廃線レポート  
玉川森林鉄道  その6
2004.4.20



 さて、しばし鎧畑地区で手こずっていた間に、レポは6回目を迎えてしまった。
まだまだ、玉川林鉄の探索は、やっと半分きたばかりである。
ちなみに、玉川ダムより上流についてはまだ探索すらしていない。
なんて、長い軌道なんだ。
本線だけで40,500mは、伊達じゃない。
しかも、一部は付け替え軌道だなんだで、二重になっているので…。

今回は、やっと先へ進む。
まずは、昭和32年の鎧畑ダムの完成に伴い付け替えられ廃止された軌道を、ダムまで辿ってみよう。
ちなみに、次回は同じ区間の付け替え軌道をお伝えしよう。


耳除から左折
2003.11.19 12:45


チャリを回収し、鎧畑発電所の側まで戻る。
ここから左折する道は、鎧畑ダムサイトへと通じており、概ね旧軌道を踏襲した路線である。
正面の道は国道341号線で、付け替え軌道と重なる部分が多い。

まずは、旧軌道だ。



 一車線の舗装路は、杉林の中を玉川に沿って進む。
両脇の山はそそり立ち、もう逃げ場はない谷間へと進んでいく。
だが、まだ僅かに猶予がある。
そこには、白煙をもうもうと上げる材木工場が稼働していた。
軌道は車道の左の杉林に築堤をして続いているようだ。
つかず離れず、並走している。



 分岐から1200mほどで、蛇行する玉川と、それが削った岩肌とに挟まれる地点が来る。
ここを過ぎさえすれば、道のある右岸はしばらく地形的に楽なのだが。
軌道としても、ここは最初の難関だったに違いなく、隧道を持って越えていた部分だ。
しかし、車道は岸壁を広く切り開いて先へ進んでいる。

ま、また開削なのか…。
いかにも、この写真の場所など、隧道が開削されたっぽい。


 この岸壁を過ぎてから振り返って撮影。

この右の大岩盤に隧道があったはずだ。
見たところ、坑口は存在しないが、ただ。
微妙に、古い地形図にある軌道の線形と、この車道の線形は異なる気がするのだ。
両者を重ね合わせてみても、精々0.5mmも違いはしないだろうが…私の勘が、別の位置に隧道があると言っている。

一旦引き返して、再度大岩盤の麓を精査してみることにした。


隧道 発見!
12:54

 やはり、あった。
隧道は、車道よりもほんの5mほど山寄りの、帯状の湿地帯の奥に口を開けていた。
湿地帯は元々は軌道敷きだった場所らしい。
素堀の坑口は、岩盤上から落ちてくる細い滝の滝壺となっており、水浸しだ。
この様子では、内部の水没がかなり、懸念される。

はやる気持ちを抑え、まずは周辺の状況を整理。
装備を確認。


 坑門前の軌道跡と、現道の位置関係。
わずか、これしか離れていない。
奥に見えるのは民家ではなく、川岸の取水施設のようだ。
この車道は、町道なのだろうが、ダムで行き止まりとあって、ダム関係者以外は殆ど利用していない道だ。



 これを、以降は玉川2号隧道と称することにする。
一号隧道とは5km以上離れているが。

坑口部は、私の背丈よりも低い。
足元の様子から言って、長い年月の間に崩土が積もったのだろう。
なんというか、もう廃れきって、これ以上どうにもならなそうな、落ち着いた感じがする。
そりゃそうだろう。
昭和32年にはもう、廃止されているのだ。
古い物を色々と見てはきたが、昭和32年といえば、日本の南極越冬隊が初めて南極大陸に上陸した年だ。
一昔どころか、二つも三つも昔である。 これまで見てきたあらゆる隧道の中でも、その廃止から経過した時間の長さは、一級品だ。

なんか、しょぼい隧道だな。
そんなファーストインプレッションだったが、現存しているだけでも奇跡なのかも知れない。


 隧道へと注ぐ滝。

お前のせいで隧道は沈んでしまったのだ。


そう。
やはり、隧道は完全に水中に没していた。



 坑口部に立てば、洞内の様子が分かる。
完全に、水没していた。
水深は、1m以上と考えられる。
まるで、地底湖のようなこの青さ。
間違いなく、足がつかない深さだ。
さらに言えば、案の定出口は見えない。


 そんな閉塞水没隧道にも、先客がいた。
彼らの声が洞内から、まるで滝の落ちる音のようにジャージャーとけたたましく響いてくる。
そして、ひるまずに凝視していると、先兵らしい一人が、私の鼻先すれすれまで突っ込んできた。
これには、少しひるんだ。
その先兵は、小さな体に似合わない大きな羽音で威圧しながら、私の鼻面を何度も風で叩いた。
洞内と、私の眼前とを、ものすごい速度で楕円の軌道を描き、往復するのだ。

心配しなさんな。
さすがにこの隧道に入る気にはならないよ。
ちょっと、お前達の住処を無断で撮影させてもらうけど、すぐ帰るから。



 内部をフラッシュで照らしてみても、やはり出口らしい物は見えない。
一定の水深のまま、見えざる閉塞点まで続いているようだ。
反対側の坑門は、おそらく車道の工事によって埋没してしまったのだろう。
位置的にも、そう考えるのが妥当と思える。

せいぜい全長30m程度の隧道だったと推定されるが、水没・閉塞という状況である。
それでも、一方の坑口だけでも確認できたのは、幸いだった。
鎧畑ダムへ
13:02

 車道をダムへ向け進む。
先ほどの狭窄部を過ぎると、再び谷底は広くなる。
特に何にも利用されていないススキの荒れ地が、車道と玉川との間に広がっている。
対岸は切り立っており、その中腹に一本の橋が架かっているのが見える。
これは、山紫橋という名が付けられている(仙岩道路にも同じ名の橋がある)が、その実態は、付け替え軌道と旧国道との併用橋である。
後ほど、その様子も紹介しよう。
当たり前のことだが、付け替え軌道はああやって、ダムに沈まぬよう事前に高度を稼いでいるのだ。
沢底の旧軌道は、間もなく辿れ得ぬデッドポイントである。



 分岐から、約3000m。
さきほどからチラチラと見え始めていたダムサイトがいよいよ眼前に立ちはだかり、これ以上はこの高度を維持できなくなる。
ここで、軌道跡と別れ、車道ならではの急な登りで、一気にダムサイトへ上り詰める。
一帯の地形は改変され、もはや軌道敷きらしきものは認められなかった。
しばし、旧軌道とのお別れである。


 鎧畑ダムは、着工昭和27年完成32年の重力式コンクリートダムだ。
玉川とその本流である雄物川の洪水調節、および発電を目的に建設されており、ダム湖名は水没した集落の名から“扇”の一字をとって「秋扇湖」。
ダム高58.5m、湛水面積2.55Ku、発電出力は15700KWである。

現在は上流に全国最大級の玉川ダムがあるお陰で訪れる人も少なく、ひっそりと静まりかえっているものの、歴史のある、県内を代表するダムの一つである。



 輝くような玉川ダム「宝仙湖」の眺めに対し、どこか愁いを帯びた秋扇湖の秋景だ。

奥にどっしりと構える雄峰は八幡平だ。

この湖底には、幾つかの集落と、初代の林鉄が沈んでいる。
当時の地図によれば、正面に伸びる岬の下には長い隧道が存在している。
現在では、湖底何メートルにあたるのだろうか?
数十メートルは、くだらないだろう。

それは、想像するだけでも震えが来るような
幽冥ゆめの世界だ。



 有人のダム管理棟もあるダムサイト上。
車両は通行止だが、徒歩での探索は可能である。
また、このままダムサイト上を渡って、対岸の旧国道、さらには現国道へと抜けることも可能だ。
ただし、その道はだいぶ、荒廃している。
まあ、チャリならば心配はない。
これまで何度か通った道でもある。


 ダムサイト脇の苔生した石碑などを横目に、湖畔の荒れた車道を進む。
軌道が寄りそっていたはずの対岸にも、それらしい痕跡は見えない。
ダムが廃止されない限り、この辺りの旧軌道や湖底は決して現れないだろう。


 ここは、ダムサイトと旧国道とを結ぶ500mほどの車道であるが、どういうわけかデリネーターだけが真新しい。
しかも、それらには「秋田県」の文字が。
この道は、国道や県道では無いはずであるが…?
県営ダムの管理道路ということで、特別に県の管理下にあるのだろうか?

それにしては、下草も刈られず、舗装されているとはいえ路上の落石も目立つ。
廃道とは言い過ぎだが、かなり荒れている。



 玉川特有のまるで絵の具を溶かしたような有色の水面。
空が曇っているのに、この色なのだ。
異様である。

行く手には、湖畔に張り付くような隧道が見えてくる。
あれこそが、付け替え軌道と旧国道の併用隧道のひとつである。
まもなく、この車道は旧国道に合流する。




 廃道寸前が廃道寸前と合流。
旧国道へのT字路に立って右を向けば、この隧道が(国道名:3号隧道)口を開けている。
逆に進んでも、やはりすぐに隧道(国道名:2号隧道)が待ち受ける。

ここは、廃隧道マニアをうならせる廃隧連続ゾーンなのである。
しかも、今回は林鉄というスパイス付きだ。
さて、どう料理しようか!







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