史上最悪の大崩落を、生きたい一心で突破することに成功。
…生きたいなら踏み込むな、との意見もあろうが、それ正論。
とにかく、松ノ木峠後半戦続行である。
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肩の荷が下りた私は、やっと心からこの峠道を楽しめた。 かなりきつい勾配だが、ここぞとばかりに日陰と日向のコントラストが美しい森の中を爽快にぶっ飛ばす。 朽ちた道が、どういう訳かこんどは、心地よい。 |
3年前は、このあたりの舗装はまだまだしっかりしていた記憶があるが、ひび割れや草木の侵食が目立つ。 たとえおんなじ舗装路でも、簡易な舗装なのかもしれない。 仙岩峠の旧道などは、ここよりもはるかに長い期間風雨にさらされていると思われるが、ぜんぜん状況がよい。 国道としては、必要最小限の整備であったろうか。 結果的には、それが正解であったとは思うが。 |
あっという間に高度はぐんぐん下がり、道は沢筋に降り立つ。 この沢こそが、の大崩落地の真下である。 日影の沢には、まだ大量の残雪が残りとうせんぼしていた。 岩のように固い雪の上にチャリもろとも乗り上げると、ひんやりとした空気が顔にかかり、とても気持ちよかった。 しかし油断は禁物。 この時期、こういう雪渓の下にはたいてい巨大な空洞ができていて、下手に踏み込むと、墜落するのだ。 下手な怪我につながりかねない危険箇所である。 慎重にここを突破する。 | |
年の半分を雪の巨大重量の底に過ごす一帯の道は、酷い荒廃ぶりだ。 落石落雪防止柵は、ものの見事に180度折れ曲がってしまっている。 | |
振り返って撮影。 この松ノ木峠の旧道の現状を一目で知るに良い光景だ。 やっぱ、さっきあそこで落ちていたら、絶対無事ではすまなかっただろうな。と、改めて実感。 しかし、3年前も大体ここからは同じ景色が見えていたにもかかわらず、まさかあれほどの崩落であろうとは思わなかったのだが。 この崩落地だが実は、松ノ木峠の新道を鳥海側から通うときは、必ず目に入っているはずである。 松ノ木トンネルに近づくと、よく見える。 これは、実際どれほどの崩落であるかは近づいてみないとわからないのだ、という好例であろう。 |
すぐに古びた橋が現れる。 この橋は弥生橋で、昭和37年竣工の古橋と言っても良いものである。 大きく蛇行する短い橋だが、この橋が竣工した当時こそが、『乗用車通行無理』といわれていた時代なのであろう。 橋は一応2車線の幅があったが、前後の道はいかほどのものであったのだろうか? この峠道で唯一、寂しさにも似た旧道の情緒と言うものを感じられた瞬間である。 | |
橋とは殆ど目と鼻の先に、3度目のゲートが現れた。 今度のゲートも施錠はされていたが、簡単に脇を通れた。 このゲートが、鳥海町側の通行止め地点である。 この先は、やっと、現役道路(でも旧国道)なのだ。 これだけの長丁場で、途中誰一人にも会わない峠道と言うのは久々であった。 それほどまでに、人々を拒む峠であったのだろう。 院内を発ってまもなく見た鉄条網つきのゲートが、この道の全てを語っていたと言っても良いのかもしれない。 『もう、人の立ち入る場所ではない』 と。 | |
一般車両通行止 3年前には無かったと思うこの張り紙。 |
本当に生きて突破したという実感が、ここにきて沸々と湧き出てきた。 この場所のすぐ下を現道である松ノ木道路が通っているのだが、生きた道を見で、なんかホッとしたからだろう。 もはや誰の役にも立っていないと思われる青看には、右折が国道108号であると記されている。 これは、松ノ木トンネル開通以前、トンネルより西側の新道だけが先に共用されていた名残だ。 この分岐を右に曲がるとまもなく、現道の松ノ木トンネル坑口の間近に合流するのだ。 正面には、「皿川」と記されており、この道が元来の旧国道である。 直進することにした。 |
分岐の先の道は、一応現在でも鳥海町の町道としては現役のはずだが、全く車通りの無い感じである。 昨年の落ち葉がまだ道路上に積もっていたりして、半ば廃道と言った感じ。 それに、道幅はこれまでよりさらに狭く、もろ3.6mの林道規格である。 | |
現道を見下ろすベストショット。 あの立派な橋は、いったい何という橋だろうか。 しかし…、本当にあの道開通しているのか?と疑いたくなるほど車が通っていない。 これで良いのか、松ノ木道路? |
普通の林道となんら変わらない平凡な景色の中を、黙々と急な下りが続く。 それにしても杉の植林地の中は風も届かないから、ほんと暑い。 見通しの悪い道だが、対向車が来る気配も全くないし、かなり飛ばしてみた。 それでも近年は、安全運転になったと思う。 昔はがむしゃらに漕いだもの。下りでも。 |
何の前触れも無く、突如森が終わり、目の前には民家が現れた。 なんということだ。 私はこの峠を無事に突破したらしかった。 鳥海側の国道沿いの最奥集落西久米である。 険しい下りの果てに、あまりにのどかな風景が突如現れ、妙な感覚だ。 | |
いくらも進まないうちに、道は広い通りに合流する。 しかしその道は現国道ではない。 松ノ木峠に至る道は、とてもかつて国道であったとは思えない、まるで集落道のような有様である。 ちょうどこの昼下がり、田舎ながらの行商車が会計の途中であった。 平和である。 看板には、「国道108号線松ノ木峠 全面通行止」とある。 これは3年前も同じだったと思うが、当時はまだ、道路状況を表示する、よく峠の前後などにあるアレ(うまく言えない!)が残っていたはずだ。 どうやら、アレは撤去されてしまったらしい。 |
集落より先は、バスも通う道であり、走りやすい。 坦々と田んぼの中を下ってゆく。 あまりに平和だ。 振り返って撮影したのが左の写真。 正面の高い山が、大仙山(標高920m)であり、その反対側が、院内銀山や雄物川源流域である。 峠って、越えた後に振り返ったとき、最高に気持ち良いよね! | |
もう今回の旧道探険も終わろうとしていたそのとき、道端に見つけましたよ。 国道の旧式距離ポストです。 かすれかかった文字でしたが、しっかり読み取れました。「77」と。 |
再び生きて国道108号線に戻ってまいりました。 感激のあまり、写真を持つ手が震えたらしく、なんか写りこんでます。 この物体は、どうやら、HandyGPS君ですな。 「お前、この峠では何にも活躍してなかっただろ。遭難しやがるし…。」 何はともあれ、生還。 | |
ある一時代、確実に、県内でもっとも険しい“酷道”であった松ノ木峠。 その道の末路は、他の多くの国道旧道とは少し違っていた。 実はこの松ノ木峠、近年に開削されたものではない。 自動車が交通の主流になる遥か以前から、人馬の通う道として、広く利用されてきたのだ。 しかし、旧道でありながらこの道には、どこか無味乾燥な印象を受けた。 歴史の道としての色や匂いは、灰色のコンクリートの下に消えてしまったかのようだ。 この道が今ひとつ、県内の旧道峠の中でも人気が無いのは、何もあの復旧不能の崩落のせいだけではないと思う。 いったいどの時点で、古道としての風格や情緒が消えうせてしまったのかはわからない。 しかし私の勘では、多分、近年、全面舗装の工事が入ってからではないかと思われる。 少なくとも昭和30年代から峠を細々と越える車道が存在し、それは『乗用車通行無理』と言われるほどの酷道であった。 抜本的な新道工事に先立ち、暫定的に、拡幅し法面を削り固めた無理な工事があった。それは平成に入ったころだろう。 それから数年と経たないうちに、新道開通と前後し、多分今後も二度と復旧する事のない、あの崩壊に見舞われたのだ。 道を生み出したのも人であり、それを殺してしまったのも、やはり人であったのだと思う。 歴史の流れの中で自然に消えていった道ではないから、なんか、「違う」気がしたのではないか。 …と、私は思った。 背後に鳥海を従えた、峠の松の眺めは、間違いなく、ここでしか見られない唯一無二のものだ。 その美しさは、かつては幾多の旅人の心に刻まれたことだろう。 しかし、その宝は今や“雑多なもの”の中に飲み込まれ、消えてしまいそうだ。 私は思う。 この中途半端な道は、早く消えてゆくべきだ。 しかし、名となりし松を、このまま埋れさせるにはもったいない。 松がそれを望んでいるかは……わからないが。 | |
END
私自身、例の崩落地での突破は、大変軽率であったと反省しております。
自己責任という事ではありますが、たとえ徒歩でも、あの崩落地に足を踏み入れることは、お勧めしません。 |