それから5時間後。
軌道跡であったはずの岩山に腰を下ろし、遠くを見つめる、くじ氏。
それを何気なくフレームに納める、私。
前回までは、必ず写っていた人が、1人いなくなっている。
谷を跨ぐ、戦慄のガーダー橋と、それを挟む二つの隧道。
5時間前、勇んで乗り越えた景色が、そこにあった。
いまは、無言の男たちが、あった。
佐原橋。
東又沢に架かる、終点の橋。
3号隧道の迂回路から見渡して初めて、
橋の前後には道がないことが分かった。
橋は、もう永遠に車が通うことのない場所にあった。
結構ちゃんとした橋だ。
親柱の銘板によれば、読みは「さわらはし」。
竣工年度は不明。
我々が、この9時間近くも前に車を置いた場所は、地図上ではこの先、
さらに1km以上沢を遡った場所である。
倒木により進入を断念した「一ノ沢林道」の終点が、この橋なのだ。
佐原橋から、やや下流に架かる、
林鉄のガーダー橋。
ここから見る姿が、もっとも美しい。
直角隧道二つに挟まれた、断崖に取り残されたような一本橋。
橋脚はおろか、橋台すらない。
岩肌に直接載せられたようにしか見えない…。
後続の二人が、橋にもとれる私を、無言で追い越していった。
私は、この二度と訪れることの無いだろう景色を、仲間達が視界から消えるまで、眺めていた。
いま、 伝説の地を、後にする。
今一度振り返る。
林鉄の廃橋を見渡す林道の橋も、やはり廃橋だった。
「流転」なんていう言葉が頭を過ぎる。
いま、5月末。
一年で最も、秋田の廃道が歩きやすい時期…。
それでも、この藪。この視界。
猛烈な爆発力を内に秘めた淡い新芽達が、森全体に芽吹いている。
森だけじゃない。
かつて道だった荒れ地にも、埋め尽くす瓦礫の隙間からも。
果たして、
夏、
いかなる緑の地獄が待ち受けているのだろうか?
林鉄はおろか、廃林道を辿るだけでも、もう…。
最終最後の、廃林道、1km。
気温は、30度を超えた。
この年、最初の真夏日だった。
だが、
1人だけ、
汗すらかかず、
ただ、力なくうなだれている男がいた。
とりあえず、3人は生存していた。
5時間の間に、鋭気も元気も生気も削がれまくったが、
なんとかかんとか、生きて、林道をふさぐ倒木まで、辿り着いた。
特に、パタリン氏は、ある事情によって、
限界すれすれ…。
「俺が倒れたら、頭を低くして…」とか、力なくくじ氏に“遺言”しておくほどに、
疲弊しきっていた。
汗も出なくなる、そんな事情によって。
やっと、轍を取り戻した林道。
東又沢を跨ぐもう一つの林道橋が見えてくると、その傍らに、9時間前そのままのジムニーが見えてきた。
これは生還であり、生存を果たしたという 結末。
それだけである。
3人が為したこと、 それは、 生還と生存。
それだけ・・・。
こうして、終わりを告げる粕毛林鉄探索。
パタリン氏の身に何が起きたのか。
この5時間にどのような景色を見たのか。
それは、次回より明かされる。
粕毛林鉄、
最 狂
の、伝説…・。