった。
ますます、定義林鉄面白すぎる。
“森吉”にも引けを取らない、変化に富んだ素晴らしい林鉄遺構である。


 ますます地形は急峻さを増しており、もはや穏やかな場所など殆どなかった。
数十〜数百メートルおきに、ご覧のような橋梁決壊の跡が出現し、その都度我々は、崩れやすく滑りやすい斜面を上り下りさせられた。
もはや、数は自信がないのだが、規模の大きなものとしては、上部軌道で5つめの橋梁といって良いだろうか。
写真の橋梁跡は、一応5号橋梁と言うことにする。

全身を使っての冒険らしい前進が、続く。
くじさんにとっては、楽しくて仕方がないらしい。
私も、まんざらでもない。



 また、この辺りより先には度々、写真のようなタグが、軌道脇の木々に赤いペイントなどと共に、取り付けられていた。
内容は、伐採予定地を示すものと思われたが、ポイントは、その「年度」である。
そこには、「昭和4年度」の文字が、記されていたのだ。

だが、冷静になって考えれば、これは昭和ではなく、平成4年度の間違いであろうと思われる。
「昭和○年度」の○の部分だけが後から書き入れるようなフォーマットになっており、平成に年号が変わってからも、引き続き同じタグを使い続けたのであろう。
横書きの部分も、左書きになっており、昭和4年とは考えられない。

平成4年といえば、もう12年も前だが、それでも軌道の廃止からは30年を経過している。
その頃までは、林業で盛んに軌道跡も歩かれていたのかも知れないし、あの妙に新しい作業小屋も現役だったのかも知れない。



 ここまで来ると、標高も650m前後まで上がっており、紅葉も殆ど終わりだ。
久々に、短いが区間だが、穏やかな森の軌道跡。
雨は、小康状態となっている。
くじ氏を先頭にして、私、そして細田氏が続く。
私は、デリケートな軌道探索時においては、ラミネート加工した地形図を常時携行し読図しながら歩いている。
そして、おそらくはそろそろ笹木沢との出合い地点になるだろう事を予想した。
航空写真から読み取れた軌道は、この出合いの少し先で、終わりのようだった。
概算であるが、距離的にも、記録にある全長11.3kmを間もなく全うする。


 擂鉢状に谷底は抉れており、高低差は30mほど。
これでも、一時期から見れば、かなり比高は少なくなっている。
インクラインの直後は、80m近い比高があったのだ。
森の底に見える大倉川本流は増水気味で、囂々という響きが森を包んでいる。



 序盤では、多くの石垣やコンクリートの構造物さえ現れた本軌道であるが、進むにつれ、確実に簡素な造りになってきた。
もはや、土留めの石垣すら稀で、地山に直接、軌道敷きが描かれている。
斜面の急な部分には、写真のような木製桟橋が敷かれていることもあった。
辛うじて原形を留めているが、すでに地上に落ちており、地表と一体化してしまっている。

このまま、掻き消されるようにして、軌道は消滅してしまうのだろうか?
「解決!」と宣言できるような、分かりやすい終点部を期待してしまうのは、贅沢というものか。



 6号橋梁跡。
山肌の凹凸を、このような無数の木橋でこなしながら、軌道は大倉川左岸をひたすらに遡行していた。

本橋は、僅かに梁材一本が、橋脚に渡されていたが、恐らくこの冬を越せまい。
それほどに、腐築は進んでいる。
ここもまた、谷底を迂回して、進む。


  笹木沢出合い
2004.11.3 10:24


 そして、インクライン以来初めて、軌道は再び大倉川に面する。
対岸には、依然帯状の造林地が、蒼蒼と茂っており、紅葉の落ちた初冬の森に映えている。
この辺りで、我々は軌道跡を横断するようにして地面に落ちた、長いワイヤー数本を目撃した。
これが、対岸造林地と此岸の軌道とを結んでいた正体ではないかと、考えた。

写真、深い雲に閉ざされた前方は、笹木沢の峡谷である。
間もなく、笹木沢との出合いだ。
そこに、終点が待ち受けるはず。



 くじ氏の腰が少し退けているように見えるが、それも無理はない。

この地点は、笹木沢出合いまでで、最も危険な崩落斜面だ。
軌道はすっかりと土砂崩れに埋め尽くされ、人一人分すら平坦な部分はない。
幸いにして崩落は古く、地面は良く締まっているし、手がかりとなる灌木も豊富だ。
だが、どうしても崖下は見える。
崖下には、同様の急斜面が水面まで、おおよそ30m続いており、危険なことこの上ない。

このような崩壊地は、約30mほど軌道を寸断していた。
そこを超えると…。



 比較的大きな切り通しが出現。
この切り通しは、直線ではなくて、大きく右へとカーブして軌道の進路を変えている。

この地点こそが、笹木沢との出合い地点に最も近い部分なのだ。
進路を東寄りに変える本流に合わせて、軌道もここで、カーブする。
航空写真上での終点は、この辺りに見えた。
推定距離は、インクラインからここまで4kmほどだ。


 カーブすると、前方には久々に大規模な石垣が出現した。
この石垣は、高さ2m。奥行き20mほど、真っ直ぐと続いている。
久々に鮮明となった軌道敷き。

なお、出発以来ここまで、ただの一度も他の道にぶつかると言うことがなかったが、この地点の500mほど山側には、定義林道が通っている。
林道は海抜810m地点にあるので高度差は150mにも及んでいるが、実際にこの急斜面を往来し、笹木沢へ出入りする登山者もいるとのこと。
この笹木沢というのは、船形山地一帯では最も人気のある沢のようだ。


 振り返ると、先ほどの切り通し。

ここで、雨も止んでいたこともあり、休憩を取ることにした。
大きな休憩は、インクライン巻き上げ小屋以来だ。
約15分間、腰を下ろして、おにぎりをパクついた。
細田氏が、大変に重い思いをして持参してきた、缶詰めも食した。
この缶詰は普通のものではなく、雨で中止になった森吉粒様林鉄探索の日に、自衛官氏から細田氏が大量に譲り受けたものの一部である。

すなわち、自衛隊食だ。
それら缶詰は無骨な外観に似合わず結構手の込んだメニューで、私は特に沢庵が旨かった。




 10時49分、再出発。
タイムスケジュール的には、最大で正午まで前進できると考えていたので、やや早めに終点に辿り着きそうである。

この石垣は、ここまでにあったものの中で最大で、しかも目地がコンクリで補強された立派なものだ。
軌道は、石垣の下を通り、さらに進んでいる。




 終 点 ?! 
2004.11.3 10:52


 ブナの森の底に、笹の生い茂るお椀状の小盆地。
その山側には、笹藪と斜面の境界を成すような、怪しげな平場が見えているが、軌道跡かは不明。
密生した藪を漕げば、行けないことは無さそうだが、まずは、目の前の軌道を極めよう。



 一際大きくなる沢音。
足元は笹の茂る急斜面で、そのまま大倉川の早瀬に落ち込んでいる。
そして、眼前には対岸の緑が見えてきた。

軌道は、川へ向かって正対して前進しているようだ。
もしや、再び本流を跨ぐ巨大橋梁が現れるのか?!
期待に、胸がときめく。

なにか、ありそうな気配だぞ!






 

 ッ



 レ、レールだ。

レールが、敷かれている。
しかも、まだ光っている!

絶叫したい気持ちを抑え、そのレールの行く先を、目で追う。


レールは、…。



 レールは、僅か3mで終わっていた。(涙)

その先には、期待された本流渡河の橋梁の痕跡すらなく、紛れもなく終点らしい。


その端点を探っていたくじ氏と細田氏が、なにかを藪の中から見つけたようだ?!


 何じゃこりゃ。

明らかに、左右対称に整形された、レール。


もしや、これは…。

軌道終点の車止め?!

か、どうかは分からないが…、なにか意図的に整形したものなのは間違いないだろう。


 車止め(?)の向こうは、まさに断崖絶壁。
ここに橋が架かれば、対岸の杉の森が待ち受けているが、残念ながら痕跡は一切無し。
ちょうどこの真下には、深い淵といくつもの瀬が折り重なるような滝が落ちており、もし橋があれば、またとない絶景となっただろう。
地形的には、大倉川橋梁の前例を鑑みれば、ここにも大木造アーチを設置することは不可能ではなかったと思える。
如何せん、軌道の廃止が早すぎたか…。



 ここに来て、いままで皆無だったレールを遂に見つけた。
しかしそれは、同時に軌道の終点を示すものだった。

最後に残されたレールは、僅かに3m×2本。

黒光りするほどに、妙に新しく見えるのは、軌道がここまで延伸された時期が、竣工年度として記録にある昭和13年よりも新しいという推論を支持する。



 我々は、僅かなレールを愛でるように触ったり、測ったり、撫でたり、頬ずりしたりした後、少し予定よりも早かったが、撤収を開始した。

残るは、直前に見た、笹原の怪しい平場の正体を突き止めるのみ。







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