前回は、玉川林鉄の鎧畑ダムの建設に伴う付け替え線に存在していた橋梁を紹介した。
今回は、このまま上流へと進むのではなく、坂下集落から鎧畑集落間の付け替え軌道兼旧車道の跡を辿ってみたい。
この区間は、現在完全な廃道となっている。
軌道は廃止されて久しい上に、道路も昭和40年代に現在の川崎橋と駒草橋によってバイパスされており、もはやこの玉川の険しい河岸を通る道は一切無い。
一時期は、併用軌道となっていただろう道は、凄まじいことになっていた。
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