道路レポート 十和田湖八甲田山連絡道路 その1
2004.6.22

 いよいよ目的の道へと進入を開始する。
ここから始まる24km。

まさか、あんな事になるなんて…。

ルート上の地名は、『 昭文社山と高原地図4 十和田湖・八甲田 』を参考にしています。
このレポでは、地図を用意しています。
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 御鼻部山 旧道口 地図で確認
2004.6.16 6:00


 午前6時きっかし、完走目指し御鼻部山口より通称:旧道へと進入。
入り口には簡単な木のバリケードが築かれ、歩行者以外の進入を抑制している。
これは登山道と言っても、一般的なガイドブックには掲載されていない道であり、現地にも一切所要時間や行き先などの案内はない。
入り口から続く土の路面は軽トラ分くらいの幅があり、実際に近年まで通行していたような痕跡もある。
いきなり廃道で痕跡も見つけられなかったらどうしようかと、内心心配していたので、ほっとした。
とりあえず、問題なくスタートできたので。



 背後の国道は、この道を切り離したらすぐそっぽを向いて、南へと向かっている。
この先、北上する道はこの「旧道」のみである。
すぐに120%生のままの自然が周囲360度に展開し始める。

御鼻部山の入り口の海抜が約930mだが、第一の目的地となりそうなのが、約3.5km先の954mの小ピークである。
地図上での読みでは、このピークを境にして一帯の典型的な景観である湿原地帯が出現し始めるはずなのだ。
そして、私が最も困難ではないかと危惧していたのが、湿原地帯である。
木道などが整備されていればよいのだが、それがないとしたら、果たして愛車は湿原を突破できるだろうか…。



 暫くは緩い下りが続く。
直線的で走りにくい勾配などはないのだが、前夜の雨のため、至る所にぬかるみが生じている。
しかも、ぬかるんでいる場所をさらに、多数のバイクの轍が深くえぐり取っており、ぬかるみは収拾が付かない状況となっていた。
お陰で、スタートから僅か1kmほどで私の両方の靴は水の進入を許してしまった。
まあいいさ。
どうせ濡れるのは覚悟の上、
山チャリは、濡れてからが本番だ。

通常使用している地図では、等高線は100m単位であり、とてもこの道の微妙なアップダウンを把握できない。
ことさらナーバスになっている私は、今回特別に提供頂いた『山と高原地図』の該当部分をカラーコピーして持参していた。
とにかくマイペースを貫く為に、心に少しでもゆとりを持って望もうと考えての用意周到さだ。
そして、この虎の巻によれば、現在の下りは標高890m程度の鞍部まで続くらしい。


 入り口からしばし下り、少しだけ登り、また下った先が、その鞍部である。
そこは、ちょっと凄いことになっていた。
道幅が、異常に拡張されている。
鞍部とは言っても、稜線上にある道だから、両脇に水は逃げていきそうなものだが、道自体が1mほど掘られた中にあり、全体が水路となっているようである。
そして、鞍部にはこの様な一大マッドネスゾーンが誕生しているのだ。
泥の深さは、20cmを超え、足の落としどころを誤ると、膝まで沈む。
ここまで下りが多くそれなりの速度で進めていたのだが、一気にペースダウン。
チャリが初めて、お荷物に感じられた。

また、ここで注目なのは、私も初め信じられなかったのだが、この道の元来の道幅である。
この沼地の幅いっぱいいっぱいが、元来の道幅である。
あなたは信じられるだろうか?



 道は緩やかに登りに転じる。
非常に地形が穏やかであり、これまで私が挑んできたどの山ともムードが違う。
20kmを超える廃道と聞いて、ちょっと心配しすぎていたのかも知れない。
ここまでもう3km近く進んでいるが、確かに車道ではないものの、好き者のバイクが多数の轍を削っており、寂しさも険しさもない。
この調子なら、徒歩で少なくとも8時間を要するという行路であるが、その半分程度の攻略も可能と思われる。
一応正午を突破目標時刻(すなわち6時間だ)に定めたが、それでも余裕がありそうだ。

ふう。
「救農対策」だとか「軍事道路」などという謂われから、もっと酷い狭隘な道を想像していたが、実際は国道クラスの大道だったようである。
むしろこれほどの道幅だけに、国立公園内に存続することを許されなかったのかも知れない。
案ずるより産むが易しとは、この道の事であるなぁ。


 スタックする愛車の姿。
スタンド無いのに自立しているし。
しかし、御鼻部山からこの辺りまでバイクで入っている人たちは、何が目的なんでしょ?
まさか、通り抜けを考えているのは、私だけじゃないのか?!
だとすれば、意外や意外、既にこのプランは何者かによって完了済みなのか?

…うーーん。
轍があれば先は楽だけど、なんか、折角来たのに物足りないかも。






 気持ちの良い森のプロムナード。

高度を上げるにつれ泥は浅くなり、やがて木の葉が薄く積もった土の路面となった。
路面はフラットであり、ほぼ直線。
勾配も緩く、こんな気持ちの良い廃道があったのかと。
こんな道だったら、どこまででも走っていたい。
心地よい小鳥のさえずりと、滴り落ちるような新緑の中、旧道はつづく。


 殆ど視界はないが、僅かな植生の変化から、目指すピークに近づいていることを知る。
そのサインは、笹だ。
笹藪になっている斜面が、ちょうど路肩である。
一方、向かって左側は緩い下り斜面になっており、路肩は太い木のある辺りだ。
この道幅、充分二車線がとれる。
現役当時には、鬱蒼たる緑の絨毯を二つに分かつ太い直線を上空から見ることが出来たに違いない。
現在ですら、航空写真に痕跡が写っている。




 954ピーク 地図で確認
2004.6.16 6:45


 スタートから3.5km地点、海抜954m無名峰山頂付近である。
途中ダーティーな場所が多く、結果的に歩いたのと同等程度の時間が掛かっているが、想像していた以上に道ははっきりとしており、楽だった。

稜線上の小さなこのピークを越えると、いよいよ大湿原地帯へと向けての下りが始まる。
峠はまだ僅かだが汚れた残雪があり、その周りの木だけは芽吹きが遅れている。
普段なら嬉しい下り坂も、いずれはまた登り直さねばならぬ高さと思うと、余りいい気はしない。
しかし、四の五の言っても始まらないので、ジュースを口に含んですぐに出発した。


 この先の特徴的な線形は”虎の巻”ほどの縮尺でなくとも、普通の地図にもしっかりと載っている。
カーブとカーブの間が500mもある特大のヘアピンカーブ二つで一気に60mほど高度を下げる区間だ。
ここも、地形的な困難が予感された「想像上の難所」である。

はたして、その味は?
いざ、下りへ侵入開始だ。
まずは、峠の先で直角の右コーナー(写真)。




 期待に反して、直角カーブの先には登りが待っていた。
路面には明らかに荒廃のムードが漂い初め、しかも、初めて道を塞ぐ倒木が現れてしまった。
チャリだったら容易に跨げるが、ここに来てバイク組の安否が気遣われる展開だ。
まさか、先導車としての彼らの力もこれまでなのか?


嫌な予感的中!

は、廃道だ。

しかも、最近手入れされている気配もない。
一応道形は植生の凹凸から分かるものの、明らかに廃道。
予感はあったが、実際にこうなってみると、一気に不安感増大。
まだ、全線の6分の一も来てないのに…。
この道は、終点と起点以外には特にどこにも接続していない(少なくとも車道ベースとしては)ので、一度廃道となれば、もう復活の期待は薄いのだ。

藪でしばし立ち止まっていると、どこかからオカリナの音が聞こえてきた。
耳を疑った。
山上の風に乗って無人の山道に届くオカリナの響き。

ある意味不気味なのだが、このときの私は、何故か嬉しくなった。
微かに聞こえるメロディーが、何とも山の朝に調和した心地の良いものだったからだ。

しかし、再び藪に突撃し、しばし自分の呼吸音を聞いた後には、もうその音はどこからも聞こえなかった。

なんだったんだろう…?




 藪を力業で押しながらチャリを漕ぐ。
実際には、道を大きく支障する枝は払われているようで、見た目よりは通行が可能だった。
一つめのヘアピンカーブを過ぎるとやっと下りが始まり、重力も味方に付けた愛車は、ビチビチと笹の葉を引きちぎりながら、森の底へと下っていく。
しかし全然気持ちよくないのは、藪のせいではなく、この先の展開を悲観しているからだ。

さっきの音について、私の考察。
実は、道こそ繋がっていないが、大ヘアピンから東に1kmほどには、相当に広い大幌内牧場と呼ばれる牧場がある。
メロディーの出所は、そこかも知れないと思った。
これまでも、このさきもしばらく、旧道上で人には出会わなかったので、この道のどこかで奏でられたものではないと思われる。


 藪は、日当たりの良い場所で特にやっかいになるというのは山の定説であり、高い木々が現れ出すと、途端におとなしくなる。
この道の場合も同様で、2度目のヘアピンにかけては、見違えるほど状況は回復した。
ただし、もうバイクの轍は見られない。
今ある踏み跡は、登山者や山菜採りの人たちが刻んだものだろう。
比較的地形が険しいこの場所でも、相変わらず、本来の道幅は1.5車線程度を確保していた。




 で、2度目のヘアピン。
このカーブを越えると、地図上に急なカーブはもう相当先まで描かれていない。
坦々と登り基調の緩い蛇行が続くようである。
実際には、もう少し先まで下ってから登り始めていた。


 道に張り出した巨木の「うろ」に、赤いペンキで何かが描かれていた痕跡を見つけた。
ちょうど道の方向に矢印も書かれ、それぞれ行き先の地名を書いてあったのかも知れない。
このペンキの正体は分からないが、旧道の所々、特にカーブや支障木がある場所などには、小さな赤テープが目印として付けられている。
知る人ぞ知る南八甲田連山のなかでも、特に秘境ルートとされる“旧道”登山道だが、数少ない山男たちの、この他人思いな仕事には、この後何度となく救われることになる。




 ちょうど下りきった鞍部が、分岐点となっている。
一般の地図には描かれていない道だが、ここから分かれる歩道は平賀町の「善光寺平」という山域に繋がるようだ。
ここから2kmほどの地点まで車道が登ってきていて、最悪この先で引き返すことになったら、脱出コースとして考えられなくもない。
写真は、分岐を振り返って写したもので、左が旧車道御鼻部山方面、右が善光寺平方面の間道と思われる。

ここが最後の脱出分岐だろう。
この先には、もう二度とこんな場所は来ない。
そう思うと、先へと踏み出すのに勇気が要った。


 登りが始まった。
道は直線的なのだが、藪が覆い被さるようになり、視界は利かない。
それでも、勾配は緩く路面もしっかり目で、チャリに乗って進むことは出来るので助かる。

しかし、ここでアクシデント発生。
なんと、頼みの綱の“虎の巻”を落としてきたらしいこと発覚。
最後に見たのは、ヘアピンの前、954ピークだ。

…もう、戻る気はしない。

これで、私の生命線は普段の10万分の一道路地図だけになった。
幸い、車道跡の痕跡を辿ることを生業とする「廃道屋」にとっては、これだけ元の道幅の広いとなれば、分岐で困ることはないと思うが、大縮尺の地図を失ったことは、その実際の利便以上に、喪失感が大きかった。
イメージとしては、薄着で冬を往く、みたいな?
ああ、不安だ。




 7時17分、突然森が途切れ、太陽が燦々と降り注ぐ低木帯に出た。
道を外れたということはないはずだが、あんなに広かった道の痕跡が、猛烈なブッシュによって判別不能となってしまった。
…これは、ヤヴァイ展開だ。
油断すれば、本道を失いかねない。
それに、この藪。

チャリ、 要らないんですけど。

実はここが、大湿原地帯の始まりであった。
その名を、袖ヶ谷地という。
そしてここは、山チャリストにとっての地獄の一丁目。


次回より、ヨッキれん逝きまくる!








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