廃線レポート  
錦秋湖 水没旧道 その1
2003.8.18



 「日本のTVA」と称された、北上川流域を舞台にした壮大な治水計画があった。

TVAとは、テネシー川流域開発公社のことで、アメリカの流域開発の嚆矢とされる。
河川開発を通じて地域経済のたて直しや、電源開発、耕地開発、治水などを総合的に行う事業として、1933年ごろに始められたものである。

日本でも、戦後これを手本に各地で河川開発が行われたが、その中でも、最大の規模を誇ったのが、北上川流域に五つのダムを設ける計画である。

そのなかでも、最大の規模を誇ったのが昭和39年に竣工した湯田ダムである。
竣工当時、日本最大の規模を誇る重力アーチ式ダムであり、その堤高は89.5mに及んだ。
この数字は、現在でも日本3位である。
そして、この巨大なダムが和賀川に誕生せしめた人造湖が、公募によってその名が決められた錦秋湖。

錦秋湖の湛水面積は最大630ヘクタールであり、これは現在でも、重力アーチ式ダムとしては国内最大である。
この広大な湖の底に沈み、移転を余儀なくされた家屋数は622戸。
さらには、国道の付け替え延長13350m、国鉄線の付け替え延長15300mにも及んだ。
それら全てが、前代未聞の巨大ダム建設の一部であった。

以来、錦秋湖はその名の通り、秋の紅葉の一際映える静かな湖面を湛え続け、湯田町の観光名所のひとつとなった。
付け替えられた国道やJR線となった鉄路は、その時代を反映しつつ、今も重要な路線として生き続けている。
さらに近年では湖畔を秋田自動車道が貫き、一帯の秋田岩手間の自動車交通メーンルートとしての地位は、永劫の物となったように思える。

竣工後約40年を経た現在、湖底に沈んだ旧道がどうなったのか。
それは、もはや想像の世界にしかありえない情景と、思っていた。


しかし…

例年、夏の僅かな期間。
最もダムの水位が下がる時期に、湖底の一部が地上に現れるという。
そこには、40年間止まったままの時間があるかもしれない。

私はついに、現地の調査に赴いた。
以下は、そのレポートである。


   

岩手県和賀郡湯田町 川尻
2003.8.14 13:09
 レポートの始まりは、ここ、岩手県の西の果て和賀郡は湯田町の川尻地区である。
湯田温泉峡に近く、横手地方と北上地方を結ぶ国道107号線と、盛岡方面に伸びる県道1号線とが分かつ、交通の要衝である。
眼下に見えるのが今回、その湖底にまで挑まんという錦秋湖、それである。
そして、思わず一言。
これは、今回の旅にとっては、非常に大きな意味を持つ言葉なのだが…。


げげっ、想像より…
水量多いじゃん!

 いや、先ほどは「湖底にも挑まん」などと大見得を切っては見たが、やはりそれは無理という物だ。
あくまでも、私は地上の探索のみが許されており、水中は無理。
へたをすれば、今回わざわざ真昼岳林道を突破した上に、途中二回もパンク修理に追われてまでここに来た意味が…。
たのむよー、水位下がってくれ。
それが無理なら、せめて、主だった遺構だけでも、水上にあってくれー。
祈るような気持のまま、今回一つ目のターゲットへ向かう。

国道の川尻トンネルの脇を右に折れ、おそらくは旧道と思われるが、良く整備された舗装路を湖畔へ向けて降りてゆく。
旧 川尻隧道
 今回の第一ターゲットは、まだ水没の恐れは無い。
当時付け替えを受けた国鉄横黒線の、その付け替え区間の西の端に近い場所にあった、旧川尻隧道がそれだ。
現地は、ご覧のような廃線跡の深いブッシュの奥にあり、この廃線跡の入り口が少し分かり辛い。
先ほど国道から分かれて入ってきた舗装路の終点間際に球場があり、その対面にある民家の裏手から入る。
わたしは、庭先のおばあちゃんに聞いて、ここを突き止めた。

ここにたどり着きさえすれば、後はブッシュに耐えること、約100mで坑門が現れる。

 すぐ右の頭上を走る国道や、それに並走する現線路からは、まったくこの場所は見えない。
それだけ、緑に覆われているのだ。
この写真の奥に、坑門があるが、殆ど見えない。

 ここまで接近して、やっとはっきりと姿を現した、横黒線時代の遺構、旧川尻隧道である。
ちなみに横黒線が、一方の終着地である黒沢尻町の北上市への移行を期に北上線と改称されたのは昭和41年のことであり、路線変更の4年後である。
またこのあたりは、東西から伸びてきていた横黒東・西線が最後に開通させた部分であり、これをもって横黒線は一つになったのである。
ときに、大正13年のことである。

 築80年に迫り、廃止後既に41年を経過した坑門は、かなり風化が進んでおり、見るからに危険である。
レンガではなく、レンガ状に形成された黒っぽい石が使われている。
坑門には、特に隧道名を残すようなものはない。
延長は200mほどと見受けられ、まっすぐな隧道の向こうには、小さな明かりが見えている。
旧 川尻隧道 内部探索
13:23

 東側入り口からすぐ近くの場所に、一台の軽トラが停まっていた。
一見して廃車と分かるが、実はこの光景、かなり久々にお目にかかるものかもしれない。
というのは、同廃線跡の探索の先鞭をなす名著『JTBキャンブックス刊 鉄道廃線跡を歩く[』(以下、『鉄道廃線跡を歩く[』)内の記述によれば、当該の隧道は崩壊のおそれが高まった為、両側から鉄板で封鎖され、侵入はおろか、内部の様子を伺うことも出来ない状態が続いていたらしい。
しかし、見ての通り、今回は両側の坑門が開いている。
おかげで侵入することができそうだ。
 坑門には、朽ちつつあるトタン板が散乱しており、これが人為的に引き倒された物か否かは分からない。
さっそく、ヘッドライトを点灯させて、内部へ侵入した。
軽トラは長い間空気の流れすらない暗闇の中に放置されてきたものと思われ、不気味な色に変色している。
この隧道は廃止後しばらく地域住民の通路として利用されてきた経緯があり、当時自走してきて、ここに捨てられたものだろうか。
ナンバープレートも健在のままの廃車の姿は、悲痛な訴えを私に向けている気がして…早々に先へと進んだ。

 坑門の様子に比べ、内部は意外に荒れてない。
水滴の落ちる部分もあったが、それでも路面はしっかりとしており、これならば自動車も通行できそうである。
ちなみに、私はチャリを坑門近くに置いてきており、歩いての探索である。
路面には、何かが擦れたような進行方向に沿った傷が続いており、轍の跡とも違う気がする。



 ちょっと、狙って撮ってみました(笑)

なんか、バランスの悪い写真になってしまいましたね。
記録写真に徹した方が、無難なようです(ショボン)。
 気を取り直して、たどり着いた東側坑門の映像。

こちら側も、トタンの壁が半ば崩壊し、地面に横たわっていた。
一部はまだ辛うじて建っていたが。
あくまでも素人の推測だが、この内側に向けた倒れ方と、後から分かったことだが、この西側坑門側から隧道に至る道が存在しないという事実から考えるに、この開通劇は風による自然の所作と思われる。
東側の壁の倒れ方も、この推測を裏付ける。


 そして、これが西側の坑門であり、つまりほっとゆだ駅(当時の駅名は「陸中川尻」)側だ。
その、限界を超えた崩壊ぶりは、『鉄道廃線跡を歩く[』で予備知識として得ていたといえ、実際に目の当りにしてみると、やはり驚かされる。
一体、何がここまで坑門を風化させたものか、気になる。


 良く観察してみると、坑門のアーチの周りに積み上げられていた迫石が殆どすべて剥離脱落し、足元に瓦礫の山を築いている。
そして、現在その部分に見えている自然石か地層のような部分は、基礎の部分と思われる。
材質は、かなり劣化したコンクリートのようにも見えるが、分からない。
ただ、自然石ではないようだ。
そして、迫石の崩壊によって支持を失ったアーチが全て脱落してしまっている。
(あるいは、アーチの構造を考えれば、崩壊の順序は逆かもしれない)
そのために、アーチ部分は1mほど本来の位置より後退してしまっている。

 これは、アーチ部分に立ち、坑門を横から見たものだが、アーチ部分が迫石の基礎部分よりさらに窪んでいることが分かる。

地形の変状によって、隧道自体が崩壊してしまった例は見られるが、ここは坑門に崩壊が集中しており、原因は別にあるように思う。
先に述べたとおり竣工後80年近くが経過しているとはいえ、ここまで無残な坑門は他に例がなく、一見の価値がある。
これは私見だが、坑門部分にはさらに大規模な崩落をするだけの残存箇所もなく、もちろん安全を保障することはできないが、見た目ほどには危険性はないのかもしれない。
侵入を薦めているわけではないが、是非ご覧いただきたい坑門ではある。


   川尻隧道

竣工年度 1924年   廃止年度 1962年 延長 261m  
(延長は『横黒線建設概要(鉄道省・秋田盛岡建設事務所編 1938.11)』内の表記「858´0"」をメートルに換算した。) 

一応通りぬけができるが、坑門の崩落は著しく、内部もかなり傷んでいる。

 さて、さらに西へ廃線後をたどるという手もあるが、目立った遺構は無いという情報もある上、大変な藪と化していたこともあって、ここの探索は終了することとした。
来た道を戻れば手っ取り早かったのだが、何を血迷ったか、来た時のブッシュを避けようという浅はかな考えから、坑門上部の山林を登って、先ほど球場の方へと降りる為に利用した舗装路にもどることにした。
どう考えても、これは誤った選択であった。
距離的にも大きな遠回りである以上に、得体の知れない山林を登ってゆくのは、なれたブッシュよりも遥かに危険で、遥かに困難な行為である。

結局、この急な山林を上り切るも、道路脇の日のあたる部分では背丈以上の草むらに阻まれ、汗だく草汁まみれになっての突破となった。
その後も、舗装路を暫し歩くはめとなり、まさにくたびれ損であった。


 そうそう、一つだけ収穫があった。

ほら、みんな大好き
マムシ草だよー。

目の前に現れると、やはり、キモイなり…。


次回は、いよいよダムによって失われた水没地帯のレポートが始まります。
お楽しみに!!

その2へ

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