白湯山林道(森林軌道) 第4回

公開日 2011. 3.18
探索日 2009.10.30
所在地 栃木県那須塩原市


これまでで1号と3号隧道の現状を確認した。

ここまで隧道意外にめぼしいものが残っていない林鉄も稀な感じはするが、逆に隧道だけは形を変えていても残っているところに、林鉄隧道の如何に転用の難しいかが感じられる気がする。

ともかく残りはあと1本。
ほぼ全線の中間地点に位置する「地蔵平」にあったという、第2号隧道である。

この隧道は全長が420mあったと記録されており、3本中最長であるばかりでなく、林鉄の隧道としてかなり長い部類に入る。
それを民間で開削しようとしたことにかなりの特異性を感じるが、案の定それは楽な工事ではなく、「黒磯市誌」曰くには、「土山のため坑木を組みながら進」んだとのことである。

前回紹介した3号隧道が非常な硬岩(そういう場所にダムをつくっているのが理解できる)で掘削に苦労したのとは対照的に、そこから2kmも離れていない2号隧道は、崩れ易い土山だったというのである。

それでは早速隧道探しを始める前に、その探すべき場所を確認しよう。




新旧の地形図で2号隧道付近を比較してみると、その違いは明確である。

1本のトンネルが描かれていることに違いはないが、明らかに誤差の範囲とは言えないレベルで、東口の位置が異なっている。

現在、旧隧道の東口が疑われる地点には寺院の記号がポツンと描かれている(木の俣地蔵)が、目印になるだろう。



とりあえずは、現在の深山隧道東口より捜索を始めよう。

なおこの探索も、1号隧道と2号隧道のどちらとも別の機会に行った。
時系列順で言えば、一番新しい探索である。



木の俣地蔵の境内で隧道探し



2009/10/30 15:04 

県道369号唯一の隧道、深山隧道。
ここはその東口前だ。

坑口前は直角に近いカーブのため、大型車が交換するための待避スペースとして、大きな空き地がある。
もっとも、今この道を通る大型車は多くない。かつて深山ダムの工事関係車輌が主として利用したと思われる。

そして、この空き地の奥には、深山隧道が建設されるまで使われていた旧道が存在する。
本編が終わったらレポートしたい。




道路調書によれば、この深山隧道のスペックは次の通り。

深山隧道
昭和44年竣工、全長273m、全幅5.8m、高さ4.5m

このうち隧道名と竣工年に加えて、「前橋営林局長 安藤丈一郎」という名前が刻まれた立派な黒御影の銘板が、両側の坑門に填め込まれている。

昭和44年当時、この道はまだ県道ではなく、前橋営林局大田原営林署が所管する白湯山林道であった。
時期的に深山ダムが完成する4年前であるから、ダム工事のための大型車の通行を考えて、新築されたもののようである。




洞内の様子。

長さは273mで、軌道時代の隧道よりはだいぶ短い。
また、完全な2車線のトンネルではなく、大型車同士の離合は難しい。
その他、道路用のトンネルにしては縦長断面の印象を受けることや、側壁が全て垂直であること、そしてなにより全くの無照明であることなど、どことなく“工事用”っぽさを感じられる質素な隧道である。
銘板がワンポイントのお洒落といった風情だ。




さて、深山隧道のチェックはこれまでだ。

くぐり抜けることはせず、引き返してきた。
これから古地図に従って、軌道時代の隧道、その東口を探すのである。

写真は深山隧道東口付近から、板室温泉方向(下流方向)を撮影。
ずっと奥の方で左カーブになっているのが見えるが、あそこが「木の俣地蔵」といい、隧道擬定地だ。
すなわち、新旧隧道の東口は、300m程度離れている計算になる。




15:06 《現在地》

上の写真で奥に見えた左カーブへとやってきた。

右の写真では、私は左から来て、板室方向を見ている。
山中には珍しい平坦地が広がっているが、ここが「地蔵平」である。

そして黄色い矢印は、推定される軌道のラインだ。
軌道は本編第2回の最後のあたりで県道369号と重なった後、ここまで約1.7kmをアスファルトの下で過ごしていると思われる。

改めて黄色いラインを見て貰いたいが、まっすぐこちらへ向かってきて、県道のカーブを無視して手前の草地に入ってくる。
傍らには2基の灯籠に挟まれた小径があるが、これは木の俣地蔵の参道であり、軌道は参道の脇を通っていたと考えられる。



参道入口に立っている案内板によると、この木の俣地蔵は、前九年の役(1051-1062)に出陣した阿部貞任(あべのさだとう)の伝説地であり、戦前には霊験あらたかな子育て地蔵として、遠く会津地方からも多くの参詣人を集めたとのことである。

この県道369号は黒磯田島線という路線名の通り、会津田島(現:南会津町)へと通じている(廃道だが。←「廃道をゆく3」に掲載予定)
また、近世末には既に「会津中街道」の間道である「百村(もむら)通り」が、県道とほぼ同じルートで田島へ通じていたと言われており、大正から昭和初期に軌道が敷設される以前から、一帯は人々の通り道だったのだろう。

なお「黒磯市誌」は、白湯山林道(軌道)が「当初から将来は南会津に延ばし、山口営林署管内の林産物資の搬出も企図するという大構想のもとに着工された」としている。



「木の俣地蔵へ160m」

先ほど反対側から眺めた石灯籠の間を通って、奥へ進む。
軌道跡はこの右側に並行しているようだ。

なお、この場所で隧道探しを行うのは、実はこれが二度目である。
この2年前にも探しているのだが、その時は空振りに終わっていた。
しかし昨年辺りだったと思うが、当サイトの掲示板に「発見した」という書き込みがあった。
だから、今回はぜひとも見つけなければならない。

(すみません。過去ログから見つけられませんでしたが、書き込みをされた方からお申し出があれば、お名前を頂戴します)




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恥ずかしながら、前回来たときはこの右側に見える窪みに、気付いていなかった気がする。

だが一度分かってしまえば、それはもう
明らかな 堀割 である。

今はまだ浅い堀割が、真っ直ぐに奥へ通じている。
そして奥の方では斜面の傾斜が増しており、追従できない堀割は自然と深くなっている。

この展開の結末は、ひとつしか考えられない。




言い訳できないレベルだな…(笑)。

ほんと、なんで2年前の私はこの地形に気付かなかったんだろうか。恥ずかしい…。

ここまでは来た覚えが確かにあるんだが、右の明瞭過ぎる堀割と、その末端部の存在には気付かなかった。


まあ長いオブ道… そういうこともあるさ… ポンポン(肩を叩く)




末端やべぇ!

坑口があっただろう堀割の終点部は、ほとんど土に埋もれていたが、

黒い隙間が見えてしまった!





15:09 《現在地》

なんか、有るって聞いていたせいか、

いつもの「キター!」というような興奮は薄く、


むしろ、


出て来ちゃったか。

という、嘆息に近いものが…あった。



だって… 隙間があると言うことは……




俺が入ること前提なんだろ。


みんなも期待してるんでしょ? きっと入るだろうなって。






こういう機会だから、

一度はっきり言っておく。




ぶっちゃけ、











入りたいッ!




【にゅるんとトコロテンのように洞内に入ってしまう動画】


実は、躊躇ってます。かなり。
だって、狭いんだもん。入口。