国道121号線 大峠道路及び大峠   その7 
公開日 2005.11.23



 幽山の廃路
 2005.9.24

7−1 排他的廃道遊戯 


 大峠は満身創痍ながらも、今はまだ、望めば車のままにそのイタダキまで接近することが出来る。
福島県側の道が、造林や電気関係の保守のために、最低限の管理を続けられてきた成果だ。
もっともそれとて、通行止めの道に立ち入るという逸法のリスクを自ら背負わねばならぬが。

 それに対し、麓からの距離では優遇されるはずの山形県側は、出だしから写真の有様だ。
もはや、二度と通行止めを解除するつもりなど無い。
そう言わんばかりの、重量物による「閉鎖」。

 大峠は、これでも国道である。
旧国道でありながらも、制度上は国道の指定を未だ解除されていない。

極限の自然環境に晒された道の末路を、いまから、お見せする。


12:32

 通称「大峠バイクゲージ」を、いまルーキー号が通過。
幅は、ご覧の通りチャリでも比較的ギリギリだ。

全国各地のオブローダー達が、様々な思いを胸に通り過ぎただろう狭き門。
そこに刻まれたシングルトラックは鮮明で、ここが東北有数、あるいは全国区の廃道であることを感じた。

通り抜けながら、この後に待つ「最大の難所」の出現に、心した。


 予習なしで来ると道を間違えてもやむなしと思われる分岐点は、ゲートの直ぐ先である。
実は私も予習不足のため、咄嗟に迷ったのだが、そこは勘で一発正解を果たした(←自慢)。

見るからに左の道がメインの道のように見えるのだが、正解は右に下っていく薄いシングルトラックである。
特に左がメインに見える原因は、法面の立派なコンクリ吹きつけの壁にありそうだ。
ともかく、多くの挑戦者が一度は間違って左に行ったのだろうか、トラックは明らかに左が鮮明だ。
この左の道は、鉱山用の道と言われている。

 一方、国道である右はいかにも廃道らしい姿だ。



 赤茶けた防雪フェンスが、不気味に道の上空を侵犯し始めている。

予習不足とはいえ、このフェンスが山形側の不通の最大原因となっていることを、私もネット上で得た情報により知っていた。

ハッキリ言えば、こんな事は事前に知らない方が楽しいのだろう。
ネット上で廃道情報を公開することは、自分で探索しようとする人の楽しみを先取りし、奪う行為でもある。

「あっ、先に公開されて悔しい。」
そんな思いをした経験のあるサイトオーナーも少なくないだろう。
そのような不利益がある事を知っていて、それでも公開したくなるのは、「未来を奪われた道の思念が、訪問者にそうさせている」なんて言ったりして。
でも、私は私の中の事実を隠せない。
知っている。

行った証しを残し、知ってもらいたいから。
単純な動機で、己の行為を顕示するために、こうして紹介しているのだ。
別に、「知ってもらった方が世のためになる」なんて、嘘でも言えない。



 はっきり言って、「山行が」のような道路レポは、廃道を自分の足で楽しみたい人にとっては、害の方が多かろう。
誰にも解き明かされていないと、少なくとも自分がそう思える場所を探索する興奮は、とても貴重な物だ。
それに、いくら事前に知識を仕入れても、そこに立たねば分からぬ事は限りなく多いし、出来うるならそうあるべきと思う。
現地で見聞きしたものと、私などが拙い文章と凡庸な写真でお伝えするものとでは、その価値は雲泥以上に違う。

 ただし、行きたいと願っても様々な事情により、それが叶わぬ人は多いだろう。
自分で危険を冒してまで廃道歩きだなんて、そんな酔狂な… という人も多かろう。
また、こうした廃道歩きの結果をネット上に紹介する行為は、道の風化(情報的にも)を防ぐという効用もある。
こうした道があったという記録は、一本だけではなく、色々な手で描かれた、様々な記録が並列していた方が、良いと思う。
誰か一人だけが記録すれば、それで良いのではないだろう。

 他者のサイトの二番煎じ三番煎じの廃道を取り扱うことも少なくない私は、そんなことを思いながら、自身の行為を精一杯正当化し、意義を探している。
人の楽しみを奪いながら、今日も山行がは情報を公開し続けている。
その「重さ」は、忘れてはいけないと思う。


 一度は暗雲垂れ込めたように思われた道だが、霧の中に浮かび上がるような廃鉄塔を過ぎると、状況は大幅に改善した。
聞いていたほど、困難な道というわけでもなかった。
この時は、本当にそう思った。
こんなに有名な廃道であっても、私はこれまで、その状況を写真で得ることをわざと拒んできたのだ。
言うまでもなく、自身が体験するときのために、楽しみをとっておきたかったから。
「防雪ネットが道に落ちている」と聞いていたが、それは、過去の物だったのか。

 なお、このシングルトラックは幅6mの車道の中心あたりに存在しており、不思議と現役当時の轍と思われる痕跡は、全く残っていない。
それに、法面のコンクリートは、最近の施工のように見える。
おそらく、旧道化時に最後まで工事が続けられていたのは、この辺りではなかっただろうか。
 

7−2  死に絶えし道

12:37


 最大の難関は、もっと先にあった。

砂利道は突如、路肩の夏草と、法面から倒れ込んできた防雪フェンスによって、シングルトラックだけを残し道幅を失っている。
夏草の外には、天狗沢に落ち込む落差300mの斜面が口を開けている。
しかしガードレールなどという物は存在しない。

 しかし逆に言えばまだ、シングルトラックは無事に残っている。




 現地は、視界30m以下の猛烈な霧に覆われており、私は突然現れたように感じられたこの写真の物体に驚いた。

見るからに、これはホッパーである。
鉱山などで、鉱石なり残土なりを、ダンプ車の荷台に移したりする機械だ。
各地の鉱山にはこれとよく似た機械が散見される。

 しかし、ここは国道である。
国道の筈だ。
国道だよね?
なんだか、急に自信が無くなってきた。




 結果的にここが国道で正解だったのだが、霧の中で道を見誤ったかと、一時思った。
そこには、ホッパーや事務所の跡と思われる廃墟や、さび付いた鉄塔の残骸などが残されていた。
すでに、木と鉄骨の施設の大半は傾き、山側に押し倒されようとしている。

 しかし驚いたのは、砂利道にそのまま、ホッパーが吐瀉口を向けていたことだ。
この平成4年までは現役の国道だったこの道にて、白昼堂々と鉱石の積み出し作業が行われていたというのだろうか。
そもそも、大型のダンプ車がこの山道を通っていたというのか!?

稼働している様子をご存じの方がおられたら、ご一報いただきたい。

 


 そして、鉱山施設跡を過ぎると、いよいよ荒廃のハイライトが現れる。

ここまで来ると、地表にはシングルトラックすら刻まれていない。
というか、先ほどから徐々に徐々に路面への接近を見せていた防雪フェンスが、路面に蓋をしてしまう形になっている。
そのために、元々の路面には直接足を付けることが出来なくなっているのだ。
これでは、轍が出来ようはずもない。
一方これには、夏草の繁茂を抑制する効果もあるから、そこに道があったという証しは、なお当分残ることになるだろう。
ここを越えるには徒歩がのぞましく、チャリであっても、押し担ぎを強いられた。



 こんな風に防雪ネットが、それが本来は護るべき道の通行を支障しているのは、初めて見るケースだ。
いままで、豪雪地といわれる場所の様々な廃道を見てきたが…。
特に、廃止から15年足らずでこの有様とは、時に6mという途方もない積雪に覆われるという大峠においては、施工法法自体に問題があったのではと思わせる。

 なお、フェンスは路面から20cm〜40cm程の位置に支障しており、両側の路肩共に逃げ道はない。
基本的に、車の付いた乗り物で無理に越えようとするならば、担ぎ上げるのが最短だろう。
もしそれが叶わぬバイクなら…、道に対し平行なフレームに車輪を乗せて押せば… なんとかなるだろうか?



 シングルトラックすら存在しないのは、ほんの100m足らずであった。

フェンスの妨害を突破すると、なんと鋪装が再開された。
ここまでの道の荒廃の様子から、このまま麓まで未舗装かと思っていたところで、予想外の展開だった。
意外に鋪装が新しいのも、松の木峠の旧道を彷彿とさせた。
それにしても、約1kmという、なんとも中途半端な未鋪装延長であった。
(大峠現道の開通がもう1年遅ければ、全て鋪装されていたかも知れない)




 鋪装が再開されたことで、これで本当に快走の下りが始まると思ったのは、全くもって甘かった。

そして、鋪装の峠の下りは楽だというチャリの常識は、この大峠には、通用しなかった。

むしろ私にとっては、ここから先の3km足らずが、一番の難所に感じられた。
それは、通行できないというレベルではないものの、なまじ下りで速度が出る為に、安全に走ることの難しさだった。
路面の荒廃もそうだが、一番怖かったのは、腐ったアスファルトが濡れている事による尋常ではない滑りだった。
チャリ用のスタットレスタイヤでも履かなければ、この下りは真っ当な走りが出来ない。



 大峠の旅路は、かつて何もない山中を辿る難しさから新しい集落が途中に設けられたりするほどであったが、道自体も廃止となり果てた今日は、物言わぬ高圧送電線だけがその供である。
特に、山形県側では複数のラインが道を幾度も跨いでおり、電力会社の保守員達こそが、今のこの道の殆ど唯一の正統な利用者となっている。



 福島県側の登りが、総じて沢から離れて山腹を九十九折りで上り詰めたのに対し、この山形県側では、稜線直下まで深く刻まれた天狗沢の大谷とその支沢が形成する山襞を、丁寧になぞりながら、急速に高度を下げていく。
九十九折りで高度を稼げぬ分、体感される勾配はむしろ福島側以上である。
道は殆ど休むことなく、ぐんぐんと駆け下っていくわけだが、滑る路面は快走を決して許さない。

 ガードレールは殆ど無いが、デリニエーターが設置されている。
現役当時も、巨木に囲まれた谷沿いの道は、相当に心細いものであったに違いない。



 ときおり、チャリを置いて乗り越えねばならないような、大きな障害物が現れた。
それらは、時に巨大な倒木であり、土石流の通った跡であり、土砂崩れであったりしたが、いずれにしても、ここ数年来は放置され続けている様子だった。
ただ、僅かにバイクやチャリで通う者がいるようで、腐ったアスファルトに退色したようなタイヤ痕が数丈、刻まれている。
倒木にも、踏まれたような跡が付いていたりもした。

 


 倒木の破けた樹皮から、まるで燃え上がるかのように発生した半透明なゼラチン物体。
キノコだとしか思っていなかったが、最近になって、こんな透明な姿をした奇妙な生き物、粘菌の存在を知った。
しかし、粘菌の不思議な生態は、日本中世界中に広く存在している割に、一般には知られていない。
私も、ゼラチンのようなアメーバ状の体を持ち、移動することが出来る菌類の生き物だという程度にしか知らない。
なんとなく、そのグロテスクな姿に惹かれもするが、怖い物見たさというものだろうか。



 おっ、復活か?!




 そうかと思わせれば、直ぐにご覧のような荒廃が現れたりと、なお道の状況は不安定。
下るにつれ、次第に荒廃の頻度は減ってきているが、山形側の通行止め箇所は、だいぶ下った先にあるのだろうか?
使われていないアスファルトの濡れたときの滑り方は、凍結路面のそれと大差ないほどで、油断しているとなんでもないような直線でもバランスを崩して転倒することさえある。
路上の細かな障害物を避けたり、倒木の切れ端を踏んでバランスを崩したりすると、そのまま体制を整えられずに転倒するパターンが怖い。
なんといっても、雪道と違って堅いアスファルト相手だから、転ぶと痛さも段違いだ。

 過剰にブレーキを利用せざるを得ず、見る見るうちに濡れたパッドは黒い屑を車輪フレームにこびり付かせ、効きを衰えさせた。
仕舞いには、減りと濡れが原因で、古いママチャリのような耳触りなキーキー音さえ鳴り始めた。


 ガスが急に晴れ始めた。
どうも、頭上を見るに、雲の下へと脱出したと言うことのようだ。
しかしまだ、海抜は950mもある。

そんなとき、前方に古ぼけたコンクリート橋が現れた。
手前のまだ新しそうな落石防止壁とはミスマッチだ。



7−3 山形側の長い下り


13:05

 大峠からは4.2km。
海抜950mに位置する、大猿倉澤橋。
2005年11月現在、山形県ではこの地点から峠までの4.2kmを、「幅員狭少」を理由に通年通行止めとしており、国道の通行不能区間にも指定されている。

橋は、おそらく昭和の改修時当時のままの物で、そうだとすれば竣功は昭和10年頃だ。
万世大路などで見られる同時期同背景の橋とは、欄干などのデザインが酷似している。
銘板については、4中1が現存しており、橋の名称を知ることが出来た。


 ゲートはバリケード2コと両側の欄干とをそれぞれが施錠されたワイヤロープで結ばれた物で、見た目以上に強固なものだ。
少なくとも、これを動かして下を潜ったりは出来ない。
越えるには、単純に乗り越えるしかない。チャリも然り。
バイクのタイヤ痕も奥にあったが…、どうやって越えているのかは不明。
いずれにしても、一人ではちょっと太刀打ちでき無さそうに思う。
欄干の上を走るのなら嫌だなー(バイクで)。



  なお現国道との合流地点までは、7kmもの未改良の山道が続いており、高低差も400mを残している。
ゲートを過ぎたのに一向に車輌は現れず、その原因がさらに下にもゲートがあったためだと知るのは、先のことだった。
とりあえず、路面のぬるぬるは幾分減ってきたが、濡れた路面には落ち葉や小枝、瓦礫などがまだ散乱しており、ブレーキのききが落ちていることもあって、スピードは控えめで下った。

 



 旧道としても、この区間は特に見るべき物は無く、山襞に沿って造林地の中をグネグネと下っていく繰り返しだ。
所々、写真のような崩壊もあったが、今後の復旧の予定があるのかは不明。

 さて、本レポートも終盤戦。
長かった大峠も、いよいよその強烈なネタをほぼ出し尽くし、惰性運転に入りつつある。
三島との戦いの結果は、再び我がルーキー号に軍配が上がった。

 のこりのスペースでは、私が直接「置賜総合支庁建設部道路計画課」へ問い合わせた、この道についての質問と、その答えをご紹介しよう。
(担当者様、親切かつ迅速なご回答、誠にありがとうございました。山形県の行政の反応の早さに感心!)



質問1
 なぜ、大峠道路(現道)供用後もこの旧道が国道として指定されているのか、その経緯は? 
回答
 米沢市入田沢味清水から喜多方市岩月町宮津までの25.2kmをバイパス工事として進めているものの、一部工事中で未供用区間(福島2工区 L=6.63km)は未だ完成に至っていないことから、完成後に旧国道を市への移管や廃道の処置をとることとしております。 

なるほど、そう言えばそうだった。
まだ未開通の場所があるんだった。
納得です。
(写真は、道を跨ぐ高圧鉄塔線)




質問2
 国道でありながら一般車の通行できる整備がなされていない現状について如何お考えですか?
回答
 大峠バイパスの部分供用により、国道機能がバイパスに移行したことから、旧道については必要最小限の管理としているところです。 従って、森林管理や送電線管理等でやむを得ず通行確保しなければならない区間について、道路管理を行っております。  

 ごめんなさい。これは少し意地悪な質問でしたね。
しかし、最低限度の整備が県によって行われていたことと、利用目的として想定されている内容が判明した。
とはいえ、現状としては大猿倉橋より峠側ではこれら正統な目的を持って進入したとしても、危険な現状に変わりはないのだが…。
(写真は、熔けたブレーキパッド)


質問3
 通行不能となる直前まで、大峠隧道から数キロに渡って、大規模な法面復旧工事や舗装整備工事が行われていたようですが、この工事は何のためにおこなったのでしょうか?
回答
 本工事の時期は大峠バイパスが供用されておらず、旧道が国道機能を担っており、通行の確保をする必要がありました。 このことから、災害復旧工事として実施したものです。 

 至極真っ当な答えに納得。
やはり、工事は平成4年の現道供用以前にのみ行われていたのか。
(写真は、眼下に近づいてきた八谷沢、斜面が大々的に整地・緑化されているのは砕石地の復旧工事の跡か)



質問4
 今後の整備予定はありますか?
回答
 旧道については、大峠バイパス25.2kmの全線完成後に、市道への移管や廃道となり、一部市道と残る区間は必要に応じて整備及び維持管理される予定です。

 この回答によれば、もう数年後にはいよいよ大峠旧道は名実共に旧道…そしてそのまま廃道となる公算が高い。
行政の口から出る「廃道」の言葉は、文字通り道として土地を利用することを廃する手続きであり、その意味は単に荒れているから「廃道だ」というのよりも遙かに重い。
  本当に、大峠隧道に近づく術が無くなる日が、来るかも知れない。
(写真は、山形側で初めて見つけたおにぎり。)
 

 なお、福島県側を管轄する福島県喜多方建設事務所にも同様の質問を送付しており、回答が得られ次第、内容によっては本レポに追記することがあるかも知れない。
おそらくは、山形県の見解が共通のものだろうと思う。

 行政には、歴史ある旧道を峠として引き続き利用する気がまるっきりない事がはっきりと語られている。
しかし、その判断は、現地を辿った人間として言わせてもらえば、妥当であるといわざるを得ないだろう。
多くの人的資源と資金を投入して作られた道であるということで言えば、旧道も現道も同じ事。
道の代替わりは、当然のことである。
歴史の道は貴重だし大切だが、少々のお金をかけても守りきれないほど、大峠は険阻である。
今後も、大峠の道筋を語り継いでいく任を、我々オブローダーが、担っていかねばならない。
私もその一人だ。



 これまで見られなかった、谷沿いの景色。

こんな狭いブラインドカーブだって、現役当時はバスも大型車も行き来していた。

ひょっこり行き当たったりしたら、どこまで戻ればいいもんだか… 俺なら泣くな。




13:25

 海抜650m、大峠から9kmの地点に架かる、瀧ノ上橋。
この橋には陶製の銘板が4つ全て残っており、竣功が昭和10年であると判明した。
やはり、昭和の改修時の橋だ。
欄干のデザインは、先ほどの大猿倉沢橋と似ているが、隙間がより多くとられており、同一ではない。
また、この橋は2車線に十分な幅があり、将来は全線を2車線化する構想を持って建築したのかも知れないと思わせる。


 銘板に記された橋名は、特殊な「上」の字を用いている。
このような字体は見たことが無く、おそらくは画数の大きい「瀧」の字とのバランスを取るための、デザイン的な装飾文字であると思われる。
このような字体を見たことがあるという方がおられましたら、ご一報下さい。



 点々とおにぎりも設置されている。

カーブの先から人の声がすると思えば、福島側で最後に人の姿を見て以来3時間半ぶりに遭遇。
山形県人3名と遭遇。
山菜採りの囂しいオバサン3人組でした。
車やバイクは近くになく、下のゲートから1km以上も歩いてきたのだろう。

 オバサンの一人の私への問い。
「おへぁー、この先抜けられるんだか?」

きっぱり抜けれませんと言っておきました。




 あわわわわわ。
随分大々的に補修しちゃってますが、この道はいずれ廃道の予定なのではないのですか?
ごく最近まで工事していたような気配があるけど??



7−4 終 章


13:32

 再び橋の上にあったのと同じ作りのゲートが出現。
写真は乗り越えた後に振り返って撮影。
ここも、容易には抜けられぬよう、ワイヤで補強されている。

 なお、ここが山形側の本当の通行止めゲートであり、この先はやっと、一般に開放された公道となる。
残りの距離も後1kmほどだ。
ちなみに、山形県公式サイトにある道路情報によれば、2005年11月現在、この地点から大猿倉沢橋までは大型車のみの通行止め区間に指定されているが、実際には徒歩以外の進入は難しくなっている。



 ワイヤロープとバリケードのゲートから少し下ると、幾重もの通行止め予告の跡がある。
今も辛うじて健在のこの道路情報板は、福島側にもあったものと同タイプだ。
有無を言わせず、ただ「通行止」とは、いささか乱暴だ。



 思いついて道路情報板の裏に回ってみれば、有る有る〜。
色々な「規制内容」が。
フレームの間に挟まれて仕舞われていたプラ板を、一枚ずつ白日の下に晒してみる私であった。
むっふふふ、持ってかえりたい衝動に駆られたが、ぐっと我慢。

やっと廃道を脱したのだという安心感と達成感を、ここで満喫した。
本当に大きい長い峠だった。



 八谷沢沿いの道と分岐する。
旧国道は右の道だ。(写真は振り返って撮影したもの)
八谷沢沿いには、八谷鉱山がある。




 鉱山の大型トラックも通る、さらに広くなった道を少し行くと、ちょうど半日前に上を走った橋が見えてきた。
現国道の普洞沢2号橋である。
旧国道は、この橋の下を2度も潜ってから、その袂で合流している。



 ボロボロに朽ち果てた老橋。
普洞澤橋である。
装飾的な要素はなく質実剛健を地で行く親柱は、特にカーブ内側のものが深い擦過傷により抉られている。
長い往来の歴史の中で、擦られたことも一度や二度ではなかったと見える。

 この橋を渡ると、いよいよ旧道の全てのネタは終了。



 もう一度橋の下を潜ってから、



13:40



 しゅうりょーう!



生まれたばかりの大峠と、失われ行く大峠とを、一気にまとめて満喫した、6時間半(寄り道も含む)。
全長55kmの大峠ロング周遊コース(とはいえ距離的にはこれが最短、それだけ峠が大きいって事)は、こうして無事完了したのである。

お疲れ様でした、おれ。











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