道路レポート 国道113号旧線 碧玉渓
2005.4.25/ 補記 2005.4.30


 旧道に入るとすぐに… 
2005.3.24 6:32


 碧玉渓の展望地のすぐ先には、一つめのトンネルが口を開けている。
小原一号トンネルである。
昭和40年代後半竣工したらしいトンネルは、やや先見の明があったか、歩道こそ極狭であるものの、大型車の通行にも耐えている。
入り口に設置された、「これより小原温泉郷」の、道路標識にしてはちょっとだけ宣伝じみた文句が、旅感を掻き立てるではないか。
実際の温泉街が始まるのは、まだ少し先のことである。

旧道の分岐は、このトンネルの坑門の脇にあるが、交差点としては危険な立地であり、チェーンで封鎖されていた。



 谷沿いの旧道へ入り、最初のカーブを曲がると意表を突いて、いきなりトンネルが現れた。
見るからにすっきり風通しの良い、かわいらしいトンネルである。
そのすぐ手前には、半ば倒壊した廃屋があり、その脇にも、ちいさなプレハブ小屋が、ゴロンと元の形のままに転がっている。
廃屋はともかく、プレハブ小屋の方は、昨年夏に猛威をふるった台風のせいかもしれない。

そして、ここで正式な封鎖ゲートが道をふさいである。
注意書きがあり、この先には雨量観測所があり、一般者は立ち入り禁止とのこと。
といいながら、続けて「異変があれば連絡ください」などとしたためられているが、入らねば異変に気がつきようもなかろう。

まあ、下らぬツッコミは置いておいて、脇すり抜けでこれを突破。


 見るも無惨な廃屋の裏手には、コンクリート製の明らかに雨量測候所然とした建物が隠れていた。
なんてことはない。
立ち入り禁止の原因は、ゲートからも見える場所にあったのだ。

とりあえず、異変はない(指さし確認オッケイ!)ようなので、トンネルへと目を向ける。



 特別に変わった出で立ちというわけでもないコンクリートトンネルであるが、これはもう立派な古隧道の範疇に入る一品である。
廃道探索者のバイブル、「山形の廃道」サイトご提供『全国隧道リスト』にも記載されている。

 小原隧道

延長 21.3m 幅員 4.0m 限界高 4.3m
竣工 昭和14年

昭和40年代に現道に切り替えられるまでの、四半世紀の現役生活の中で、どのような改良が成されたのかは分からないが、まだ十分な強度を保っているように見える。
隧道自体の狭さや、その先に断崖を望む急カーブが待つ線形の悪さは、昔ながらといったところか。





 特に変わった点と言えば、2カ所。
一つは、坑門から続く擁壁部分に台座があり、小さな祠と水神碑、それと水瓶らしきもの二つが安置されている点。
水神碑には小さく年号が彫られており、明治32年の文字が読み取れた。
隧道よりも、さらに古いもののようだ。
もともとは屋根が被せられていた痕跡もある。
国道の車通りを、物凄く近くで見守っていた神様も、さぞお疲れであったことだろう。

いまは、訪れるものも居ないのか、静かに佇むばかりだ。
一礼の後、もう一つの特異箇所である扁額へ目を向ける。


 隧道名が控えめに陽刻された御影石が、扁額である。
右書きなのは、時代を考えれば普通としても、切妻型の屋根のような模様が、扁額上部に刻まれているのが、新しい。
これは、今まで他の隧道では見たことのない意匠である。

よく見ると、アーチ部分もコンクリートではなく、板状の石材であり、手が込んでいるのに気がついた。

と、各所に個性は感じられるものの、やはり全体としては平凡な、よく言えば機能美の先立つ隧道である。



 もう一つ、この隧道と関係があるわけではないのだが、目を引くのは廃屋の有様である。

付近には民家はなく、この一軒のみがここで暮らしていたものなのか、それとも、旅人を相手にするような商売をしていたのか。
造りは、いかにも昭和初期の民家であり、いまだ生活臭をのこす。



 外となく内となく散乱する家屋の破片や、その家財だったもの。
私の目にとまったのは、赤文字の一行看板。
懐かしいなどというのは容易いが、正直私の齢ではその懐かしさに実感はない。
ただ、こういうのをレトロジーの象徴として収集しているマニアがいることは、テレビなどで知っている。
そんな程度だ。

宣伝されているものは何かといえば、
「東芝電氣洗濯機」である。
三種の神器ですか?




 廃屋に立ち入る主義のない私だが、なんとなく誘われるように、軋む床に一歩踏みこむ。

これ以上もなく荒れ果てた屋内。

荒らされたのか、荒れ果てたのか、分からないが、何となくあるような予感がしたものが、やはりあって、ハッとした。

それは、みそ汁茶碗である。
しかも、それだけがいまだ漆の輝きを放っている。

こういうものって、なんで一つだけ残って居るんだろうな…?
集落跡とか、もう民家の影も形もないような場所でも、
一つだけ、生活道具が綺麗に残っているのを見つけること、ままある。

ここも…。
偶然にすぎない筈なのに、まただ。

急に申し訳ない気分になって、私はすぐに外へ出た。



 隧道内部の様子。

総コンクリート張りで、とくに問題はない。
照明灯も、もともとなかったようだ。
全長20mほどでは、それももっともだ。




 南側坑口の姿。

こちらも、北側と同じ姿で、特に変わった部分はない。

なお、妙に舗装が綺麗である。
廃止以前の舗装が残っているものには見えない。
廃止後、何らかの事情により舗装の回春を行った気配が濃厚だが、それをした理由は、分からない。
観光道路や遊歩道としての利用が、行われていたのだろうか?


 実は、1996年の北海道における豊浜トンネル崩落事故を契機に、現国道のトンネル坑口上部山体の補強工事が実施されたことがあり、この工事期間中に旧道を迂回路として利用した事実があるとのこと。
旧道の舗装の状況や、その他、保存状況が極めて良好なのは、これが理由のようです。

2005.4.30追記 樋口様提供情報より

 出会い そして 別れ 
6:36


 小原隧道をくぐると、すぐ現国道の脇腹が現れる。
これは、小原一号トンネルと、同2号トンネルの連接部分で、旧道はこれを掠めて走る。



 そして、間もなく新旧合流となる。

一旦は、旧道散策は終わりを迎えるが、またすぐ始まるのでご安心を(笑)
合流点の直前の数十メートルのみ、舗装が剥がされたのか、不可思議な未舗装区間となっている。
また、こちら側にも、旧道をふさぐ簡単なガードチェーンが設置されている。


 合流地点から現道を振り返ると、まるで一本のトンネルの様に見える、小原1号・2号トンネルが、まっすぐ続いている。
不思議なのは、この坑門脇に、どう考えても場違いな標識が立っていることだ。

高さ制限4.5mなど、現道のトンネルには当てはまらないだろうし、しかもあまりにも標識は“出来上がって”いる。
この標識がぴったり来るのは、やはり旧道なのだが、わざわざ旧道にあった標識を、ここに移設したのも不自然きわまる。
新旧分岐点とはいえ、標識の立ち位置は、あきらかに現道を見ているのだから。




 直線的な現道の脇を注意深く観察するが、旧道敷きを完全に踏みつぶして、現道が作られたようである。
旧来の痕跡はない。

しかし、100mも行くと再び、次のトンネルが見えてきて、旧道の存在が確信されるのである。
これは、小原3号トンネル。
旧道は、例によって坑門前で分かれる。





 今度の旧道入り口は、封鎖されてはいない。
かといって、積極的に解放されているムードでもないが。
また、入り口には大きな木製の案内看板が設置されており、見てみると、旧国道は碧玉渓と小原温泉とをつなぐ遊歩道の一部になっている、その案内だった。
これまた、積極的にアピールしたいわけでもないのか、現道からはそっぽを向いている。

古びた舗装路に入る。



 カーブ一つを巻くと、見上げるようなのり面施工に遭遇する。
そして、その崖の直下には、現道の脇腹が、またもチラリ。
小原3号トンネルと、同4号トンネルの連接部分である。

また、この日はちょうど、トンネルの修繕工事中らしく、この時間にはまだ作業は始まっていなかったものの、数台の工事車両が置かれていた。

もうひとつ、この車両が停車している広場から、谷底へと遊歩道が分かれていった。
その入り口には、「通り抜け不可」の注意看板が立っており、入り口の様子一つ見ても、遊歩道自体が、廃道か、それに違い状態に様であった。
興味は感じたが、とてもチャリで進めるムードではなく、辞退して、旧道散策に専念することにした。



 現場をすぎた途端、唐突に舗装が途切れた。
そればかりか、明らかに廃道の路面状況。

想像していた以上の、隘路が待ち受けている予感。

さっそくにして、碧玉渓の旧国道は、ハイライトを迎えようとしていた。


以降、次回。







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