国道121号線 大峠道路及び大峠   その3 
公開日 2005.11.14



 大峠への遙かなる道
 2005.9.24

3−1 喜多方〜入田付 


 私にとって、憧れの道。
訪れた者全てが、その余りにも凄まじい数の九十九折りに刮目し、峠の隧道に絶句し、その先の崩壊に唖然とする道。

 一般国道121号線、大峠


 その概要は、右の地図の通りである。
約33kmの道のり…。
アプローチは最奥集落である根小屋までの約9km、ここでの登攀は250mほどに過ぎない。
本番は、その先、大峠までの13kmにて、高度を一気に600m以上も稼ぐのだ。
また、地図上でもあまりの九十九折りが折り畳んで描かれているため、とても13kmもの距離があるようには見えないところも、ミソだ。
無事に峠に立てたなら、後は一挙に下るのみ。
愛車の待つ現国道の普洞沢までは11kmほどの道のりである。
路面の荒廃という点では、この山形県側において、長らくモータリゼーション以前の状態に戻っていると聞く。

 まずは、長い長い旧国道との挨拶がてら、喜多方〜根小屋間を、見ていただこう。

 
9:14


 旧国道との分岐地点は、喜多方市郊外の交差点である。
特に名前のない交差点には、オブローダーが期待するようなものは特にない。
例えば、「旧道通行止め」とか「白看」といった案内は見当たらない。

 やや拍子抜けを感じながら、現国道とは別の方向へと真っ直ぐ伸びていく旧道に入る。
この何の変哲もない分岐が、余りにも大きな峠のスタート地点である。


 分岐から始めの2.5kmほど、二軒在屋地区まではご覧の通りの直線である。
会津平野北端部、いずれは大峠に上り詰める事になる田付川に沿って、その三角州を緩く登る。
降ったり止んだりという不安定な天候故、行く手の大峠はまるっきり見えない。
そのことがまた、不安を駆り立てずにおかない。
道の造りとしては、平凡な国道のそれであり、見るべき所はない。


 このまま何事もなく峠の入口にまで行くのかと思いきや、二軒在屋集落の入口にオブローダーを喜ばせるオブジェが残存していた。

年季の入った道路情報案内である。

それによれば、「国道121号線」「大峠地内」は、規制「なし」と言うことのようだが…。
よく見ると、規制「通行止」の赤いペイントが色褪せて消失してしまっただけのようにも見える。

いずれにしても、ネット上に溢れる情報などを見れば、この先が問題なく通り抜けできるとはとても思えず、この情報板はもはや用を為していないと考えられる。
また、背後に何気なくあっちの方向を向いたまま立っている「通行止」の標識も味わい深い。
もしこの標識が有効なのならば、この奥にも幾つもの集落が存在する、その住人たちはどのようにして家に帰ればいいのかと、いらぬ心配をしてしまうところだ。
 

 ふ〜ん、 (おにぎり)残ってるんだー。

と言う風に考えるのが普通だが、それは、甘い!

実のところ、この旧国道全線は、いまもって、いまもって…。

言っていのかなぁ?
威信に関わるんじゃないのかなぁ??

…言っちゃうよ。



 国道である。

この旧国道は、2005年現在、未だれっきとした国道である。

一般国道121号線の一部区間として、供用中のバイパスと平行し、この旧道も、立派に国道指定を受けているのだ。
ちゃんと、県のサイトには冬期閉鎖区間として、国道の欄に掲載されているし、あらゆる地図には、いま以て国道の色分けをされて描かれているだろう。

 実はこの旧国道、確かに旧道だが、現役の国道でもあるのだ。


 

 二軒茶屋から入田付地区に走りは移る。
その途中には、田付川を渡る「大橋」という小さな橋がある。
鉄製の欄干と、控えめながら意匠の凝らされたコンクリ製の親柱が不釣り合いのこの橋、親柱からは全ての銘板が消失しており、代わりの銘板が鉄の欄干に据え付けられている。
親柱だけを残して、架け替えられた橋にありがちな特徴だ。


9:38


 現国道から青看で旧道の行き先としてただ一つ案内されていた、この入田付集落は、昔ながらの茅葺き屋根も残る歴史の深い集落だ。
歴史に明るくない私でも、ここがかつて宿場として栄えた地なのだろうと言うことが、道の両脇に覆い被さるような旧家の群れを見ていると、自然に感じられてくる。

 
 

 巨大な採石場の脇をすり抜け、いよいよ幅の狭くなってきた川筋に沿って、なお名残のように民家が点在する。
国道に沿って、集落が続く。
車通りは、ほとんど無い。
ここにある「平沢」が現在のバス路線の終点で、2001年頃まではさらに奥の「根小屋」まで行っていたが休止されてしまった。
行く手の山は、いまや完全に雲の中に隠れ、全く窺い知ることが出来なくなった。



3−2 入田付〜根小屋

9:45

 新田地区で遂に道から、ここまで延々と続いていた赤い帯が消える。
それは、国道として安心に走れる道の証しといってもよい物であったが、いま、一つの安心が消えた。

“現役の”旧国道は、次第に怪しい気配を漂わせ始める。



 1車線とはいえ、数年前まではバスも通っていた道だけあり、比較的幅はある。
ここまで入ってくると、道の左右には田んぼは数えるほどしかなく、山林が大部分となる。
さらに、山間部の辺鄙な国道の定番、「二本松サファリパークの看板」が堂々と幅を利かせている。
やはり、ここはもはや、現役を越えた現役…。
確実に、エックス・ゾーンは、近づいている。



 これまでなんだかんだ言っても長くは途切れることの無かった集落が、遂に沿道から消えた。
街灯など全くない山道が、いよいよ角度を増した上り坂として、押し寄せてきた。
すでに、県境の大峠までの直線距離は5kmほどであるが、高低差はなお600mを越えており、三方を雲根に隠された道に逃げ場はない。


 渓流の姿となった田付川に架かる、新田橋。
昭和44年の銘板の取り付けられた小さな橋の脇には、石垣とコンクリートを織り交ぜた橋台跡が、狭い谷を挟み向かい合っていた。
見るからに、旧橋の痕跡である。
橋台上には、可愛らしい真っ赤な実が無数に実っていた。


10:07

 巨大な砂防ダムを横目に、上りはいよいよ厳しさを身につけ始める。
まるで街灯の様な柄の先に取り付けられた、道幅の限界を示す標識は、もちろん積雪時の為にあるものだ。
2005年現在でも、毎年このあたりまでは除雪が行われている。

 そして、写真の分岐地点に至る。
ここが、根小屋である。
正確には、根小屋集落は右の道に入って2kmほど進んだ行き止まりにあるようだが、すでにバスの便も廃止されており、健在の集落であるかは分からない。
いずれにしても、もうこれ以上先には集落は無い。



3−3 始まりの終わり


 国道を直進すると、奇妙な標識がある。

ネット上を調べてみると、この柱にはつい最近まで“おにぎり”と“白看”が取り付けられていたらしい。

特に、白看に示された距離表示を見ると、大概のチャレンジャーが顔を青くしたと伝えられている。
そこに記されていた数字は、次のような物であったようだ。
山形 97km
米沢 48km

 …峠を越えた最初の街まで、48km…。
確かに、刺激的だ。

 また、以前はここになかったはずの「車線数減少」の標識が、地表からこちらを見ている。
ここにあるべきは車線数の減少を告げる標識ではなく、幅員減少だと思うが、いかがか。




 思いがけず、砂利道が現れる。
しかし、思い直したようにすぐに再び舗装が復活する。
そして、道は橋の先で二手に分かれる。

右は、多くの轍が刻まれた砂利道で、採石場に続いている。
左は、舗装されており国道であるが、通行量はほとんど皆無に近い(実際、この先に入るのは山菜採りか、オブローダーくらいのものだろう。)
 左折する。


10:11

 そして、道は一つのカーブにさしかかる。
カーブの外側には、大型車が数台停められそうな草の生えた広場があり、その前後には、大峠に挑もうとする馬鹿者の為の最後通告が、記されている。



 まずは、広場手前の標識。

もはや何の抑止力も感じさせることのないほどに夏草に隠された「通行止め」の標識と、
そう古い物には思えない通行規制案内が掲げられている。
その内容は写真の通りであるが、現在ではこの規制によって通行止めが行われることはないだろう。
なぜなら、

    次の写真へ。


 通行止めゲートである。

 意外なことに、福島側のゲートは事実上この一箇所だけであり、しかも、積極的に封鎖しようとはしていないようだ。
道幅の半分は奪われているものの、チャリ・バイクは言うまでもなく、乗用車も問題なく通過できる。
 しかし、やる気のない閉鎖であると断言できるかと言われれば、微妙でもある。
なにせ、藪の中に隠れ、ほとんど判然出来ないものも含めれば、相当の数の「バッテンマーク(=通行止め標識)」が設置されている。
その数たるや、『ウォーリーを捜せ』(夏草版)かと思うほど(古い。)


 まずは、向かって左側の標識群。

 目を惹くのは、旧道に入ってすぐの所にもあったのと同じタイプの「道路情報案内」。
「国道121号線」が、「通行止」(文字はまたも消えかかっている)、理由は「大峠(山形側)工事のため」とある。

 なんだか、わざわざ「山形側」などと注釈しているのが“言い訳がましい”ように思われるが、実際にこの道の閉鎖末期には大峠山形側で大規模な災害復旧工事が行われていたという事実があり、実際にそのような理由で通行止めになったまま、なぜか解消されることなく現在に至ると言うことかもしれない。



 次に、道路の右側にある標識群だ。

一見、コアとなるものが無く閑散としているように見えるかも知れないが、実はこの夏草の中には、幾つものバッテンマークが隠されている。
私も徹底的に探したわけではないが、見える範囲で4つ。
何故、このような無駄なことをしなければならなかったのかは分からない。
そんなに封鎖したければ、黙って男なら「ゲートを封鎖」一本で済むと思うのだが…。

なお、正式の通行規制を確認してみたところ、これより県境までの12.3kmにおいて、落石を理由にした全面通行止めが行われているとのことだ。
規制開始日時は今年の5月28日午後1時(おそらくこれは冬期閉鎖空けの瞬間だ…)、期間は毎度お馴染み「当分の間」となっていた。
http://www.pref.fukushima.jp/douro/kisei/kokudou.htm



 ゲートを、躊躇いもなく突破。


 かつて、多くの先人達が挑み、

 ある者は制覇の喝采を上げ、
 
 またある者は、挫折に膝を抱えた。

 その闘いの始まりの場に、山行がも遂に辿り着いた。


 峠の険路が、始まる。













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