廃線レポート  
森吉森林鉄道跡 探求編 その4
2003.12.10



 4号隧道の崩落と、その奥に広がる地底湖は、3人の戦意をも一挙に奪い取った。
これは、とても人力で復旧できる状態にはない。
やはり、一度崩落した隧道を蘇らせることなど、無理なのか。
そして、これで探索は、終了せざる得ないのか…。

このとき、選択肢は三つあった。
一つは、4号隧道側からの探索は諦めて、上流側の5号橋梁のリベンジに向かう。
二つ目として、今回パタ氏が準備していた“最終兵器”を持ち出すために、車に戻る。
そして三つ目、
4号隧道が超えているはずの山を迂回し、まだ見ぬ反対側の坑門へと向かう。

われわれは相談し、3番目のプランを採択した。
まだ、終われない。


尾根越えを目指し
2003.11.30 10:23

 敗者は、隧道から出るのみ。

だが、われわれには正面突破以外にも手はあるはずだ。

ひとりなら、きっとここで断念しただろう。

でも、今日は、仲間がいる。



 ブル道に戻り、4号隧道の上部を越える方法を検討したが、道なき急斜面に分け入るリスクを考えれば、多少遠回りになっても、何か道に沿って進むことを考えた。
それで、ここまで来る時に利用したブル道が、軌道跡を横断した先、さらに上部へと続いていることに着目し、これを進んでみようということになった。
方角的には、4号隧道の坑門の方向とは90度異なっているが、むしろ、太平湖の方角ということでは、ブル道は最短路のようにも思えた。

3人は、再びスコップやツルハシを各々手にすると、霧雨のブル道を、登り始めた。


 道は、一般道ではありえないような強引な九十九折と、急角度で、鬱蒼とした造林地へ分け入った。
長い間利用されていなかっただろう道は枯れ草に覆われ、夏場はきっと背丈ほどの叢に覆われるのだろう。
ここまでは、軌道跡を主に歩いてきたので、さしたる勾配という物はなかったのだが、この急な道で、体力を奪われ始める。
最初は、笑いながら歩いていた3人だったが、いつの間にか、黙りがちになった。



 15分ほど上ると、道は不鮮明になった。
森は小さな盆地になっており、そこに幾つもの作業道の痕跡が縦横に走っている。
もはや、一つの道を辿るのは困難になり、地形を頼りに、4号隧道の反対側の坑門を目指し歩くことになった。
だが、残念ながら、4号隧道が描かれた正確な地図というものは無く、その坑門がどこに存在しているのか、はっきりとしたことは分らない。
湖畔のどこかにそれがあるだろうことは、ほぼ間違いないと思うのだが、厳密な目的地も分らないまま、歩いていた。



 幾つもの分岐があって、そのたびに3人で協議して進んだ。
なんとなく、こっちっぽいな、とか言うレベルで。

はっきり言って、考えが甘かった。
このときはまだ、あれほど太平湖までの山並みが険しいとは思っていなかったし、大体で進んでも、大体の場所には出られるだろうくらいの、甘さがあった。
そもそも、例えこんなブル道でも、道がある以上、なんかしらわれわれの望む場所か、それのヒントになるような場所には、誘ってくれるだろうという、淡い期待もあった。
普段、道や、道の跡ばかり追いかけてきた私の、根拠の無い信頼であった。

ここで、ちゃんと地図を見ながら進んでいれば、結果は変わってきたかも知れない。


 ブル道を選びながら進むうち、方向的には、われわれが来た方に戻ってきていた。
ただ、だいぶ高度は稼いでおり、視界が開けそうな感じになってきた。
周りが見渡せれば、何か進展があるだろう。

やはり、甘い考えのまま、ただただ道を辿って歩いた。

実はこのとき、4号隧道の推定される反対側坑門とは、正反対の方向へ進んでいた…。


 ブル道は、造林地の端に達すると、何の前触れも無く、あっけなく笹薮に消えた。
その先には、道のあった気配も無い。
完全に、道に棄てられた3人。

それでも、まるで惰性に任せるかのように、歩けそうな部分を選んで歩いた。
徐々に視界が開けてきていた。

まだ、地図を確認してみようとは、しなかった。
行き当たりばったりでも、何とかなるだろうと思っていた。
また、我々の頭には、「湖を見たい」という気持ちも強くあった。
それは、そこが4号隧道の行く手だからという、極めて単純な理由だったように思う。
湖は、点ではなく、広大な面、或いは、空間だということに、まだ気がついていなかった。
湖が見えさえすれば、何とかなるだろうと、思った。



 冬の準備を整えた森は、十分に視界があり、稜線を選んで歩く分には、道は無くとも苦労は少ない。
ただ、楽な部分を選んで進むだけでは、決して目的地には近づけないのだ。

もっと早く、誰かがそう言い出せばよかったのだが。
黙々と、稜線を歩いた。



湖面を求め彷徨う
10:53

 楽な稜線も長くは続かなかった。
その突端に達すると、その先、左と正面が深く落ち込み、右には急な斜面を経て、隣の稜線が奥にありそうな地形であった。
木々の幹の向こう、はるか200mくらい下方に、HAMAMI氏の愛車が見えている。
どうやら、私たちがいる場所は、探索のスタート地点からほど近い小又川沿いのピークの一つらしかった。
辺りの景観と、頭の中に存在する地図とを照合すると、ここはまだ、ダムサイトよりもほんの少し下流である。
この一つ隣の稜線と、対岸の斜面との間に、小又川をせき止める森吉ダムがあるはずだ。

急な斜面を出来るだけ平行に伝い、隣の稜線へ移ることにした。
ますます目的は、まず湖を見ようということになっていったらしい。
だれも、口にはしなかったが。



 それから、かなり彷徨った。
決して迷ったわけではないが、かといって、明確な道標もなく、進みやすい地形を選んで、かつ、可能な限り、上を目指した。
まだ、湖は見えない。
疲労が濃い。
とくに、会社勤めから突如山へ放り込まれたお二人は、ますます無口になっていった。
私だって、山歩きは不慣れだし、まして知識などまるで無い。
ただただ体力に任せ、無理やりに進んでいたので、他の二人には迷惑だったに違いない。
まだまだ私の疲れは序の口だったが、ただ、目的地からだいぶ遠のいている予感はあった。
そして、際限ない放浪につきすすんでいるような無力感と、脱力感を、感じていた。




 そして、11時9分。

遂に、木々の向こうに灰色の湖面が広がった。

歓声が巻き起こった。


岬へ立つ
11:09


 4号隧道前を発ってから、約45分を経過していた。
その半分くらいは、道なき山林を歩いた。
3人は、ここで一服した。
パタ氏は、タバコも一服した。
ちゃんと携帯灰皿を携帯していたのには、感心してしまった。
ちなみに私は吸わない。酒も飲ま(め)ない。んなこた誰も聞いてない。
パタ氏は飲み物を車に置いてきてしまったそうで、私のアミノサプリ(1リットルPET)を少し飲んでもらう。
私は、雨がちの日は余り喉が乾かないので、構わない。

 

 とりあえず、木々の間に見える湖の様子を観察すると、だいぶ現在地がはっきりとしてきた。
初めて見る森吉ダムのダムサイトも見下ろすことが出来た。
4号隧道の坑門がどこにあるのか分らないので、できれば、ここの直下の湖畔に軌道筋があるのかを知りたい。
そう思って湖を覗き込んでみると、どうもここには軌道がない。
やはり、坑門はもっと東よりになるのだろう。
残念という気持ちもあったが、それ以上に、一つ一つ分らなかったことが解明してゆく快感が大きかった。
湖が見える場所にたどり着いたことで、3人の元気は回復した。



 とりあえず、この稜線上に笹薮が広がっているので、沿って進むことを決め、再び歩き出した。
一体、この広大な笹薮はなんなんだろう。明らかに、人為的に下刈りされている。

現地では謎のままだったが、これは最近まで鉄塔が頭上を通っていた名残のようである。
いつ頃かわから無いが、たぶん下流の森吉山ダム工事の影響でこの鉄塔を含む送電線が廃止になり、撤去された物だと思う。
まだ掘り起こしてからそう経っていなさそうな巨大な穴が、笹薮の中に点々と続いていた。
これは、鉄塔の基礎が埋まっていた痕跡だと考えられる。



 まもなく、地が尽きて進めなくなった。

この先には進むべき地面が無く、切り立った斜面が霧の下の湖面に吸い込まれている。
これはもう、引き返すより他は無い。
そして、ここではじめて地図を開いたのだが、湖面に突き出した半島の突端に、我々はいた。
絶対に、軌道が通っていなさそうな場所だ…。

やはり、無計画に地形に身を任せて歩くのは、よくない。
こと、軌道探索という明確な目的があるのであれば、それ一点に絞って、多少の地形的困難を押してでも、慎重かつ正確に進むべきだった。

このとき現地の我々が、後悔よりも、どう方向を修正していくかということにすぐ頭を切り替えたのは、良いことだと思うが、もう遅かった。
残念だが。


 しかし、軌道という目的からは離れてしまったが、この地からの景色は新鮮そのもの。
一般のガイドブックには決して載らない景色である。
あてがわれた様な展望台から見る景色とは一味もふた味も違う、幻想的な眺望に、やぶ山歩きの魅力を感じた。

写真は、小又川上流方向を望む。
この足元の湖底には、砂子沢集落がねむっている。
正面の対岸には、前回探索時に8号隧道を発見貫通するも、その先の6号橋梁落橋により断念した区間の軌道跡が、はっきりと見て取れた。
もう、私たちはかなり核心部の近くにいるのだ。
この見渡せる範囲に、直接見えはしないものの、まだ見ぬ幾つもの長大隧道や、湖に架かる優美な鉄橋が隠されている。

わかっていても、容易には近づけぬ。
それがまた、我々を誘い、惑わすのだ。

 

 また、向かって左側の対岸の景色も特徴的である。
対岸にも、ここまで歩いてきた笹薮の直線状に同様の刈り込みが見て取れる。
こうしてみると、手が届きそうだと思える距離だが、ひとっとびという訳には勿論いかない。
刈り込みの直ぐ左に見えるのは、太平湖及び小又峡観光の基地、太平湖グリーンハウスだ。
そういえば、今日は湖を横断する遊覧船の姿がない。
それもそのはず、この日すでに、当年の営業は終了していたのだ。
もう、厳しい冬はそこまで来ている。

 


 このとき、湖の姿を捉えたとはいえ、推定される坑門の位置からはかなり離れた場所にあり、我々の置かれた状況は厳しかった。

次回、4号隧道探索は、終わりを迎える。
はたして、我々は攻略することが出来たのか?!





その5へ

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