廃線レポート  
森吉林鉄 第W次探索 最終回
2004.5.15


 3号橋梁
2004.5.4 12:21

 
 遂に、我々は3号橋梁に辿り着いた。
ここが、今回の計画の最終目的地である。
計画通り、4号水没隧道をボートで突破、2号橋梁を全員梁渡りで突破、5号隧道の完全排水は不可能だったが、全員が通行できる水位まで下げることに成功、ここを突破。
これだけの難関を、我々は一人の脱落者も出さず、完遂した。

やった。

これが、森吉林鉄最大の橋梁。
10年前の8月13日、遊覧船に揺られる私の頭上をゆっくりと通過した、赤い鉄橋のなれの果てである。
あの日から、私はずっと、気になっていた。
その橋が林鉄の物だったことを知ってからも、なかなかチャリを捨てての探索というスタイルに踏ん切りが付かず、実際に探索を開始したのは去年の10月。
それから、何度かの挫折を味わい、今遂に辿り着いたのだ。

思えば、これほどまでに私を退け続けた強敵はいなかった。
独りでは、きっとここまで来られなかった。
或いは、もっとずっと後になっていたに違いない。
今回参加した4人の仲間に、プレに活躍し、今も専門的な知識でサポートしてくれるふみやん氏。
サイトの掲示板で、活発に意見を出してくれた無数の閲覧者の皆様、激励の言葉をくれた皆様。

ありがとうございました。
私たちは、無事に3号橋梁に辿り着きました。



 強い雨が、切り立った緑の薄い山肌を、垂直に近い灰色の崖を、その底を滔々と流れる褐色の水面を、猛烈に叩いている。
最後まで、甘い顔など見せぬつもりか、森吉よ。

今この瞬間も、誰かが足を滑らせ、その淵へと命を失うのが望みか。

道は、恨めしくもそこで途切れている。

知っていたけど、悔しい。
口惜しい。
悲しい。


 平成9年秋に老朽化を原因に撤去されたという3号橋梁が健在だった頃、太平湖を象徴する景色として、多くの撮影者によって撮られ、時にはお茶の間にその映像が流れもした。
私も何度となく、この橋の撮影された姿を見てきたが、それらは全て、湖面からのアングルだった。
いま、初めて本来の袂からの眺めが、我々だけに許された。


しかし、もう橋はなかった。
重厚な赤いガーター橋の勇姿は、もう見られない。


 この3号橋梁については、特に構造上の驚きなどはない。
もう、何度も見てきた姿だから。
でも、感動がないと言えば嘘になる。
それどころか、こんなに感激した橋との遭遇はなかった。

しっかりと、目に焼き付けねば。
そう易々とまた来られるような場所ではない。
私たちが、特に注目して見たのが、対岸の景色である。
そこにも、確かに軌道跡が崖に沿って続いているのが見える。
あのすぐ先には、まだ誰も見たことがない6号隧道が、口を開けているはずだ。

次回探索は、あそこにはっきりと見える、対岸を目指すことになる。
今日は、目的達成につき、撤収作業に入る。




 満水となった太平湖は、谷底に少しの陸地も残さず、全てが褐色の湖に消えている。
それどころか、目に見える早さで、湖が流れている。
巨大な丸太や、倒木が、白い泡を纏いながら、みるみる下流へと流れていく。
5号隧道から3号橋梁までの陸地は、ほんと畳5畳分くらいしかない。
我々全員が立てば、窮屈さを感じるほどに、狭い。

ここなどまさしく、隧道と橋だけで構成された軌道の姿である。
森吉林鉄の景色である。

 一方、上流側の景色。
この、約1km上流には、小又峡観光の玄関口である、遊覧船発着桟橋がある。
しかし、太平湖の湖水開きは6月1日であり、いまはまだ人の気配はない。
全山豪雨と靄のために視界はすこぶる悪く、桟橋らしい物は見通せない。


 1227,
もう、二度と来ることはないかも知れない、この3号橋梁西詰めに於いて、一つだけ解き明かしておきたい謎があった。
それは、さきほど5号隧道内で発見した、滝音が響く横穴が、どこへと通じていたのか? である。
殆ど自由に動けるスペースなど無い急峻険阻な3号橋梁西詰めに、如何なる手段を持って探索せんかと悩むところだが、なんと、あの男がやってくれた。

くじ氏。
彼は、私と入れ違いに独りでここへ来たあの時間、なんと決死の探索を決行し、既に横穴の坑口を発見しているというではないか!
この衝撃の発言に、私は至急彼の背を追い、その坑口へ案内してもらうことにした。
そこには道など続いてはおらず、他の仲間達は待つことにしたようだ。

そこへと向かうには、まずは写真の岩山にクライムする必要があった。
そして、その荒涼とした背に立ち、さらに登る。

 この岩肌から、一歩足を踏み外せば即、濁った湖面の塵と化す。
冗談抜きで、この流れの速さでは、まず助かるまい。
しかも、足元が滑るんだなこれが、雨で。
さすがに、ここは恐かった。
というか、恐いと思って進まないと、軽はずみな行動はさすがにまずいゾーンだった。

オイオイくじさん、あなたって人は…。



 短いが恐ろしい岩肌を上り詰めると、当初は見えなかった斜面が眼前に広がる。
たしかに、あの横穴が向かってきそうな位置である。
歩調を合わせて進むくじ氏によれば、目の前の灌木の多い岩肌の途中に、穴があるという。

ここは、確かに急な差面であり油断できなかったが、足がかりや手がかりが多くまだ許せる。


 たしかに、前方に残雪の雪渓が見えてきた。
そして、その雪渓に注ぐ滝の姿も。
その滝壺に、穴があるという。

まさか、そんな場所に…。

なおも慎重に進む。



 うわー、本当に穴があるよ。

 1234,
この雨でこの水量だと、晴天時には涸れ沢、と言うか乾いた崖になっているだろうその場所に、確かに穴は口を開けていた。
しかし、俄にはあの横穴に通じていると信じがたい、自然洞穴のようだが…。

さらに、接近。



 滝壺となり、全身に水しぶきが降りかかる坑口部へ。

さすがに内部は浸水が著しく、一歩たりとて踏み込めない。
というか、水面上に殆ど空洞がない。
この状況は、確かに洞内の横穴の状態に一致する。
何とか不自然な姿勢で奥を覗いてみるが、真っ暗な洞内まで見通せるわけもなく。
しかし、自然の地形ではあり得ない、人工的な横穴が、10m以上続いていることが目視で確認できた。
位置的にも、これがあの横穴の出口と見て間違いないだろう。


 坑口から湖面を見ても、そこには何も手がかりとなる物はない。
水位が高すぎて、この横穴がどこへ通じていたのかを確認する術はない。
ただ、ダムに沈んだ集落「砂小沢」は、当時は小又峡でもノロ川でもなく本砂小沢と呼ばれていたこの沢の底にあった。
となると、全線中でも一二を争う長大隧道であった5号隧道への集落からのアクセス道路が、この先の湖面に眠っていると言う推定が成り立つ。
その場合、横坑は集落から隧道内へ入る道だったのだろう。


 無事に横穴の位置も特定できた私たちは、いよいよ撤収に入る。
最後に、5号隧道坑門上に立った私が、皆を記念撮影。

そういうつもりで撮ったのだが、この時既に私のデジカメが限界。
何が限界って、この雨と湿度で、限界。
今までの旅でも何度と無くカメラが沈黙し撮影を断念してきた、その悪い兆候が、猛烈に出てきていた。
スイッチを入れても、数回に一度しか撮影可能な状況まで駆動しない。
ズームなどの、電子的な操作が不可能になる。
液晶が、怪しい赤に染まる。

そういった症状が、一気に出始めていた。
一応探索終盤まで保ってくれたことに安堵していたが、どうせなら、最後まで撮影させてくれ!
私は、カメラを暫し衣服の中にくるみ、温存することにした。

さあ、撤収。

 この撮影をした時、液晶は消えていた。
だが、辛うじて写されていた。

写真は、いよいよ撤収のため5号隧道へと戻っていく面々。
これが、本邦初公開の、3号橋梁側坑門である。
ここには、木製の電柱のような柱が立ち、ワイヤーが垂れていたが、何のための物かは不明。
橋を保持するための物だったのか、或いは?

 撤 収
2004.5.4 12:43

 

 記念すべき到達を全員で喜び、称え合ったが、如何せん野外でくつろげる雰囲気ではない。
県北地域に大雨洪水警報が発令されている状況下で、こんな山中にいること自体が暴挙であり、危険極まりない。
早々に撤収し、麓の国民宿舎での簡単な温泉打ち上げと言うことに決まった。

その後、順調に5号隧道と2号橋梁を戻り、2艘のボートが雨ざらしで待つ4号隧道まで戻った。
もちろん、全員がまた梁渡りをしたことは言うまでもない。


 1328,
相変わらずもの凄い水量が坑門へ消えていく4号隧道東口。
ここで、我々はボートを回収した。
もう、全員がびしょ濡れである。

なお、帰りは再びボートで隧道を越えることはせず、くじ氏が発見し、その後のプレなどでも活用された尾根越えルートを選んだ。
確かに、もう一度あのボート漕ぎは、危険すぎる。


 尾根越えルートは、隧道直上の尾根を越えるものだ。
距離は直線的でそれほど迂回しないが、とにかく勾配がキツい。
しかも、今の我々には二艘のボートをはじめ、雨に濡れた多数の荷物がある。
体力を全て使う覚悟で、この山越えに挑む。
この後も自動車の運転がある自衛官氏やパタリン氏、くじ氏にHAMAMI氏は特にしんどいはずだから、私が頑張らなくちゃ。
しかし、自衛官氏はなんかこういう行軍で生き生きしている気が。(笑)
そしてくじ氏、あんまり早くて視界の外へもう消えているし。(笑)
私は、パタリン氏のボートを持って、最後尾を行くことにした。
なんせ、私はこの峰越しが始めてであるから。


 道など無いのだが、先頭のメンバーはしっかりと把握しているらしく、一列になってもの凄い傾斜を登っていく。
ブナの森はフカフカの枯葉が積もり、足を取られる。
何度も滑りながらも、最後の試練とばかりに足にむち打ち、重い荷物を背負っての行軍に耐える。

 視界に天を覆うようなブナの巨木が現れると、思わずため息が出た。
雨に煙るブナ森の美しさが、聞きしにまさる物であったからだ。
我々は高度差50mほどを、約15分かけて登り切った。
全員疲労の色は濃いが、とにかく達成感が次から次へと沸いて出てきて、笑顔が絶えない。
前回の探索時に死の逍遙をした森は、だいぶかけ離れた場所だったこととか、辛い失敗も今は良い思い出だ。
これがあるから、山チャリ…うーん、これは山チャリじゃないのだろうけど…。

ま、いいや。
山チャリサイコー!!


 我々全員が手を繋いでも尚足りないほどの、もの凄い切り株が散在する森。
そこが、何の目印もない峠だった。
一際厳しい直登を越えると、そこからは転げるような下りに転じ、景色も見覚えのある杉の植林地となる。
前回の探索時にも、この辺りの森の中で廃鉄塔や碍子を発見していたが、プレでは5号隧道の上部(結局峰越は断念したそうだが)にも、鉄塔や碍子などが発見されている。
これらは林鉄の各隧道などに電力を供給していた送電線だったようだというのが、現時点の結論である。

 


雨に濡れるのは、嫌いじゃない。

特に、森の雨は好きだ。

御所山の美しき廃道の森が思い出される。



 植林地にはいると、そこには懐かしい景色が広がっていた。
前回の探索で、結果的に道を誤った湿原のある小盆地である。
ここまでは、4号隧道西側坑門前のブル道が通じており、あとはもう、このブル道をどこまでも下っていくだけで良い。

攻略成功に、生還という実感も加わり、喜びは最高潮に達する。

全員が、この旅を喜んでくれたと、信じられる旅だった。





 4号隧道前にて、無事生還の記念撮影。

14時30分、一号橋梁前駐車場に戻る。
その後、全員で国民宿舎にて入浴。

16時00分、解散。






森吉林鉄 第W次探索



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