久留和漁港の海上に伸びるレール 前編

公開日 2014.11.30
探索日 2014.11.28
所在地 神奈川県横須賀市


今から約半年前の平成26年5月頃だったと思うが、秋田のミリンダ細田氏が興奮気味に電話してきた事があった。
なんでも、鉄道雑誌『ジェイ・トレイン Vol.54』に、彼の心を猛烈に揺さぶる廃線の写真が掲載されていたのだという。(記事のタイトルは「たかがトロッコ、されどトロッコ…」(岡本憲之氏著))

細田氏曰わく、「●●●●(下ネタ自重)ぶっ飛びそうになった」。

そこに掲載されていた写真は1枚だけで、文章も短いキャプションだけだという。場所は横須賀市の久留和という漁港の一角らしいが、彼に代わって
「詳しく現状を調べて欲しい!」 というのが電話の要件だった。


親友の頼みだ。
ちょっとだけ遅くなったが、ちゃんと見てきたぞ。
このレポートは、秋田のミリンダ細田に捧ぐ。




 途切れ途切れの橋


輪行による三浦半島探索サイクリングの最中、時刻はまだ午後2時前だが、
日が短い時期だけに、既に探索は終盤戦といった気持ちであった。

細田氏の熱い注目を浴びる久留和の港は、そんな長閑な午後、
私を一人だけを冷たい海へと追い立てる秘策をもって、現れたのだった。


2014/11/28 13:41 《現在地》

国道134号上から見えてきた久留和漁港。

今までもこの風景を見る機会は何度かあったはずだが、敢えて立ち寄る事の無かった小さな港である。

だが、今回初めてここに注目して見れば、確かに何か異様なものがある。






13:45 《現在地》

国道から左へ折れて、漁港への進路を取る。
漁港の入口に、「第1種 久留和漁港」の見慣れた青い看板を見る。
第1種というのは、地元の漁業に使われる程度の小規模な漁港であり、この上に第2種(広域的な漁港)と第3種(全国区の漁港)がある。
三浦半島の西岸で相模湾に面する当港は、そんな小さな漁港であり、雰囲気的にもあまり活気があるようには見えなかった。

先ほど国道から“異様なもの”が見えた場所へ向かう。
そこは漁港の南の端で、海に突き出した防波堤の付け根の辺りだ。
防波堤の内側に漁港の施設があるが、“もの”の在処はその外側。外洋に面する側である。このことは大きな不安材料であった。

現場には防波堤に入るなという掲示があったが、見ないフリで、その上に登ってみる。



これは確かに、凄い景色だな。

細田氏の言を借りれば、この廃線の魅力は次の通りだという。

見棄てられたせんろ(線路でなくて、せんろ)が、
桁もなく橋脚の支えだけで一直線に水上を出島に
向かって延びている光景に驚きつつ、それに惹かれた。



この景色は、特に絵心なんて無いと自覚している私にさえ、アートな刺激を与えてきた。
色々な角度からカメラのファインダー越しにこの奇抜の風景を切り取ってみたくなった。
それは遺構探索にもなるし一石二鳥に違いない。
私は自転車を防波堤に置き去りにして、消波ブロックが山積する海岸線に跳ねた。

この遺構のありのままを伝えるのは、写真を見てもらうのが一番手っ取り早いだろう。
説明不要に奇抜な風景だ。細田氏から見せて貰った小さな写真よりは荒廃が進んでいるように見えたが、明らかに同じ場所。

枕木代わりの鉄棒で連結された梯子のような線路が、前方の海上に浮かぶ小さな“出島”を目指して、一直線に陸から伸びていた。
橋と呼ぶのも不安に駆られそうな、未だかつて見たことのない華奢な線路だった。
今は明らかに廃線だが、現役時代があったとして、この線路を人が行き来することは、相当な危険を孕んでいたように思う。
さすがにレールとレールの間に、木の踏み板くらいは、あったと思いたいが…。



陸上との連絡が出来ない、奇妙な端部。

消波ブロックに橋脚の数本が埋もれるように立っているのも不思議な感じで、一体どちらが先にこの場所を占有したのだろうか。

少なくとも、この防波堤の高さを乗り越えて、陸の上まで線路が通じていたとは考えにくい。
また、防波堤の内側(陸側)には、この線路の続きも、それを匂わせる遺構さえも存在しない。

それゆえにこの廃線は、全線が海上にのみ存在するという、深く考えるまでもなく尋常ではない状況になっている。

なお、もしも一切の予備知識無しでこの廃線を見付けていたら、そもそも私はこれを廃線とは考えずに、単に廃レールを使った廃橋、廃桟橋の遺構と判断しただろう。
そのくらい「実際に線路として使われていたことを感じさせない」、異様な鉄路の風景であった。




限界を遙かに超えて腐食してしまったレール。
既に原形を留めないが、年がら年中に海水を浴びているのでは無理もない。
また、枕木を敢えて鉄製(鉄枕木)にしたのも、強度を考えての事だったかも知れないが、耐蝕性という意味では枕木の方が良かったのかもしれない。
この鉄枕木とレールの固定方法は、ビスを用いている様子が無く(鉄枕木では犬釘も使えない)、溶接をしていたようだ。
このことから、例えば戦前の遺構であるとか、そこまで古いものでは無いことが分かる。

読者さまにご指摘を受けるまですっかり忘れていたが、レールと枕木が一体になった「軌框(ききょう)」という種類の軌道が存在する。
身近なところ(?)では、細田手漕軌道もそうであった。
久留和漁港のこの線路も、明らかに軌框である。



用いられているレールは自家製品か、或いは工業製品として出荷された軽レールか。
後者ならば1スパンは5.5mと定められているが、あいにくメジャーを家に置いてきてしまったので測定できなかった。
しかし、おそらくは後者であると思う。
レールそのものの造りは、林鉄探索などで見慣れた軽レールと違いは無いように見えた。
(腐食で痩せ細った事を考慮しても)最軽量の6kg/mレールではないだろうか。とにかく華奢である。現状では人がぶら下がっただけで折れてしまいそう。

また、レール同士の継ぎ目に使われているボルトやナットが全く腐食していない事が分かった。
これが素材のせいなのか、メッキ加工のせいなのかは分からないが、どちらにしても、普段良く見る軽レール(昭和40年代以前の林鉄など)よりは、だいぶ最近のものなのだろう。




桁もなく、橋脚の支えだけで海上を走る線路。

確かにこれは“線の路”だなと思う。
私を含め、鉄道が好きな人のうちの一定数は、線路そのものの造形にも惹かれているはずだ。

線路はただの路よりもコンパクトでありながら、実は大量輸送に向いているという逆転的な優等生ぶりに惹かれる。
こんな風に何もない空をバックに線路を眺められる機会は珍しいが、ここには線路好きが夢にも見た、“線の路”としての限りなく無駄を廃した造形美だけがある。

数メートルおきに立つ橋脚の先端は、鉄枕木に溶接されていて、ここまでで構造としては一つの橋脚をなしていた。
本橋における桁材とは、2本のレールそもののである。
橋脚との結合は溶接だから剛結合、すなわち橋の構造としては、鋼ラーメン桁橋といえる。
言うまでもないが、通常の鉄道用の橋は橋桁の上に洞床があり、そこにレールが乗っているのであって、レールは橋の部材ではない。
本橋の最大の特徴は、車輪の通行するレールが、橋桁を兼ねている点である。

なお、メジャーを忘れてきたので軌間も正確には測定出来なかったが、自分の靴を使って大まかに計ったところ、おおよそ50cmと判明。一般的な規格に照らせば、軌間500mmか508mmのどちらかであろう。狭軌中の狭軌である。



超絶に薄っぺらい鉄道橋が目指す先には、

コンクリートベースの人工島。

悪のヒミツ結社の根拠地にしては小さいが、物好き爺さんの隠居地にしては物々し過ぎる。
遙か遠く正面に伊豆大島の大きな島影を臨む好眺望だが、それゆえに陸からの距離の割に“絶海ムード”を演出していた。
周辺の海は不気味に黝(あおぐろ)く見え、晴れた日に来れなかったことを恨んだ。
人工島の岸壁周辺では、外洋から押し寄せる波が時折白く弾け飛んで、迫力も十分。

私は、簡単に想像出来る細田氏の期待に満ちた表情と、通勤電車を輪行で帰らなければならない自らの立場とを、天秤に掛ける羽目になった。
こんなとき、いつでも暖かい着替えが積んであった、あのワルクードがいてくれればと思ったが、もういないんだ。



考えあぐねて、消波ブロックの上を行ったり来たり。
そんな私の姿を、近くの防波堤の上に立つ数人の釣り人が見ていたかもしれない。私は勝手に急かされた気分になって、ますます居心地が悪くなった。

何もこんな、磯遊び日和とはあまりにも無縁な11月末の曇った金曜の午後に、入水による人工島へのアプローチを企てる必要は無いのではないか。
確かに他に手段は無さそうではあるが…、
そこまでしなくても、
もう十分に
この遺構の全貌は見えているではないか…。


……細田さん。




13:55 

ゴメンナサイ、帰りの電車で一緒に乗る乗客の皆さん。
私は今から、この海に入ります。
乾くまでは乗らないし、空いてる電車を選ぶし、座席にも座らないから、
磯臭くて汗臭い私が隣になっても、今日だけはニッコリと許してください。


私は細田氏の期待と、

私自身の心の満足を、



選びます!




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