例年、その年の一番始めに書くレポートを何にするかで悩む。
やはり一年の始まり、自分自身の士気を高める上でも、あまりしょうもないレポで明けたくないし、また、多くの読者様の「廃道初め」になるのかも知れないと思うと、そう軽々とネタを決定できないものだ。
そんな中で、今年はわりかしすんなりと決定した。
表題は仮称なのだが、正式な道路名がまだ判明しないので、やむを得ない。
しかし、この道の状況をよく現すタイトルにはなったと思っている。
例年、その年の一番始めに書くレポートを何にするかで悩む。
やはり一年の始まり、自分自身の士気を高める上でも、あまりしょうもないレポで明けたくないし、また、多くの読者様の「廃道初め」になるのかも知れないと思うと、そう軽々とネタを決定できないものだ。
そんな中で、今年はわりかしすんなりと決定した。
表題は仮称なのだが、正式な道路名がまだ判明しないので、やむを得ない。
しかし、この道の状況をよく現すタイトルにはなったと思っている。
と、その前に。
年の初めと言うことで、私ヨッキれんの現状報告と、2008年の抱負、および読者の皆様へのお願いを申し上げさせていただきます。
昨2007年は自身にとって新しい展開の大変多い年でした。
1月には長年住んだ秋田から東京への引っ越し、そして慣れない一人暮らしが始まりました。
7月にはアスキーさんの取材を受け(記事)、9月には生まれて初めてのテレビ出演(BS2「熱中時間」#106)を果たし、12月には東北土木学会などが主宰する近代土木遺産に関するワークショップにて、壇上で短い講演をさせてもらうなど、廃道でのスリリング体験以上にドキドキすることの多い一年でした。それぞれの場面では、多くの方のお世話にもなりました。
しかし、何よりも最大のニュースは、自分の書いた廃道のレポートで直接読者様からお金を頂戴するようになったと言うことでしょう。これは、私も運営に参画するPDF形式の廃道専門誌『日本の廃道』(ORJ)を、昨年11月号より有料化したことによるものです。
12月中にはこの売上げの配当金としての初めての収入を手にしました。その金額は、探索数回分のガソリン代にも匹敵するものがあり、嬉しいけれどなんだか申し訳ないような複雑な心境になったのでした。
私は現在もフリーターの立場にあり、連日パソコンに向かってはレポートの執筆に一日の殆どを費やしております。しかし、それが辛いと感じたことはありません。というか、これで辛いなどと言っていては真面目に働いている方々に合わせる顔がない。まったくもって私は恵まれていて、赤貧生活であっても“ローソン時代”の接客スマイル以上の笑顔で暮らしております。私が数年来目指してきた「廃道で生活を成り立たせる」という荒唐無稽な野望に、今年は一歩どころか二歩も三歩も近づきました。本当に有り難いことです。
しかし、現状で満足してはいられません。依然として、廃道だけの収入では大幅の赤字であり、様々のアルバイトに時間を費やすことも避けられません。
ようやく関東の風土にも土地勘が付いてきましたから、今年はより地に足をつけたレポートを執筆し、私の体を駆けめぐった廃道の興奮や情感を余すことなく伝えていきたいです。
当面の収入を得る方法についても、現状のような不定期的なアルバイトや、ORJを購読してくださる読者様にばかり頼るわけにも行きませんから、自立を目指し、「書店に並ぶような本を出すこと」を今年の目標としたいです。
そのためには、さらに文章力や表現力、そして社会的感覚を身に付けていかねばならないでしょう。
山行がをお読み下さる読者様に、勝手ながらいくつかのお願いがあります。
今後、ORJには毎月最低1レポート、出来ればそれ以上のレポを執筆していくつもりです。
頻繁更新を売りとする「山行が」に較べて月一では物足りないと考えられるかも知れませんが、その代わりORJに提供するレポートは、「山行が」であっても“大ネタ”とされるような【EXレート4以上】ものを厳選して公開します。当然一回一回の分量も山行がの一回の更新分に較べて多いですから、読み応えを感じていただけるはずです。
もちろん、だからといって「山行が」が小ネタばかりになる事はありません。両者のレポートの棲み分けは特に定めず、どちらかだけお読みいただいても満足いただけるように采配するつもりです。
ORJのご購読は、「山行が」への直接の支援になるとお考えいただいて間違いありません。
何より、ORJに向けて書いたレポートは、大勢に読んでいただきたい自信作です。
あなたからの情報提供や調査依頼が、明日の「山行が」やORJをよりエキサイティングなものにします。
これまで公開してきたレポートを見ても、読者や同好の士より寄せられた情報が大ネタに繋がったケースが多いです。
私も常日頃から各地の図書館より本を取り寄せて道路情報を回収していますが、一人の力では限界があります。
また、ご不要となった古い地図であるとか地誌、市町村史、観光ガイドブックなどが、私にとっては宝物となり得ます。
もしこのようなものを処分する場合には、是非その内容をメールにてお伝え下さい。
送料着払いにてお譲りいただくか、場合によっては購入させていただく場合もあろうかと思います。
皆様の家に眠っている不要の本を、ぜひご確認下さいませ。(必ずしも古くなくても、地誌や地図、市町村史などは貴重な情報源となる可能性があります)
また、「どこそこへ一緒に行かないか?」などというメールも歓迎します。
あなただけの情報を、私ひとりで探索してしまうのは申し訳ないですよね。
情報提供者と一緒に廃道を歩き、一緒に成果を持ち帰るというのは素晴らしいことです。
長々とご託を並べました…。
これは綺麗事っぽいかも知れませんが、正直申せば私への最大の支援は今も昔も、皆様からのアクセスそのものです。
カウンターの回り具合がそのまま、私のモチベーションに繋がっていると言っても過言ではありません。
わざわざアクセスしてレポートを読んでいただけるという事への感謝、初心を忘れず、 今年も頑張ります!
それでは2008年一発目のレポートを、どうぞご覧下さい!!
「東京の奥座敷」と呼ばれ、箱根と共に関東を代表する温泉場である栃木県日光市の鬼怒川温泉。
そこに廃道があるとの情報を手にしたのは、平成18年の夏頃だった。
情報提供者は、『険道と標識のページ』を運営する春日氏である。
どうもその廃道の途中には一本の隧道があるらしく、それより先は訳あって未調査だという。私は彼からその調査を託された形となって、いざ訪問の機会を覗っていた。
そして、12月になってようやくチャンスが巡ってきた。
仙台に所用があり車で向かう途中、ここに立ち寄ったのである。(仕事で出張するときは必ず廃道に寄っていくというダメ人間の倹約術…)
まずは下調べだが、鬼怒川温泉の場所はこちらを見ていただきたい。<マピオン>
そして、最新の2.5万分の1地形図では右の通りである。
少し説明しよう。
鬼怒川の温泉街は鬼怒川左岸に細長く広がっており、そこを国道121号が縦断している。
これに対して、国道のバイパスは平坦な土地の殆ど無い右岸を選んで開発され、その一部は「鬼怒川有料道路」として開通している。
有料道路が弧形のトンネルで貫く右岸の500mほどは、鬼怒川が特に鋭く山肌を削っており、そこには楯岩と呼ばれる奇岩が水面上100mまで一気に迫り立っている。
これは対岸から良く望まれ、観光ガイドにも載る景勝地である。
そして、問題の隧道がある廃道というのは、有料道路が長いトンネルで貫く区間を、律儀にも地上にて通過しているのだ。
地図を一目見ただけでも、嶮しい地形が目に浮かぶようであった。
2007/12/7 12:18
地図上から想定される廃道の距離は7〜800m程度で、相当に荒れていたとしてもさほど時間はかかるまい。
あとは、例の隧道がどのような物であるか。
そこに注目であろう。
…私は、そう考えていた。
だが、その考えは甘かった。
隧道に辿り着くまでにも、なかなかに激しい展開が待ち受けていたのだ。
町中の適当な駐車場に車を置き、チャリを下ろして廃道の入口があるという鬼怒川対岸の元町地区へと向かう。
この辺りでは国道121号が鬼怒川の両岸に、それぞれ現道とバイパスとして平行して存在する。
このうち右岸のバイパスは、この鬼怒川温泉にある「鬼怒川有料道路」と、もう少し北にある「竜王峡ライン」の二箇所が、栃木県管理の有料道路になっているので、お金を払いたくない多くのドライバーがこれらの区間だけ避けて現道へと出入りする。
そのために現道とバイパスとを接続する通りもしっかり国道に指定されているので、鬼怒川温泉街には国道121号ばかり縦横に走っている。
写真は国道が鬼怒川を渡る「立岩橋」。
平日の真っ昼間だというのに、あまり広くない歩道にはおみやげ袋を手にしたおばちゃん軍団が、横いっぱいに広がって歩いていたので、私はその後を、気付かれないくらい間隔を空けてのんびりとついていった。
こんな光景も、全国区の温泉場ならではといった感じで微笑ましいのだ。(というか、普段から遭遇していたらいらついていたかもな)
立岩橋から下流を眺めると、そこにはこれから向かうべき右岸の大断崖が見えていた。
妙にクリームがかった水の色に何となく腑に落ちないものを感じるが、取りあえず紅葉の混ざった峡谷の景色は美しいという言葉で括っても良いだろうか。
今ひとつピンと来なかったのは、まだ断崖が遠いと言うことと、逆光が激しすぎてよく見えなかったこと。
そしてなにより、
全く道が見えないので実感が湧かなかった。
右の画像は、立岩橋付近に数枚設置してある青看だ。
橋を渡った先にあるループ型の交差点用のものだが、目指す廃道の入口は、書き足した赤い矢印の所にある。
こちらから行くと、まずは鬼怒川有料道路の陸橋を潜って、すぐに左だ。

実際にはこのような場所である。
特に特徴もなければ当然行き先の案内もない、ここを左奥へと進む。
さあ、鬼が出るか蛇が出るか。
12:20 (0.0km地点)
ここは温泉街のはずれで、近くに国道のループが幅をきかせているせいか、逆に人気が無い。
そんな場所が、この楯岩越えの道のスタートであった。
路幅は早速狭い。
まもなく鬼怒川有料道路の陸橋の下を潜る。
橋の断面が変わっていて、まるで波のような曲線形を持っている。
ちょうどここの左に工場があって、この道は工場へのアクセスルートとして利用されていた。
だが、これより先はもうゲートアウト…。
早速にして、立入禁止である。
古びたゲートが閉じていた。
うーーむ。
イイ感じだ…。
このうら寂れた雰囲気…。
まさに、忘れられた道の匂いがプンプンする。
山奥ではなく、栄えた観光地の片隅にあるというのが、またいいのだ。
一本のバーゲートで容易に閉ざされてしまう細い道が、その向こう、杉の林の中に消えている。
もう何年も車が入っていないような気配がする。
この閉じたゲートの醸し出す雰囲気は、私のストライクゾーンど真ん中。
廃道の入口とはこうあって欲しいという、そんな欲望に忠実である。
まずは左の看板。
もう何年も置かれたままのようで、下の方から錆が進んでいる。
通行止の理由は、落石などの危険とのこと。
一般車輌のみでなく、歩行者まで立入禁止と敢えて明記しているのは、同じ県内の塩那道路を思い出させるが、いずれにしても念の入ったことである。
また、管理主体は町であった(町道)らしく、この「藤原町」はつい先だって日光市の広域合併に組み込まれて消えてしまったが、鬼怒川や川治温泉を擁する、関東人には結構馴染みの深い名称だったと思う。
だが、私にとって興味深かったのはむしろ、現役当時のものと思われるこちらの標識だ。(→)
一方通行により
一般車両通行止
15〜18
現役当時には、時間帯ごとの片側通行が敷かれていたらしい。
このような道は、町中や狭い温泉場の路地などで見られるが、この先にあるのは人家など在るはずもない山岳道路だ。
それだけでも意外に思われるのだが、15〜18時という時間帯の設定も意味がよく分からない。
日光・今市方面から鬼怒川温泉中心部方面へ流入してくる夕方のラッシュが、かつてこの道を通っていたとでもいうのか。
よく分からない。
だが、少なくともこの標識から言えることがひとつある。
かつて交通整理を要するほど利用されていた ということだ。
個人的な好みにズガンと突き刺さる始まりの景色。
そして期待に違わず出現する、白熱の廃道!
次回、刮目せよ!!