廃線レポート  
森吉森林鉄道跡 探求編 その5
2003.12.14



 森吉森林鉄道4号隧道の迂回を企て、道なき山中へ入り込んだわれわれは、遂に、湖面を見下ろす半島の突端に達した。
しかし、見渡す限り、湖面を渡る橋は無い。
どうやら、われわれの辿りついた場所は、目指す軌道跡からは、かけ離れた場所のようだ。

ここで今後の探索を協議する。
もちろん、私としては、体力の尽きるまで徹底的に探索を続けたいと思った。
この森を這い蹲ってでも、4号隧道の坑門を、その先の軌道を、発見したい。
そして、3人は重くなってきた足に鞭を打って、歩き始めた。


 稜線に戻る
2003.11.30 11:35

 さて、ここで、これまでの探索をまとめておこう。

地図を見ていただければお分かりのとおり、というか、この地図を作成していて理解したわけだが、まるっきり見当違い名場所にいたのだ、我々は。
ブル道に入ったのは、間違いではなかっただろう。
だが、その後、地点辺りで、しっかりと地図を確認して方角を修正していれば、ともすれば目的の方向へと向かうブル道もあったのかもしれない。
そもそも、10万分の一の道路地図しか持ち合わせていなかったのは、致命的な失態である。

この場所から、2号橋梁(位置は推定)へと向かうには、しばらく来た方向へと戻った後、稜線から湖畔へと降りて行くのが最短だろう。
現地での我々も、まともな地図を持っていなかったとはいえ、そのようなコースを想定した。

はたして、行き当たりばったりの末路は…。



 地点の近くまで戻ったと思われるが、来た時は稜線の西寄りを歩いてきたのに対し、こんどは湖畔よりを歩いてきた。
こうしているうちにも、体力の消耗は確実に進んでいる。
3人は互いのことを気遣いつつも、自分の苦痛も、無視できないほどになっていた。
特に、HAMAMI氏は、足に出来たマメが潰れ、歩くのが辛そうだ。

沈みがちな空気を掻き払うような発見がなされた。
杉の森の中に、木立に紛れる様に立つ一本の鉄塔が発見された。
今まで軌道跡で発見された物と、ほぼ同じものだと思う。
しかも、これまで見たものの中では最も状態が良い。
まだ、この鉄塔が何のために利用されていた物なのかは、はっきりと分かってはいない。
しかし、このように軌道から離れた山中にも存在しているということが判明した。
ただ、付近にはこれ一本しか鉄塔は無く、どのように架線されていたのかなど、謎は深まるばかりといえる。


 そして、そろそろ頃合と考えた我々は、湖畔に向けての下降を開始した。
正直言えば、この地点の下に軌道が存在するという確信があったわけではない、むしろ、小刻みなアップダウンと、断続的に訪れる視界の開けない笹薮に嫌気がさし、遂に挫折してしまったというほうが、正確かも知れない。
我々は、追い詰められてきていた。

急な斜面を、真っ直ぐ降りることはせず、斜めに進んでいく。
下枝が払われるなど、一定の管理はなされている杉林だが、素人の足には容易に進めない。
安定しない足場と、徐々に急さを増す斜面に、一挙に体力を奪われてゆく。
湖面は、木々の隙間に見え続けている。
時おり立ち止まり、鉄橋の影を探す。
だが、発見の無いまま、時は過ぎていった。



挫折
11:59

 森は、突如姿を変えた。
多分、森の外からは、同じ様な杉林に見えるだろう。
だが、森の中を進む私たちには、その先の斜面の角度が、伝って歩くことも出来ないほどだと知ることが出来た。

二人の足が止まった。

私は、二人に「下まで降りてくる」と言い残し、一人急な斜面を湖畔の良く見える位置まで降りた。

そこで撮ったのが右の写真。
私は、背後の30mほど離れた場所にいる二人を振り返ると、大声で叫んだ。
『だめた!下に軌道は無い!』
『湖面は崖の下にあって、ここからは降りられない!』

頷く二人の姿を確認した。

私は、二人の元へと戻った。
そして、パタ氏の口から、「撤退」の二文字が、私を諭すように発せられた。

私は、それに従った。



 悔しかった。
ひたすらに。

知らずに涙を流していたかも。それほどに。
素直な気持ちとしては、私一人ならば、まだ進んだ。

そう思った。

3人が無事で帰る、それは、絶対に達成するべき今回唯一の目的だと理解していた。
だから、素直に従った。

こんなことなら、やはり、探索は、一人が一番だと、内心そう思った。
そして、その気持ちは、このあとしばらく続いた。

無言で山を降りた。いや、言葉は色々と発したが、心はここにあらずで、今は背後となった森の奥、湖の傍に眠るはずの坑門と、その先の鉄橋と、適わなかった目標に、想いを馳せた。




 悔しかったのは、私だけではなかった。
疲労の色の濃い二人も、やはりただの疲れた表情ではない。
そして、少し、帰路は乱暴になった。
稜線上から、対岸の愛車を見つけると、そこを目指し、強引に斜面を下り始めた。
誰も反対しなかった。
これは、今思うと相当に危険な、行為だったと思う。
途中何度か、滑り落ちそうになったし、実際。

また、敢えて口にする者は無かったが、3人とも、スコップを森においてきていたのだ。
当然、このままでいいはずは無いのだが…。
いまはもう、一旦仕切り直ししたい一心だったのだろう。
ただただ、車を目指し、山を下った。


撤退…
12:30


 意気揚々と入山してから、3時間50分後。
ごっそりと体力を奪われた3人は、強まる雨の中、失意のまま車へと戻った。
残念だが、これで4号隧道の探索は、終了だ。

実は、意見はなかなか集約しなかった。
私は、一旦は撤退した物の、再度入山し“最終兵器”を4号隧道へ投入することを主張した。
パタ氏と、HAMAMI氏は、今回はシャベル等を取りに戻りはするが、その後すぐに車に戻り、もうひとつの探索目標であった5号橋梁への移動を主張した。

最終的に、私は自分の我儘を追及するのも申し訳なくなり、また、熱心に説得していただいた甲斐もあり、納得して合意した。

 


 地図を見ながら、この探索の足どりをプロットしてみると、反省点が多く浮かび上がってくる。
だが、そのことをここで語っても仕方ないので、次回以降に活かすことにしたい。
むしろ、わたしがここで言いたいのは、あそこで「撤退」を切り出してくれたお二人への感謝の言葉だ。

私が一番、山をなめていた。

あの、崖にも等しい杉林と、水際の岩肌。
そこを、あとどれほど歩けば、4号隧道の坑門や、2号橋梁に到達できたというのだろうか。
左の地図を見る限りは、湖畔を進むということは、あまりにも無謀だと思えてくる。
坑門近くの崖は、一帯ではもっとも急な斜面として描かれている。
しかも、地形も複雑だ。
いつもの調子で、あそこを突き進んでいたら、私は遭難死していたかもしれない。

私にとって最大の教訓は、廃道・軌道跡、それらを辿っているうちは、まだ安全なのだ。
迷うことは無いから。
だが、同じような気持ちと準備で、山林に入ってはいけない。
それは、魚が陸に上がったようなもの…。
少なくとも、素人の私には太刀打ち出来ないだろう困難な舞台なのだ。
いまはまだ。

今だからそう言えるが、現地では悔しい気持ちでまだ、一杯だった。
二人が車内で片付けや、これからの探索を相談している間、少し一人の時間を頂いた。

そして、15分間の約束で、一人ダムサイト直下へと歩いた。
パタリン氏の超ロング長靴をお借りして。

何をしたかったのかと言えば…。


森吉ダム隧道 内部探索


 私が目指したのは、500mほど川上にある森吉ダムサイト直下だ。
ここはに森吉ダムの管理所があるのだが、目的は、そのすぐ脇に発見されていた、隧道である。
前回の探索時に、ここに隧道を発見したのだが、当初は迂闊にも重要視せず、内部が深い泥濘に阻まれていたことから、そこそこの探索で引き返していた。
しかし、良く考えなくても、これが、森吉ダム建設による付け替え軌道工事以前に利用されていた隧道なのは明らかだ。
しかも、あの横黒線「仙人隧道」を髣髴とさせる、湖底へ続く隧道ではないか。
これはもう、この超ロング長靴を持って奥の奥まで探索せねばなるまい。
 

 本来の坑門は、長いコンクリートの延長部によってかなり前進してきている。
また、そこはダム管理棟の駐車場と化しており、奥は扉によって閉鎖している。
では、これ以上進めないかといえば、意外な抜け穴があるのだ。
それは、このロックシェードの行けば分かる。
 


 ダム堤体へと上る管理用の通路の入り口の脇に、ぽっかりと空いた横穴。
ここから、内部へと侵入が可能である。
ここまでは、前回探索のとおり。
だが、この奥は、容易ではない。

無論、侵入シーンを発見されると面倒になるので、素早く。
 

 踏み込むと、そこは洞内から流出してくる水の通路となっており、ぬかるんでいる。
そのぬかるみの深さは、見た目以上であり、ずぼずぼと、あっという間に脛の辺りまで沈んでしまう。
ここで、前回はあわてて撤退したのである。
普通の丈の長靴では、全く用をなさないのだ。
水ならいざ知らず、得体の知れない真っ赤な泥であり、これに汚されるのは、健康にも悪そうだし。
 


 さて、しかし今回は膝丈のハイパー長靴である。
並みの水深ならば、突破してみせる。
一歩進むごとに「ドプッ」「ドピュんっ」と、いやな音と、匂いを発生させる泥に、顔をしかめつつ、転倒しないように慎重に壁際を進む。
泥のせいで、本来の洞床は全く確認できないが、壁はコンクリートに覆われており、崩落は無い。
ただ、20mほど奥からは、ゴツゴツとした内壁が見えており、内部は素掘りのようだ。
このようなコンクリートと素掘りのハイブリット構造も、付け替え軌道に竣工した隧道群に良く似ている。
幅や、高さといった設計も、良く似ている。
 

 壁に沿うように、廃材や、使われなくなった備品が、大量に棄てられている。
それらは、完全に錆びて朽ちつつあり、このドラム缶など、触っただけで、ボコッと凹んでしまった。
ちょっと、驚いた。

ここは、はっきり言って、入洞をオススメできない。
とにかく、不衛生なのだ。
これだけの大量のヘドロが、どこから生み出されてきているのかは結局分らなかったが、とにかく、凄い異臭と、危険な深さだ。
もし有毒ガスが危険な廃隧道などという物が、本当に存在するとしたら、きっと、こんな場所ではないかと思う。
正直不快感が先に立ち、面白みは、あまり無いし。
このレポートで満足したら、入らない方が良いと思う。
 


 廃材の山の向こうに、遠くなった入洞口。
曇っているのは、カメラのレンズのせいであり、実際にはクリアだった。
息は白かったが。
 

 周囲は素掘りとなったが、まだ奥に続いている。
一歩一歩がとにかく苦痛であり、しかも徐々に深くなってきている。
いつ、長靴を丈を超えるような場所に嵌ってしまうかと、ヒヤヒヤしながら歩みを進める。
借り物の靴だし、もういい加減にするのが、常識だと思うのだが…・。
ごめんなさい、パタさん、私はこんなことをしていたんですよ、あんとき。
足が汚れてしまうという結末よりも、もっと恐ろしいのは、身動きが取れなくなることだ。
膝を完全に沈めるほどの泥の圧迫感は凄まじく、もし長靴の中まで泥と水が浸入してきたら、靴を犠牲にしない限りは、脱出できなくなると思われる。
また、転倒すれば、最悪窒息の恐れもある。

まあ、経験は無いが、危険はあるだろう。




 なんじゃー。これ。
不思議な物体に遭遇。
泥の上に、半ば浮くようにして並んだ三つのガラス容器。
しかも、相当に大きい。
形は、紡錘形っていうの、こういうの?
とにかく、これまで見たことの無い物体である。
ちなみに、これが、洞内最も奥にあった投棄物だったように思う。
まあ、何か他にも泥の底には沈んでいるかも知れないが。

これの正体をご存知の方は、是非ご一報を。
 

 さらに進もうとする私の前に、見たことも無い光景が現れた。
いや、似たような物を、見たことがあるぞ。
そう、仙人隧道の最深部にあったコンクリート鍾乳石が形成したフローストーンだ。
だが、ここにあるものは、すべからく泥で形成されている。
進むほどに、ますますその堆積の度合いを強めてゆく泥。
これはもう、隧道の奥底から流出してきているとしか考えられない。

…おいおい。
森吉ダム、大丈夫なのか?
ダム堤体を貫通するように存在する隧道内部に、かなりの量の泥が、流出してきているぞ。
大丈夫なのか…。

あまりの深さに、さすがに私も、断念しかかる。
まじで、長靴を失いかねない。
 



 フローストーンと似た形をしている。
良く見れば、泥の上を流れ、または溜まっている水は、全く綺麗であり、透き通っている。
少なくとも、私が荒らさなければ、泥水ということは無い。
しかし、この隧道の状況は、生理的に不愉快だ。
この造形も、白亜のそれは美しいが、この色では毒々しいという他は無い。
気持ち的にも挫けそうになりながら、少しでも浅い場所を求め、また、沈みが浅くなるようにと、ゴツゴツした内壁に体を預けつつ進む。
こんなに時間がかかるとは、もう約束の時間を過ぎてしまう。
どこまで、こんな不愉快な状態が続くのだろうか。
 

 何とも形容しがたい、足元の泥の海。
写真を撮った時点で、長靴の丈と、ほぼ同程度の水深があることが分る。

 


 内壁は、そう崩れも無く、良い状態にある。
軌道用の隧道として放棄されてからの年月は、付け替え軌道上のものに比べても20年近く長いはずだが、それを感じさせない。
やはり、このような泥濘に支配されてからはどうか分からないが、ダムの竣工後もしばらくは管理されていたのかも知れない。
 

 隧道は、ここに来て緩やかな右カーブを描いている。
これ以上進めば、辛うじて見えていた入り口も、もう見えなくなるだろう。
そう思い、振り返って撮影してみた。

ここまで、約50mほどか。
これだけ進めば、堤体は貫通しているだろう。
どれくらい頭上に湖面があるのだろうか?
でも、仙人隧道のときとは違い、シチュエーションに陶酔感は感じない。足元の不快感のせいだ。
行く手に出口の明かりは見えず、音も、風も、無い。

 


 そこから20mほど進んだ地点で、完璧に閉塞していた。
それは、自然崩落ではなく、写真の木の壁と、その上部はコンクリートの斜面となって、天井まで完全に塞がれていた。
当たり前のことだが、ダムが決壊しないために必要な処置として、厳重にここを封鎖しているのであろう。
最終地点まで、泥の海に変化は無くまともな足場も無い。

 

 コンクリートが、隧道を直角ではなく斜面として塞いでいる。
なぜ、このような造りになっているのかは不明だ。
閉塞壁の下半分が木材を主体にしているのも、よく分からない。

よく分からないといえば、この隧道の由来も不明だ。
この地を描いた、ダム竣工以前の地形図によれば、ここにこのような隧道は存在しない。
たしかに地形的にも、小又川が屈曲しているわけではなく、ここに隧道が無かったとしても不思議は無い。
でも、実際には、延長70m以上の軌道隧道が存在している(内部には退避坑もあり、これが軌道隧道だったのは間違いないだろう)。

これは推測だが、ダムの堤体の建設工事のために、この隧道も一時的に建設・利用されたのではないだろうか?
最終的には付け替え軌道にその道を譲るわけだが、堤体工事の初期段階には、ここを通り上流の砂子沢集落(ダムに水没)へ向かっていたのだと思う。

あなたは、どう考えられるだろう。
 


 辛うじて、私は借り物を失わずに脱出できた。
謎だった最深部も確認できた。

よかった。よかった。


もう、二度と、この隧道には入らないだろう。

史上最悪の、マッディ隧道だ。


車へと戻る途中、路傍の泉にて長靴の表面はしっかりと洗いましたゆえ、その後パタ氏からお咎めは無かったが、ほんと、ごめんなさいでした。

 




その6へ いよいよ、ヨッキれんの度胸が試される?!

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