道路レポート 国道113号旧線 碧玉渓
2005.4.23


 「山さ行がねが」サイトのブログに書いたので、ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、これまで、穴のホッとステーション「MOWSON」にて働いていた私は、退職を決意しました。
2005年6月末より、私は遂に無職となり、一世一代の大勝負を仕掛ける予定です。

私もいい年ですし、考えなく仕事を辞めるわけではありません。
山チャリをするため、山チャリを極めるための、この決断でありました。
しかしまた、私の山チャリと切っても切れない間柄なのが、この「山行が」という、報告の場です。
実際には、報告するだけののみならず、読者の皆様との良好な情報交換の場としても機能しており、
まさに、山行があっての、私です。

そして、山行がの形も、これから徐々に変わっていくと思っています。
「今の形が最良なのに!」と思ってくださる方には申し訳ないのですが、メインコンテンツであるレポート一つとっても、
いつの日にかは、さらなる広域をカバーし、そして深く、もっと多くの情報を、掲載していきたいと、息巻いております。

「山行が」は、秋田県の一ローカルサイトではございますが、その手の届く範囲のあらゆる道路ネタに、貪欲かつ無節操に手を伸ばしてきました。
現役の道路はもちろん、使われなくなった道、車道のみならず鉄道や、森林鉄道。
果ては、廃墟や水路洞穴にまで、手を伸ばす始末です。
そして、そこが、山行がの強みだと、思っています。
山行がを一言で表すなら、道路界のチャンピョン…じゃなくて、ちゃんぽん!
そう、自負しております。

とても前置きが長くなりましたが、いよいよ本題です。

そんな、いろいろと手を伸ばしてきた私の、
その原点。
それは、今回紹介するような、旧国道の散策であったこと、忘れていません。
久々に、未知の場所での旧道探索を、心ゆくまで堪能しましたので、ちょっと肩の力を抜いて、ゆるー目に、紹介していきたいと思います。

なお、紹介するのは、福島県相馬市と新潟県新潟市を結ぶ、国道113号線の白石市の一部分。
小原温泉付近の旧道です。

それでは、ご覧ください。




 


 導 入 
2005.3.24 5:48


 この日は、ローソンと私の長い蜜月の日々、その結実といえる山チャリだった。
前日、仙台でのローソンセミナーに参加した。
そして夕刻、それが終わると同時に、私は予め準備していた山チャリ装備(チャリも!)を取り出して、おもむろに、南へと進路をとったのである。
途中、数件のネオン(パチンコ屋です…笑)に吸い寄せられ、気がつけば閉店時間、東北本線にてお馴染みの輪行となり、夜半に東白石駅着。
そのまま無人の東白石駅待合室で、夜を過ごした。

そして、空が白みはじめると共に私は、ローソンとの最後のコラボ山チャリに、漕ぎ出した。
間もなく愛車は白石市街を通過し、国道113号線に入った。
このまま、この道を12kmほど西進するのが、この日の最初の行程だ。




 国道113号線といえば、かつて紹介した宇津峠や、“奇景”片洞門などを忘れられない。
東北地方には、いくつもの列島横断国道が存在するが、そのいずれも、途中で脊梁山脈とのタイマン勝負を避けられない。
さらに、東北のどこで輪切りにしても、まるで金太郎飴のように、脊梁と、その脊梁の東西を挟み込む丘陵もしくは山地が幅広に横たわっている。
たとえば、秋田−岩手で輪切りにすれば、出羽丘陵−奥羽山脈−北上高地、山形−福島だったらば、越後山地−奥羽山脈−阿武隈山地といった具合である。

国道113号線もまた、新潟と相馬市をつなぐ全長250kmあまりの長大な列島横断国道であり、宇津峠は越後山地とのたたかいであり、これから進むその行く手には、奥羽山脈越えの二井宿峠が待ち受けている。
ただし、この日のプランは、そこまでは行かない。


 白石市で国道4号線という“東北の道の脊髄”とクロスした本道は、二井宿峠への単調ではない上りをはじめる。
ただし、その登攀の総量としては脊梁越えを意識させるダイナミズムはない。
峠までの40km近い道のりで、500mそこそこの高度を稼げば良いのだから。

とはいえ、何度も言うが道筋は単調ではない。
その原因は、平行する白石川にある。
前半は、かつて漢学者や文豪が愛し、碧玉渓と名付けられた、断崖絶壁の渓谷が待ち受ける。
それを越えれば、ひとしきり集落を経て、東北有数の規模を誇る七ヶ宿ダムが清らかな水を湛えている。
さらに上流にも、地図を見ると七ヶ宿の役場があったりする(ダム上流にあるなんて珍しい!)し、そのさらに向こうで、やっと峠を迎えるわけだ。
今回は、ダムの手前までが私の走る道であるけれども、いずれはダム上流にある町役場とか、見てみたいものである。



 そして、当路線は古くから国道として指定されていたこともあり、既にほぼ全線の一次改良が完了している。
つまりは、旧道の宝庫だと言うことだ。
地図を見ただけで、このさきの碧玉渓には、串団子のようにトンネルを連続させる現道と、意地らしいほどにぐねぐねと山並みのうねりに耐える旧道とが、仲良く描かれている。

今回の目的は、この碧玉渓区間の旧道拾い歩きということに、なる。





 さて、気がつけば写真を無視してどんどんと書いてきてしまったが、ご紹介した写真は白石市街から登り初めて間もなく、石神という地区で発見した(というかあまりにも目立っており、嫌でも目に入ってきた)短い旧道と、旧道橋である。

橋の名前は、蔵元橋。
竣工は、昭和廿四年十月(最近はこの字を積極的に使う人を見ないが、廿の一字で「20」である。)
いずれも、健在な銘板から拾ったもの。

この橋が変わっている点は、河川に架かる橋ではなく、斜面に掘られた窪みに設置された巨大な導水パイプを跨いでいる点だ。
これは、上流の七ヶ宿ダムから引かれてきた発電水路だ。
すぐ下手には、小さな発電所もある。
それと、幅が現道橋(同名)なみに広いのも、印象的だった。

 点在する旧跡 
6:14


 白石川の流れは、かなり下方に離れた。
これでもかという感じで、どんどんと国道は高度を上げていく。
白石市街を出た途端にこの急な登りは始まっており、こんな調子で40kmも上ったら、富士山の山頂にも行けそう。
この、スタートダッシュというべき登攀は、難所への布石であった。

ふたたび気になる物件に遭遇した。
こんどのは、車からはおそらく発見できない。
チャリや徒歩ならではの、発見であろう。

この写真のカーブの外側に…。



 激藪に遮られ写真では判然としないが、沢の両岸に橋台とおぼしき、大規模な岩垣が築かれている。
僅か、幅3mほどの沢だが、岩垣は高さ5m以上あり、存在感がある。
なんといっても、コンクリを一切用いている気配がない、完全な岩垣。
先ほど目撃した旧道橋とは、まったく違う時代のものであろう。

それがどんなに古いものなのか、想像するだけでも萌える。
チャリを捨て、橋の袂に行ってみようとするのも、当然の成り行きだった。


 鞭のように撓る小枝の監獄をくぐり抜け、車道から僅か20mほどの位置に近接する、謎の橋台に接近。
足元には、雪解けの沢水が勢いよく流れている。
それにしても、岩垣の規模は思いの外大きい。

そして、架かっていたはずの橋桁は完全に消失しているものの、木橋だったと見て、間違いないだろう。
国道に木橋という取り合わせは、相当に古そうだ。

実は、七ヶ宿へ至るこの国道の由来は、東北でももっとも古い道の一つである。
その名も、羽州街道。
福島で国道4号線と別れ、米沢経由で秋田・青森を目指すのが国道13号線の道筋であり、これがそのまま、国道4号線=奥州街道、国道13号線=羽州街道と短絡されがちである。
しかし実は、奥州街道とは白石で分岐し、七ヶ宿峠のやや北よりにある金山峠を越えて山形に至るのが、本来の羽州街道であった。
明治初期に、福島米沢間に万世大路の開道を見るに至り、主要街道の座は金山越えから、栗子峠に移ったと言える。




 いつのものとも知れぬ旧橋の袂から、現道を藪越しに見る。

写真ではわかりにくいが、対岸の橋台の上端部には、朽ちた角材が埋め込まれている。
これは、元々木橋であった部分の名残と思われる。
国道として木橋が使われたことがあったかは分からないが、現道では暗渠となり名前すら伝わっていない旧橋の発見は、印象深いものだった。

携帯ラジオのイヤホンからは、往年の名演歌歌手がコンサートで新曲を披露したなどという話が、もう退屈から解き放たれた私の耳を、素通りしていった。




 続 点在する旧跡 
6:23


 間もなく、道は登りのまま進路を北に変える。
ここから先、小原温泉郷までの3.5kmほどが、白石川のもっとも険しい峡谷である。
国道も、橋とトンネルの連続で、ここをこなしていくのであるが、当然こういう場所に旧道はつきものである。

早速現れたのは、小原一号橋、二号橋と名付けられた、桟橋である。
セオリー通り、ここには山肌にへつるような旧道が、存在する。



 橋の長さに1.5を乗じた程度の、極めて短い旧道ではあるが、期待に違わぬ展開に思わずにやける。
この先も、期待できそうである。

現道から一望できる旧道は、見るだけに留め、先へと進んでいく。
現橋の銘板などを頼りに推測すると、昭和30年代後半には早々と廃止されてしまった旧道のようである。
未舗装、のり面施工無し、ガードレール無しでは、それも頷ける。


 路肩には、僅かに岩垣の存在を認める。
沢を渡る部分には、暗渠が拵えられていた。

旧道上は浅い林となっており、その気になれば歩くことも出来そうである。
チャリはちょっと、ご遠慮願いたいが。



 小原一号・二号橋による旧道部分を山肌に振り返る。

まだまだ、序の口である。

テンションも順調にあがってきたので、ラジオのスイッチも切った。
ここからは、私と旧道の、一騎打ちだ!



 碧玉渓 
6:29


 大きな観音様が断崖を背にして、国道の往来を見守っている。
ここは、碧玉渓のロードサイドパークである。

車の往来は大型車を中心に多いが、この明美な景色に立ち止まったのは、私だけのようだ。
確かに、自動販売機一つない、観音様だけの駐車場では、車をわざわざ止めるほどではないのだろう。

しかし、私は息を呑む。
初めて見る、碧玉渓の、その壮大さに。


 国道から、水面まで推定100m以上の高度差がある。
さっきまで、躍起になって上ってきた答えは、これだったのか。
稜線にも近い、これだけの高度になってやっと、道を通せる場所を得たと言うことなのだろう。
それでも、いくつもの桟橋とトンネルを経由する道である。

おそらくは、白石市民にしか知られていない景勝地だと思うが、路傍にこれほどの景色があろうとは…嬉しくなる。
新緑や、紅葉の景色も、見てみたいものだ。


 そして、この碧玉渓で圧巻なのはその深さばかりではない。
むしろ、峡谷を隔てて見渡す、奥羽山脈の景趣にこそあるのではないか。

この地を名付けたのは、明治期の文豪は徳富蘇峰という人であるが、碧、は深い水面の美しさに間違いないだろう。
そして、玉、やはり美しきものの象徴としてある玉を、どれに見立てたのか…。

旭をうけて輝く目の前の山脈こそ、碧に劣らぬ玉、ではなかったかと、思うのである。


道は、この険しくも絶佳なる山峡を、往く。

期待していた以上に、楽しいじゃないか。

やるな!白石。




 観音様にお辞儀して、先へと進む。

ここまでで、この道への挨拶は完了した。

すなわち、私によるいくつかの旧橋・旧道の発見。
そして、道は私を、目を瞠るような景観で迎え入れた。

挨拶が終われば、当然、次は本番が始まる。

その合図は、例によってトンネル。
トンネル連続地帯に置き去りにされた、連続する旧道群。

次回より、たっぷりとお見せしたい。








その2へ

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