廃線レポート  
玉川森林鉄道  その7
2004.4.25



 今回は、鎧畑ダムの建設に伴う玉川林鉄の路線付け替えによって誕生した道を辿る。
この付け替え軌道は、水没している旧軌道とは対岸、玉川の左岸に沿っている。
もちろん、昭和30年代には廃止されている訳だが、その大部分を現在でも容易に辿ることが出来る。
なぜならば、付け替え軌道はその大部分が、車道との併用軌道として建設されており、車道としては、軌道が廃止されてからもしばらく現役であったためだ。
いや、一部などは現在でも国道である。

ご覧頂く皆様においては、分かりづらくなって大変に申し訳ないのだが、一つ注意点がある。
今回と次回の二回連続で付け替え軌道を紹介するが、前回までとは異なる日付のレポートであるだけでなく、その進路方向もこれまで下流から上流方向であったものが、まるっきり逆となる。
これは、2003年9月11日の探索を用いてレポートを作成したためである。
ご理解頂きたい。

それでは、前回レポの到達点からは約5km北方の、秋扇湖上端付近、玉川大橋からレポを開始する。
詳しい位置関係は、右の図をご覧頂きたい。


玉川大橋から、現国道を南下
2003.9.11 16:09


 残暑の厳しい9月11日の午後4時過ぎ。
私は西木村から玉川湖畔へと続く町道ブナ森線を利用して、ここへとやってきた。
あとは国道341号線を田沢湖駅まで南下すれば、輪行で帰還できる。
当初の計画はそうだったが、なんと、この日、財布を落としてしまった。

私は、無一文の状態で、一人寂しく自宅を目指し、やはり国道を南下していくのである。
余りにも辛いシチュエーションであるが、レポ的にはとりあえず、国道(=併用軌道跡)に専念しよう。

写真は、国道341号線の玉川大橋。トンネルの向こうは玉川ダム方向だ。
今日の私が向かうのは、橋の向こう側ではなく、手前である。
写真は、旧国道から撮影したものだが、間もなく現道と合流し、その先はしばし旧道というものが存在しない、現道未改良区間である。



 国道から秋扇湖の上端付近を眺める。
水面は細いが、湛水期の水位がどの程度であるかは、湖畔の緑の違いを見ればお分かり頂けるだろう。
今は、一年で一番水位の低い時期である。
水没している旧軌道は、この対岸に沿って走っていた。
この水位では、きっと露出しているはずだが、この距離からでは判然とはしない。
 

 現道からは対岸が見える。
昭和32年に完成したダム湖だが、以前には幾つかの集落も存在していた。
しかし、露出している湖底にその痕跡は見あたらない。
ただ、一面の草原となっている。
対岸には、満水期の汀線がくっきりと写るあまり、それを軌道跡と錯覚してしまいそうだ。
写真には、それでも旧軌道の石垣らしきものが写っている。
写真中央付近やや左寄り、水面から2mくらい上部と思える位置に、2カ所の切り立った石垣らしきものが見える。
もし旧軌道を探索するならば、やはり秋口が最高のようだ。


 その足取りは決して早くはないものの、この区間でもバイパス工事が続いている。

昭和29年から33年にかけて、県道毛馬内・角館線としてダムによる付け替えで誕生した道は、昭和50年に国道341号線に指定を受けた後も長らく、簡単な改良を施される程度でずっと利用され続けてきた。
秋扇湖の湖畔に張り付くような蛇行屈曲の狭隘部は、県内有数の観光道路である同路線最大のボトルネックであり続けた。
昭和50年から平成2年にかけて、上流に玉川ダムが建設されるに至り、該当区間では全長14kmにも及ぶ大規模な路線付け替えが行われた。
この時に誕生した区間は、トンネルと橋で直線的に山河を切り開く、先進的な道であった。
さきほどの玉川大橋から始まるのが、その玉川ダム建設に伴う付け替え道路である。

こうして、ますます秋扇湖畔の道の悪さは全体の中で際だつようになった。

 そうした中で、平成元年の鎧畑トンネルの完成によって一挙に鎧畑ダムサイト付近の隧道4本が不要となったのを皮切りに、その後もバイパス工事は逐次進められている。
たとえば、この写真の場所なども、かつては二本の隧道が繋がる隘路であったが、現在では鹿の作トンネルによって短絡している。

ここにあったのは、「山形の廃道」サイトで閲覧できる「全国隧道リスト(昭和46年)」によれば、“6号隧道”と“5号隧道”である。
残念ながら、旧道もろとも破壊されてしまい、旧隧道は通り抜けできない。
それでも、微かな痕跡は残っている。

 左上の写真で、おにぎりの奥は現在では切り通しであるものの、かつてこの左側に6号隧道があった。
写真から分かるとおり、大変に短い(延長31.8m)隧道だったが、私が初めてここに来た当時には、既に開通していた現道の脇にまだ口を開けており、通り抜けも出来たと記憶している。
惜しむらくは写真を撮っていなかったことだが、その後危険防止のためか、埋め戻されてしまった。

左の写真の通り、北側の坑門の一部が夏草から覗いている。


 この先3枚の写真は、2004年2月11日の早朝に撮影されたものだ。

場所は、上の写真と同じ6号隧道の北側坑口跡。
さっき法面の大規模な工事を行っている写真があったと思うが、この工事のための飯場が坑門前の僅かな旧道敷きに建てられていた。
そして、その奥に見える坑門の姿は、夏場のそれとは異なり、かなりの大部分が露出していた。
ともすれば、内部へと潜り込めるのではないかという夢を、私に見させるほどに。


 1メートルを超える、今まで体験したことがないほどの積雪に、全身で挑む。
気温は零下10度以下。
全く雪が湿っていない。
パウダースノーというのは、こういう状態を言うのだと実感した。
固体じゃないみたいなのだ、雪が。
ふわふわの気体のような、乾いた雪である。

坑門を埋めている土砂によじ登る。
そこには、知らない人が見たらただの壁に過ぎぬコンクリの古ぼけた壁。
しかし、私にとっては、心ときめく存在だ。

 そして、吹きだまりとなった雪の裏に私は発見した。
いや、現存を確認したといった方が正確だろうか。

6号隧道の、埋没していると思っていた扁額である。
いや、扁額の“額”である。
以前から、既に扁額は失われていたように記憶しているが、ここにはどのような扁額がはめ込まれていたのか、大変に興味深い。
というのも、まさか本当に「6号隧道」などというテキトー(林鉄的だ)な名称の扁額が存在したのだろうか?
大きさだけ見れば、そこそこに立派なものが存在していたように思える。

扁額よりさらに下部も露出しており、空洞部の上端だけでもと、土木工事を靴のつま先で敢行したものの、意外に土は硬く、残念ながら空洞の発見には至らなかった。
内部を開放してあげたかったのだが…。




 そして、続いてこれが5号隧道の北側坑門だ。
こちらは、ものの見事に埋められており、全くその痕跡はない。
ちなみに、現役当時は全長135mの隧道だったようだ。
本隧道については、初めて来た時から既に消失していたように記憶している。
曖昧になりつつあるが…。
右は、現道の鹿の作トンネルである。

 反対側の坑門もこのとおり、すっかり消失していた。
悔しくて、正面の盛り土を越えて山中に突進してみたものの、やはりそれらしいものは見つけられなかった。

これだけ隧道直前の道が残っていると、余計に悔しい。
道は消しても良いから、隧道だけは残して欲しかった(←無理な相談だ)

 この写真のみ、2003年11月19日のものだ。

坑門を埋めているだろう盛土上から、南側を撮影。

旧道敷きの様子がよく分かる。
かつて、一帯はみな林鉄との併用軌道として建設されたのである。
1号から7号までの隧道が全て、昭和29年竣工の割に、幅5.5mと奮発していたのは、車道とナローとはいえ鉄路が並走していたためだろう。
軌道が廃止された後は、車道が独占的にその道幅を利用した訳で、こういった事情が平成まで簡単な改良だけで道が存続出来た秘密なのかも知れないと思う。
なかなか山間部の国道で昭和30年以前の道がそのまんまの線形で利用されているという場所は少ないはずだ。
いよいよ現道として残存する部分も残り僅か、延長500mほど(鹿の作トンネル〜玉川大橋間)となってはいるが。



小野草沢の旧道
16:28

 小野草沢橋からこまくさトンネル(全長1069m)にかけての現道は、2002年に開通したばかりであり、湖畔の旧道もほとんどそのままに残っている。

写真左に写っているのがこまくさトンネル。
その手前から、旧道へと降りることが出来る。


 付近から秋扇湖を撮影。
この写真も、9月のものではなく、11月だ。
水量が充分にあり、対岸の旧軌道などは見えようはずもない。
ちょうど、あの岬の直下に200mくらいの長さの隧道が存在してようだが、近づく術は無い。



 現役当時も狭いとは思っていたが、旧道化し通る者がなくなると、ますます道は狭くなったように思える。
これからも、毎年確実に荒廃は進むと思われ、何十年後かには、味のある廃道になっているに違いない。
見慣れない「通行注意」の標識が未だ新しいことも、廃止から日が浅いことを意味している。


 断崖に沿って蛇行を繰り返す旧道。
現道のこまくさトンネルは1000mを越える長大トンネルであるが、その目的は短絡ではなく、この断崖の迂回である。
そして、地形による細かな蛇行の解消である。
旧道は、崖下のいかにも軌道敷きである。
いや、軌道敷きでもあったのだから、無理からぬことか。




 そして、再び現道に合流。
特に通行を抑止するものは設置されていないが、いずれは…。
左に見えるのが、現道のこまくさトンネル坑門だ。



 そして、現道はすぐに次のトンネル、鎧畑トンネル(平成元年竣工全長655m)に入り、鎧畑集落へと直結している。
旧道は、トンネルには勿論入らず、またも湖畔へとエスケープする。




 以前、こまくさトンネルの建設工事中には飯場が建っていた広場の奥から、さらに続く道がある。
これが旧道である。
さっそくにして、車道には似つかわしくない重厚なガーター橋が待ち受けている。


次回は、4号・3号・2号・1号の4隧道を一気に串刺しにする!





その8へ

お読みいただきありがとうございます。
当サイトは、皆様からの情報提供、資料提供をお待ちしております。 →情報・資料提供窓口

このレポートの最終回ないし最新回の
「この位置」に、レポートへの採点とコメント入力が出来る欄を用意しています。
あなたの評価、感想、体験談などを、ぜひ教えてください。



【トップページに戻る】
このページの読者にオススメのレポート