平成24年の夏は猛暑であったが、加えて東日本ではまとまった雨が少なく、必然的に各地のダム湖は渇水に見舞われた。
そのため、いくつかのダムは貯水率が一桁にまで低下する異常事態となったが、そこまで行かなくても、ダム湖の水位が普段より下がっている状態というのは、オブローダーにとって発見の良い機会である。
普段は湖面の下にあって見る事が出来ない様々な水没した地物が、地上に現れることになるからだ。
今回私が訪れたのは、群馬県の渡良瀬川にある草木(くさき)湖で、水資源機構が昭和51年に完成させた草木ダムが生んだ、比較的に規模の大きな人造湖である。
前日の時点でモニタされた草木ダムの貯水率は30%を切っており、私は渇水の湖底に現れているかもしれない “ある” ものを探すべく、朝一番で訪問したのだった。
私が探しているものは、以下のふたつ。
国道122号の旧道。
国鉄足尾線の旧線。
特に国鉄足尾線には、岩手県の錦秋湖と同様、湖底へ沈んだ草木という駅があったはずで、水没から35年を経過した姿をひと目見れたらというのは、大きな動機であった。
なお、草木湖建設に伴う足尾線の旧線のうち、水没していない区間については、既に「廃線レポート 足尾線旧線草木ダム付替区間」として紹介している。
現地の風景を見る前に、ダムが出来る前後の地形図を見較べて、沈んでいる旧道や旧線の位置関係を確認しておこう。
←画像にカーソルオンで、昭和40年の地形図に切り替わります。
水資源開発公団によって昭和42年に着工し、同51年に完成した草木ダムによって、国道と国鉄足尾線が、それぞれ約6kmずつ付け替えられた。
国鉄が新線に切り替わったのは昭和48年6月だが、昭和46年12月から新線切り替えまでの1年半の間は、堤体の工事現場を迂回する仮設線(約1km)が使われていた記録がある。
そして、旧線上にあった草木駅は、新線へと切り替えられる前日まで使われていた。
国道については残念ながら手許に切り替え日を記す資料がないが、現道に2本あるトンネルの竣工年が昭和48年と49年なので、鉄道と同時期に付け替えられたと考えられる。
おそらく旧道は、重ダンプが行き交う工事用道路として慌ただしく最期を迎えたのではないだろうか。
さて、水没地には道路や鉄道ばかりがあったわけではない。
草木ダムによる移転家屋は228世帯におよび、昭和40年の地形図に名前があったものだけでも、上草木(かみくさぎ)、下草木、白浜、横川などの集落が渡良瀬川の両岸に立地していた。
これらの集落に付随して、水田8ha、畑38ha、山林110haなども水没し、それぞれ補償の対象となった。
最後に、現在の湖畔を巡る道路と鉄道についてであるが、東京と日光を結ぶ国道122号が草木湖の右岸を通り、左岸にも県道343号が通っている。
付け替えられた国鉄足尾線は、昭和62年にJR足尾線となるも、平成元年3月に廃止され、そのまま第三セクターの「わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線」として引き継がれた。
現在はこの“わてつ”が、全長5038mの草木トンネルを含む右岸の新線を運行している。