道路レポート  
旧国道13号線 栗子峠 “万世大路” 
山形側 その4
2003.5.7



 明治に竣工した初代隧道を探索した後は、2代目の隧道の探索だ。
この道が廃された昭和41年まで現役で稼動していたという「栗子隧道」だが、
事前情報によれば、昭和47年に大規模な崩落に見舞われ、それ以来不通であると言う。

 事実を、己の目で確認したい。

その思いこそが、私がこの場所に来た最大の理由だった。
いまこそ、栗子攻略のハイライトだ!

<地図を表示する>

 
栗子隧道 (二代目)
2003.5.1 9:55
 いよいよ、万世大路のハイライトである栗子隧道だ。
思えば、初めてこの隧道を知ったのは、PCでホームページを作りはじめた当時に遡る。
それは、殆どこの『山さ行がねが』の歴史の長さに等しい。
 特に、『山形の廃道』サイトのレポートは衝撃的だった。
あそこには当時から幾つもの隧道が紹介されていて、そのどれもまだ秋田を離れたことがほとんどなかった当時の私には、異国の景色の鮮烈さがあった。

 そして、
そのトップに紹介されていたこの「万世大路」、そして「栗子隧道」には、 圧倒的な風格があった。
紹介された数枚の写真は、凄まじい威力で私の脳を揺さぶった。

 以来、この地は私の憧れとなった。
旧道や廃隧道を辿れば、その都度目の前の景色に没頭した。
しかしそれでも、この地への憧れは消えることがなかった。




 そんな場所が 私には いくつかある。
それは語るべき物ではないし これからも変っていくのだろう。
しかしそんな 私の “生涯の目的地” のうち 

ここは 最初の到達点 となった。



 さて、栗子隧道に入ろう。

この隧道を通過し、福島側へ通り抜けられればどんなにか素敵だろう。
しかし、それはどうやら叶わぬ夢らしい。
 「内部は完全に閉塞している」
かつてこの地を訪れたつわもの達が、口を揃えてそう言う。
ここは冷静にチャリを置き、単身で潜ることにした。


 築70年、廃止後40年が経過している。
当時最新の技術を尽くし誕生した隧道だが、顧みられぬままに流れ去った時間は、余りに長かった。
もう、そこにあるだけで精一杯といった姿である。
美しく化粧されていたであろう内装も、見るも無残な形相に変っている。
遥かに古い明治の隧道以上に、崩落への恐怖感は大きい。

 想像以上の荒廃ぶりに、さすがに躊躇する。
昭和11年竣工とはいえ、未だに現役で稼動している隧道も各地にあるが…。

 端正な断面のシルエットは美しい。
しかし、実際の姿は…である。

 もちろん、荒れ果てた隧道であればあるほど燃えるのが山チャリストだ。(…。)
任せてください!


奥行ってみます。


 足元には、かなり久々にゴミを発見。
ゴミはおろか、人為の所作と思われるものが殆ど全く見当たらない場所だけに、新鮮だ。
ちなみに、隧道内の柔らかい土の上には足跡が残っていた。
前出『山形の廃道』の作者fuku氏が2002年5月に訪れた記録があるが、そのあとに何人が訪れたのだろうか?

 そうそう、ゴミは新聞だった。
気になってその日付を見る。
濡れてはいるが状態は非常に良い。
小さな文字まで十分に読める。

 1999年11月12日 山形読売新聞

はい、だれですかー?
ここに置いたの。
崩落点 坑門から約30m


 入り口からも良く見え、立ち入ろうとする者を威圧する崩落地点。
剥離し路面に積もった内壁の量以上に、天井から宙ぶらりんになったままのコンクリ塊の奇怪な姿が怖い。
鉄筋コンクリートというのは昭和になってから登場したもので、現時点では鉄筋コンクリート隧道でこれほどに荒廃した物は少ないのではあるまいか。
今後時代が進めば増えてくると思うが。

時代の最先端を走っていただけに、逆に早い時期に捨てられてしまった隧道の、悲劇的な光景か。

坑門から約300m地点
 しかし、最初の崩落点のさきは、非常にクリーンである。
内壁の所々ひびがあったり、多少の剥離はあるが、コンクリート舗装された路面はまだまだその役目を果たしており、その気になれば高速に自転車を漕いで走れそうだ。
そんな状況なので、ペース良くどんどん歩いていける。

 でも、先にはますます濃い闇が広がるばかり。
本来は500mほど前方。この直線上に見えるはずの福島の明かりは、全く見えない。
決定的な崩落が存在するというのは、やはり紛れも無い事実のようである。
しかし、まだ見えぬ。
暗黒に閉ざされた閉塞点を、この目で見たいのだ。

 明治の隧道以上に暗く感じられるのは、それだけ深くまで潜っているというだけではなく、広い坑内のせいだろう。
ヘッドライトの向こうには、未だ何も映らない。
歩けども歩けども、無機質なトンネル風景が続く。
時折振り返り、次第に小さくなる坑門を確かめた。
そうしないと、不安だった。

大閉塞点 坑門から約400mほど
 そこに見えるはずの出口が見えない。
そんな事実を突きつけられても、やはり心のどこかでは信じられぬという思い。
いや、信じたくないといったほうが正確か。
しかし、既に400mを歩いただろう。
ほぼ中間地点だ。
ここでなおも出口が見えぬというのは、直線の隧道だったならば、本来ありえない。


 突如、内壁に変化があった。
この先は、一回り断面が小さくなっている。
一体なぜこのような構造なのかは不明だが、過去に一度だけ良く似た構造を見たことがある。
同じ山形県の温海町は旧国道7号線にある「釜谷坂隧道」だ。
あちらも昭和12年竣工と時代が近く、当時の技術的な制約だったのか、流行だったのか…?

 この場所でフラッシュを焚いて撮影した瞬間、ファインダーの中に、確かに白い壁が映った。
それこそは、目前に迫った崩落地点の姿だった。

 さらに30mくらいは進めた。
しかし、頼りない灯りの向こうに、次第にはっきりと壁の姿が見えてきた。
それは、真っ白く反射して見えた。
足元は、未だクリーンなまま。
このまま突き進めそうなまま。

 しかし、遂に…。







 この映像は、上の写真の明度を機械的に上げた物である。
そのせいでノイズが著しいが、もはや言い逃れの出来ない崩落の現実が映っていた。
この場所まで、目立った崩落は入口付近の一箇所のみであった。
しかし、わずか2箇所目の崩落で、完全に息の根が止められてしまった。
さすがにこの光景を前にしては、足掻こうという気が起きなかった。
崩落面の土砂は、比較的乾いており、また安定感もあった。
それは、ただの一点でさえもどかせそうになかったし、地圧という眠れる獅子を起こすような行為は厳に慎むべきだ。

 崩落地点の目撃は、私の目的であった。
達成目標であった。
たしかに、もし貫通できればそれに越したことはなかったが、確かにこの道の事実を見届けることが出来た。
それで、満足だ。


 もはや、チャリはおろか、この身一つでも通行できる見込みは無かったが、比較的崩落面の傾斜が緩く安定しているのを確認の上、ここに登ってみた。

 やはり、下から見たとおり、天井までびっしりと瓦礫の山は続いている。
人の入れるような隙間は、見当たらない。
 閉塞点へ向かって左上の空間、最も奥まで人の入れるスペースがあった。
そして、さすがに恐怖があったが、頭上はコンクリの内壁であり、今すぐに崩壊して生き埋めになることは無かろうと、ここに侵入してみた。
いや、正確には侵入を試みた。
そこは余りにも狭く、進入は叶わなかったのである。

 しかし、ここに潜った上半身には、大きな変化が感じられていた。
なんと、ここには空気の流れがあった。
しかも、それは大きな風圧と、音を伴っていた。
頬に風が感じられるというレベルではなく、まるで巨大な業務用冷蔵庫の中にいるような感じである。
そこには、紛れも無く福島の空気が流れていたのだ。
目では見えぬが、この岩石の隙間に一点の貫通が認められたのだ。

 この事実を確認後、私は速やかに撤収を開始した。
落ち着いている様子とはいえ、私が踏み込んだ衝撃が、この隧道に何らかの影響を与えないとは言い切れない。

 なお、このリンクをクリックすると、この場所で録音された音声が再生される。
風を感じてほしい。
ゴチャゴチャとボイスも聞こえるが、お気になさらず。
何を言っているのか、私にも分からないので。
(注意)容量:81KB ファイル形式:wmv 
再生には、WindowsMediaPlayer などの再生ソフトが必要です。


 ここで引き返す。
しかし、私は十分な満足感を感じていた。
栗子の山中、海抜885mの地に穿たれた、新旧2本の隧道は、今も確かにそこにあった。
その姿を確かめ、感じられただけで、これは十分な達成であった。

 貪欲な私も、この日ばかりは、ほんと、この結果(引き返し)にも、幸せを感じていた。


   栗子隧道

竣工年度 1936年  廃止年度 1966年  
延長 約 870m   幅員   約6.0m    高さ  約4.5m

昭和9年から11年に掛けての万世大路改良によって誕生した二代目隧道。
初代隧道とは、山形側坑門から50mほどで接合しており、福島側の坑門は同一。
ほぼ中間地点にて崩落のため閉塞しており通行は不能である。






 大いなる自然の営み?
それとも、退廃の姿?

 近代的であったはずのコンクリートの壁のそこかしこから、石灰成分のツララ…
紛れも無い鍾乳石が発生していた。
地下水や土中の石灰分が元で出来るのが天然の鍾乳石だが、
人工物から発生するものも、その価値に偽りは無いはずだ。
ミニチュアだが、ライトアップしてみれば、それはなんとも美しい。

 しかしこの鍾乳石には、
愛でる観光客も無ければ、折ってしまう不届き者もいない。

ならば、
いつの日か、
巨大な石柱となって、未来の旅人を迎えてほしい。

決して叶わぬ願いとはいえ…


 永久に、あれ。

古の大路よ、万世なれ。







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