廃線レポート  
森吉林鉄粒様線 「最奥隧道計画」 その2
2004.10.12

粒様沢遡行 
2004.9.22 10:45

 林鉄跡を利用しての粒様沢の遡行を開始して、約30分が経過した。 この間、軌道跡は比較的平坦に保たれ、歩きやすかった。
しかし、笹などの藪の進出は著しく、これほど序盤であっても、渡渉無くして入山できぬこの沢が、あまり人のより付かぬ場所なのだと思い知る。

くじさんの右にあるのは、まるで力こぶのようなブナの巨木。
林鉄脇といっても、どこも撫で切りに伐採されているわけではなく、地形的制約が一番なのだろうが、伐採地は少ない。
また、伐採地でも、今では植林された杉が鬱蒼と茂っていた。
我々が目にしたのは、人の手を離れ、自然に還った粒様沢の姿である。




 また、沢底に崩れ落ちた簡易な木橋の残骸は、小さなものも、10mを越えるものも含め、かなりの数に上った。
だが、現地は豪雪地であり、崩れていないものを見つけられる可能性は低いと思われた。

一応橋がない場所にも、人一人分くらいの幅で明確な踏み跡があった。
しかし、雨のせいでそう言う場所はぬかるみ、今回装備している沢靴(靴裏フェルト張り)では難があった。
私は幾度も荷物の重さに引き摺られ、登った分を滑り下ろされて、疲労を濃くした。




 軌道跡はずうっと右岸沿いにあった。
水面からの距離は2・3m程度しかなく、所々では氾濫の跡なのか、斜面ごとえぐり取られていたりした。
今日の水位はそこまでは高くなく、繰り返し軌道跡と、その迂回路とを行き来して進んだ。
踏み跡ははっきりしていても、遊歩道レベルではない軌道跡にしては上下運動を多く強いられる道だった。

いつになく、弱気になってきた。
重いよー。




 軌道敷きのすぐ下を滾る粒様沢。
以前も来たくじ氏言うには、水量は激増しているとのこと。
元々やや濁りがある川らしいが、それにしても、濁流2歩くらい手前の色だ。
ここまでの道のりですら、初めが渡渉であるわけだから、これ以上の増水に見舞われれば、引くことも叶わなくなるという恐怖は我々全員が感じていた。
ただ、明日23日の天候は改善するという予報だったし、この背中にずしりと重い野営道具と、一人ではないという心強さが、なんとかこの状況でも、未知の探索の喜びを感じさせてくれた。




 11時01分、はじめて河床に降りることになった。
軌道敷きはこの直前で不明となっており、対岸に渡ったものか、或いは流出したものかと思われたが、まだまだ先は長く、ここで雨の中時間をかけて捜索する気にはなれなかった。
いずれ、軌道は沢からは離れられぬのだから、進んでいればまた会うこともあるだろう。
いつもの、「路線完全解明ダー!」という情熱は、既に失せていた。
時間だけの問題ではなく、荷物が重くて、あんまり右往左往する気力を欠いていたのかもしれない。

ここからは、いよいよ沢装備の出番であった。



 粒様沢というのは、始まりから山奥だが、その源流までの20km余りも、全てが山中、人一人住まわない場所だけを、深く深く谷を削り流れている。
地形的には、浸食が進む森吉北麓山域の特徴である、極めて稜線から深く幅の広い沢、所々に切り立つ巨大スラブを見せるU字峡を主体とし、河床は平坦、甌穴多数といったところだ。
また、所々にはまるで海岸のような砂の岸辺や、葦の原などが現れたりもする。
かなり上流に至るまで、地形的な変化は少ないが、実際に歩いてみると、その歩行感は目まぐるしく変化していた。

我々が沢に降りた場所から暫くは、増水した沢水にまな板のような川原の岩盤が洗われて、沢靴無しでは歩行の安定を保てない場所だったが、逆に沢専用に設計された靴の威力を思い知った。
まるで、濡れ苔の岩場に張り付くようなフィット感だった。
しかし、それは最低限の装備を得たと言うだけで、けっして激流に反抗して進むことを楽にする魔法の道具ではなかった。
ずしりと背中が重いばかりでなく、足まで重い。



 これまでではもっとも水量の多い支沢が右岸に合流してきた。
その落ち口は、ちょうど沢一つ隔てた小又峡の著名な観光地である三階の滝を、二回り小さくしたようなナメ滝である。
落差は5m程度。
飛沫の吹き上がりを頬に感じながら、滝壺の傍を横切って進む。
これで、この先の本流の水量は少し減ったのだろうが、実感できるほどではない。




 どちらかの岸には確実に痕跡が残っているはずなのだが、この段階ではまだ、対岸に渡渉して渡れる箇所を見いだせなかったから、自ずから右岸に沿って進まざるを得ない。
その上、写真のような、渦巻く波濤に隠れた淵をギリギリで避けながら、倒木をアスレチカルに超えねばならぬ場面もあり、地形的には平坦なれど、河床を歩くのも容易ではなかった。
と同時に、一度河床に降りれば、なかなか容易には軌道上に復帰できなかった。
斜面が急であるためだ。



 最初の河床歩きは30分で一旦終了した。
右岸岸辺(我々は沢を遡行しているから、右岸は左手側だ)に、軌道へと復帰できそうな箇所があったのだ。
そして、当たりを付けて軌道跡へと戻った我々が見た物は、やや広い雑木林の地表に残る、小さな凹地の筋だった。
これは明らかに、軌道の痕跡だ。
しかも、不可思議なことに、鋭いターンを描き、来た方向へと戻っていくではないか。
正面には藪と、険しい岩肌がそのままに沢に落ち込む地形。

ここがヘアピンカーブで高度を稼ぎ岩肌を巻く場面なのか、或いはただの待避線などの痕跡を勘違いしたのか…。
藪が深い上に、体力の温存も考え、これ以上の捜索は行わなかった。
全体的に、軌道跡はかなり風化している。



 上に述べたとおり、この先は再び右岸に稜線まで直立したスラブが長く立ちはだかり、とても軌道跡のトレースは望まれなかった。
考えてみれば、軌道が稜線までのスラブに抗するには、スラブ自体をくり抜いて隧道や洞門とするか、岩盤上を桟橋で超えるか、諦めて対岸を選ぶかしかないだろう。
この場所では、対岸に広い森が存在しており、やはり付近で軌道は対岸へと渡っていたように思われる。
本流上の橋梁は、橋台もろとも毎年の増水で流出していても不思議はない。
この一帯は、県内有数の多雨・多雪・無ダム地帯なのである。



 11時48分、短い休止の後、我々はここで対岸に渡渉する決断を下した。
右岸はスラブ直下で淵のようになっており、深くて進めなそうだった。
これ以上進むには、水量が減るのを待つか、強引に対岸へ渡るしかなかった。

ここは川幅がやや広く、水流は早いが浅めだったので、渡れると踏んだのだ。

粒様沢本流の初めての渡渉となった。
くじ氏、私、その後をHAMAMIさんの順で、慎重に慎重に、渡河をなした。

恐らく軌道がかつてそうしていたように、我々もこれより暫し、左岸へ移る。




 右に 左に 淡々と 
11:54

 予想以上に時間がかかっていることを、特にくじ氏は感じていただろう。
彼が以前一人で来た時には、約3時間半で起点から8km上流の粒沢・様ノ沢二又の近くまで迫っていたのだ。
しかし、今回は結果的に言うと、出発から1時間半を経過しても尚、2km程度しか進めていなかった。
彼の驚異的な健脚は疑うべくもないが、この遅延の原因はそれだけではなかった。

原因は、この水量の激増ぶりである。
彼は二又近くまで、ほとんど川原を歩いたという。
すなわち、水の流れていない部分が河床にほぼ存在したというのだ。
今日の状況は余りにも変化している。
川原など無く、両岸の切り立つ岩肌をモロ、汀線が洗っているのだ。
水深にして、30cm以上は違うと思われた。
そして、この違いは、後を引くことになる…。

写真は、左岸から見た、右岸上流を覆う大スラブ。
稜線まで続く。



 やはり、軌道は左岸へと渡っていたのだ。
地形の凹凸としてのみ、その痕跡を今に伝える軌道跡。
粒様線は、記録に残っているその10km強という延長もさることながら、着工昭和5年・完工同32年という建設期間も凄まじい。
おそらく、単一の路線で、これほど長期間に亘って延伸され続けた路線はない。
ほかに近づく手段の乏しい粒様沢の奥地へ向けて、伐採の進捗に合わせ、徐々に路線を延ばしていったのだろう。

この辺りの竣工は、いつ頃なのだろう?
そんなことを考えながら、“時代を早送り”にする感覚で、上流へと進んでいく。
軌道跡を歩ける場所は、幸いであった。




 一般の道路地図帳程度の縮尺で見れば、ほとんど真っ直ぐに流れる粒様沢だが、地形図や、実際に現地を見れば、峡谷自体も複雑に蛇行しており、さらにその底にある流れは、もっと細かい蛇行を見せている。
その流れに余った部分には、雑木林が広がり、所々には手入れのされていない、恐らく植栽50年程度の、鬱蒼とした杉林も見られる。
今や訪れる道もない山中だが、どこまで進んでも、ときおり杉の林は現れた。
谷底にある狭い平坦地を選んで、伐採し、杉を植えたのだろう。
いつかは再び伐採するつもりで。
だが、もう二度と伐られることはないと思われる。

私は粒様線に、手つかずの広大な原生林に分け入る、潤沢な後背林地を持つ路線をイメージしていた。
だが、本当の粒様線は、 苦労して路線を延ばしても、谷底の狭い林地以外に収穫のない、“おいしくない”路線だったのではないか。




 一カ所の例外もなく、まるで回廊のように沢は稜線と途絶している。
これでも、まだまだ粒様沢の「神の谷」と呼ばれた一帯には届いていない。
滔々と流れ来る沢は、時折パラパラと雨が落ちる曇天の底に相変わらず水位が高くて、左岸に沿って川底を歩く我々を、うんざりさせた。

淡々と続く沢風景。
軌道跡も今や判然としなくなった。

遙か遠くにあるという、最奥隧道。
ただそれ一つ以外には、何一つご褒美はないのだろうか…。

そんな、甘えが脳裏に浮かんでしまう。
しかし、これこそが人の手を離れた、真実の林鉄跡の荒廃なのだろう。



 12時17分。

注ぎ込む滝の現れた左岸に見切りを付け、再び右岸へと渡渉した。

水際が森と接しているのは、水量が最大限に多いという証拠だ。
帰りは、大分状況が変わっていたし。




 ふと、足元の草陰をチョロリと歩き回るトカゲを見つけた。
私がおもむろに素手を伸ばすと、可愛らしいトカゲが捕れた。
くじ氏の手に移されたカナヘビと思われる“めんちょこ”。

そう言えば、帰り道のことだが、かなり上流の辺りで、ウミヘビのように体躯をくねらせ水中を泳ぐ蛇を、二匹も見た。
蛇があんなに滑らかに水の中を泳ぐ様を見たのは、初めてで、少し感激してしまった。



 12時30分頃、
右岸に軌道痕跡を見いだし、再上陸した。

粒様線は幾度も本流を渡りながら上流を目指していたのだ。

我々が上陸したこの辺りは、これまででは最も広い山林となっていて、軌道跡も川の蛇行から離れ、久々に水音も感じられなくなった。
平坦な部分全てが伐採されているわけでは決して無く、むしろ、伐採地は時折転々と現れるに過ぎない。
ほとんどは、切り株なども見あたらない、恐らく天然のままの森だ。
これしか伐採しないのに、なんのために、こんな奥地に軌道を延ばしたのかな…、そんな不躾な疑問も感じた。
撫で切りされなかったことは、むしろ歓迎するべきことだろう。




 12時57分。
これは地形図にも示されている、無名の右支沢との合流点だ。
延々と回廊の底を流れる粒様沢には、地図に記載されるほどの支沢が少ない。
この沢と、あとは上流の粒沢・様ノ沢くらいしかないといって良い。
その点でも、景色の変化は乏しいのである。
それはそうと、かなりの水量を集める、この支沢を超えれば、これから先は大分進みやすくなるのではないかという期待感を持った。
また、ここでは軌道跡が右支沢に巻き込まれる形で上流に続いており、はじめ気づかずそちらへと進んでしまった。
余りにも景色が変わったので間違いに気が付いたが、10分程度ロスしたと思う。



 右支沢を渡渉すると、軌道跡が引き続き右岸に見られた。
この辺は、これまで以上に河床からの高度差が生じている。
すぐ足元を流れる本流だが、その高度差は4m程度になっており、滑り落ちれば淵へ直行する恐怖があった。

丸太製の桟橋が、崖際を渡すように残っていた。
久々に景色に変化が訪れ、嬉しかった。
だが、これでもまだまだ序盤に過ぎなかった。
既に時刻は、13時に迫る。

日没まで、あと4時間。
二又まで、行けるのか。

そして、その前に訪れる

 驚愕の発見

  その瞬間は徐々に、近づいていた。






その3へ

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