廃線レポート 定義森林軌道 最終回
2004.11.24


 午前10時53分、入山から3時間8分を持って、僅かにレールの残る終点部分に到着した。
そこは、想定されていた距離と一致する終点であり、ここを終点と断じることに、躊躇いは感じなかった。

だが、この終点の50mほど下流側に、不可解な平場を目撃していた。
笹藪に覆われた、その平場は何なのか?

これを解明しようとしたのが、この、定義最終章である。



謎の平場へ
2004.11.3 11:05


 終点間際の笹藪地帯へ戻った。
ここから、山側の笹樹海の向こうには、なぞの平場があり、あたかも山肌を横切る軌道のようである。
そこへの明確なアプローチはなく、高度差は3mほどながら、軌道が接続していたような痕跡も見いだせない。

とにかく、笹藪を漕いで、斜面をよじ登り、その平場へと行ってみる。




 登ってみると、なんとそこも軌道跡だった

足元には、枕木もコンニチワしており、間違いない。

まさか、これは第3の軌道なのか?

定義〜十里平〜インクラインまでの、「下部軌道」約7km。
インクライン〜笹木沢出合いまでの、「上部軌道」約4km。

そして今現れた、「最上部軌道」。

謎に包まれた、記録にない路線が、今明らかにされようとしている。


 笹地を超えて乗り込んだ最上部軌道は、上流側・下流側の両方へ続いていた。
我々は、まずは上流側へ向かい。
そして、そこを極めたのであるが、レポ的には先に、下流側を紹介してしまおう。

下流には、そう長く続いてはいなかった。
しかし、特徴的な線形を描いており、むしろ謎という点では、上流側以上に深い。

下流へと向かうと、高度そのままで、すぐにご覧の切り通しへ。
真っ直ぐの切り通しを潜り抜けると…。



 こんどは、分岐点である。

しかも、分岐は上流側から見て鈍角だ。
写真は下流側に立って分岐を撮影しているが、右が今通ってきた切り通しである。
つまり、左と、背後はまだ未踏査である。

順に、左から進入してみる。
この方向には、すぐそばに先ほど辿った軌道が通っているはずで、地形的には二つの軌道に挟まれた袋小路であるはずだ。
不可思議な分岐だ。



 案の定、左へ入ると、ほんの20mほどで、「上部軌道線」に遮られ、行き止まりとなった。
ここまちょうど、我々が休憩した石垣の真上である。
よもや、あの比較的新しく見えた石垣の上に、このような別の軌道が通っていようとは、思いもしなかった。

それにしても、この枝線は一体何なのだろう?
上部軌道へと集材した荷物を落とすための、作業支線なのか?
すぐ真下に迫った石垣と、軌道を見て、そんな想像をした。

だが、余りにもヒントが少なく確信は持てない。



 引き返して、分岐からさらに下流へ向かうが、こちらは入り口からご覧のような藪である。

そして、写真を撮っても地形を判然と出来ないような悪地で、軌道は「上部軌道」の斜面に遮られるように、再び潰えた。
終点までは、僅か30m程度であったと記憶している。

意外にあっけなく、下流方向の全ての分岐を解明してしまった。
どれも距離は短く、用途も不明だ。
何よりも、どの地点で「上部軌道」と、この「最上部軌道」が接続していたのかが、分からない。
やはり、地形的には、我々が移動したあの笹藪付近が、最も容易だと思うのだが。



 分かりにくいと思うので、概念図を用意した。

この奇妙な分岐支線群は、なんだったのか?

線形を見る限りは、石垣上部の枝線が上部軌道まで延びて接続していたのならば、スイッチバック線を形成する。
ただ、石垣上部の線が、本線まで緩やかに繋がっていなかったのは確かだ。
地形が改変されたのだろうか?


結局、謎を残したまま、レポは最終領域へと進む。


  最上部軌道 
2004.11.3 11:05


 笹藪地帯で、未確認の軌道跡を発見した我々は、上流へと歩みを進めた。
間もなく、当初は終点だと疑わなかった車止めを見下ろしつつ、大倉川左岸のさらに上流へ進んだ。
紛れもなく、上部軌道を超えた上部軌道の出現である。

そして、サプライズは続いた。




 再び、旧版道路標識の出現である。

現在のものとはデザインが違いすぎ、むしろ古くは見えないのだが。

これは、お馴染み「速度制限」の標識の、旧タイプである。
やはり、昭和25年から、35年頃まで使われていた。
軌道の廃止は、昭和38年といわれているが、時期的には一致する。
ただ、何度も言うが、軌道跡に道路標識が現れるという事自体が、私には驚きである。

また、その制限内容にも、余りに大きな隔世感がある。

 制限速度 6km/h

あ… ありえない…。



 斃れ伏した標識を、立ててみた。

往時をイメージできるだろうか?

こんな標識に従いながら、この山峡をトロッコが往来していたのだ。
まるでおとぎの世界だ。


なお、これと同じ速度制限の標識は、上部軌道上でも帰路に一つだけ、発見した。


 興奮に息を荒げながら、辿々しく続く軌道跡を、なおも歩く。
足元は、そそり立つ断崖。
崖下には、大量の雨水を通し半濁流となった大倉川源頭の流れ。
対岸の植林地も、笹木沢との合流点を最後に、無くなっていた。

はたして、どこまで辿れるだろうか?


 最上部軌道上では、殆ど唯一といって良いまともなゾーン。

この先は、再び崩落地帯となる。
しかも、下部・上部・最上部合わせても、最も危険なゾーンだ…。



 軌道は、完全に土砂崩れで埋もれ、さらに谷側は遙か崖下の奔流により浸食され、急崖を成している。
まともに通れる場所はなく、細い木々や、危うい根付きの雑草たちを手がかりにして、滑落に注意して進む。

斜面には、敷かれたままの枕木の一部が、露出している。

ここは、相当に恐かった。
特に、個人的に左が崖で、右が谷というシチュが苦手であり、帰りは恐すぎだった。
靴底が総フェルト張りの沢靴も、こういう場面での支持性を多いに欠き、怖さに拍車をかけた。



 最上部軌道上では、殆ど唯一といって良いまともなゾーン。

この先は、再び崩落地帯となる。
しかも、下部・上部・最上部合わせても、最も危険なゾーンだ…。




 沼 
2004.11.3 11:20


 思いがけない光景が出現した。

ますます狭く、急になっていくと思われた沢筋は、突如広大な杉林に開けた。
その入り口には、小さな沼があって、再び降り始めた冷たい雨に透き通った水面を揺らしていた。

かつてそこに人の営みがあったことを連想させる、造られた森の薄暗い景色。
沼の一方は、人工的なコンクリートの擁壁となっており、その上は軌道が通っていた築堤である。
これほどの奥地に、纏まった量のコンクリートの遺構が現れるとは思わなかった。
沼も、人工的なものだろう。

築堤上は、恐ろしく密集した笹藪となっており、とても正面から進入は出来ない。
余りの竹圧(造語です)で、とても荷物を背負った状態での侵入は不可能だった。
やむを得ず、藪を避けるルートを求めて、沼の辺から、杉の森へと進路を変更した。
日光が当たる場所は藪が酷く、森を迂回することにした。



 沼は一見浅いが、辺の部分からして深く腐葉土が堆積しており、底なし沼の様相を呈している。
縁にはコンクリートの擁壁があり、この上を歩くのがよい。

我々は分散して、藪の突破口を探したが、軌道の痕跡を探している余裕はなかった。
結局、約6分を要して杉林から、さらに上流の軌道跡と思われる平場へと通じた。
僅か50mほどの距離だが、笹やススキの密生著しく、この間の人為的な地形と思われる部分は殆ど捜索できず。





 薄いところを狙って歩いていても、背丈よりも深い笹藪に阻まれる。



 ようやく脱出したと思っても、今度はなにか様子がおかしい。



 軌道なんてありゃしない!

笹木沢合流点から、おおよそ500m。
最上部軌道も、遂に終点を迎えたのだろうか?

もはや、軌道敷きがあると思われる高度は、急激に迫り上がってきた大倉川の河床面とほぼ等しくなり、さらに両岸は深く切れ込んでいる。
そこに、軌道敷きと思われる平場の痕跡はない。

悔しいので、河床に降りてみる。



 藪漕ぎから、悪あがきとも言える斜面のへつり移動で、かなり火照った体を、勢いよく流れる沢水が冷やす。
そして、降り始めた雨はさらに体温を奪う。

とまっていれば、凍えてしまう。

断定。

ここより先に軌道はない。
地図上では、あと3kmほど遡行すれば、定義林道にぶつかるが、そこまで続いている形跡はない。

11時40分、撤収開始だ



 それは、幸運だった。

引き返しながら、我々の中には、最後の最後で、腑に落ちないものが残っていた。

 本当の終点は、どこだったのだろうか?


そして、一縷の望みをかけて、あの沼の辺の笹藪へ戻った時、そこに、たった一条だが、奇妙に整形されたレールを発見したのである。

そこは、腰丈ほどもある笹の海原だったが、来た道を戻るのではなく、敢えて沢際を歩いていたお陰で、これを発見できた。

ただ一条のレールだが、我々にはこれが何であったのかを知る、大きな前例があった。
上部軌道の終点で、レールの先に見たのは、車止めとして、やはりこれと同じように整形されたレールの姿だった。

確証までとは行かないが、かなりの確率で、この地点が最終終点である。



 沼の辺の、拓かれた土地。

さらに調べると、あたりには朽ちたドラム缶も散見された。

ここにはかつて人が、一時的とは言え、暮らしていたのではなかろうか?


ここが、終点だ。






 これにて、くじ氏、細田氏と共に挑んだ、定義林鉄の報告を終える。

今回の踏査は、相互リンク先サイト『鉄の廃路』さまの影響による所が大きく、本路線についてもより詳細なレポートが成されると思います。
合わせてご覧頂ければ、より定義森林軌道への理解は深まるものと思われます。

これだけの大林鉄遺構を世に知らしめた 『鉄の廃路』、その管理人でおられる けな氏 への、
感謝を忘れるわけにはいかない。







完  →補完編


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