廃線レポート  
玉川森林鉄道  その9
2005.3.5



 約10ヶ月ぶりの更新となる、玉川森林鉄道のレポート。
今回は、「その9」として、田沢湖町鎧畑地区の鎧畑ダム付近の軌道跡を辿っていこう。
久々なので復習するが、玉川林鉄の特徴として、この鎧畑ダムによって付け替えがなされたと言うことが挙げられる。
昭和33年に完工した玉川水系鎧畑ダムの建設に伴い、昭和31年に、水没区間とその前後約5kmが、それまでの玉川右岸から、左岸へと付け替えられているのだ。
また、この付け替え軌道は特殊なもので、併用軌道、つまりは、車道が併設された軌道であったのだ。
そして、昭和38年には早々と同森林鉄道は廃止となるが、その後も付け替え軌道は県道として、さらに昭和53年には、同線は国道341号線に昇格している。
その後、平行する新道の建設が進められるに及び、平成17年時点で、付け替え軌道時代の車道で現役なのはわずか1km程となってはいるが、いまだ旧道として、その大部分を辿ることが出来るのだ。
一見すれば、国道の旧道にしか見えない廃隧道群に、実は併用軌道という歴史があったことなど、もう忘れ去られたかのようである。

今回は、その併用軌道区間で、唯一現役である部分も紹介しよう。


秋扇湖湖畔の国道
2003.11.19 11:19


<注意>前回「その8」及び「その7」とは、今回以降のレポは、時系列がずれています。
「その1」〜「その6」の続きとして、お楽しみください。




旧軌道は鎧畑ダムサイトにて消失し、その先は深いダムの底となり辿れない。
私は、ダムサイトを通行し左岸へ移動、そして間もなく旧国道に合流した。
この旧国道こそが、付け替え軌道跡そのものである。

旧国道には、数本の隧道が現存しており、かなり荒れてはいるものの、チャリや徒歩ならば通り抜けも可能である。
私はこの旧国道を上流へと進む。
すぐに「4号隧道」をくぐり、さらに数百メートルで、写真のガーダー橋に出会う。
この橋を渡った先は、現国道と一旦合流する。



 合流地点は、ちょうど現国道にとっては二つのトンネルの合間の短い明かり区間に過ぎない。
今私が走ってきた南側の旧国道に対して、鎧畑トンネルが口を開けており、4号〜1号の4隧道をショートカットしている。
一方、これから向かう北側(上流)には、この年(平成15年)に開通したばかりのこまくさトンネル(鎧畑2号トンネル)が真新しい坑口を開けており、これもまた1km近い延長で、ダム湖畔のグネグネした旧道を一挙に解消している。

この区間の新道工事は湖畔の全線にも及ぶ大規模なものである。
元来の道は、併用軌道由来であり、軌道廃止後は軌道敷きを含めて車道となったが、それでも有効幅員は6mにも満たず、この道は田沢湖と八幡平という、県下を代表する観光地を直接結ぶ路線であることからも、そのキャパの低さは早い時期から問題視されていた経緯がある。
そして、国道に昇格した当時から徐々に改良が進められ、鎧畑トンネルの区間を筆頭に、順次、鹿ノ作トンネル、かもしかトンネルなどが開通してきた。
残りは、既に改良されて久しい玉川大橋以北の区間とを結ぶ、わずか1km弱の尻高沢橋前後の区間の開通を待つばかりとなっている。
この工事が数年後に完成すれば、いよいよ軌道跡の国道という県内唯一の例は、ほぼ消滅(鎧畑町内の一部区間など極僅かに残るだろうが…)してしまうことになる。


 さて、これは開通間もなくのかもしかトンネル内部の様子である。
鹿角と仙北地域を結ぶ重要な路線であるとはいえ、平日の日中となれば交通量もまばらな山間道路の顔を見せる。
真新しいトンネルは、何か手持ちぶさたにみえてしまった。
白い洞内照明も、極新しいトンネルで見かけるようになってきたが、何か技術的な革新があったのだろうか?
以前は、ナトリウムネオンのオレンジがトンネルの代名詞的だったし、あのネオンがもっとも省電力かつ、視認性に適し、かつ野生動物への影響も少ないと聞いたことがあったが…。
白いのは、その辺り解決したのだろうか??

このトンネル一本で、湖畔のグネグネ旧道は1kmほど捨てられている。
旧道も問題なく通行が可能であるが、既にだいぶ落ち葉が積もっているだろう、きっと。

 トンネルを過ぎると、鹿ノ作地区となる。
地名があるのは、かつてそこにも人が住んでいた証と言えなくもないが、集落のあった河床部分は深い湖底となっており、もはやそこに人の気配はない。
秋扇湖は、特に水位の変動が激しいダムである。
しかも、その変動は天候などの自然条件よりも、すぐ上流にあって、東北最大規模の玉川ダムと連携した稼働が顕著であって、意外な季節に、意外な水量と言うことが少なくない。
この日なども、11月末という、普通ならば水量の少なさそうな時期なのに、満水も満水。
こんなに秋扇湖って大きかったのかと、驚くほどにめいいっぱいの水を、湛えていた。
むろん、向こう岸の深い位置にあっただろう旧軌道や、古い地形図のみに認められる隧道などは、確認すべくも無い。


一方、ほぼ同じ地点から撮影したこの写真は、上の写真の翌年(平成16年)6月30日のものだ。
見ての通りの雨模様で、梅雨どきであるにもかかわらず、ダムの水位は意外なほどに少なく、今まで十回以上も見てきた中でも一番水位が低かった。

しかし、この水位でもやはり、対岸の隧道は見えなかった。
目の前のあの岬の下に、推定200mは有ろうかという長めの隧道が、一本。
他にも短いものも数門、存在したようなのだが…。
完全水抜きでもない限り、接近する術は、なさそうである。


本題に戻る。


 現道の鹿ノ作トンネルの脇には、かつて5号隧道があったし、そのすぐ北側の、現道は切り通しとなっている場所には、とても短い6号隧道があった。
かつて初めてチャリでここへ来た頃は、まだ現道工事の末期であり、どちらの隧道も通れたが、現道開通後まもなく埋め戻され、現在では6号隧道の北坑門の上端部のみが、かろうじて覗く有様である。

写真は、5号隧道南口を埋めている盛り土から、南を望む。
旧道の擁壁も秋色になっちゃって、なんだか寂しげだ。


 一方、これは2004年2月11日の様子。
どうしてこんな時期にこんな場所(この国道はもう少し上流で冬季閉鎖中)にいるのかというツッコミは無しでお願いします。
この後、冬季閉鎖を突破しようというもくろみは、惜しくも失敗するのだが…(当たり前だというツッコミも不可!)

とにかく、写真は鹿ノ作トンネル北側から写したもので、左のコンクリの壁が、実は6号隧道の北坑口の一部分なのである。


 腰以上の深さがある雪をかき分け、よじ登り、そうしてたどり着いた坑口上端部分。
雪庇のように張り出した新雪の底に潜るように、体を捩らせて見つけた、これが、坑口の証拠と言うべき、扁額の痕跡である。

元々、この隧道の延長は僅か32mしかなかったが、扁額跡は大きなもので、立派な扁額が埋め込まれていたようである。
おそらくは、比較的最近まで国道であったことから、後補の扁額が埋め込まれていたのだと想像されるが、現役時の姿を十分には思い出せず、断言は出来ない。


 そして、平成17年度現在でも、唯一湖畔では新道が開通していない区間となる。
ガードレールもほどほどに、湖畔すれすれをグネグネと、1.5車線の国道が進んでいく。
新道は、やや内陸側に予定線を設けているが、やはりトンネルとするのだろうか。
いずれ、この辺りにも、軌道の痕跡といえるものは、なにも見あたらない。

なにも見あたらなのだが…、ただ。

ダムの水位によっては…。


 この水位は、昨年6月のものである。
私の知る限り、これほど水位が低いのは初めてだと先ほども書いたが、なんと、
隧道が見える
のだ。

少なくとも、2つ。
おそらくは、3つ以上あるようだ。
いずれも、湖岸の僅かな凹凸のような岩盤をくり抜いた、素堀の極みじかいものと思われる。
隧道と言うよりも、もはや洞門の風情であるが、水面すれすれにあることからも、普段は水没している旧軌道の遺構と見て、間違いないだろう。

私と、あのくじ氏が、それぞれほぼ同じ時期に別々の探索の行程でこの光景を目撃しており、その頃には、接近する術なども盛んに討論された。
結論から言えば、対岸の崖地を移動するのは非常に困難で、その行程も最寄りのアクセスポイント(玉川大橋)から優に2km近くあることから、現実的ではないという話になったままである。
ぶっちゃけ、行って行けないことはなさそうだけど…、隧道と言うほどの遺構では、なさそうなんだよなーー。



 そして、玉川大橋が現れる。
本橋は、一度見ると忘れがたいインパクトがある。


次回は、ここから先をお伝えしよう。
再び旧軌道敷きにアタックする展開もあるので、お楽しみに!






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