道路レポート 十和田湖八甲田山連絡道路 序
2004.6.18



 2004年5月中旬、山行が宛てに一通のメールが寄せられた。
そこには、私を即座に夢中にさせるネタがしたためられていた。
差出人は、青森県にお住まいのぴょんぴょん氏。
その彼が以前登山で利用した道が、戦前の車道の跡であるというのだ。

その道の場所は、右の地図の通りである。
地図の最も下に水色がかっている部分があるが、これは十和田湖である。
その十和田湖の北岸の突端である御鼻部山付近から北上し、海抜900m前後の山上を縦走。
いよいよ南八甲田山の峰峰に対峙し、これをヘアピンカーブで上り詰める。
最高所は、標高1200mを超える稜線上にあり、この名が、地獄峠。
ここから猿倉温泉へ向け、数度のヘアピンカーブを経つつ緩やかに下りるというコースである。
すなわち、北東北有数の観光地である「十和田湖」と「八甲田山」とを短絡する稜線ルートといえば分かりやすい。

このルートは、確かに一般の道路地図にも示されている。
だが、それは「歩道」としての記載であり、その存在する場所からも、ただの登山道路と見える。
ここに車道がもし存在するとしたら、果たしてそれが廃道となるものだろうか?
現在の国道ですら遙か谷を下り谷地温泉を経由して繋ぐこの二大観光地を短絡する路線、まさに、最高の観光道路ではないか。

メールを頂いた瞬間より、私の興味はこの道から離れなかった。
図書館に赴いたり、WEBをさすらい情報を集めた。
ぴょんぴょん氏からも積極的に追加情報を頂戴した。

それらを総合すると、ますます謎の深い道だと言うことが分かった。
それぞれの情報の出所は煩雑になるので示さないが、私が調べた限りでも、次のような情報が、この道について錯綜した。

 ・昭和8年〜9年に建設された「酸ヶ湯大鰐線」という観光道路である。
 ・昭和8年から3年間掛けて建設された産業道路である。
 ・一度も車が通ることなく現在に至る。
 ・検査の車が通ったこともある。
 ・昭和9年から3年がかりで、県が救農土木事業として建設した道である。
 ・救農対策で建設された後は、旧陸軍が使用する軍用道路であった。
 ・この道は「旧道」と呼ばれ、一部が登山道として再利用されている。
 ・この道を「旧県道」として案内しているガイドマップも存在している。
 ・戦後、道は放棄され現在は大部分が自然に帰した状態になっている。
 ・現在の南八甲田地域管理計画においては、一帯は無車道区域とされている。

 
…などなど、この道の記述は決して少なくはないが、どの情報も断片的であり、また矛盾するものもある。
そして、これらから予想される現在の道の状況は、廃止後非常に時間が経過し、現在では一部が登山道と利用されるに過ぎない廃道であるということだった。

当然のように、私はこの道への実走調査を企てた。
しかし、いつも以上に慎重にならざるを得なかった。
現地に予想される困難のうち、最も調査時期を左右すると思われたのが、その積雪である。
全長24.5kmとされる路線は、ほぼ標高900m以上に位置し、最高所は1200mを超える。
GW頃でも春スキーが行われる八甲田の雪解けは遅く、まして登山道程度の道をチャリで踏破するとなると、積雪延長は最大でも1km以下で無ければ難しいだろう。経験上、春の雪上は走行できないことは明らかである。
一方、雪の心配は全くない真夏や秋という決行時期も考えられるが、長い廃道区間での藪の生長は致命的となるだろう。

こうして、決行時期としては6月中旬の日が選ばれた。

自己最長の廃道、自己最高標高の廃道、自己最難の廃道…。
さまざまな自己新記録を更新する極限の山チャリが、決行された。
以下は、その決死の記録である。



旅立ち
2004.6.16 0:50


 前日の仕事を21時に切り上げ、チャリを輪行バッグに詰め込み奥羽本線に飛び乗った。
終着駅の東能代で下りると、予定通り保土ヶ谷氏が彼の愛車と共に待ってくれていた。
チャリを車に乗せると、私を助手席に、旧知の朋との久々のドライブが始まった。
BGMはかつて連夜のバトルに明け暮れた今は亡き(株)SNKのサウンド達。
国道7号、そして県道2号へと乗り継ぎ、一路車は小坂町を目指した。
そして、霧のワインディングの先にコンビニの場違いなネオンが現れ、別れが来たことを知る。



 駐車場で車を降り、チャリを組み立てる。
保土ヶ谷氏は明日も仕事があるにも関わらず、今回の計画の重要な足を担ってくれた。
感謝する。
久々の語らいで気持ちの緩んだ私だったが、外へ出るとその清冽な夜気も手伝って、緊張感に表情が硬くなるのが分かった。
この緊張感は、“旅立ちのまえの心地よいもの”とは異なっていた、何度も生唾がこみ上げてくる。
緊張の余り、体調が優れない。
恐い。

今回の計画のために、可能な限りの情報は集めた。
僅かではあったが、歩き通したという登山者の体験談にも出会った。
確かに、踏み跡程度の道はあるということも分かった。
しかし、それらを知ってなお、私の不安は全く解消されなかった。
如何せん、チャリ同伴で突破したという話を聞かないうえ、最近の状況も、特に今年になってからの状況はようとして知れなかった。

私の心に去来するのは、遭難や死への恐怖だった。
最近は、複数で山を歩くことがとみに増えていただけに、心が弱くなったのかとも思ったが、自然な感情だろう。
登山家でさえ敬遠するという廃道に、単身挑む前の心境は、全くもって、不快なものであったと記憶している。

やがて、準備が終わり、笑いを交わした。
そして、心地よいエンジン音と共に暗闇に消えていくテールランプを、見送った。

後に残ったのは、無機質的なコンビニのネオンと。
ただ一人、チャリにまたがろうとする私だった。


 …はじまってしまった。







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