廃線レポート 藤琴森林軌道 粕毛線  <第 4 回/>
公開日 2005.9.15


  生 還
 2005.5.29 15:05

X−1 最終場面


 それから5時間後。


 軌道跡であったはずの岩山に腰を下ろし、遠くを見つめる、くじ氏。


 それを何気なくフレームに納める、私。



 前回までは、必ず写っていた人が、1人いなくなっている。




 谷を跨ぐ、戦慄のガーダー橋と、それを挟む二つの隧道。


 5時間前、勇んで乗り越えた景色が、そこにあった。



 いまは、無言の男たちが、あった。


 



佐原橋。


東又沢に架かる、終点の橋。


3号隧道の迂回路から見渡して初めて、

橋の前後には道がないことが分かった。


橋は、もう永遠に車が通うことのない場所にあった。





 結構ちゃんとした橋だ。

親柱の銘板によれば、読みは「さわらはし」。

竣工年度は不明。


 我々が、この9時間近くも前に車を置いた場所は、地図上ではこの先、

さらに1km以上沢を遡った場所である。

倒木により進入を断念した「一ノ沢林道」の終点が、この橋なのだ。



 佐原橋から、やや下流に架かる、

林鉄のガーダー橋。


ここから見る姿が、もっとも美しい。

直角隧道二つに挟まれた、断崖に取り残されたような一本橋。
橋脚はおろか、橋台すらない。
岩肌に直接載せられたようにしか見えない…。


 後続の二人が、橋にもとれる私を、無言で追い越していった。

私は、この二度と訪れることの無いだろう景色を、仲間達が視界から消えるまで、眺めていた。


 いま、 伝説の地を、後にする。
 



 今一度振り返る。


 林鉄の廃橋を見渡す林道の橋も、やはり廃橋だった。


 「流転」なんていう言葉が頭を過ぎる。


 いま、5月末。
一年で最も、秋田の廃道が歩きやすい時期…。
それでも、この藪。この視界。 猛烈な爆発力を内に秘めた淡い新芽達が、森全体に芽吹いている。



 森だけじゃない。

かつて道だった荒れ地にも、埋め尽くす瓦礫の隙間からも。


 果たして、

夏、

いかなる緑の地獄が待ち受けているのだろうか?

林鉄はおろか、廃林道を辿るだけでも、もう…。

 


 最終最後の、廃林道、1km。


気温は、30度を超えた。

この年、最初の真夏日だった。


 だが、

1人だけ、

汗すらかかず、


ただ、力なくうなだれている男がいた。




 とりあえず、3人は生存していた。

5時間の間に、鋭気も元気も生気も削がれまくったが、

なんとかかんとか、生きて、林道をふさぐ倒木まで、辿り着いた。


 特に、パタリン氏は、ある事情によって、

限界すれすれ…。

「俺が倒れたら、頭を低くして…」とか、力なくくじ氏に“遺言”しておくほどに、

疲弊しきっていた。

汗も出なくなる、そんな事情によって。

 



 やっと、轍を取り戻した林道。


東又沢を跨ぐもう一つの林道橋が見えてくると、その傍らに、9時間前そのままのジムニーが見えてきた。


 これは生還であり、生存を果たしたという 結末。


それだけである。

3人が為したこと、 それは、 生還と生存。


  それだけ・・・。  




 こうして、終わりを告げる粕毛林鉄探索。


  パタリン氏の身に何が起きたのか。

  この5時間にどのような景色を見たのか。


 それは、次回より明かされる。

 粕毛林鉄、

          最 狂

                   の、伝説…・。

 










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