岩瀬秋町線 (御母衣湖右岸道路) 第1回

公開日 2009.11.30
探索日 2009.11.22

落部〜赤谷 細りゆく道


2009/11/22 7:14 《現在地》

近くにあった保護地域を示す看板の地図によれば、小さな橋の架かるこの沢は「大サコ沢」という。
橋の先は未舗装で、前夜の雨を色濃く残した道となる。

秋町隧道まであと9km、六厩橋まであと11kmある。




砂利道になって400mほどで、また1本の橋が現れた。

その橋は、【上から見ると】ただの高い築堤のように見えた。
欄干も親柱も全て折れて落ち、しかも路上にはぶ厚く土砂が堆積しているせいである。

なんとも荒々しい橋である。




薄氷のはった橋を、余り派手に水撥ねしないように注意深く渡る。
最近私のチャリは、長年愛用していた泥除けが壊れてしまい、濡れ場の突破には気を遣うようになった。
夏場ならば別にイイが、冷たい水撥ねはごめんだ。



道の中央に埋もれたコンクリート製の列。

その正体は、見るからに路肩の擁壁である。
このラインよりも山側だけが古い道幅だとしたら、相当に狭かったことになる。
かつて、何らかの事由によって大規模な拡幅工事が行われたのだろうか。




さて、道は依然として落部沢を左に見ながら、この沢が狭まる所まで大きく迂回を続けている最中だ。

向かいの山腹には、折り返した先の落部峠に向かう登り坂が、杉林の帯として鮮明に見えている。
ちょうど道の上側だけが植林地になっているためだ。




地形図などではこの辺りの谷も湖として描かれるが、実際にはここまで水位が上がることは稀であるらしく、草原が大部分を占めている。
この草原にはかつて落部集落の僅かな田畑があり、その向こう側の山腹に集落はあった。
そして、集落裏手の鞍部が「落部峠」だった。

風のない風景に、動くものは何一つなかった。
鳥のさえずりも、水のせせらぎさえも聞こえない、荒涼とした雰囲気だ。



またしても、橋。

地形図では無名の澤だが、やはり現地の看板によって「スゲ尾谷」という名前を知った。
落部沢の大きめな支流である。

この橋には親柱がかつてあったようだが、ねじ切られたように一本も残っていない。
欄干の代わりには、申し訳程度の車止めがギザギザに取り付けられている。
いかにも一般道路用ではなく林道用として生まれた気配を感じるが、どうだろう。
ダム工事とともに生まれた事情を考えれば、昭和30年代の建造物なのは間違いないだろう。




7:30 《現在地》

スゲ尾谷を渡って50mほどで分岐地点が現れた。
直進するのが岩瀬秋町線の本線で、右折は地形図には破線で描かれた車道らしからぬ道なのだが、太い道幅は右へ続いていて直進はやや細い。

いずれにしても右の道は行き止まりだと思うので、ここは予定通り直進する。

出発からちょうど30分で、3.8kmを前進した。
砂利道に変わってからも路面状況は悪くなく、まだ廃道を心配する場面でもない。
全ては順調である。




直進すると、すぐにまた橋。
これは分岐地点から既に見えていたのだが、ここで「落部沢」を渡る。

これまでの目立つ4橋のなかでは一番小さいが、親柱や欄干代わりの車止めなど、当初の姿を良く留めている。
また、親柱には銘板などは取り付けられていなかった事も分かった。

本来ならば名前の知りようのない橋だが、例によって保護区域を示す看板の地図によって、「岩瀬秋町線7号橋」という名称を知ったのである。
確かに立ち止まるには及ばないような小さな橋も幾つかあったので、これが「7号」というのも不思議ではない。




2本の橋で進路は反転。
落部峠への登り坂が始まる。

もっとも、地形図にも名前の載らないような小さな峠であるから、道も険しいということはない。
ただし先ほどの分岐で通行量の大多数を奪われてしまったために、道幅や轍の有様は一気に寂しくなった。

そして登りの中ほどで、ススキの枯原に埋もれそうな廃屋を見つけた。




そこには頑丈そうな平屋の廃屋が2軒と、道ばたに1台のワゴン車の廃車があった。

廃屋の方には近付かなかったが、ワゴン車の割れたフロントガラスから中を覗くと、倒された後部座席の上にスーパーのゴミ袋やヤカン、空き缶などが散乱しているのが見えた。
それは饐(す)えたような生活感の残滓だと思ったが、深入りはしないことにした。




そこを過ぎてからもさらにもう2軒ほど、今度は道の右側の杉林の中に、廃屋か或いは作業小屋のようなものがあった。
いずれもそれほど古いものとは見えなかったが、水没を逃れた落部集落の上手の家々だったのかもしれない。

7:39 《現在地》

呆気なく落部峠の掘り割りに到着した。
ここの海抜840mは、ダムの満水位+90mほど、7号橋+30mである。

この右岸道路のなかでは、この切り通しを含めた前後数百mだけが、ダムの出来る前からあった道に重なっている区間である。
ここは近世に白川街道が越えた小さな峠で、以前は小さな地蔵祠があったと言われる。




切り通しを過ぎて右にカーブすると、左手に再び御母衣湖本流の巨大な水面が広かった。

ここまでは何事もなく順調だが、距離的にはまだ「隧道」までの半分も来ていない。
今はただ、この平穏が1mでも長らうことを期待しながら、淡々と距離を稼ぐよりないだろう。

未だはっきりしない空模様が、私の心をざわつかせた。




そしてまた廃屋?

いや、今度は廃ではないような気がする。
玄関までの通路には丸太が置かれ、藪に覆われないように工夫されている。
窓ガラスも割れていない。

営林署の休憩所であろうか。




こちらは廃屋と言わねばならないだろう。

落部峠の北側のこの辺りの湖底には、赤谷、中野、和田などいくつもの集落が沈んでいる。

幸いにも物理的な水没を免れた高標高の家屋にしても、湖面と孤立に包囲された状況では生き残り得ないのだろう。

2階建ての母屋はもちろん、小屋のような2軒の離れにも、冬支度を思わせる戸張りが丁寧にされていた。
そこに離れがたい住人の愛着が感じられるようで、悲しかった。
廃屋とは呼ぶまい。空き屋と呼ぼう。






7:48  《現在地》

空き屋を過ぎて間もなくだった。

起点から5.3km地点。


遂に現れたのは、

最初の規制警告。

 ここから先は○○落石○○○○○○ですから関係者以外の通行を禁止します。もし無断で通行し、事故等が発生しても一切の責任は負いません。 荘川村 電源開発株式会社

赤字の部分が消えてしまい非常に読みづらいのが難点だが、ともかくこの先が危険地帯だというのは伝わってくる。
【解読求む!】



掲示板などにて解読の御協力を頂きました結果、【mhさん提供画像】の通りにほぼ判明いたしました。
(1行目の「崩壊」→「崩落」の説あり。また、看板右側の余白部分に大きく赤字で「通行止」と書かれていたという推定もされています)

Hirabarさん、書生しげさん、mhさん、銅粉の湯さん、アンパンマンさん、海苔さん、かいわれさん、ゆりかもめさん、戸谷さん、ほか



目立っているのは前記の看板だけだが、傍らのススキの中には、色褪せた「通行止」の標識と、鉄の閉鎖ゲートが存在していた。

しかし、ゲートはなぜか開け放たれていた…。


ますます狭まる路面に覚悟を決めて、進入。




8:00 【現在地 6.0km地点】

ゲートが開いていたおかげか、まだ廃道には堕ちなかった。

それどころか、意外にも多くの轍が通じていた。

だが、そんな安堵も長くは保たなかった。


再びの分岐。

 本線は、 直進…!


直進は…




起点からちょうど1時間、6kmの地点。

今度こそ本当に、行く手を阻む物理的な障害物が現れた。

通行止めの立て看板や、A型バリケード、低い位置に掛けられたチェーン。

この地点をもって、四輪車はシャットアウト。


そして、何より私の目を奪ったのは、次の看板だった。




 通 行 禁 止
この吊橋は、老朽化のため非常に危険です。
事故等発生しても一切の責任は負いません。 荘川村

 キタ――!!!

こ、ここで吊り橋といえば、

まず間違いなく、「六厩川橋」のことだと思う。

まだそこまでは7km近くも離れているのに、なぜ早くもこんな看板が現れたのか。

それは分からないし、そこにイイ予感は全然しない。


しかしともかくこれは、この道が“そこ”へと繋がっているという、何よりの証し!!

もとより地図を見れば繋がっていることに疑いはなかったが、こうして“予告”され、初めて実感したのである。



この道は、
憧れの六厩川橋へ繋がっている!